
午前中、那覇空港に降り立った。
今朝方20度を割り込んだ羽田空港から、
熱気が、地から立ち上る沖縄へ。
ム~っとする湿気が、まとわりつく。
微熱気味なのか、カラダ全体が火照っている。
歩くたびに足に熱がまとわるような、そんな感触。
朝一便にもかかわらず、
社員旅行だろうか…団体客がはしゃいでいる。
そのうわついた上気と、
立ち上る熱気とが、
旅の疲れを露わにさせた。
カラダにこもった熱が、体内をめぐる。
辺境の島、沖縄。
ここがボクの立ち位置。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

午前中、那覇空港に降り立った。
今朝方20度を割り込んだ羽田空港から、
熱気が、地から立ち上る沖縄へ。
ム~っとする湿気が、まとわりつく。
微熱気味なのか、カラダ全体が火照っている。
歩くたびに足に熱がまとわるような、そんな感触。
朝一便にもかかわらず、
社員旅行だろうか…団体客がはしゃいでいる。
そのうわついた上気と、
立ち上る熱気とが、
旅の疲れを露わにさせた。
カラダにこもった熱が、体内をめぐる。
辺境の島、沖縄。
ここがボクの立ち位置。

東京6日目。
日本橋のレンタルオフィスで、
クリエイティブの構築作業。
一週間も東京に滞在すると、
電車内でつり革にぶら下がっている自分に
違和感がなくなってくる。
海岸一丁目の倉庫街で打ち合わせを済ませ、
散らかったアイディアソースを固めるべく、
ひとり簡易なオフィスで言葉のキャッチボール。
八重洲の地下街を行き交うサラリーマンやOLに、
勤勉な日本人を思う。
これだけの人間がうごめいているんだ。
どれだけのドラマが個々に展開されているのだろう。
おとといは山形の奥地にいた。
きのうは仙台にいた。
それだけでも相当な移動距離だ。
山形ではドラマ撮影中の「菊川怜」を垣間見た。
うごめくスパイラルの交差。
東京で沖縄の仕事を試行錯誤している自分。
山形までドラマ撮影にきた女優。
同じ時間軸で、まったくちがったスパイラルが交差する。
八重洲地下街で、とぐろを巻くサラリーマン。
新たな広告プラン構築で、今日も眠れないプランナー。
共時的だから、おもしろい。
共時的な目線で見るから、さらにおもしろい。
明日は、どんなドラマとめぐりあうのだろう。

東京4日目。
仕事を進めつつ、
実家生活。
遅めの夏休み???のはずが、
ひとりレンタルオフィスで
メールやスキャンをしている。
なんともちぐはぐな思い。
「いいかげんにしなさい」
仙台の親には諌められ、
妻にはあきれられ、
会社には疎んじられ、
東京のブレーンは頭を抱え、
まったくもって出口なし。
しかし、与えられた責務を
安倍首相よろしく放棄できるわけもなく、
前へ進まなければ、ボクの未来もない。
こんなときこそ、大音量でROCKを聴く。
それも、とびきりの激しいヤツだ。
ワケも分からずバスドラがドコドコとなり、
絶叫のハイキーヴォーカルが
耳をつんざく。
MOTLEY CRUEなんかがちょうどいい。
…「でもそんなの関係ねぇ~」
ヘッドバンキングでリズムを体に刻む。
Shout! Shout! Shout! Shout at the Devil!
ギターのリフが気持ちいい。
単純に繰り返されるフレーズ。
ガジガジに効いたディストーション。
Too Young To Fall in Love!
スケールを上下するだけのギターソロ。
(^-^)/
…昔の記憶が甦る。
髪を背中の中程まで伸ばし、
安物のブリーチ剤で脱色を施し、
真ムラサキへ自ら染め上げた。
ヘビメタバンドのヴォーカル【Ronny】として
55キロの痩身なカラダをくねらせ、
Shoutし、こぶしを振り上げていた。
(T_T)
何にREVELしていたんだろう。
行き場のない反逆スピリット。
あのスピリットを
今こそぶちかまさなきゃ
いけない…はずなのだが。
大音量で聴くのが
精一杯な自分。

