【MUNICH】根源からお金を問うこと…3


3月13日。思索の時。

Tramに乗り込み、
アインシュタインがいると思った。

たしかにミュンヘン在住だった時期もあるので、
見まがう人が居てもおかしくない…か。

日本の地域通貨

NHKの放送があったあと、
地域通貨の活動が盛んになったように思うが、

当時の動きから比べると、
今は下火のような気がする。

現在も千葉県のピーナッツのように
活発な活動をされている地域通貨もあるようだが、
街おこし、商店街おこしとして始まった地域通貨は、
その本質を失って、多くは活動休止を余儀なくされたのだろう。

エンデやシルビオ・ゲゼルが提唱した貨幣の本質は、
「お金」も「モノ」と同じように減価(時間と共に価値が下がっていく)するものだった。

蓄えると価値が下がる…この発想転換が、
「モノ」と「モノ」の交換手段としての「お金」の本質を立ち上げさせ、
市場に「お金」が流通した。

【MUNICH】根源からお金を問うこと…2


3月13日。雨に濡れる白鳥。
ルートヴィヒを想う。

「お金」が「お金」を生み出す「資本主義」。
そこにどんな無理が生じてくるのか。

もともとない「価値」を
「お金」の売買で架空に作り出している。
そこが無理な話ってこと。

何かを生産せずに対価を受け取ることは不可能だから、
「お金」を借りてしまった債務者は、
何かを生産しなければならない。

それがdevelopment「開発」。

あらかじめ想定した「売上げ」を申請して、
銀行から資金を借り、大きく土地を開発する…なんてこともある。

どちらにしても
「お金」が生んだ架空の「お金」を
実質的に生み出すために「開発」が生まれる。

利子が膨らめば、それだけ開発の規模も膨らむ。

「先物買い」みたいなイメージだろうか。

「モノ」と「モノ」の間を取り持つ「お金」が
未来に生み出す価値を「先に」生み出して大きくなっていく。

しかも右肩上がりに…留まることを知らず…。

それって、どういうこと?
「お金」が「お金」を生み出した分だけ、
ボクらは未来を食い散らしている。

未来の価値を雪だるま式に転がせば転がすほど、
未来に耕すはずだった土地は、どんどん開発され、
破壊され、急激な成長を生み、
債権者はどんどん金持ちになって、
債務者はどんどん蝕まれていく。

