【ゆれる。】昨日は大盛況!


桜坂「g」で行った昨日の写真展オープニング。

身内の友人とモデルになった女性たちにしか
告知していなかったが、

夜も更けるとともに来場者が増え、
桜坂「g」は大盛況。

お祝いのシャンパンもすぐに空いてしまった。

CMディレクターの福永周平さん
本日行われる「dotFes2009OKINAWA」のレクチャー
構築中にもかかわらず足を運んでくれた。

元hands編集長の幸田悟さんも「SOIL&PIMP SESSIONS」の
桜坂セントラルライブの後、駆けつけてくれて感激!

モデルになった女性たちも
大方来場し、自分の写真に見入っていた。

こういった交流が、
次なるムーブメントにつながる
…とボクは信じている。

      ●

本日、桜坂「g」は
オーナーケンちゃんの
ユニコーンライブ参戦のため
23時open!お間違いなく。

お待ちしています。

【bozzo】本日オープニング


昨日から始まった
2つの写真展。

流求茶館ではさっそくiRADIOの取材があり、
パーソナリティの服部京子さんから
取材を受ける。

お近くに在住の写真家東松照明さんも
いきなり登場で、こちらも大変恐縮。

     ●

夜は桜坂「g」にて東京在住のデザイナー
サイトヲヒデユキさんをお出迎え。
写真談義に花が咲く。

その後、名作をマンガ化されて話題の漫画家兼久さん
スタッフを引き連れて「g」へ。
久々の再会を喜び合う。
結局、夜中の3時まで桜坂に滞在。

今日も20時から桜坂「g」で、写真展のオープニング。
さまざまな人たちの交流を楽しみたい。

【ゆれる。】こちらもいよいよ明日から!


桜坂「g」。
オーナーのケンちゃんも
気合い十分で臨んだ搬入。

全54点。

その生半可じゃない点数に
さすがのケンちゃんも

「貼れますかね?」

しかし、いやいや、どっこい。
展示してみたら、この空間にはちょうどいい点数。

「ほらね、ちょうどいい。」

こちらの搬入はランダムに貼り込んだので、
3時間で終了。

2つのExhibition、
見事な出来映え…と自負。

以下、「ゆれる。」のあいさつ文。

      ●

ボクたちは
エロスとタナトスをせはしく明滅させながら
風景と呼応し、宇宙と呼応し、
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈のひとつの青い照明だ。

1924年の宮沢賢治の時代から
ボクたち人間はそんな明滅を繰り返してきた。
これから先の人間たちだって、きっとそうだろう。

考えてみたらボクたちは
得体の知れない銀河系という大っきな器の中で
行き先もわからぬまま、ずっと明滅しつづけている。

…どうだい?…心が大きくゆれてこないか?

でもね、
キミとボクとが向き合えば、
その明滅に指向性が得られる…と思うんだ。
(共振ってやつ?)

ボクたちは今を生きる。
お互いを感じ、交流することで
大きく今をゆれてみよう。
因果交流電燈のひとつの青い照明として。

      ●

明日はどちらの会場にも
しっかり同席するので、ぜひ。

29日の金曜日は、
桜坂「g」にてオープニング。

ケンちゃんがこの日のために
ワインセラーまで購入。
イタリア産「g」というラベルの赤ワインも
しっかり仕入れ済み。

ステキすぎる!

【臺灣】いよいよ明日から開催!


