【浅川マキ】裏窓/赤い橋


裏窓からは 夕陽が見える
洗濯干場の梯子が見える
裏窓からは
より添っている ふたりが見える

裏窓からは 川が見える
暗いはしけの音が聞こえる
裏窓からは
ときどきひとの別れが見える

裏窓からは あしたが見える
三年前はまだ若かった
裏窓からは
しあわせそうな ふたりが見える

だけど 夜風がバタン
扉を閉じるよ バタン
また開くよ バタン
もうまぼろしは 消えていた

裏窓からは 川が見える
あかりを消せば未練も消える
裏窓からは
別れたあとの 女が見える

   (【youtube】裏窓/寺山修司・詩)

      ●

また寺山修司の薫陶を受けた人が亡くなった。
浅川マキらしい逝き方だった。

うだうだしないで、さっぱりとこの世からいなくなった。

   「さよなら、あばよ」

      ●

浅川マキの沖縄公演があったとき、
迷わずボクはチケットを買って、
目と鼻の先で彼女の歌声を堪能した。

存在自体が、湿っていた。
その湿り気が魅力的だった。

ステージ上でもサングラスを外さず、
語りかけるように、詩を紡いでいた。
濡れガラスのような出で立ちで。

揺るがぬ世界観を
頑なに表出しつづけた。

聴いてるうちに
こちらのハートもずぶ濡れになった。

      ●

ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
むかしむかしから橋はかわらない
水は流れないいつの日も
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない

いろんな人がこの橋を渡る
渡った人はかえらない
赤く赤くぬった橋のたもとには
紅い紅い花が咲いている
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない

ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
みんなどこへ行った橋を渡ってから
いつかきっと私も渡るのさ
いろんな人がこの橋を渡る
渡った人はかえらない

    (【youtube】赤い橋/北山修・詩)

      ●

昭和の徒花が、またひとつ、摘み取られた。

    合掌。

【富田俊明】Heart Mountain その2


 「私はもう現実をうまく定義できない」
  物事について考えを固めてしまわず、
  見えているものを疑うよう心を開いておけば、
  世界を眺める目も丁寧になる。そうした注意深さから、
  今まで誰も見たことのない何かが見えてくる可能性も出てくる。

  自分が何もかも答えを持っているわけではないと認めることが肝要なのだ。
      (National Story Project/Paul Auster)

      ●

富田氏とソーレン君の絵をめぐる4つのストーリーは円環を成している。
相補関係と言ったほうがわかりやすいだろうか。

肝心のソーレン君の絵がないと、伝わらないことだらけなんだけど、
富田氏の未来がその絵には描かれていた…と言えばいいだろうか。

異国の地ではじめて出会った高校生が
自分の話にインスピレーションを受けて絵を描き、
その絵のモチーフから5年後の自分がカタルシスを得る。

「偶然」で片づけてしまえば、それで終わってしまう話だし、
絵の解釈なんて意のままなのだから、都合良く話をまとめることも出来るだろう。

  しかし、そうやって割り切ってしまって良いのだろうか?

アメリカの敬愛する作家Paul Austerの言葉を引用したが、
世の中には自分の智見の至らない事象のほうが断然多いのだ。

      ●

会社勤めを斥き、社会との関わりを斜に構えるようになって、
ボクはずいぶんと、人智を超えた事象に惹かれるようになった。

荷風の足取りを辿り旧玉ノ井を散策し、押上のスカイタワーを遠くに見ながら、
路地に漂う明治大正の面影を感じ、その空気を収めようとシャッターを切る。

そんな行為を繰り返していると、堆積した時間が
「あわい」となって光と陰の稜線から立ち上がってくる。

      空気を撮る…。

「写真」という表現媒体を操るには
時にシャーマンのような第六感が必要ではないか…
近頃はそんなことも思うようになった。

      ●

富田氏と2時間ほど空間を共にして思ったことは、

経済至上主義一辺倒のこの現代ではあるけれども、
そこからこぼれる様々な事象を、
しっかり掴んで呈示する役目もあるのだ…ということ。

「言葉にならない」了見や現象、
「割り切れない」出来事や「筋の通らない」話、
「理屈じゃない」思いや「役に立たない」知識など、

自分が何もかも答えを持っているわけではない…という事実を踏まえ、
真摯に丁寧に世界をつかまえることが、ボクには必要じゃないか…と思った。

そして、ボクの廻りには同じニオイをしたひとびとが集まってくる…。
この共振が、なによりうれしい。

     

