【bozzo】6時間接客業


1月31日。日曜日。
1月も今日で終わり。
何事も終わりは哀しい。

新しい2月と新しい自分に期待。

昨日はブライダル撮影で「つくば」へ。
つくばエキスプレスのおかげもあって1時間ほどで到着したが、
実は茨城県だったのね。

今は神奈川県茅ヶ崎へ向かう途中。
関東圏を股にかける移動距離。

ブライダル撮影は想定以上に苛酷で
体力と神経を使うことを実感。
挙式から披露宴まで息をつく暇がない。
飲まず食わずの6時間ひたすらシャッターを押す。
究極のサービス業務だと、思い知らされた。

「写真撮影」という名の接客業だ。
…肩と太股が痛い(ToT)。

      ● 

これからヒゲボウズの居る茅ヶ崎へ。

2010年の書き初め大会。なんとか1月に間に合った。
今年の文字は【耕】。
開拓移民のように痩せた土地に鍬を入れる。
初月から「4時起き」「6時間接客」と課題が続く。

どうりで見た目もジジむさくなった。
ヒゲボウズの「デイリーポータルZ」に企画参戦。
…なんて、地味な風貌。

【bozzo】週末はブライダル


01月28日。木曜日。
眠気がピーク(T_T)。
いまだに夜中に必ず3回起きる。

00:00、02:00、03:00…。

Wake Up04:00の体内時計が熟成されるまでは
まだまだ時間が掛かりそう。
眠りが浅いから、何度も起きてしまう。
こんな経験、人生で初めて。

それだけ負担が大きい…ということか。

我ながら馬鹿な試み。
社会を斜に構えるってのは、
やはり生半可じゃ駄目ってこと。

つくづく思った。

それでも毎日拝める「黎明の時」。
この一日の始まりを毎回眼にしていると、
「嗚呼生きてゐる」って思う。

太陽の存在って素晴らしい。

      ●

それでも「ビル清掃」はあくまで副職(?)なわけで、
本職である「カメラマン」(軽いな…気持ちは「写真家」)の仕事を
どんどんこなして、自分の世界観を確立しなきゃ…って
気持ちばかりが空回りしたからか、どうかわからないが、

ご愛用のBESSA-R2Aがシャッター幕制御不能でメーカー修理の憂き目に。
これも友人のヒゲボウズから御借用の代物。
大事に大事に使わせてもらってたのに、これだもの。

気持ちとカラダがミスマッチング。
そんなんじゃ恋愛もうまく運ばないさ。

…てなわけで、週末はいよいよ東京でブライダルのお仕事。

まずは研修期間ってことで、
撮影の段取りを実際の式場にて追体験する。

デジタルの本体は並の機種を持ってはいるが(APSフォーマットだけど)
レンズが「日本光学」って時代物ばかりだから、
ハレるは、解像度悪いは、いかがなものか。

「デジタルはカネですべて決まる」と
尊敬する友人カメラマンはおっしゃっていたが、
ホント、その通り。
デジタル仕様のカメラとレンズじゃないと、
仕上がりが「見慣れないもの」になってしまうのよ…ね。

…それを狙ってはいたんだけど。

式の上がり(写真)を見て、
「どう?狙ったんですよ?ケケ。」
ってのたまうても、一生に一度の晴れ舞台。
ハレてたり、ボケてたりしたら、蹴飛ばされる…じゃ済まないな。

…週末の洗礼を、待て。

【bozzo】Twitter、はじまる。


1月25日。月曜日。本日も4時起き。
オフィスビル14階から東の空を見定める。

六本木周辺の超高層摩天楼が
チカチカと赤い光を明滅させている。

濃紺・オレンジ・スカイブルー三層の空が
ドラマチックな予兆を醸しだし、

やがて六本木ヒルズの根元から
神々しい日輪が燦然と顕れた。

…うわぁ、三島由紀夫的「黎明の時」。

      ●

ひょんなことからTwitterをはじめる。

写真展覧会の効率よい収集の仕方はないだろうか…と
模索をしていたところに、にわかに騒がれ出したTwitter。

鳩山由紀夫首相の参加がTwitterに火を付けた感じだが、
「通常国会、まずは一週間が経ちました。充実した毎日です。
どんな日々なのかご興味もあろうと思い、ブログに書きました。」