牧志の「流求茶館」にて
明日からいよいよ開催される【臺灣】写真展。

お店がお休みだったので、
昨日のうちに搬入を済ませた。

写真点数は全32点。
設置した本人も、見応え十分…と満足。

RBCiラジオ「台湾に吹くうちな~んちゅの風」にも取り上げて頂く予定だ。

以下、あいさつ文。

      ●

台湾には2度行ったことがある。
併せて一週間ほどの滞在期間だ。
そのほとんどが台北近郊だ。

(どうしても温泉に入りたくて、
 それだけのために台湾新幹線に乗り、バスを乗り継ぎ、
 片道4時間かけて「関仔嶺温泉」には行ったが…。)

ま、それぐらいの知識しか持ち合わせていない。
そんな人間が大胆にも写真展だなんて、おこがましい。
…とは、残念ながら思っていない。

台湾は、たった一週間の滞在でも、こんなに面白い光景に出くわす所なのだ。

那覇空港から1時間。チャイナエアラインは毎日運行している。
隣国、台湾。

「食」の魅力もさることながら、街全体が活気に満ちていて、面白い。
原住民族もまた。多岐に亘っていて、気になる存在だ。
温泉地の背景も、日本統治と絡んでいて、なかなか勉強になる。
もちろん「お茶」も、その種類と味の深さは、虜になる。

そして、何より「小琉球」「大琉球」の間柄である。
だから、もっともっと沖縄と台湾は馴染んでも、いいと思う。

      ●

そんな写真展をご堪能あれ。

本日は桜坂「g」の搬入日。
こちらは壮大なスケールで「ゆれる。」写真を展開。
けっこうな写真展2つ…見逃す手はない。

【谷川徹三】雨ニモマケズ


「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」

宮沢賢治の言葉。

読み解けば読み解くほど、
賢治の自己を律する心の強さに惚れ惚れとする。

 「雨ニモマケズ」谷川徹三著

宮沢賢治と同時代の哲学者であり詩人でもある著者が、
かの谷川俊太郎の父と知った時の衝撃。

1896年に生まれ、
「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」に
代表される聖人化されたイメージで、
遠い過去の巨人という認識だったが、

あの俊太郎の父と同世代であった…と聞かされると、
なんだかとても近い人物に思えてきた。

 感受性というものは、
 あらゆるものを味わって究極に至るもの、
 つまり「自己拡大の極」と、
 
 清らかで透明な状態にいつもそれを保つ、
 「自己放下の極」とを両極とするものであります。
           (「雨ニモマケズ」谷川徹三著)

西洋的貪欲さが「自己拡大の極」であれば、
日本的清冽さが「自己放下の極」だと、著は説く。

ワインやチーズの、発酵度合いやクセに味わいを求めるのと、
大根や人参の、素材の甘さや香りに食の悦びを得るのとの違いだろうか。

 賢治の芸術もその意味において決して素朴ではない。
 ただ、しかしながら、自己拡大の極にどこまでも執しようとするものと、
 その自己拡大の極を通して自己放下の極みに至ろうとするものとの間には、
 やはり大きな違いがある。   (同著)

冒頭の「銀河系を自らの中に意識して」や「雨ニモマケズ」から見える
賢治の世界観は「足るを知る」法華経的な禁欲精神である。

しかし、裏を返せば、彼はそれだけ「自己拡大」な欲求の強い人間だった。
だから自らを「修羅」とし、それゆえに執拗に禁欲を求めたのではないか。

そして、己の欲深さ故に、他人の情念を敏感に感じ取り、
情念から派生する「嫉妬」「羨望」「怨恨」「傲慢」「虚栄」「名誉」の行く末を嘆いたのではないか。

 ただひとつどうしても棄てられない問題は、
 たとへば宇宙意志といふようなものがあつて
 あらゆる生物をほんたうの幸福にもたらしたいと考へてゐるものか、
 それとも世界が偶然盲目的なものかといふ
 いわゆる信仰と科学とのいづれによつて行くべきかといふ場合、
 私はどうしても前者だといふのです。
 
 すなはち宇宙には実に多くの意識の段階があり、
 その最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を窮境の幸福に
 いたらしめようとしてゐるといふ、まあ中学生の考へるような点です。

このような「愛」の深き人間に「ワタシハナリタイ」。                    

【宮沢賢治】-1925.10.25- 告別


おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい

その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた

もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだらう

泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに

おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ

生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは
ひとにとどまるものでない
ひとさへひとにとどまらぬ