昨日はさんざんな一日。
ま、重なる時はかさなる。
大事なクライアントへの
プレゼンテーションに気合いを入れて臨んだら、
見事にダメ出しを食らい、イチからやり直し。
さらにもうひとつの大きなプレゼンも抱えてしまい、
ブレストに3時間。
脳みそがペースト状になって、
急いで向かった打ち合わせ先で、事故。
夜も9時を回っているというのに、
駐車場でベンツのドアにテールランプを当ててしまった。
事故処理で警察のお世話に。
会社の上司にも連絡を取り、保険屋とのやりとりをお願いする。
11時。
ふたたび会社へ戻り、残務を処理しようと思ったら、
セキュリティの暗証番号をど忘れ。
防犯ベルがしたたか鳴り響く。
こちらも性根尽き果てていたので、なすがまま。
社長から会社に連絡が入り、誤報であることを知らせる。
ヘロヘロになりながら、
夜中の2時まで仕事。
途中、なんどもまぶたが閉じる。
メールの文章が、少々おかしかったかも。
そんでもって、今日から東京。
一週間のバカンスのはずが、打ち合わせの嵐。
大きな仕事を2つも抱え、沖縄とのやりとり。
切り替えがうまく行くのか。
今からどっと疲れが出てきた。

別にアンテナを立てて
耳そばだてて、癌の情報を得ようと
しているわけではないのだけど、
今日も会社のテレビで、アフラックのTVCMが留まった。
アフラック 生きる.com
ジャーナリストの鳥越俊太郎が
みずからの癌の体験を語るCMなのだが、
その「さらけ出し方」が衝撃だった。
病棟の廊下を点滴ぶら下げ歩いてる姿や、
ベッドに横たわり、うなだれている顔や、
病院の食事を口にして、微笑んでいる姿など、
およそTVで見る鳥越俊太郎のイメージにはそぐわない。
そんなショッキングな映像が連なり、モノローグが語られるのだ。
「癌から逃げないことです。逃げたらなんでもこわいです。」
サイトは、さらにモノローグが続く。
たとえば、夜暗いところで白いものが見えたと思って、
背中を向けて逃げたら、恐怖が迫ってくる。
でも、何だろうと思ってそっちへ向かっていけば怖くない。
それを確かめようとする好奇心が出てくる。
どんな癌なのか、共存するにはどうしたらいいのか。
どういう治療法があるのか、そういう好奇心を持って
向き合うのが、一番いいと思う。
いろんな葛藤はあるかもしれないが、
結局は向き合うしか、ない。
ずっと背中を向けていたら、苦しいですよ。
向き合うのは自分を守るため。自己防衛本能です。
自分の「生」を真っ正面から受け取る。
弱いからこそ、正面で。
授かった生命、最後まで責任を持って燃焼しよう。
そんな鳥越俊太郎の何事にも実直な姿勢に、心打たれた。

広告のネタを探す時、
ボクは「アドフラッシュ」なる業界刊行物をパラパラめくる。
今日も、最新の「アドフラッシュ」を見るともなしに見ていた。
そしたら、見つけてしまった。
宝島社の広告。
おそらくこれもfuture text前田知巳の仕事だろう。
根っこを照らし出すコピーで、いつもハッとさせられる。
今回も、このコピーを読んで
レイモンドカヴアーの詩「渡り鳥」を思い出してしまった。
●
笑いが癌細胞を減らす という説がある
癌は不思議だ
末期癌を宣告されて 十年以上生きつづけている人がいる
癌は怖いけど不思議だ
最後のすこし前 突然元気になって一泊出かけたんだよ
という人の話は少なくない
癌は不思議だ というより人間の体は不思議だ というより人間は不思議だ
毎年数え切れない量の 癌関連本
癌から逃げよう
いや 癌とたたかおう
いや 癌をうけいれよう
癌は人のなかにあるのに 人は解ききれない 何と意地の悪い
「癌とは時間をかけて死と向き合うことなのです」と語る人がいた
こうなるとまるで人生そのものではないか
「でも 死んだら何も言えなくなるんだよ」と 人は想う
そうだけど そうではないのではないか
壮絶と不思議の数ヶ月 その人の生き様と逝き様に
親しい者は ずっと語りかけられながら その後を生きていくのではないか
癌で一生を終える日本人 いまや一年間 三十万人強
医療は進歩しつづけているはずなのに
人はまた 癌を考える
●
…死に直面してはじめて、自分の「生」を根本から意識する。
そのとまどいを「渡り鳥」から、ボクは感じた。
結局、生きていることの不安、死んでいくことの不安は、
どれだけの思いを巡らせても、拭えるものではない。
人と人とのつながり、その愛情の網の目で、人はなんとか救われるのだ。
前田知巳も、連綿とつながる人間どうしの連鎖に
その救いを感じているのではないだろうか?
そんな気がする。