【富田俊明】Heart Mountain その1


1月17日。日曜日。
阪神・淡路大震災から15年。

カリブ海ジャマイカの隣国ハイチは
20万人の死者が出る大震災。

地球が明らかに変貌しつつある。これは予兆。

      ●

ビル清掃をとりあえず一週間務めた週末の金曜日、
南青山のspicaARTで開かれていた富田俊明氏の個展におじゃまする。

昨年11月の「トロールの森」で知り合ったアーティストだ。

オープンと同時にギャラリーへ。
金曜日のお昼だ。まだ誰も来やしない。
作品と対峙して、たっぷりと作家の言葉を拝聴する。

      ●

言葉にして伝えるのは、非常にむずかしい。
2001年から2008年の間に起きた富田氏をめぐる4つのストーリーが、
この「Heart Mountain」を成立させているからだ。

1つは、2001年のコペンハーゲンで富田氏が現地の高校生に向けて語った、山で体験した不思議な話。(1st Story)
1つは、その話を受けて現地の高校生ソーレン君が描いた「SHINE」と題された1枚の絵。(2nd Story)
1つは、2年後にその絵を受け取ってからの変遷と、2008年にソーレン君と再会した時に語られたその絵を巡る話。(3rd Story)
1つは、2008年にソーレン君に語られた富田氏のその絵を巡る話。(4th Story)

この個展は1枚の絵を軸に展開するストーリーを聴くことで、
何かを感じてもらう展覧会…と言ってもいい。
なにしろ展示物は、ソーレン君が描いた絵「SHINE」しかないのだから。
富田氏は、ギャラリーを借りて場を提供し、ストーリーを聴かせるホストのような存在。

果たして富田氏の、まことに個人的な出来事を咀嚼することで見えてくるコト…とは?

【石田尚志】フーガの技法


1月13日。火曜日。
快晴でも寒いのは、なぜ?
極寒の始まりか。
明朝の凍てつく寒さを想像するだけで絶句する。

まだカラダのリズムを掴めないでいる。
4時起きは先週から体慣らしで試していたが、
緊張のためか、2度も3度も跳ね起き、眠りが浅い。

20時を回ると朝のことが気になり、カラダがこわばる。
…なにをしているのだろう。

      ●

「独座大雄峰」
これまた禅語の言葉だ。

  雄大な山の峰にて われひとり
  吹き上げる風と大気を味わう。
  その静けさの中、その光の透明な清々しさに
  ひとり座する。

  何事にも左右されぬ自分の居場所を
  自分の心に見いだした時、湧き上がる自由の境地。

  響きあう心が気高いモノと同調した時に達する神域。
  自身の中にそれと呼応する内なるモノが、きっとある。

年末年始は、樹氷で名高い山形蔵王で年を越した。
樹氷こそまだカタチになってはいなかったが、
山頂の地蔵岳は見渡す限り、白銀の新世界。

西に傾く太陽を正面に、フリーズしそうな氷点下の大気の中で、
その雄大な山々と、風雪にさらされ白く肥えた樹々の屹立する姿を見ていると、
「響きあう心が気高いモノと同調した時に達する神域」というものが、
なんとなくだが、己の心に訪れたような気がした。

…しかし、それは予兆でしかなかった。

      ●

東京都写真美術館で石田尚志の「フーガの技法」を見た。
「石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流」展

2001年のモノクロ映像作品。

1秒24コマの1枚1枚を手書きで仕上げ、
1コマ1コマをフィルム撮影する21分のショートムービー。

Bachの「フーガの技法」の音符の連なりに合わせて、
投影された光のフレームが二重三重に交錯し、
微に入り細に入る構造音楽の結晶が無機質に再現されたかと思うと、
その秩序を擾乱するかのように、
作家独特の「言葉にならない」情念的、観念的、有機的フォルムが、
ウジ虫の発生する腐乱した肢体よろしく、顫動を繰り返し、やがて大きなうねりとなって
理性で統御された世界を錯乱に追い込む。

しかし、そのような「蠢き」を予知していたかのように
新たな秩序が光のフレームを超えた(人知を超えた)座標軸から顕れ、
その情念的フォルムをもひとつの秩序のごとく呑み込み、
最後は光の十字架が神々しく聳立する。

     …、…、…。

ものごっつい映像体験だった。
これこそまさに「独座大雄峰」ではなかったか。

「響きあう心が気高いモノと同調した時に達する神域」

宇宙だ、コスモスだ、神だ。

すべてを凌駕し、聳え立つ十字架の、なんという救い。
このカタルシスが、音と映像で大いなる増幅を繰り返し、
脳内の襞という襞に「思考停止」を強要する。…強制終了…「シャットダウン」だ。

