【REGGARE】MIGHTY TWO@新宿OPEN


10月26日。月曜日。
朝から雨。昨日から急激に肌寒い秋到来。
最高気温17度。沖縄では冬の装いだろう。

今日は人間らしく長袖長パンで生活した。
いつもは沖縄の熱を惜しむように、Tシャツ短パンだというのに。
ここまで寒いと、カラダの節々が参ってしまう。

…というのも、また朝までコース敢行。

大学時代にお世話になった先輩が組む
レゲエユニットMIGHTY TWO
新宿二丁目OPENでの行われたLIVE撮影。

このあたりは学生時代、徘徊したもんだ…と
遠巻きに2丁目繁華街を眺めつつ、
そのはずれの雑居ビル地下1階へ。

巨大なサウンドシステムが聳えるホールでは
すでにNISHIYAADが軽快なgrooveを奏でていて、
一気に気分は2丁目モードへ。

ドレッドヘアのジャマイカ人も
超ハイテンションで密着してくる。

20年前だったら、サタデーナイトは
こんなジャマイカンがアメリカ女と入り乱れて、
汗と体臭とガンジャをまき散らし、
それだけで脳天までトランスしてたんだけど、

多様化のご時世、レゲエだけで屋台骨支えてるCLUBは
ほとんど廃れてつぶれてしまったらしい。

曜日ごとにジャンル分けされたスタイルが今や常識。
それこそi-podのように、気分で音楽も聴き分ける「ジャンルレス」な時代。
それだけその音楽が持つ背景みたいなもんは感傷的だといって興味を示さないのか。

いやはや。

Reggaeをジャマイカで耳にした時の
あの感動を伝えてあげたい。

       ●

で、MIGHTY TWOの登場。
時計はすでに夜中の2時。
ホールは熱気に包まれ、酔いも絶好調。

のっけから独特のバイブレーションで
会場をグラインドさせるGROOVE。
なんなんだ、この高揚感は。

MIGHTYのふたりもヘッドバンキングで
酒井法子も真っ青なトランス状態。
「この暗さで首振られたら、ピンぼけしまくり」
…とカメラマン泣かせなスタイルだけども
ここはフラッシュで応戦。
ステージもフラッシュバック並に照明演出が激しく、
これはこの地下1階のスペース全体が、ハイトランスな域に
達しているな…と、上から会場全体をパチリ。

超絶の2時間弾きまくりなレゲエナイトを堪能したわけ。

しかしこのふたり、ステージでインプロビゼーションしながら、
お互いの呼吸に反応しつつ、展開を組み立ててゆく…だなんて、
どれほど恐ろしく熟達したトラックメーカーなんだよ。

もっともっと聴きまくりたかった。
下半身が勝手にイッちゃってる夢精状態に近かった。
かなり気持ちいい。

       ●

久々に二丁目の洗礼を受けた感じで、
始発早々この場を後にするしか、選択肢はなかった。

ホントは夜明けまで待って
この場の特異な空気をフィルムに収めたかったが、
そんな好奇心も萎えるほど、濃厚なバイヴで、
これはもう、浮ついた感覚に任せたら明日がないな…と
身をすくめて始発に乗った。

ドロドロに疲れた始発の乗客を眺めていると、
やはり裏の世界はおもしろい…とあらためて新宿の魅力を知ったわけ。

体力勝負であることには違いないけど。

【MOVIE】ANVIL!試写会


10月23日金曜日。
9月26日の朝便で沖縄を発ったから
もうすぐ東京生活1ヶ月。

引っ越し作業やら就活、ライブ撮影、
友人との再会…などとやっていたら、
もう秋も半ば。

11月って言ったら東京では冬に近い。
街ではおそらくクリスマスネオンが煌めき、
マフラーやコート姿が当たり前になる。

時間の経つのが、早い。
引っ越し祝いにもらった花も枯れてしまった。

        ●

そんな時節の合間に試写会の案内が、来た。
いやいや、正確に話せば、試写会が、当たった。

テレビのない生活なので、朝日新聞の朝夕刊を購読し、
朝夕くまなく目を通しているのだけど、
水曜日の夕刊は都内の催しがひと通り載っていて
試写会のご招待!なんてのもたくさんある。