夏も終わりに近いある日、彼は友だちとテニスをしていた。
ゲームの途中、友だちが彼に言った。
フットワークが重くなったんじゃないか?
サーブにも切れがなくなったし。
「大丈夫か?」友だちが尋ねる。
「最近、健康診断を受けてるか?」
夏だし、気楽に暮らしていた。
でも、そのぼくの友だちは、知り合いの医者に診てもらいに行った。
医者は彼の手をとり、あと三ヶ月もてばいいだろうと言った。
次の日、ぼくは彼と会った。
午後だった。彼はテレビを見ていた。
いつもとかわらない様子だった。
けれども、何というか、どこか違っていた。
彼は、テレビを見て何かに動揺し、ボリュームを少し下げた。
それでもまだじっと坐ってはいられずに、
部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。
「季節によって住む場所を変える動物もいるんだって。」
それで説明がつくだろうとでもいう具合に、彼はそう言った。
ぼくは彼の肩に腕を回し、抱きしめた。
でも、いつもほど力強くはしなかった。
ひょっとして、二人のうちのどちらかが、いや、両方が、
こわれてしまうのではないかと思ったから。
その時、一瞬ばかげた恥ずべき考えが浮かんだ。
こいつの病気がうつらないかな。
ぼくが、灰皿を貸してくれと言うと、
彼は喜んで、いそいそと家じゅうを探し回った。
ぼくたちはしゃべらなかった。その時は。
二人で一緒にその番組を見た。
トナカイ、シロクマ、魚、水鳥、チョウチョ、いろいろ出てきた。
中には、大陸から別の大陸へ、
ある海から別の海へ渡る動物もいた。
でも、テレビにはあまり集中できなかった。
ぼくの友だちは、覚えている限りでは、ずっと立っていた。
気分でも悪いのだろうか?気分が悪いのではない。
彼はただ、じっとしていられないだけだ。
彼の目に何かを訴えたそうな色が浮かんでは消えた。
「いったい何なんだ、この番組は?」
だが、ぼくの答えを待たず、再び歩きまわる。
ぼくがぎこちなく彼のあとについて、部屋から部屋へと歩いた。
その間、彼は天気のこと、仕事のこと、別れた妻のこと、
子どもたちのことをしゃべった。
もうすぐあいつらにも話さなきゃ…あのことを。
「おれ、本当に死ぬのかな?」
その最悪の日のことで、一番よく覚えているのは、
彼の落ち着きのなさと、ぼくがこわごわ彼を抱きしめたこと…
「やあ」と「さよなら」
ぼくを見送りに玄関に出る時まで
彼は終始動き回っていた。
彼はドアを少し開け、外がまだ明るいのを見て、
びっくり仰天したかのように、うしろにさがった。
車寄せのところに細長く生垣の影が落ちている。
ガレージの影が芝生に落ちている。
彼は車のところまでついてきた。二人の肩がぶつかった。
ぼくたちは握手をかわし、ぼくはもう一度彼を抱いた。そっと。
彼は家へ戻り、急いで中へ入るとドアをしめた。
家の向こうから彼の顔がのぞいた。そして、消えた。
またうろうろ動き回るのだろう。
昼も夜も、休むことなく、全身を動かして、
爆発寸前の細胞を一つ残らず動かして、旅を続ける。
彼だけが知っている目的地をめざして。
そこは、冷たくて凍てついた北極のどこか。
ここまでくればいいだろうと彼が思えるところ。
そこでいい。
そこで横になる。疲れたから。

