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Philippine

【JUL_04】資本主義と窒素 by 鴨志田純

資本主義とは、窒素循環を直線化する仕組みだったのではないか。

少し極端に聞こえるかもしれません。

けれど、農業や食、都市、廃棄物の流れを見ていくと、
この言葉は単なる比喩ではなく、かなり本質に近い問いなのではないかと思います。

窒素は、生命にとって欠かせない元素です。

植物が育つためにも、動物や人間の体をつくるためにも必要です。
けれど、空気中に大量にある窒素は、そのままでは植物が簡単に使うことができません。
だから本来、窒素は、土の中の微生物、植物、動物、糞尿、落ち葉、生ごみ、
堆肥といった関係の中を、ゆっくり巡ってきました。

土から作物が育ち、作物を人や家畜が食べ、その排泄物や残渣がまた土に戻る。

この循環は、単に物質が回っているというだけではありません。
そこには、土地と暮らしの距離、食べる人とつくる人の関係、
地域の中で始末するという感覚がありました。

ところが近代以降、その循環は大きく組み替えられました。

空気中の窒素を工業的に固定し、
化学肥料として大量に農地へ投入できるようになった。

それによって、農業生産は飛躍的に増えました。
人口増加も、都市化も、食品産業も、物流も、その恩恵の上に成り立っています。
ここだけを見るなら、それは人類の大きな成功です。

けれど同時に、窒素は「循環するもの」から「投入するもの」へと変わっていきました。

土の中で育て、地域の中で戻すものではなく、外から買って入れるものになった。

作物は商品として遠くへ運ばれ、食べられた後の窒素は、
下水やごみとして処理され、農地には戻らない。
農地には肥料として窒素が入り続け、
都市には食べものとして窒素が集まり続ける。
しかし、その二つはつながらない。


ここに、資本主義の特徴がよく表れていると思います。

資本主義は、流れを速くします。
資本主義は、距離を広げます。
資本主義は、関係を見えなくします。

そして資本主義は、
本来なら循環の中で引き受けるべきものを、
どこか別の場所へ押し出します。

窒素循環も、まさにそうでした。

土から作物へ、作物から人へ、人から土へ戻るはずだった輪が、
肥料工場から農地へ、農地から市場へ、市場から都市へ、
都市から下水処理場や焼却場へ、という直線に変わっていった。

この直線の中では、窒素は一時的に「生産性」として現れます。

収量が増える。商品が増える。
都市が大きくなる。経済が成長する。

でも、その先で窒素は別の顔を見せます。

地下水の硝酸汚染、河川や海の富栄養化、
温室効果ガスである一酸化二窒素、生態系への負荷。
つまり、直線化された窒素は、どこかで必ずあふれ出す。

ここで大事なのは、化学肥料が悪い、
近代農業が悪い、という単純な話にしないことです。

化学肥料は、たしかに多くの命を支えてきました。
問題は、窒素を「関係の中を巡るもの」としてではなく、
「外から投入し、使い終わったら見えないところへ流すもの」
として扱ってきたことにあります。