モノは試しと3通応募してみたら、1通戻ってきた、ご招待券となって。
こんなイベント、東京ならでは!…と自転車飛ばして「ZEPP TOKYO」へ。
東京テレポートってフジテレビ本社のあたりで、
観覧車もぐるぐるとネオンもきらびやかに回ってる派手な場所。

こんなところで試写会!?と…なにか仕掛けがあるのでは?と勘ぐってたら、
やっぱり最後にドカンと驚きの出来事があったのだが、それは最後に。

「ANVIL!~夢を諦めきれない男たち」公式サイト
こんなヘヴィメタ映画に応募しちゃうあたりが、ボクなのですが、
期待以上にハラハラドキドキさせられて、しかも最後は涙が止まらない…

事実に即したドキュメンタリーでよくぞここまで序破急作れるな…と
感心していたら、やはりそこには深い友情譚があった。

人と人とのつながりって縁深いものがあるな…とつくづく感心してしまうのだけれど、
監督のサーシャ・ガバジは16歳の時にロンドンのライブハウス「マーキー」で
ANVILの壮絶なLIVEに立ち会い虜となり、BackStageにその感動を伝えようと出向く。

そこでANVILのリップとロブはこの16歳の少年にLIVEの感想を真摯に求めるのだ。

大人の扱いを受けた16歳は、リスペクトを持ってANVILに接し、
やがてアメリカ・カナダツアーのローディに迎え入れられる。

そのツアー中もリップとロブは16歳の少年を対等に扱い、
最後は演奏メンバーに加えてまでくれる。
1ヶ月ばかりのひと夏の経験は、少年にとって最高の思い出となった。

そんな愛情を受けたサーシャ・ガバジ監督は、20年後彼らに会いたいと考える。

そこで、今も現役で音楽を追求しているリップとロブに再会し、
その彼らの一途な人間性に感動するわけだ。

映画制作の背景にそのような深い友情譚があったからこそ、
この映画は人を揺さぶる感動に溢れているのだと思う。

試写会の最後は、生のANVILが出てきて、
衰えのしらぬ壮絶な演奏を披露してくれた。
…すげえ演出。立ち上がって、涙、涙。

明日から公開。
ぜひとも足を運んで欲しい。

【churaphoto】本日記者会見


10月21日。水曜日。
東京は晴れ。気温22度。

晴れていても風が冷たいのは
沖縄と確実に違うところ。

本日ケータイサイト「ちゅらしまMESH」記者会見が
午後3時30分から沖縄セルラー電話会議室で行われる。

沖縄では最後の調整段階。
こちらはひたすら古い写真を
GPS情報を付加してサーバーにUPする作業。

しかし200点近くの50年代、60年代の写真を見ていると、
沖縄に12年住んで培った記憶と相まって
OKINWAという島の業(ごう)とも呼べるものが
浮かび上がってきて大変興味深い。

写真は昭和25年から35年の10年間、
沖縄の復興とともに夢と希望を与えた城岳遊園地。
那覇高校の向かいの小高い丘にあったらしい。
          (1951年久高将信さん撮影)

こういった記憶は、
35年以降に生まれたウチナーンチュにも勿論ないわけで、
古写真の収集保存⇒データ化という作業がなければ知るよしもない光景である。

しかし、戦災を逃れた「武徳殿」や「教公二法」施行に湧いた「立法院」などが
戦後まもなくの那覇市内には確実に存在していたわけで、
そういった貴重な記憶であり記録を丁寧に地図に落とす作業をしていると、
ボクたちは「歴史」という時間の流れの中で確実に存在しているんだ…ということを実感する。

それはたとえて言うならコペルニクス的視点の転回であり、
ガリレオが地動説を唱えるような意識の裏返しだと感じるのだ。

自分が存在して時間が存在するのではなく、
時間が存在して自分が在る…といった感覚。

人間はどうしても自分本位で世界を捉えるが、
世界の存続に自分の存在は与しない事実。

連綿と時は移り変わり、過去の光景は色あせ、
現実はデジタル化で彩度鮮やかに目の前に広がっているようだけど、
実はこの現実も30年後には完全に色あせ、自身の存在も滅せられる。