      ●

寝不足からか、思考がショートしている。
こちらも…「シャットダウン」…。
続きは明朝以後。

【bozzo】本日からサラリーマン


1月12日。成人の日明け、火曜日。
ぽかぽか陽気の日曜日から、底冷えの鉛空。
天から地へ突き落とすような天候の変化は、まさに東京。

連休明けから、身も心もどんより灰色と化す。

      ●

本日からサラリーマン。
pasmoの定期券片手に月給取りとなった。

…と言っても、ビル清掃員。

某巨大商事ビル本社のゴミを分別する。
1フロア160人余り。それが20階にまで及ぶ。
地下は大きなゴミ集積場だ。

これだけの人間が排出するゴミだ。
1フロアだけでも相当量になる。
ボクが担当するのは2フロア。

食べかけのパンから飲み干した缶コーヒー、
付き合いでもらった年賀状、お年賀の菓子箱、
大量のコピー用紙、各々が読む日経新聞、
去年の卓上カレンダー、バイク便の袋、Expackの封筒、
社内回覧の書類、よくわからない集計データ…。

あらゆるオフィスのゴミを
しかるべきルールに則って分別し、
地下の大集積場へ持ち込む。

しかも社員が出勤する前に行う。
…とすると、自ずと夜明け前の出社となる。

朝4時起床、5時の始発へ乗り込む。
駅のホームに降り立って、びっくり…。

「なんだ、この人たちは!」

一様に同じような年格好、鉛色の空に呼応する存在感。
竜宮城の煙に巻かれたように全身が無彩色な出で立ち。
顔色も…、生気も…ない、男と女。

摩天楼東京の林立するオフィスビルに
彼らもビル清掃員として出勤するのだろうか?
どちらにしても、社会を裏で支える職種に従事する方々だろう。

「新入り」は彼らから浮き足だって見えた。

目的の駅に着き、階段を上がり、夜明け前の地上へ。
アスファルトから這い上がる冷気に背筋を凍らせ、
そびえ立つ商事本社の巨大ビルに向かう。

暗がりのショーウィンドウにポーズを決めるマネキンたちが、異様に映る。

仕事は朝の6時から。
まずはパーティションで区切られた160の机を廻り、
それぞれのゴミを収集。

次に、フロアに6カ所ほど設けられたゴミ集積所のゴミを
カートとオリコンを持って移動し、ひとつにまとめる。

8時。社員が出勤しだした。

良質なスーツに身を固め、ほのかに薫る企業戦士たち。
朝から会議をはじめる一群も。女性上司が企画書を配布している。

彼らを前にして、
清掃員となったボクは少々萎縮した気分になった。
その場を立ち去るよう、急いでゴミを収集する。

…なにを引け目に感じているのだろう。
 鉛色の空が、窓外に重く広がっていた。

明日から毎日、この立ち位置で社会を観察していこうと思う。

【heaven’sDoor】0108″limitless mixed match”


1月9日。土曜日。
朝帰りで一日中頭が痛い。
またもや、やってしまった。

来週から朝方の生活が始まるから
ストイックに生きなきゃ…って、
身を引き締めなきゃいけない立場なのに、申し訳ない。

…というのも1月8日の三軒茶屋heaven’sDoorでのLIVEが
想像以上にすばらしいバンド揃いで、もう完全に箍が外れてしまった。

      ●

“limitless mixed match” …というタイトル通り、
実にさまざまな音楽ジャンルのバンドがちゃんこ鍋もびっくりな状態で
三軒茶屋heaven’sDoorに三々五々集まった。

このライブハウスも20周年と壁に書かれていたから、
歴史も長いのだけど、箱の状態も見事にビンテージ入っていて
深みのある良質のバーボンのアトモスフェアを放っていた。

個々のバンドに関しては写真とmyspaceで紹介しているから、
そちらを参考にしてもらえれば…と思うけど、
今やセルフプロデュースはバンドの使命というぐらい、
それぞれがしっかりmyspaceで音源を聴かせてくれるから、
こうやって昨日のライヴ体験を紹介するにはもってこいだ。

情報がどんどん増幅していく。…さすが東京。

しかも、そんなバンドHPのおかげで
20年来の大学の同期と邂逅する機会も得られた。

お目当てのバンド「EASY BLUEZYS」オフィシャルサイトを覗いていたら
リンク先に「TAKEHANAーhidetsugu」とある。
「hidetsugu」ってもしや…と思って訪問してみたら、…やっぱり!