つまり問うべきなのは、技術の是非だけではありません。
私たちは、窒素をどのような社会の仕組みの中に置いてきたのか。

食べることと、排泄することと、土を育てることを、なぜ切り離してしまったのか。

そして、その切断によって、
誰が便利になり、誰が負担を引き受けてきたのか。

窒素循環を見ると、社会の構造が見えてきます。

農村は食料を送り出す場所になり、
都市はそれを消費する場所になった。

しかし、都市で生まれた有機物は、農村へ戻らない。

生ごみも、落ち葉も、排泄物も、
本来は土に戻る可能性を持っているのに、
現代社会では多くの場合、「廃棄物」として扱われる。

ここに、私は資本主義の限界を見るのです。

資本主義は、資源を遠くから集め、商品に変え、消費させ、
廃棄物を見えないところへ押し流すことで成長してきました。

それは、窒素循環を直線化する仕組みでもありました。

だからこそ、これから必要なのは、
単に「堆肥をつくる」ことではないと思います。

単に「生ごみをリサイクルする」ことでもない。

本当に必要なのは、直線になってしまった関係を、
もう一度、輪の中に戻すことです。

食べる人と、つくる人。
都市と農地。
廃棄物と資源。
消費と土づくり。

これらをもう一度つなぎ直すことです。

窒素循環を取り戻すということは、
単なる物質循環ではありません。

それは、関係性の循環を取り戻すことです。

どこか遠くの誰かに処理を任せるのではなく、
自分たちの暮らしの足もとで、もう一度、資源の行方を考える。

食べた後のものを、土に戻す。
土に戻したものが、また食べものになる。
その循環を、顔の見える関係の中でつくっていく。

私はそこに、これからの農業や地域づくりの可能性があると思っています。

資本主義が窒素循環を直線化してきたのだとしたら、
私たちが取り組むべきことは、その直線をもう一度、輪に戻すことです。

そしてその輪は、単に物質が回るだけでは成り立ちません。
人と人がつながり、地域と農地がつながり、
暮らしと土がつながることで、はじめて循環は生まれます。

循環の総量は、関係性の総量に正比例する。

窒素循環を考えることは、
私たちがどんな社会をつくりたいのかを考えることでもあるのです。

鴨志田純(2026JULY04)

【JUN_26】フィリピンby日下渉

【日下渉_フィリピン】岩波新書
https://www.iwanami.co.jp/book/b10160904.html
貧困、不平等、不正義に満ちた既得権益社会で、まともが機能する国家と努力が報われる社会を求めて、苦悩した民衆史。「善き市民」「悪しき他者」の二項対立でその因果を外部化し、「誰かをワルモノ」にするのではなく、ネガティブな要素も己の血肉と請け負い、内面からの「新生」でこの国の未来を掴もうと前傾で生きる人たち。著者は「土着の秩序」が「公的な秩序」に取って代わり、杓子定規な「規律」が横断することで生まれる排除の一面に紙面を割きながら、コロナ禍でのフィリピン人たちの共生能力を讃え、私たちが損なってしまいそうな「生きる力」を鼓舞しているのだと思う。
「人は自らが紡ぎ出した意味の網の目の中で生きる動物」である、とは文化人類学者クリフォード・ギアツの言葉。ここに生まれた運命を引き受け、自らの手で意味を紡ぐことができる、それが人間という動物である。まともに機能しない国家の下で、それでも努力が報われる社会を求めて躍動する。その能動的な生き様こそが、この本の核心であり、「フィリピン」から学ぶ姿だと思う。

追伸:新時代のフィリピン人として紹介されてたSB19とはどんなグループなのか、YouTubeを泳いでいたら、JMara”Mahal Kong Pilipinas”という魅力的なPVに辿り着いた。
https://www.youtube.com/watch?v=j_kPvYsC1pw
歌い手の背景はバラックのスラム街。「そう、私たちは大勢いて、懸命に生き、戦っているけれど大きな夢を抱くことさえ、遥か彼方のことのように思える」と〈Mahal Kong Pilipinasフィリピンの同志に〉訴えている。負の現実をまなざし、「こんなはずではない」と立ち上がりを即すJmaraの魅力的なブルースは、SB19の新風とは対極だ。しかし、両者共に「ここではない社会」を目指している逞しさに、フィリピンの希望を見た。

#photobybozzo

【JICA】食べて国際協力?


草の根運動で、フィリピンの「バナナ植民地」は改善されるか?