フォロワー219,473、フォロー23,673

これだけの人間がリンクしているのか…いやっ、
フォローできんだろ…と思うのは、ボクだけか。

      ●

写真ギャラリーの老舗Photo Gallery Internationalをまずフォローして
そこから派生する写真家を次々フォローしようと目論む。

しかし出てきた著名人は…

高田純次
「オレはお風呂の中で下半身は男にしたり女にしたりしながら4時間は遊ぶんだ」
茂木健一郎
”The value of diversity, whether biological or cultural,
is that you are overwhelmed. You feel small.”
村上春樹
「いっぱい高いものを食べたし、こんなにお金をたっぷり持っているのに、
あまりに勘定が安いのでついかっとした」

ただフォローするだけじゃしょうがないんだろうけど、
こういった人たちのつぶやきがリンクされるのは、面白い。

なるほど、世界が共時的Synchronicityにつながって
世の中の動きと大きくリンクする。

地球の呼吸がネットを介して増幅する…そんな印象を受けた。

しかし、フォロー&フォロワーの関係を
うまく築かないと、昔あった駅の掲示板を眺めているようで
全然脈略が見えない。

団鬼六
僕がいちばん気に入っている『肉の顔役』という小説があるんですよ。
これは復員してきた男が、仲間とよってたかって、むかし仕えていた華族の令夫人を犯す話です。

でも、脈略がないから、面白いのかも。

       ●

もう少し様子を見てみることにする。

ジャハナミアキ
沖縄の空気も伝わってきそう。

【heaven’sDoor】ED WOODS


そして3つめがED WOODS

ウッドベースは仮面をかぶり、
流血のペイントをカラダに施してる。

ギターも鬱屈した様相で
ローテンションが返って恐ろしい感じ。

しかし、見せてくれた(!)

音楽ジャンル的にはロカビリーなんだろうか?
ウッドベースがフレームに当たるバチバチッ!っていうサウンドは
明らかにロカビリーだが、とにかく激しい。

最後まで音を識別できる環境ではなく、
ひたすら爆音がPAスピーカーから流れてくる。
心臓までバクバクするほどの大音量。

怒濤のようにドラムとベースがタテ乗りのリズムを刻み、
激しく歪んだギターがぐぁんぐぁんと絡んでくる。

熱がこもったのか、ウッドベースは仮面を外し、
マスクを外し、おどろおどろしい縁取りメイクで
上半身裸になる。

これって…、ハードコアロカビリー?
 それともパンク?

狂気なステージングで、
撮影しているほうまでトバッチリを受けそうな
そんな雰囲気。

最後は「男が好きだ!オトコがスキだ!」…と絶叫しながら、
パンツ一丁になって床滑りダイブ(笑)
オーディエンスに囲まれて全裸でベースを弾く始末。

廻りは狂信的なテンションとなり、
女性たちもキャーキャー失笑しながらも楽しんでいる様子。

ひさしぶりに全裸になるライブを見た。

とにかく爆音で耳がおかしくなって
わぁんわぁあんするので、今回はここで引き上げ。

それはもう、激しいに尽きるヘブンズLIVEだった。

【heaven’sDoor】竹花英就


2つめはお目当ての竹花英就
2曲だけトランペットのはるかさん参加。
いったいひとりでどんなサウンドを仕掛けるのか…と思っていたら…

ハードなロカビリー調でギターをじゃらじゃら掻き鳴らしながら、
足を器用に動かし、ペダルでもってスネアやシンバルの合いの手を入れる。
巧妙なタイミングでブレイクを入れ、ウィスパーボイスでささやく…など、