この100年で、世の中が急激に変わったな…と感じた原因は、
「資本」を先売りすることで「未来」を先買いした結果だったのだ。

そして、地球は環境破壊が進み、
素に戻れない状況まで追いつめられてしまった。

「お金」が「お金」を生み出すサイクルは、
どんどん加速の一途と辿っている。

ミヒャエル・エンデは、ここに警鐘を鳴らしたのだ。

【MUNICH】根源からお金を問うこと…1


3月13日。木曜日。

ミヒャエル・エンデ博物館にて、
エドガーの画集やルイーデの絵を眺めて過ごす。

芳名帳には、日本から来た
たくさんのエンデファンが
その思いを日本語で綴っていた。

ボクも「来るべくして来ました」…と記した。

エンデの思索で感銘を受けたのは、
やはり「根源からお金を問うこと」

わかりやすく説明すると、

1.はじめは「モノ」と「モノ」の交換で暮らしていた。
 ⇒「パン」と「バナナ」を交換して、お互いが満足していた。

2.そこに「モノ」の価値を代用するものとして「お金」が生まれた。
 ⇒価値を定義する物差しとして「金」や「銀」が基準になった。

3.すべての価値を代用し、かつ風化しない「お金」は力を持ち出す。
 ⇒「バナナ」は腐るけど、「お金」は腐らない。

4.「お金」を蓄え、貸し出すことを商売として思いついた人間がいた。
 ⇒価値が不変だから、貸し出すことが可能になった。

5.貸し出す対価として「利子」を生み出し、儲けることに。
 ⇒「価値」を肩代わりする代わりに、手数料を払え…と。

6.モノの価値を代用する「お金」そのものが、商品となった。
 ⇒「お金」を預けると「利息」がつき、貸すと「利子」がついた。

この6が曲者で、
もともと対価の代用でしかなかった「お金」は、それだけで生産性はなく、
価値を生み出すことはできない。1000円はいつまでたっても1000円だ。

しかし、「お金」を商品として売り買い(貸し借り)することで、
「お金」にプラス手数料という価値が生まれてしまった。

「利息・利子」という名の手数料は、「お金」を借りた側の負担から生まれている。
債務者が生み出す価値である。もともとないはずの「価値」だ。

ここに問題が生じてくる。

「利子」はマイナスには転じない。ベクトルは常に上向きだ。

元金は、転がる雪だるまのように
どんどん利子にまみれ、大きくなる。
その増えた分は、債務者の手で生産しなければならない。

一方の債権者は、雪だるまが大きくなるように
資金を集める。「銀行」の始まりだ。

預ける側のメリットとして「利息」をつける。
「利息」を払うために「銀行」は債務者を急き立てる。

「お金」を商品にすることで「お金」が生まれている。
これはやっぱり、無理が生じてくる。

商品をつくって、その価値を対価として支払う仕組みから
「お金」そのものの「価値」を売買して「お金」を生み出す仕組みに。
…これが「資本主義」と呼ばれるもの。

【MUNICH】父エドガーエンデ


3月13日。木曜日。すでに雨。

静まった公園に、
ほんとひっそりと
ミヒャエル・エンデ博物館はあった。

1階は国際青少年図書館になっていて
世界各国の絵本が、相当量置いてあった。

「これはこれで、一日過ごせるな…」

かなり興味深い空間だったのだけど、
まずはエンデ…ということで
3階にまで上がる。

屋根裏のようなこじんまりとした空間。
斜めになった天井がまた居心地よく、
エンデだけでなく、エンデの父や母の作品まで
キレイに並べられて、日本の和室を模した空間まであり、
静かな雨の日に訪れるには、最適な場所だった。

父エドガーの絵をまじまじと眺めたのは
初めての経験だったけど、
ミヒャエルがどうして根源的な問いを好むのか
父の絵をみて、合点がいった。

心の中で膨らんだ映像を忠実に再現すべく、
父はデッサンと称して一日中アトリエに籠もるらしいのだが、
そこからあぶり出された絵の断片を、
繰り返し繰り返し描き直すことで、ひとつの作品に昇華していく作業は、
何度も自問自答を繰り返し、削ぎ落としていく過程が伴う。

そこから導き出されたシュールレアリスムの絵画は、
たしかに万人の理解を超えた世界になっているが、
観る者になにかしらの「ひっかかり」を残す力があった。

そんな精神力の持ち主である父エドガーと対峙していたのだ。

考える力が宿るはずだ。

【MUNICH】ミヒャエル・エンデ博物館


3月13日。木曜日。
午後になって、雨が降ってきた。

郊外にある「ミヒャエル・エンデ博物館」へ。

Tram17番でAmalienburgstr.まで行き、
143番のバスに乗り換え、Schloss Blutenburg下車。

(おそらくこの写真に映っているのが、Blutenburg城)

これでもか…というぐらい、郊外まで来た感じ。
同じミュンヘンとは思えないほど、交通量も多く、
幹線道路をドイツ車がびゅんびゅん飛ばしていた。

地名だけを頼りに、お城と思しき公園へ。

雨が降り始め、どんよりとした空気に
心身ともに震えていた。心細くもあった。

しかし、エンデを見ずに帰るわけにはいかなかった。

「モモ」「果てしない物語」など
彼の影響は計り知れない。

晩年には「エンデの遺言」として
根源からお金を問うことで、資本主義に警鐘を鳴らした。

「続・エンデの遺言」

【MUNICH】白バラ記念館


3月13日木曜日。くもり。

ふたたび、寒さが押し寄せてきた。

今日は一日、記念館めぐり。
ミュンヘン市内をTramで大移動。

まずは、ミュンヘン大学内にある
「白バラ記念館」。

「白バラの祈り」
ハンス・ショル、ドフィー・ショルらミュンヘン大学の学生が、
1943年2月18日に大学構内で反ナチスのビラを撒き、
1943年2月23日17時にギロチン刑にかけられるまでの5日間を描いた映画。

「処刑室のカーテンが開いてからゾフィーが斬首されるまで8秒」

ホントにそのぐらい首尾良く処刑される。
一切、感傷の余地なし。

二人の看守がベッドのような台にゾフィーを押し倒し、
頭を所定位置に置いた途端に刃が落下。
一瞬の出来事でもって、映画は終わる。

この構内でビラを撒いただけで…だ。

 しかし、あの人たちは英雄と呼ばれるべきだったのでしょうか?
 あの人たちは何も超人的なことを企てたのではないのです。
 ただある単純なことを守ったにすぎない、ある単純なこと、
 つまり個人の権利と自由、各人の自由な個性の発達と自由な生活への権利とを、
 背負って立ったにすぎないのです。
 彼らは異常な理念に身を奉げたのでもなく、
 偉大な目標を追ったのでもありません。
 彼らが欲したことはみんなが、わたしもあなたも、
 人間的な世界に生きうるということだったのです。
         白バラは散らず/インゲ・ショル/内垣啓一/未来社/1964

今回は、ニュルンベルク裁判といい、ダッハウ強制収容所といい、
ナチス時代のドイツを目の当たりにする旅だったが、

たかだか65年しか経ってない事実…だと思うと、
ホントに背中が凍る。

思想とはなんなのか?
考え方ひとつで、どれだけの命が救われたのか?