答えはNOだろう。

しかし、現実を知ることで、社会の仕組みを省みる姿勢が産まれる。
何気なく食卓に並んでいるバナナの生産背景を知るだけでも、
世界の縮図を思い描くことが出来る。

そういった意味で、今回のworkshopは意義深いものだった。

何事もまず知ること。Open Mindで受け入れる姿勢。
そこから、自分のPositionに立脚して考える。

workshop参加者の多数が「バナナを外見では選ばないようにします」…といった発言をしていたが、
市場に出回っている8割がアグリビジネス企業によるバナナだという現実をどう受け止めるのだろう。
それでもNGOが輸入する5kg3,250円の【バランゴン】を購入しつづけるのだろうか?

「MY箸」を持参して「割り箸」を使わぬことで、アマゾンの森林が守られる…と考える偽善行為に近くはないか。

     Think Globaly, Act Localy.

その国の「常識」は、ひとつの「考え方」でしかない。
「考え方」は座標をずらすことで、置換可能だ。
ひとつの考えに固執せず、グローバルに組み替える、
   そんなフットワークを持ちたいと思う。

【JICA】フィリピンバナナworkshop


行ってみて驚いたのだが、会場はworkshop形式で
すでに40名の参加者名簿があり、抽選で8つのチームに振り分けられ、
5人のメンバーがフィリピンバナナについて、討議するものだった。

参加者の割合は高校生が8名ほど、大学生が20名ほど、
あとは社会人が上は50歳から下は25歳ぐらいまで。
男性よりも女性が圧倒的に多く、3分の2を占めていた。

ボクは【レチョン】と呼ばれるチームに配属され、
高校生の女の子と、大学生の男子、バナナを育てているおばさん、高校の女性教師とともに
フィリピンバナナについてのさまざまな設問に答えていく。

        ●
↓このworkshopのガイドラインはこんな感じ↓。
        ●

日本で消費されるバナナのほぼ100%が輸入され、その実に88%がフィリピン産。
年間100万トンものバナナが消費されている背景がありながら、
その生産体制は、ほとんど知られていない。

通常スーパーで扱われて食卓に上っているバナナは
【キャベンディッシュ】と呼ばれる種類で
品種改良のため害虫に強く、生産性も高い。さらに見た目もキレイである。
(これは熟す前に輸入し、日本国内の工場で化学的に追熟させているからである)

しかもスーパー店頭で一房198円という安価で販売されているが、
アグリビジネスと呼ばれる多国籍企業(ドール・デルモンテ・チキータなど)
が仲介をしているため、フィリピンの原価はさらにその10%!という現実。

原価のしわ寄せは当然、現場に降りてくるわけだが、
生産地であるミンダナオ島の農園では、現地フィリピン人を16時間労働で雇い、
農薬の人体被害に対しても、対策を取ることなく、労働の搾取で対応しているのだ。
まさに「バナナ植民地」が、現実に成立している状態なわけだ。

        ●

で、このworkshopが推奨するバナナが【バランゴン】と呼ばれるバナナ。
これはフィリピンに古くからある在来品種で、フィリピン人も食す。
手間もかからず栽培でき、無農薬でも対応できるが、
多国籍企業が行うような品質管理がなされていないので、見た目も悪い。

ただ、「バナナ植民地」の現状を打破するためにも、
ネグロス島で生産されている【バランゴン】バナナを購入しよう。
購入先はNGO団体が輸入しているので、インターネットで注文しよう…ということらしい。

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草の根運動で、アグリビジネスに対抗しよう…と本気で考えているのだろうか?
市場原理に基づいた生産体制を根底から覆すためには、
そこに甘んじている現地フィリピン人の意識改革が先決ではないのか?
        