知るよしもない「城岳遊園地」や「武徳殿」「立法院」が
ただそこに遺棄されているように、己自身もいずれ葬り去られる。

写真というメディアが黎明期には「魂を取られる」と畏れられたのも
撮影した瞬間、過去の遺物として凍結させられるからか…。

いずれにしても
このような振り返る作業は「時間」を意識させ、
自身を謙虚に導くものだ。

明日からスタートするケータイサイト「ちゅらしまMESH」
ぜひともアクセスいただきたい。

【bozzo】就活はじまる


10月20日。火曜日。くもり。
朝からデータ生成作業。
明日はケータイサイト「ちゅらしまMESH」の記者会見の日。

沖縄のNPO法人ちゅらしまフォトミュージアム
MESHサポートau沖縄セルラー電話(株)の支援の許、
手を組んで出来上がった新しいスタイルのケータイサイトだ。

沖縄の古い写真をGPS(簡易位置情報)連動で呼び出す仕掛けなので、
今の国際通りにいながら、上のような1948年の情景と見比べることができる。
                   (1948年の国際通り/久高将信さん撮影)

会員費のおよそ半額がそのままMESH救急ヘリの運航支援へ。

「沖縄の未来のために」立ち上がった両NPOが
共に歩む第一歩が10月22日から始まる。

明日はそのスタートを宣言する記者会見の日。
3社の代表が一堂に介し、それぞれの立ち位置でこのサイトの目的と未来を語る。

2月からあたため、組み立ててきた企画。
いよいよ実現する時が来た。

         ●

この週末、東京での活動を広げようと「就活」を行う。
三軒茶屋のブライダル会社と南青山のブライダル会社。

履歴書を送り、面接へ。

土地柄なのか、それぞれのスタンスがまったく違っていた。

一社は事務所も騒然としていて
大きなカレンダーには赤ペンで式場がたくさん殴り書きされていた。
社長も額から汗をにじませ、自社のポジションと社員の心得を早口に語る。
こちらの経歴や作品にはいっさい触れず、社会人とは…を説く。

もう一社は窓から緑が一望でき、Macが整然と並べられ、
若いスタッフたちが落ち着いた空気の中で仕事を楽しんでいた。
こちらの意見に耳を傾け、作品に対しても評価をいただく。

同じ業種で、この違いはなにか?

経営者のスタンスが見事に感じられた好例だった。
おそらく撮影された写真も同じような傾向を生むのだろう。

一社はギスギスとした乱暴な写真。
一社は余裕を含ませた幸福な写真。

もちろん価格帯も違うので、それぞれにニーズはあると思うのだが、
仕事っていったいなんだろう…と考えされられた2社の面接だった。

それって、生きるって何だろう…にもつながっていくのだけれど。

【bozzo】荒川の夜景


SAXOPHOBIAを終え、JUJUと15年来の旧交を温めあい、
豊かになった気持ちで帰途につく。(自転車で)

元来た道を戻ればよいものを、ひたすら西へと進んだために(気持ちだけ)
実は南下しちゃってて、またもや道に迷って、1時間後の荒川越えに…。

自分に呆れながらも、荒川の呑み込まれるような暗闇と
その頭上に広がる首都高の等間隔の路灯に…単純に美しいと感じる。

ああ、これが東京だ。

このスケールがまさに、東京だ。

ボクはいま、このドデカイ東京に、居る。

そう思ったら、シャッターを押したくなった。

【COCHI】Saxophobia LIVE


10月17日。土曜日。
夕方よりにわか雨。肌寒い感じ。
しかし、自転車で荒川越えをする。
小岩COCHIで行われた
SAXOPHOBIAのLIVEを見に。

⇒2002年に水戸のギャラリー木葉下(あぼっけ)で
 その存在を知って以来、念願だったSAXOPHOBIAである。

新小岩まではなんなく到着。
荒川の橋を渡ることにドキマギしていたが、
思ったほど遠くなかった。ここまで10分程度。

「楽勝かも…」

そう思った矢先に道をまちがえたらしく、
千葉県をまたぐような勢いで京葉道路を東へ東へ。
危ない危ない、もう川を越える必要はないんだ…と

川伝いに折り返し、なんとか小岩サンロードの商店街を発見!
郵便局を目印に右折し、COCHIの看板をみつけ安堵。
開演10分前に到着。およそ1時間あまり。
おそらく30分はロスをした模様。

すぐさま朋友井上JUJU博之に挨拶をして
席に座り、sax4人の見事なアンサンブルに酔いしれる。

ぶったまげた。
さすが東京だ。

その演奏能力とソウルパワーに心底圧倒された。

まだ…興奮している。

しかし今は眠くて…この気持ちを詳細に描くことができない。

…残念。

【谷川俊太郎】世界へ!


