
【曽我大穂】浜村温泉の喫茶ミラクルにて、ソロ。雪に閉ざされた格好の、深閑とした日本海の温泉地で聴くダイホ。彼と出会ってからの四半世紀、お互い色んなモノを喪ってきたからか、ひとつひとつの音が含みをもって耳に届く。氷点下で凍える夜に、心の中だけは温かな記憶の断片がふわっと甦っては遠ざかり、甦っては遠ざかりして、出会いと別れを繰り返すそれは、音のポエトリー。人間はこうやって歳と共に、喪ったピースをおぎなう旅を続けるのね。成就できないことをわかっていながら。#photobybozzo
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

【曽我大穂】浜村温泉の喫茶ミラクルにて、ソロ。雪に閉ざされた格好の、深閑とした日本海の温泉地で聴くダイホ。彼と出会ってからの四半世紀、お互い色んなモノを喪ってきたからか、ひとつひとつの音が含みをもって耳に届く。氷点下で凍える夜に、心の中だけは温かな記憶の断片がふわっと甦っては遠ざかり、甦っては遠ざかりして、出会いと別れを繰り返すそれは、音のポエトリー。人間はこうやって歳と共に、喪ったピースをおぎなう旅を続けるのね。成就できないことをわかっていながら。#photobybozzo
鷲田清一氏が『汀にて』で、
マジョリティとマイノリティの区別は多寡ではなく、
社会を仕切る側か仕切られる側かの区別だと述べたあと、
多くの人々は紛れ込むように権力の側につく…とした。
「要は自分は安全な場所に引きこもり、社会の不具合に係わろうとしないのである」と。
辺野古代執行訴訟の玉城デニー知事の陳述は、
まさに「不具合に係わろうとしない」
日本国民のマジョリティに向けられている。
以下抜粋。
沖縄県民は、あの凄惨な沖縄戦で、
本土防衛のための防波堤として筆舌に尽くし難い犠牲を強いられ、
終戦後も本土から切り離されて米軍の施政権下におかれました。
そして、銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の接収を経て、
広大な米軍基地に囲まれることになり、
軍用機の度重なる墜落事故や米軍人等による殺人・強姦等の凶悪犯罪、
燃料流出による井戸の汚染など、本土復帰までの27年間、軍事基地があるがゆえの、
ありとあらゆる基地被害にさらされたのです。
そしてこの間、本土の基地負担を軽減するために、
日本国憲法が及ばない沖縄への基地集中が進められたのです。
本土復帰後も基地被害は後を絶たず、復帰から今日までの間、
飛行機・ヘリコプターの事故は、墜落事故49件を含む882件、
米軍人等による刑法犯検挙数は、凶悪犯584件を含む6163件にのぼり、
そのほか、PFOSを始めとする環境汚染、航空機騒音など、
生命、身体、生活への深刻な被害は枚挙に暇がありません。
さらには、米軍基地の整理縮小が進まず、市街地を分断する形で存在し続けることで、
街づくりや産業基盤の整備が計画的にできないなど、自立的な経済発展も妨げられてきました。
本土復帰から半世紀が経ち、SACO合意から27年となる今日、
日本の国土面積の約0・6%に過ぎない沖縄県に、
全国の米軍専用施設面積の約70・3%が集中しており、
沖縄県民は他の都道府県に比べ、1人当たりの面積で、
実に約200倍の基地負担を課されております。
しかし、今日に至るまで、国は、日米地位協定の改定を含む
米軍基地の抜本的な被害軽減のための外交交渉を行わず、
県外移設の選択肢を「政治的」な理由から排除してきました。
その姿勢をみれば、
国が普天間飛行場の危険性の除去や基地負担の軽減を唱えてきたことに、
説得力はありません。
#photobybozzo

沖縄、柳子一家の家族写真。
#photobybozzo

【やちむん来竹!】
1998年、沖縄移住して最初の仕事が宮古島の泡盛メーカー
多良川の新商品〈ちゅらら〉のCM撮影。
そのキャラクターとして起用されてたのが『やちむん』のおふたりで、
ボクはその出会いで沢山のモノを受け取った。
昭和から平成へと移って10年。
日本全体がバブル崩壊で行き場を失っていた頃、
沖縄だけがその流れの枠外で、昭和ノスタルジーを体現していた。
その郷愁の空気をメロディにしてたのが『やちむん』だった。
『やちむん』の奈須さんは、沖縄が持つ原初性…
訪れた人の気持ちを裸にさせる…を音化するメロディメイカーだった。
東京に戻ってからも『やちむん』の音楽に触れる度、沖縄を想って涙した。
人を素直にさせる島・沖縄の、奔放さをカタチにしたバンド『やちむん』。
そんな奈須さんのドキュメンタリー映画が、豊岡にやってくる。
『一生売れない心の準備はできてるか』…という、
奈須さんの生き様そのものの映画。
前日はたけの太陽家で前夜祭LIVEもお願いした。
『一生売れない心の準備はできてるか』
〜前夜祭LIVE、映画&沖縄ミニマルシェ〜
結成から30年。昭和ノスタルジーも郷愁も、
今や振り返る余裕すらないほど、この国は貧しくなってしまったけれど、
立ち返らなければ、ひたすら損なわれるだけ。
今こそ『やちむん』に触れて欲しい。
#photobybozzo

【だからよー!沖縄フリークス会】
豊岡に住むウチナーンチュや沖縄ゆかりの面々が集う宴、楽しかったわ。
南風原のイエローハットとか、ローカルな話題で盛り上がった。
島の重力に引き寄せられたね。auシカ!も久々笑!
これを機にもっと沖縄と豊岡つなげたい。
花城さん森垣さん、ありがとうございました〜!
#photobybozzo