云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子をその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

もしもおまへが
よくきいてくれ

ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる

おまへはそれを音にするのだ

みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに

おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ

もしも楽器がなかったら
いいかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい

【bozzo】虫の知らせ


昨日、ラジオ出演で「青島食堂」の話を出した手前、
「台湾」写真展の宣伝をしておかねば…と、
桜坂の台湾料理の店「青島食堂」に顔を出した。

ちょうど週末撮影した女性に
紙焼きを渡す必要もあったので、
彼女にも「青島食堂」へ来てもらった。

まったくの偶然だったのだが、
「青島食堂」のオーナーと撮影させてもらった彼女は
数年前「八重山舞踊」の教室で一緒になったことがあり、
それ以来、この「青島食堂」には先生と連れだってよく来ていたらしい。

そんなことは露とも知らず、
呼び出した偶然もすごい話だが、

さらにその「八重山舞踊」の先生が
先週末、脳溢血で倒れ、現在病院で一刻を争う状態だと言う。

「青島食堂」のオーナーも彼女の連絡先がわからず、
どうしたものか…と思っていた矢先だった、と言う。

彼女はすぐさま病院へ駆けつけ、
先生へのお見舞いをすることが出来たのだが、

そんな偶然の重なりに
一番驚いたのは、自分だった。

      ●

今週の火曜日、追加のDMを届けに桜坂「g」へ顔を出した。
その時、カウンターで飲んでいた同じ「モリさん」という男性に、
写真展開催の話をさせてもらった際、

「青島食堂には顔出しました?」

と聞かれたのである。

まだ台湾へ訪れる前から「青島食堂」の水餃子は虜になるほど好きだったし、
ska69というバンドのライブがあるときは、オーナーの比嘉さんも
店を早くたたんで足を運んでくれるような仲だったのだから、
ここは久しぶりに顔を出しておかんとな…と、
その時、漠と思っていたのだった。

そんなことがあったからラジオでも口から出たワケで、
それまで「青島食堂」がひょっこり出てくることはおくびにもなかったのである。

有言実行じゃないが、
何かに導かれるようにして、
ボクは「青島食堂」を訪れた。

その最終的な目的が、彼女を先生に会わせるためだったとしたら…。

先生の切なる思い…最期の生命を振り絞るような
壮絶な思い…みたいなものが、ボクに宿り、ボクを導いた…としたら…。

自分が媒介となって、人と人をつなぎとめた…としたら…。

なんだか胸が熱くなって
「人生まだまだ捨てたもんじゃないな」
…と、青島食堂に独り取り残されながらも、強く思った。

まだまだ、人の想いは、貫ける。

だからこそ、人生に賭けることも、
まんざらじゃない…んだ、と。

生きることの勇気をひとつもらった夜だった。

【bozzo】ラジオ生出演


タイフーンFM「ヒトワク」ブログ

昨日の昼、炎天下の中、首里の坂を自転車で登り詰め、
コミュニティ局「タイフーンFM」の「ヒトワク」で
28日から始まる2つの写真展の告知を行ってきた。

前回は「RYUBO写真フェスティバル」の告知で
同じ「ヒトワク」出演だったが、

自分の写真展の告知で
いったい何をしゃべればいいのだろう?
…と、半ば戦々恐々。

しかし、いざブースに入ってみると、
なんのことはない。
言葉が次々と出てくる。

写真との出会い、
今回の写真展のきっかけ、
撮影するということ…。

日頃漠然と捉えている写真行為が
言葉としてしっかり表出できた。

なるほど。
自分の言葉は、
勝手に這い上がってくるのね。

      ●

女性ばかりを撮り下ろした「ゆれる。」@桜坂「g」
2度の台湾訪問をカタチにした「臺灣」@流求茶館

どちらも共通してあるのは、
ボクの目を通して見た世界であること。

写真というメディアの面白さは
そこにあると思う。

写真家が世界を認識する行為が、
作品として表出する点だ。

ロバートフランクはアメリカを漂流し、
カメラを通してアメリカを捉え、認識しようとした。
その結果が「the Americans」として
今やアメリカを語るバイブル的写真集となっている。