10月15日。木曜日。
東京に来てからすでに半月。
ここ一週間は秋晴れの過ごしやすい日々。

ハローワークへ行って職探し。
木場公園を自転車で走り抜け、風を感じる。

沖縄と東京が同じ空でつながってる…だなんて。

とてもじゃないが、実感が湧かない。
沖縄の空は、もっと色濃く奥行きがあったもの。

たった1500km先に想像がいかないのだから、
人間のテリトリーなんて、たかが知れてる。

詩人を友だちに持つと、ステキだ。

あらぬ目線から生活を捉えていて、いつも驚かされる。
そして、その愛の深さに、感心する。

谷川俊太郎が若い時、こんな文章を書いている。

        ●

あらゆる人間は、常に何ものかを通して、
生き続けてゆこうとしているのである。

詩人もその例外ではない。

彼は詩を通して生き続けてゆこうとしているのであって、
決して詩そのものを求めて生きているのではない。

我々は詩を書くために生きているのではない。
生きてゆくために、あるいは、
生きているから、詩を書くのである。

私は詩には惚れていないが、世界には惚れている。

私が言葉をつかまえることの出来るのは、
私が言葉を追う故ではない。
私が世界を追う故である。

私は何故世界を追うのか、何故なら私は生きている。

        ●

人間として生きてゆくためには、
私は詩人であらねばならない。

俊太郎は書く。

詩人として、人々と結ばれ、世界と結ばれなければならない。

写真も同じだと思う。
いや、どの職業もきっと当てはまるのだろう。

詩人は「生」に恋し、「生」に愛をふりまく。

ボクは写真を通して、生き続けてゆこうと決めたのだった。
愛をもって、生活を切り取るのだ。

撮ることが、生きることと同義。

【bozzo】赤坂の夜は更けて


10月11日。
東京らしい澄み切った青空と爽やかな風がすりぬける秋晴れの日曜日。
Paul Bleyを聴きながら朝食。妻は朝から親戚の結婚式で日枝神社へ。
独りこのピンと張りつめた心地よい午前を堪能する。

オキナワとトウキョウをどうしても比較したくなるけど、
こんな日曜日はオキナワにはなかった…と思う。
すべての事象が直線で結ばれているような緊張感のある朝。
それでいて、乾ききった風が心地良い。

カナダ出身のピアニスト…Glenn GouldやPaul Bleyがこれからのトウキョウには似合っているんだろうな。

         ●

週末の金曜日、Jamaica撮影のきっかけを生んだレゲリーマンの個展会場におじゃました。
タイトルもそのまま「レゲリーマン展」
自身のプロモーションも兼ねて、レゲリーマンの歌をそれぞれ大判の絵にしていた。
サラリーマンの悲哀とレゲエの歓喜が綯い交ぜになったカオスのような世界。
ポップアートに近いスタンスで新しいんじゃないか?兎に角そのパワーに圧倒された。

その後、一堂は赤坂のKenny’sBarへ。
会期中のイベントとして計3回のパフォーマンスが織り込まれていて、今日が2回目。
レゲリーマンとつながりの深いアーティストがその個展を祝い演じる。
クラシックあり、ラテンあり、ベリーダンスあり、ブルースあり…と、赤坂の夜は盛り上がる。

久々に感じるトウキョウ赤坂のサラリーマン風情に、ちょっとばかり懐かしさがこみ上げてくる。
18年前、大学卒業後ボクは六本木の写真スタジオにアシスタントカメラマンとして入社した。
のちに「バブル崩壊」と称された日本経済凋落のまっただ中、ボクは六本木の飯倉交差点で缶詰になっていた。

夜中に撮影を終え、カメラマンと繰り出すのは主に六本木界隈だったけれど、
当時は「カネは天下の回りモノ」的金銭感覚だったので、
一夜に10万とか飲み倒すのはザラで、夜中の2時ごろタクシー飛ばして歌舞伎町へ…なんてこともあった。

「会社のカネは俺のカネ」「これ、領収書で下りるから」「ねえちゃんつけといて」
なんて会話が毎夜繰り返されていた時代を「大人社会」と吸収して学んだボクは
今でも六本木、赤坂の夜を歩くとそのバブリーな幻影を見る。

この日集まった人たちはレゲリーマンはじめ、みんなバブル経験者。

その享楽を骨の髄まで堪能した世代だったと思う。
だからステージで自身を表現されている姿を見ると、
ボクはあの時代に接した「大人」たちを想起してしまうのかもしれない。

この感覚もオキナワではなかった。
15年前に封印されていたモノが、徐々に解凍されていくみたいで
時々起こるフラッシュバックと共に今後の展開がまったく予測できない。

【TOKYO】ちょうど一週間


グゥゥゥゥゥッド モゥゥゥゥォォォニンゥゥッ!