その組み立ては完璧。
完全なエンターテインメントで、
最後まで飽きることなく楽しめた。

特にトランペットを絡めたタンゴ調の雰囲気は、
ゾクッとするかっこよさで、オーディエンスを魅了。

ナルシシズムの極致とも云える自己陶酔が、
逆にこちらをどんどん引き込み、
魅力が魅力を生み出す結果となった。

音楽の設計も素晴らしい。

ギターの見せ方をわかっていて
ソロの演出など笑いも作りながら、
最後は格好良く締めていた。

伊達にやってねえ…命かけてる。
そして本人が一番楽しんでる。
何よりそれがぐっと来た。

【heaven’sDoor】キヨステ


1月23日。土曜日。
お約束の三軒茶屋heaven’sDoorへ。
大学同期の竹花英就のLIVEを観に。

土曜日のせいか、2週間前よりも客の入りがいい。
今回はどんなテイストのバンドたちが集まるのか。
激しいものになるだろう…との予感はあった。

ひとつめはキヨステ
オフィシャルホームページを見ると
とてもセンスがいい。メンバーがイラストも描くようだ。

ドラムとギター&ボーカルの2ピースバンド。

これはもう、ドラムに惚れた。
ウマイヘタではなく、見ていて気持ちよかった。
楽しそうにドラムを叩いていた。

ふたりで音楽を紡ぐ作業…というのは、
なかなかむずかしい所作が求められるが、
彼らは「ふたり」を感じさせなかった。

…絵になるドラムだった。

【寺山修司】血は立ったまま眠っている


一本の電柱にも
ながれている血がある
そこでは
血は、立ったまま眠っている

1月22日。金曜日。
4時起きの一週間を完遂し、
羽を伸ばすべくシアターコクーンへ。

寺山修司×蜷川幸雄×森田剛で、
ヤフオクで1枚5万の値までついている
話題の演劇を2階上手の「コクーン席」から観る。

PAブースの裏では、監督がステージに睨みを利かせていた。
全公演をあのような眼光ですべてチェックするのだろうか?

1935年生まれ74歳の蜷川幸雄は
寺山修司と同じ歳。
寺山が生きていたら…と考えてしまう。

そんな思いもあるのだろう、
安保闘争を背景に1960年に書き上げた
寺山24歳の処女戯曲を蜷川はアッパレな演出で魅了した。

内容については触れないが、
のっけから驚くコトばかり。

1988年、美大1年で挫折を知らず粋がっていた19歳のボクは、
何を思ったのか蜷川幸雄演出の「テンペスト」をデートコースに選んだ。

初めて観る蜷川ワールドに、
女の子そっちのけでのめり込んだ記憶があるが、
今回も終止「前のめり」で舞台に釘付け。

なんといっても、光の演出が惚れ惚れした。

昇る朝日を伝える下手からの強烈な光、
客席にまで伸びて差し込む月明かりの窓枠の影、
クライマックス、闇夜の不安を醸成する効果的な逆光、
その対比で歓楽街の猥雑さを見せるネオン看板の量…

…など、これほどまでにワールドを構築できる74歳って、
ただただ素晴らしいの一言に尽きる。

「窓のない素人下宿の
 吐潟物で洗った小さな洗面器よ」
    
舞台の大道具もまさに吐瀉物で洗ったような有様で、
寺山の劇団「天井桟敷」さながらに
大男のゲイ、男女のこびと、股間を弄るガキなどが、
舞台と観客席を縦横無尽に走り回る様は、
渋谷にあった「天井桟敷館」へのオマージュか…と勘ぐるほど。

遠藤ミチロウ還暦の事実も知れて
いろんな記憶が交錯する、最高の舞台体験となった。

やはり寺山は舞台に限る。

【遠藤ミチロウ】お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました


お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました
お母さん、雨の信号はいつも横断歩道のわきでパックリ口を開けているあなたの卵巣が
真っ赤に腫れあがった太陽の記憶をゴミ箱から引きずり出し
そこから一匹の虫がこそこそ逃げ出そうと
28万5120時間の暗闇をめぐりながら
夕餉の食卓に頻繁に出された玉ねぎの味噌汁を頭からかぶり
ズブ濡れになった幸福の思い出を今か今かと待ちわびる
自閉症の子供の通信欄に
「僕のお父さんは公務員です」と一人で書き込む恥ずかしさを誰かに教えたくて
放課後の来るのを待ちきれず教室を飛び出して一目散に家をめざしたのだけれど
もれそうになるオシッコを我慢して教えられた通り緑色に変わったら渡ろうとしていた信号が
実は壊れていたんだと気づいた時にはすでに終わっていたんです
お元気ですか