ふと、そんな辛辣な意見がアタマをもたげた。

日本ネグロスキャンペーン委員会

【JICA】食堂は国際社会


まずは食事をしよう…と、食堂へ赴く。

その献立がユニークである。

月ごとにさまざまな国の料理がピックアップされて
メニューが変更になるらしい。

今日はジャンバラヤがスペシャルメニューだった。
      …450円。サラダや飲み物はフリーだ。

しかも美味しいと来ている。

食堂とつながるガーデンでは、
さまざまな国から来ている研修生たちが
BBQを楽しんでいた。

白人系も黒人系もアジア人系もイスラム人系もいっしょになって
牛肉や焼き鳥とビールで、ワイワイやっている。

まるでNY。

そのスケールに、しばし唖然とする。

【JICA】国際協力機構に行ってきた


国際協力機構の名前は知らなくても、
Japan International Cooperation Agency
⇒JICA(ジャイカ)のロゴや響きは聞いたことがあるかと思う。

JICAは政府開発援助(ODA)の実施機関の一つであり、
国際間の技術協力と無償資金協力の一部を担っている。

青年海外協力隊や国際緊急援助隊などで
一度はCMに触れたことがあるに違いない。

青年海外協力隊…イコール…
「途上国で人助けする、世話焼きボランティアか…」
と思っている輩も多いと思うが、
実は、その事業内容は多岐に渡っていて、
募集される職種もバラエティに富んでいる。
デザイナーやカメラマンといった職種もある。

対象年齢も独身者を主とした年代から退職後のシニア世代まであって、
自身をもう一度輝かせよう…と、海外へ飛び出しているご年配の方々もたくさんいる。
…見倣うべきだと、ボクは思う。

そんな「人を通じた国際協力」を地道に続けている機構JICAに
先週末、初めて顔を出した。
妻は毎週2回、ボランティアで活躍しているというのに…だ。

今日の目的は「フィリピンのバナナワークショップ」への参加。

実際、来てみると環境のすばらしさに驚く。建物が実に見事だ。
これだけの規模で赤瓦を多用した施設を、ボクは見たことがない。
浦添のはずれに、こんな立派な国の施設があったとは。
それだけでも大収穫である。

妻、帰国。


本日、4日19時。妻がフィリピンより帰国する。
去年の5月23日に成田から飛び立っての、1年ぶりの日本だ。

まずは日本のおいしい物をたらふく食べてもらおう。

フィリピンでの日本語教師の責務は、大変だったことだろう。
かなりやり甲斐のある仕事であったと思う。
フィリピーノの教え子たちには、内緒の帰国だ。
彼女を慕っていた生徒たちが、先生が不在を知って
憐憫に涙するのは、想像に難くない。

そんなかわいいピーノたちのためにも、
この経験をしっかり生かし、次のステップに進んでもらいたい。

お疲れ様でした。

フィリピーノの夜は長い


同じマニラベイの情景。

なにやら、イベントの仕込みで夕方でも働くフィリピーノがいる。
おそらく、近日中にこの場所で大きなイベントが催されるのだろう。
舞台の設置が急ピッチで行われている。

大晦日のマニラベイは、とんでもない状況だった。
10万人の人出があったというから驚きだ。

夜になると、方々から人々が集まり、酒を交わし、音楽に酔いしれる。
陽気なフィリピーノの、至福の時間だ。

マニラベイの夕暮れ


同じ時刻、マニラベイはもっとロマンチックに日は暮れていた。
夕日の沈み込むのを眺めて過ごす時間は、悠久の時だ。

グラデーションが見事な演出を施すので、
夢心地な気分にさせてくれる。

まさに恋人たちの時間。

サンチャゴ要塞で毛遊び

サンチャゴ要塞は日本人兵がフィリピン人を大虐殺した現場。
多くのフィリピン捕虜が閉じこめられた牢獄は、
流れ込む川の水で、そのまま溺死するような恐ろしいしくみだったらしい。

60余年前の出来事である。

そんな遺跡のすぐそばでは、若者たちが集ってはしゃいでいた。
脇には恋人達が夕暮れの時間を楽しんでいる。

沖縄にも昔、「毛遊び」といった若者たちの集いがあった。

サンシン(三味線)を片手に、男女が浜辺に集い、
唄を歌い、踊り、夜を明かした。

フィリピンの男女も、唄を歌い、踊っていた。