ラジオからJ-waveの7時を知らせる「雄叫び」が流れる。
15年前から続いているんだな…と少し驚きながらも、TOKYOに居ることを実感する。
ナビゲーターが別所哲也に変わっていることも
ちょっとした違和感が残るけど、それは時が流れた証拠。
ボクは15年間、この土地から離れていたんだ。

ラジオから交通情報や天気概況が流れてくる度に
「横須賀線」や「18度」という単語に苦笑し、窓の外に目をやる。

見渡す限りのグレイッシュな光景。

OKINAWAの光がどれほどエネルギッシュで生き生きとした生命力を湛えていたか…。
すこん…と、胸に何かが落ちる音がするけれど、気にしない。

ここはTOKYO。

先週の土曜日はこの土地らしい出会いもあった。
出版社の「赤々舎」が近所という事実もさすが東京…という驚きだけど、
佐伯慎亮さんの個展イベントに集まる面々が錚々たるのにも、
…ううう、うなってしまった。

編集者の金谷仁美さんから
大森克己さんがトークショーをやる…という情報を得て
打ち上げまで参加させてもらったのだけど、

佐伯さんはじめ頭山ゆう紀さんら若手の写真家、
デザイナーの町口景さん角田純さん
2ヶ月前NYから転居されてきた写真研究家の小林美香さん
前からお会いしたかった写真家の熊谷聖司さんもいらして、
ここにいる自分はいったい…と言いながらも図々しく朝までお付き合い。

是枝監督がインタビューで
「いい出会いをするためには自分の幹も太くしていかなければならない」
…といった意味のことを言っていたが、

これらの出会いが無駄に終わらぬよう、
自身の幹を太くすることが先決だ…と
朝帰りで白む空にあくびをしながら…  「うぅ寒~」  …。

まったくもってTOKYOは生きてる奴らがエネルギッシュ。

【bozzo】こんにちわ、トウキョウ。


10月01日。木曜日。
都民の日。

朝からトウキョウ独特なグレイッシュな空。
しかし時折日差しも差し込み、気持ちの良い午後。

115個もある大小の段ボールを地道に開け、
納められたモノをしかるべきところへ納める作業。

根気とアタマの回転がモノを言う。
転出時の作業とは比較にならない手間の取りようだ。

根が詰まったので外気を取り込もうと
玄関ドアを開け、階下を見やると、
新参者のボクを珍しげに凝視する猫と目が合う。

近くの「仙台堀川公園」が伊達政宗公ゆかりの公園であることを知り、
この土地とボクとを引きつけた縁を強く感じる。

正宗公の遺訓がまたすばらしい。

          ●

一、仁に過ぐれば弱となる。義に過ぐれば固くなる。
  礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。
  信に過ぐれば損をする。

一、気長く心穏やかにして、ゆろずに倹約を用い、金銀を備ふべし。
  倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
  
一、朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌いは申されまじ。

一、今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。

          ●

「この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」…絶妙な視点。

徳川家康と関ヶ原を戦った武将なだけに江戸時代に入ってもその力は衰えず、
トウキョウ内に5カ所ほどの屋敷を設けていたらしい。
江東区深川あたりは蔵屋敷といって、米俵を遠く仙台から取り置きする場所として
8棟ほど軒を連ねていたようだ。
その船が往来していた運河が埋め立てられ「仙台堀川公園」になった…ようだ。

商才もたくましく、トウキョウの米の大半が仙台藩の米だった…とのこと。
麻布にある「仙台坂」も仙台藩の屋敷へあがるルートで、
今でも仙台みその製造所が現存しているらしい。

江戸の初期から、そうやって地方の人間が力をふるう場所、それがトウキョウ。
さあ、どうなることやら。