名護市庁舎が存続の危機?
築41年で建替?とか発想が貧弱で情けない。
大竹康市さんがどんだけの思いでこの建物を設計したのか。
建築空間が齎す人間と地域への影響を、象設計集団は意識的に捉え、
建築によって地域社会がどのように育つか…を設計した建物なのだわ。
ボクが沖縄に移り住んだひとつの答えも名護市庁舎にあるし、
黒岩さんに共鳴し産業構造としての建築に強い異和を感じるのも、
象の思想があったから。
『空間の権力』(山本理顕著)じゃないけど、
ヒトは空間に馴致される存在だと意識的でなくては。
大竹さんが残した回答をサラにすれば、
希望がまた喪われるのだわ。
#photobybozzo

やちむん@吉祥寺MNDA-LA2
沖縄から20年来の付き合い奈須さんの夏祭りLIVE!
コロナでお得意の密空間が出来ないってことで、
東京ツアーもコレが見納め。
客席減らしのマスクだから反応見えずやりにくそう。
でも変わらない奈須節見られて良かった!
今日は高円寺『抱瓶』!
#photobybozzo

「不条理劇」の基底となっているのは、この未済性の完結です。
物語や会話が未済のまま放置されている。
人間関係が未済のまま行き場を失っている状態。
未済のままだから、観る側の思考や感情もそこに留まり、
次の一歩を踏み出せない状態になる。
(『時間と自己』より木村敏)
「われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない」
と精神医学者の木村敏は説く。
人間は常に取り消しようのない事実としてこの世に生きており、
しかもこの存在の「成就」には遅れをとっている。
常に本来の自分に成り切ろうとして、果たせないでいる状態なのだ…と。
「われわれは未済だからこそ、われわれにとって選択と決断が保証され、
われわれにとって将来が可能になる。
将来という時間性は、われわれの存在の未済性が
前進の可能性を保証する限りにおいてのみ可能」なのだ。
未済ゆえの可能性の中で、我々は希望を持って生きる事が出来る。
本日は『慰霊の日』。
#photobybozzo

75年前のきょう、旧日本軍が撤退… 首里城地下「司令部壕」公開の声強まる
首里城炎上によって、第32軍司令部壕公開が再燃しているが、
ボクも2008年12月13日に琉大の教授に連れられ、
この壕の存在を知っていただけに、今後の動向が非常に気になるところ。
「沖縄の倫理」大田元県知事が「鉄血勤皇隊」であったことはよく知られることだけど、
壕公開こそが沖縄の未来を結ぶと思う。
負の財産こそ「タフな良心」を育むのだから。
以下2008年のブログから。
↓↓↓
12月13日(土)。汗ばむ陽気。12月とは思えない。
午後1時。琉球大学の生徒に混じって首里城周辺の歴史を学ぶべく講習会に参加。
西岡先生引率のもと首里城の歴史を散策する。驚愕の連続である。
「旧日本軍首里司令部壕跡」などというものが、首里城地下に存在している…。
そのために首里は壊滅的な戦禍に襲われた…ということを。
沖縄戦はもともと本土決戦を迎えるまでの時間稼ぎとして行われた争いで、
1945年4月1日、米軍が読谷に上陸した際も、何も報復せずに力を温存し、
軍勢を南部へ移動することしか考えていなかった。
首里の頂をベースに「鉄血勤皇隊」と呼ばれる学徒隊を使って
米軍の戦車を自らの命で足止めさせたりした…という。
琉球人の尊厳を真っ向から否定し、彼らの命を爆弾のひとつとしか認識せず、
ひたすら時間稼ぎのためだけに、むやみに沖縄戦を長引かせた。
指令を司った第32軍は、もともと中国の南京大虐殺実行部隊だった。
だから琉球人の命など、中国人と同等ぐらいにしか思っていなかった。
1945年5月28日、首里司令部壕が占拠され、
摩文仁方面への退去を余儀なくされたときも日本軍は降伏せず、
ひたすら平民を巻き添えにしながら、戦禍をいたずらに長引かせた。
そして6月23日、日本軍最高責任者の牛島司令官と長参謀長が摩文仁の丘で自決を謀り、
米軍の勝利が決定的となったあとも、平民はその後2ヵ月ものあまり、
米軍の圧力に屈せずひたすら逃げまどっていた…という。
つまり、沖縄戦は日本軍から放っておかれた。
8月15日に終戦を迎え、玉音放送が流れたあとも、指揮系統が崩壊していた沖縄は、
戦闘継続が個々の判断で行われ、結果、何も知らない沢山の平民が集団自決で死んでいったのだ。
結局、沖縄守備軍の降伏調印が9月7日に嘉手納で行われるまで
約1ヵ月間も無法状態だったという事実。
実際には6月23日の司令官自決より2ヵ月半、
意味もなく戦闘が続けられていたのだ。なんということか。
そのような事実が一言も語られることなく首里城の下に放っておかれている。
修学旅行で沖縄を訪れる学生たちは、朱や金で華やかに彩られた世界遺産に誤魔化され、
南国の楽園「オキナワ」として刷り込まれて帰って行く。…それでいいのか。
そんなことで「鉄血勤皇隊」は報われるのか。
オキナワのアイデンティティはどこにいったのか?
4時間もの首里散策で、とんでもない事実を突きつけられた。濃厚なオキナワ体験だった。
#photobybozzo