現代における強迫観念は存在しないか?
ボクたちは今も、何かに縛られてはいないだろうか?

【FUSSEN⇒MUNICH】メタモルフォーゼ


3月12日。水曜日。
長い長い一日も終わり。

FussenからMunichまでは
列車で1本。

1705発1907着。
約2時間、窓外の風景を眺めながら、
ルートヴィヒの人生を想う。

ヘレンキームゼー城や
ベルク城など湖畔に佇む城も
ぜひとも訪れてみたい。

今度は、夏。

緑生い茂る季節に、
どっぷりと耽美に酔い痴れよう。

    ●

この旅行で手にしてきた文庫が
また厭世観バリバリの書物で、

伊藤整「変容」

現実と虚構がオーバーラップし、
旅の間もむさぼるように読んでいた。

やはり、このあたりの反社会的なポジションが
自分の求めている世界なのか…と思う。

【HOHENSCWANGAU】ノイシュヴァンシュタイン城


3月12日。水曜日。
横殴りの雨。

…そんな苦労のすえ、収めた一枚。

今、見ても、その感慨が甦る。
…それは、胸の空く思いだった。

恐怖で足元もふわふわしていた。

それ以上に、この夢の光景は、
心をふわふわと、何処か遠くへ運んだ。

…おおお、なんとも、はや。

言葉にならない。
見事なバランス、見事な調和。

この完成を夢見て、
ルートヴィヒは歯痛に苦しめながらも、
なんとか現実とつながってこれたんだろう。

彼の虫歯は相当なものだったらしい。
口を開けると、強烈な口臭と、
痛みを和らげるクロロフォルムの臭いが
まぜこぜになって、対人を滅入らせた。

両頬は、虫歯で腫れ上がり、
せっかくの美貌も晩年は台無しに。
歯痛による寝不足と薬漬けのため、
顔色も紫がかり、目の下はくすんでいた。

もはや廃人と化したルートヴィヒ。

人を愛すこともできず、
ひたすら自己の陶酔だけに夢中となった。

そんな状況下で、
このマリエン橋から
眩惑の城を眺めていたルートヴィヒ。

「なんだか、わかる気がする。」

横殴りの雨にぶたれながら、
風に足元さらわれながら、
ルートヴィヒの想いを胸に、シャッターを切った。

ああ、ディレッタンティズム。

【HOHENSCWANGAU】マリエン橋は嵐…


3月12日。水曜日。
マリエン橋へ到着。

山と山の間に架けられた橋だけに、
風の通り道となっていて、横殴りの雨。

傘を差していたら、飛ばされそうだ。

橋も130年ほど前のものなので、
橋桁の隙間からがけの下が窺い知れて、
歩いているだけで、背筋が冷えた。

風、雨、高所。

ものすごい観光だ。

30mはあるだろうか。
橋の真ん中から、ノイシュヴァンシュタイン城を拝謁したい。
そして、しっかりと写真に収めたい。

しかし、風がきつく、雨が横殴り、
カメラを保持するのが、やっと。

しかも雨と風で体感気温も、グーーーーッと下がっている。
手袋なしでは、カメラを渓谷に落としかねない。

冷や冷やした面持ちで、雨に打たれながら
一歩一歩、慎重に足を運ぶ…。
風で時々橋が揺れる。それがまた恐怖を呼ぶ。

…大丈夫だろうか。
このまま奈落の底へ
落ちてしまわないか…。

妻は、橋のたもとで、じっとしていた。

【HOHENSCWANGAU】背後から…


3月12日。水曜日。
ついに雨が降ってきた。

おおお、せっかくの謁見が…。

このまま引き下がれるか、
太陽の光よ!
城を輝かせておくれ!

天を仰ぐも、雨足は勢いを増すばかり。

なんというこった。

この美しき城を、
太陽光の下で、拝めないだなんて。

とにかく、王自らが
この城を眺めるためだけに架けた橋…
「マリエン橋」から城を拝謁しなくては。

ボクらはノイシュヴァンシュタイン城のお尻から
ぐるりと廻るカタチで、雨の中「マリエン橋」に急いだ。

もうしばらくは、来られまい。

なんとしてでも、ルートヴィヒの思いを追体験せねば。

…城のお尻も、やはり美しかった。