お母さん、頭がいいのはぼくのせいではないと自己主張する度に
宙ぶらりんの想像妊娠恐怖症からやっと立ち直った
女の下着にはいつも黄色いシミがついていて
人種差別は性欲の根源であると公言してはばからない
アメリカの政治家の演説を鵜呑みにしたような、清々しい朝の勃起で
ベトナムのバナナの叩き売りを一目見ようと
片手に自由の女神の電動コケシと
片手に赤マムシドリンクをかかえこんだ農協のじじいが
かわいい孫娘のお土産にと
上野のアメ横で流行りのジーンズを買い込んで金を使い果たし
「家族は運命共同体だ」と時代遅れの暴言を吐いて
浮浪者になってしまった挙句殺されてしまった悲しい話を思い出してはみるのです
お元気ですか

お母さん、パンツのはけない留置場は寒いです
水洗便所の流す音がうるさくてなかなか寝付けないので
犯罪者はいつもこっそりセンズリをかくのですが
「おかげであなたの夢ばかり見る」と取調室でしゃべったら
刑事はさも嬉しそうに「親孝行しなけりゃいかん」と昼飯にカツ丼をおごってくれたのですが
タヌキウドンのほうが食べたくて
「父親は嫌いだ」と言ったら自衛隊かぶれの隣りのヤクザが真っ赤になって怒りだし
「贅沢は敵だ」などと勝手なことをほざいたので
「おまえなんか生まれてこなけりゃ良かったんだ、この貧乏人め」とつい口をすべらせてしまったのです
お元気ですか

お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました
膀胱炎にかかった時から あそこを氷で冷やす快感を覚えてしまった僕は
お風呂が大嫌いになり 何枚も何枚もボロボロに皮が剥げ落ちて
剥き出しになった皮下脂肪のしつこさが絶え切れず
赤紫の玄関口で一人で泣いていたんです
お母さん、もう一度アンパンが食いたい
お母さん、正月に作ってくれた栗きんとんが食いたい
お母さん、豚肉だらけの砂糖のたっぷり入ったスキヤキが食いたい
お母さん、好き嫌いは庶民の恥です
お母さん、今朝から下痢が止まらないのです
お母さん、血管もちぎれてしまったみたいです
お母さん、血が止まらないのです 血が止まらないのです
お母さん お母さん 赤い色は大嫌いです!!

      ●

1984年「遠藤ミチロウ」としての作品。
高校生だったボクは、絶叫しながら大爆音で聴いていた。

今、youtubeで26年ぶりに耳にして、
ふたたびあの興奮…胸クソ悪い…居場所のない…
行き場を失い…抱えきれない欲望に…精液でガビガビになった…
15歳の自分が、いた。

あのミチロウが…コクーンの舞台で
ギター1本で絶叫している。

     地下鉄の
     鉄骨にも
     一本の電柱にも
     ながれている血がある
     そこでは
     血は
     立ったまま眠っている

     窓のない素人下宿の
     吐潟物で洗った小さな洗面器よ
     アフリカの夢よ
     わびしい心が
     汽笛を鳴らすとき
     おれはいったい
     どの土地を
     うたえばいい?

うそだろ!?オッサン、もう還暦じゃねぇかよ。
すげえな、そのパンク魂。

感動したぜ。

【寺山修司】血は立ったまま眠っている

【永岡大輔】無意味の背中 その2


1月20日。水曜日。
4月上旬並の気温らしい。17度。
体感は少しあたたかい…ぐらいか。
4時起きの人間には、あまり変わらない。

      ●

神楽坂へ、永岡大輔氏の個展へ足を運ぶ。

年末、サイトヲさんの紹介で知り合ったアーティスト。
山形出身ということで、勝手に親近感を持つ。

「こころヶ3号」という作家のブログが、
制作過程における実直な思いを吐露していて、さらに好感を持つ。

本人は居ないだろうな…と高を括って訪ねてみたら
ギャラリーに同時到着の奇遇も手伝って、ゆっくり話をすることが出来た。

話をすればするほど、
彼の中には、雄大な蔵王を象徴とする
山形の自然が源泉としてある。

11月にパリで開催した個展では、
「形見」をテーマに、倒木を炭にし、
そこから派生するイメージとして
ギャラリーの壁に大木をドローイング。

「生と死」を常に見つめ、
その境界線を行ったり来たり。

少年期に蔵王の山奥で
カモシカに見つめられた体験が、
自然を畏怖する作品につながったのだという。

      ●

今回のテーマ「無意味の背中」も
パリにおける経験が作家を一歩前に押し出した。

  今回の展示で飛び込んだパリと言う街は
  何かすでに失われて広大な空虚になった上に張った薄い氷の上にある街で
  みんなそれを薄々感じながら目の前を見て生きている。。。
  そんな感じの所だった。
  だから、欲望に対して忠実だし、合理性が幅を利かせている。
  僕のような人間と違って
  はっきりとしたオンとオフが必要な理由も
  そこにあるんじゃないかなぁ。