同じ名前の人間なんて、人生このかた、たった一人しかお目に掛かったことがない。

だからしっかり記憶に留めてあったのだけど、まさかね。

予備校時代からロッカーな容姿で
ゆらゆら帝国の坂本慎太郎や元Rocking Timeの今野英明と
連んでいた彼、竹花英就氏。

この3人はホント、目立っていたけど、
そのまま多摩美にスライドするカタチでボクも同期で入学。

お互い遠巻きに意識している関係で、
決して言葉を多く交わすことはなかったけど、
20年ぶりに再会すると、なんとも言えぬ感慨があった。

なんといっても、20年間自分のスタンスを堅持して
今でもロッカーをやっていることが、うれしかった。

短い時間だったけど、旧交を温めることが出来て、よかった。
竹花氏のLIVEも同じheaven’sDoorで1月23日にあるとのこと。
撮影することを約束して、昨日は別れた。

      ●

東京に来てからというもの、
いろんなつながりが記憶を呼び戻すかのように復活している。

40年の歳月が事実として流れてきたことを
ここに来て実感。まさに節目の歳なんだなあ。

明日はどんな出会いが待っているのだろう。
人生って、おもしろい。

【photo】⇒ portfolio ⇒ STAGE ⇒ 0108 Heaven’s Door

【heaven’sDoor】Easy Bluezys


EASY BLUEZYS on myspace
本日お目当てのバンド。トリで登場。

Bluesを土台としながらも
トランペットとギターがコール&レスポンスを繰り返し、
ベースとドラムが激しく煽っていくスタイルは
1曲10分強という聴き応えのある展開もあり、まさに大人の音楽だ。

とにかく個人的にはトランペットにノックアウトされた。
レゲリーマンバンドの忘年会で知り合ったharukaさん。

とてもjazzyなソロを吹くなあ…と思ってはいたけど、
LIVEで見るそのアグレッシブで緩急の整ったフレージングに舌を巻いた。

終了後の打ち上げにも参加していろいろお話を聞いたのだけれど、
Woody ShawやTom Harrellが好きだなんて感性まで近く、
それを体現しちゃってるあたり、まったくもって悔しいの一言。

女性なのに…なんて穿った見方は禁物だけど、
同じ楽器をプレイする身としては、あそこまで見事に歌われると、
もうグーの音も出ない。…居るところには居るよなあ。

リーダーのcho-cooさんはじめ、ギターのfujiwaraさん、ベースのtalowさん、
みなさん年代も近く、それでいて音楽野郎なところはおんなじで
いっしょに時を過ごしていて、心地よかった。

やはり音楽の虜になった連中って感性がむき出しになっているからか、
話をしていても気持ちいいし、感動のベンチマークがあるから、
「いいものはイイ!」というわかりやすさが潔くて、いい。

はじめて会ったとは思えない親近感があった。

【heaven’sDoor】DadaD


DadaD on myspace

ボーカルKateとギターShigeのユニット。
Fairground Attractionを彷彿させる歌声と音楽センス。

この日一番の客入り。

POPで聴きやすいトラックと
ふたりのキャラクターもとても光っていて
エンターテイメントとして、楽しめた。

固定ファンを増やしてゆけるトラックの完成度で、
しかもKateの容姿が人を惹き付ける魅力を放っており、
とぼけたスタイルでストイックにギターを弾く
Shigeとのバランスも面白く、純粋に楽しめた。

終了と同時に、ほとんどの客が引けてゆく。
東京のシビアな一面を見た思い。

お目当てのバンド以外は、興味なし。
そんな客層も、このユニットらしい。
…というか、ワンマンでも十分客が呼べると思う。

【heaven’sDoor】theBACKDROPS


BACKDROPS on mypace

一番衝撃を受けたバンド。
インストのFUNKなんだか、ROCKなんだか。

メインのギタリストNoritsuguの
60年代グループサウンズばりの出で立ちとは裏腹に
とにかく激しいソロのの応酬。

もうひとりのギタリストMuraもエキセントリックで
どんどん壊れていく様にこちらもどんどん引き込まれていく。

さらにドラムのKiyotaがものすごくスタイリッシュなのに、
キレのあるドラムをたたく。

ベースのYokochinは新メンバーらしいが、
これまた骨太。控えめな様子でいてリズムにのめり込んでいく。
実はメンバーを煽っている存在。

ゆらゆら帝国の激しい感じと言えばいいのか。
とにかく見ていて引き込まれた。

【heaven’sDoor】SURGE


SURGE on myspace

千葉の稲毛から来たグランジバンド。

細身の女性Mickyがベースを激しく弾くさまは、フォトジェニック。
ボーカルのJoshphもスタイリッシュで格好良く、同じくフォトジェニック。

グランジのことは正直Nirvanaしか知らないので、
比較しようがないのだけど、ヴィジュアルインパクトがすごいので、
見てて楽しめた。

メンバー全員若さがあふれていて頼もしい。
ベースのMickyの激しさは、ほほえましくもあった。

音楽にのめりこめるって、ステキだ。