なんといふ妹なんだらう
ーー兄さんはきつと成功なさると信じています。とか
ーー兄さんはいま東京のどこにいるのでせう。とか
ひとづてによこしたその音信のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた、六・七年振りに手紙を書かうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです
そんなことは書けないのです
東京にいて兄さんは犬のやうにものほしげな顔しています
そんなことも書けないのです
兄さんは、住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなって
とひつめられているかのやうに身動きも出来なくなつてしまひ
満身の力をこめてやつとのおもひで書いたのです
ミナゲンキカ
と、書いたのです。
沖縄戦「集団自決」への日本軍の強制などの記述を削除・修正した教科書検定意見について
今沖縄県では、9月29日の県民大会に向けて大きなうねりをみせているが、
沖縄が生んだ「精神の詩人」山之口貘さんを、
娘の山之口泉さんが追想した文章に胸を打たれたので、
そのまま抜粋したいと思う。
●
父は確かに沖縄県に生まれたのだが、
私が育つ頃、沖縄は、ただのオキナワであった。
私が学校で社会科の時間に習った一都一道二府四十二県の中に、
沖縄は、含まれていなかったのである。
まるで外国便のようにして沖縄から届く航空便の差出人の住所は、
なるほど、如何にも不安定で、宙ぶらりんの沖縄そのままの姿をさらしているように見えた。
が、父は、自分が沖縄に便りをする時、全く素知らぬ顔で、
沖縄県…と、宛先を書き出すのだ。
そう書くことが、まるで何かになるように。
だから私も、未だ存命だった祖父母に年賀状を書く時に、見よう見まねで、
たどたどしく、おきなわけんやえやまぐん…と宛名書きをしたのである。
そんな県などどこにもないと、学校の授業では教えられながら。
(中略)
父の死後、八年たって、オキナワは、沖縄県に戻った。
私の子供たちは、皆、沖縄を沖縄県と呼ぶのを当たり前のこととして育っていく。
沖縄が、日本の県ではなく、さりとて、アメリカの州なんかでもなかった、
あの空白の時間を、彼らは知らない。そして、それに先立つ戦争を。
それらをいやというほど知り尽くしている人々の数は、次第次第に減っている。
父の友人達の多くは、すでに旅立ってしまった。
今にすっかりいなくなってしまうだろう。
新聞やテレビやラジオは、何食わぬ風に沖縄を沖縄県と呼んでいる。
今となっては、父のあのやり場のない憤りも悲しみも、世界の片隅にそんなものがあったことさえ、
誰も気づきはしない。全ては包まれ押しやられ、
やがて新しい時代の波がそれらをすっぽり呑みつくしてしまうに違いない。
まるで、一匹のねずみのように。
けれど、少なくと今は未だ、私は忘れることができないでいる。
母国のない宙ぶらりんの沖縄に向かって、故郷を失くした宙ぶらりんの父が頑なに書き続けた、
沖縄県の県の字を。「沖縄は日本だ」と、死ぬまで繰り返し続けた、
断固たる沖縄訛りの声音と共に。
●
戦後35年。沖縄県としてはまだそれだけの歳月しか経っていない事実。
たかが35年で風化させてしまえるのか、戦争の事実を。
ここはしっかりと国を相手に戦うしかない。

お国は?と女が言った。
さて、僕の国はどこなんだか、とにかく僕は煙草に火をつけるんだが、
刺青と蛇皮線などの連想を染めて、
図案のような風俗をしているあの僕の国か!
ずっとむかふ
ずっとむかふとは?と女が言った。
それはずっとむかふ、日本列島の南端の一寸手前なんだが、
頭上に豚をのせる女がいるとか素足で歩くとかいふような、
憂鬱な方角を習慣しているあの僕の国か!
南方
南方とは?と女が言った。
南方は南方、濃藍の海に住んでいるあの常夏の地帯、
竜舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物たちが、
白い季節を被って寄り添ふているんだが、
あれは日本人ではないとか日本語は通じるかなどと
談し合ひしながら、世間との既成概念達が気流するあの僕の国か!
亜熱帯
アネッツタイ!と女が言った
亜熱帯なんだが、僕の女よ、目の前に見える亜熱帯が見えないのか!
この僕のように、日本語の通じる日本人たちが、すなわち亜熱帯に生まれた僕らなんだと
僕はおもふんだが、酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのように、
世間の偏見達が眺めるあの僕の国か!
赤道直下のあの近所