  これが良い事かどうかはまだ解らない。
  ただ、人間にとって、
  一生何か大事なものから目を背けて生きるには
  あまりにその後に訪れる反動が大きすぎるんじゃなかろうか?
  我々はゆっくりと「信じる」と言う事を
  取り戻さねばならない。
  そんな気がした。

  故に
  意味と無意味のボーダーを自らが曖昧にする行為をもっとしなくては。。。
  とも思った。
    (永岡大輔ブログ「こころヶ3号」10月12日より)

      ●

その真意はわからない。

しかし、巨大なヤモリ(夜守=夜の守り神)を鉛筆1本で執拗に描く姿勢や、
こちらを凝視するカモシカの角(ツノ)が森に変容するモチーフを見て、

作家は描くことで、人間世界に何かを取り戻そうと祈祷しているような印象を受ける。

パリで感じた違和(異和)感がそのまま、「ムイミ」を想起させ、
人間本位で測られる一面的な世界を表出することで、
そこに隠れたAnother Worldの存在を呈示しているような、気がした。

作品を創出する過程で生まれた
「紙の切れ端」や「消しゴムのカス」にも
作家は愛情をもって接する。

今回はその「紙の切れ端」を再編集して、新たな作品の道標とした。
その姿勢が何より、すべてを包含しようとする意志の顕れだと思った。

   「みんなちがって みんないい」

金子みすずの詩じゃないけど、
意味×無意味を超えた世界に挑もうとしている
永岡大輔の真摯な感性は今、ビンビンに振れている。

【永岡大輔】無意味の背中 その1


いつからだろう。
気がつくと「ムイミ」と言う巨大な生き物の背中に、私は乗っていた。

黒色のムイミの背中は、美しい満天の星空のようだ。目を凝らしてみると、
湿気を含み光沢のある黒い小さな粒がキラキラと集まってこの生き物を造り上げている。

刹那、ムイミの背中の中に右手を入れてみる。
もちろん興味本位。
期待に反して、ムイミの内部は何の感触もない。
温度もない。
そしてゆっくり手を引き抜く。

もう手が出てきても良いはずなのに、右手が見えない。
いや、手がない。
痛みがないから解らなかったが、手首から先が消えている。

今度はもう少し深く、腕まで入れる。

まだムイミの体内のすぐそこに落としたかもしれない私の手を取り戻す為に咄嗟にした行為だ。

だが、またやはり何の感触もなく、消えた手の存在もない。
それどころか、今度は深く入れた腕までが消えてしまう。
痛みがないと言う事は、こんなにも事態を飲み込めなくするものか。
消えた腕を見つつも、悶絶するうめき声すら必要としない。

どうやら、ムイミの内部に浸したものは、消えてしまうらしい。
冷酷な喪失感がゆっくりと私を襲い始めた。

遠くを行く人の姿を見付ける。
助けを求めるため、私は手を振った。
その人も手を振りかえす。

はたと、自分の混乱ぶりに気がつく。

今失ったはずの右腕を、いつもの習慣で私は振っていたのだ。
正確には振った気になっていたのだ。
そもそも痛みすらないこの喪失を、すぐに認識するなんて不可能だ。
改めて、私は残っている左腕で手を振った。
両手で手を振りかえす人。

すると、にわかに左手に何かが当たる。

同時に失ったはずの右手にも何かがぶつかる感触。
顔を見上げれば、私の右手は左手に触れていた。
いつも通りの私の右手だ。

私はムイミの背中から、どうしたのか解らないが、右手を取り戻したのだ。

相変わらず私は今もムイミの背中に乗っている。

神楽坂【artdish】永岡大輔個展「無意味の背中」