そのロバートフランクはスイス人である。

「ゆれる。」の女性にしても
「臺灣」の隣国の日常にしても
その被写体との距離感は、意外に均一である。

セレクトし、並べてみて自分でも思うのだが、
妙な距離感が感じられるのだ。

一言で言えば、「冷めている」。

アツイ写真を撮ろうと躍起になった時期もあったが、
これはもう、自分が持って生まれたスタンスだと
最近は開き直って、とことん「冷めた」写真を撮ろうと思っている。

2つの写真展、
そんな写真家のスタンスを楽しむには
もってこいのテーマではないか…と思う。

【演劇】エデンの園


bar土blog「エデンの園」こんなんでした。

先週の土曜日。
撮影終了後に二人芝居「エデンの園」を観る。

内田周作と鈴木美保。
演者のおふたりにはつながりがある。

周作くんは広告代理店時代、
auとオリオンのTVCMに出演いただいた。

美保さんは「ゆれる。」のモデルとして
海の中まで入ってもらった。

      ●

沖縄で観る演劇は、おそらく初めてじゃないか?

客席と舞台の近さに圧倒されながらも、
楽しむことが出来た。

エキセントリックな演技に引き込まれ、
苦笑しながらも最後まで見入った。

突然挿入される沢田研二や安室奈美恵の歌に笑いをこらえる。

    「芸術は爆発だ!」

40分ばかりのショートストーリーだったが、
異空間を堪能した。

29日の金曜日にも再演されるので、
まだ未体験な方は、ぜひとも足を運んで欲しい。

芝居の面白さは周作くん曰く
「つくりものだからですよ」

すべて演じられている…そのことを楽しむ。

ついさっきまでとなりで話していた演者が
大声を上げ、泣いたり笑ったり、している。

手を伸ばせば掴める距離で、
恋沙汰が繰り広げられてる。

…その虚構をとことん楽しむ。

ちょっとした感覚のストレッチになる。
最近滞ってるなあ…と思った輩はぜひ。

【大浦信行】検閲問題その後


【琉球新報】県立美術館に抗議、天皇コラージュ非展示の作者

18日午後4時45分から50分間にわたって
大浦信行氏と牧野館長の話し合いが行われたようだ。

館長会見の顛末

抗議文を提出した小倉利丸氏のブログが真実であるとすれば、
この牧野館長は、相当偏った人物だ。

 ●「教育的配慮と総合的に判断して決めた」
 ●「美術館の裁量権によるものであり、表現の自由を侵していない」
 ●「公立美術館だからこそ、こうした判断をする必要がある」
 ●「農家が何を売るか決める自由があるように、美術館も何を展示するかを自由に決めていい」
 ●「かごの中の腐った果物は放っておけば、他の果物に移るから排除するのは当然」

さらに報道陣には…

 「(天皇制への賛否がある中)バランスを欠いたものを公的機関が支援できない。
  外した作品には裸体や入れ墨もあり、県教育委員会の下にある公的機関としてふさわしくないと判断した」

…「バランス?」…「裸体」や「入れ墨」が公的機関にふさわしくない?

おそらく牧野館長は、美術畑の方ではないようだ。
「芸術」「アート」の位置づけがわかってない。

岡本太郎が「芸術は爆発だ!」と言ってるだろう。
芸術を相対的に判断するその姿勢が、まずもっておかしい。

「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」

芸術の本質とは常に過去を否定し、乗り越えることであり、
その視点の置換に、鑑賞者は胸をつかれ、己の視界が開かれるものだ。

芸術家は、自分の信念に絶対的な存在なのだ。
その姿勢を擁護し、支持し、発信する場が、公的機関と云われるところの「美術館」の本質だ。

プリンシプルのない人間に美術館長は務まらない。