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MUNICH

【AUG_10】もうひとつの故郷 by 国本隆史


【もうひとつの故郷_移民・難民と生きるドイツの今】2016年国本隆史監督作品。

https://takashikunimoto.net/

シリア難民のAHMADさんの言葉が鮮烈過ぎた。「25年後、たとえ壊滅的な状況であっても、戻れるならシリアに戻りたい」「ボクの故郷だから」この全肯定は、シリアが世界中から全否定されているからこそ。ガザの人たちも同じように答えるだろう。戦争の渦中にあって、世界から全否定されている状態だからだ。そのAHMADさんもドイツに入った時はドイツ語が通じず、全否定された気持ちになった。自分の思いを伝えられるようになったとき、はじめて必要とされていると感じたという。翻って、私たちは外国籍の人たちの言葉に耳を傾けているだろうか?彼らの思いを受け取って、返しているだろうか?それは外国籍に限らない。「人間のアニミズム」=魂を持った存在として、人々に等しく接しているだろうか?と自分に問う。監督も異国の民として、その存在が不安定だからこそ、共鳴し撮り得た映像だと思った。2016年からさらに10年。ドイツの状況はどのように変化しているのだろう。

【Jul_29】『労働を通じての絶滅』という恐ろしさよ。


普段みることのできない土壌世界に対し
最大限想像力を膨らませること…これが
東部占領地の1600万人の外国人を殺害する計画の
背景となったナチス・エコロジズムの、力の源だった。
強制収容所で親衛隊員たちが多くの囚人たちを
奴隷のように国士する動機となった
ナチス・エコロジズムの根深さなのである。

(『ナチス・ドイツの有機農業』より藤原辰史)

かれら農民は、しばしばナチスが好んで用いた比喩、
つまり種苗園の植物のように「アーリア人」としての種=血を
後世に伝えてゆく国家的任務を、
世襲農場法や東方植民のプロパガンダによって叩き込まれていた。

農民はいわば種苗園の植物、
農民の生殖器はその雌しべと雄しべに他ならなかったのである。

「人間と動物の境界」「人間と植物の境界」よりも
「人種と人種の境界」に太い線をひくナチスの志向は、
囚人を「家畜」に変えたばかりではない。

それはドイツ農民たちをも、
かれらが創出した景観に慣れ親しむような
「家畜」や「種苗」に変えるのである。

「人間を動物に変える巨大な機械」は、
収容所の有刺鉄線を超えた
〈第三帝国〉全体のシステムであったのであり、

「有機農法」は、収容所にせよ、
占領地の農地にせよ、
そこで農法を営む人間を「生命空間」のなかの
一要素に変換する方法でもあったのだ。>

『土と血の思想』によって、
わが「アーリア人」を未来永劫存続させるべく、
「環境」と「景観」の改革を
東部占領地にまで移植させていったナチス・ドイツ。

その背景には第一次大戦時の困窮した飢餓事態があった。

つまり、人間は緊急事態においては
自分なりのトリアージ(優先順位)も設け、
人を選別する。コロナ禍によって
ますます緊縮する状況下で、
「命の選別」が常態化するのは
時間の問題かもしれない。

【ARBEIT MACHT FREI】_ダッハウ強制収容所にて。
『働けば自由になる』の真意は、「人間は労働する動物」なのではなく、「労働は人間を動物にする」。
つまり、労働とは、人間と自然を区別する分水嶺なのではなく、人間が自然のなかに溶解しようと
するための儀式であり、人間が植物や動物やドジョウと同等の位置に立とうとするための行為なのである。
人間が人間であることの証明ではなく、人間が自然の一部であることの証明が労働という行為にすぎない。
…ナチスは何事においてもボタンの掛け違えという些末さで大量殺戮を冒したのだ。…『労働を通じての絶滅』という恐ろしさよ。

#photobybozzo
#サル化する世界

【MUNICH】Sバーン車中


3月18日。火曜日。
弟の誕生日だった。

おめでとう。
36歳。
ほほ、年男だな。

平日の7時台。
ミュンヘン郊外へ向かう列車なので、
通勤客と思われるサラリーマンもまばら。

ほとんどはミュンヘン空港が目的地。

斜光の朝日が清々しい。
感慨深い気持ちになりながら、
シャッターを切る。

ドイツ。
豊かな国。

【MUNICH】いよいよ出発


3月18日。火曜日。
朝早く起床。

まだまだ肌寒いミュンヘンの朝。
手袋ナシには居られない。

朝食のパンを駅前のパン屋で購入。
まだ朝の6時30分。
パン屋さんは朝が早い。

ミュンヘン空港までおよそ1時間。

10時のフライトで一路ヘルシンキへ。
さらに極寒の土地へ。ああ、物好きな…(T_T)。

ヘルシンキは
いったいどんな景色で
迎えてくれるのだろう。

最後のオリンピック公園を
カメラに収める。

【MUNICH】最後の夜


3月17日。月曜日。

オリンピック公園の
集合団地。

2週間もお世話になった
ナムチ夫妻と最後の晩餐。

ビールやソーセージで
ミュンヘンの夜をしめくくる。

ホントにお世話になりました。
(T_T)

おかげさまで
唯一無二のステキなひとときを
このミュンヘンで過ごせたよ。

ありがとうね。

またいつか、この地に足を運びたい。
あまりにも色濃いモノがありすぎた。

そして、このヴァイツェンビールを
白ソーセージといっしょに味わいたい。

ビールは見事に旨いよ。
Herzlichen Dank für Ihre Hilfe.

明日は6時起きで
ミュンヘン空港へ。

【DEUTSCH】ドイツから得たもの


3月17日。くもり。
市街地でドイツ土産を物色。

トラムで移動して、
アンティークショップや
古着屋を見て回る。

60euroの古着のジャケットを発見。
おお、約1万円!

この時期euro高騰で1euro172円!
それでも何か手にしたい…そんな衝動で
一目惚れのジャケットを購入。

みんなへのお土産も
スーパーで購入。
大量買いはスーパーが一番。

   ●

3月5日から17日までのミュンヘン滞在。
約2週間弱のあいだに、
ルートヴィヒのお城を堪能し、
第三帝国の残した負の財産を目の当たりにし、
ミヒャエル・エンデの真摯なまなざしに心打たれた。

どれもドイツのエキセントリックな部分。
その中で、エンデの姿勢だけは
ドイツ人の本来持ってるきまじめな目線だと、感じた。

エキセントリックな部分があるからこそ、
エンデの思想も花開いた。
そんな気がする。

東ベルリンに10日間滞在したときは、
独自の道を歩む首都ベルリンの活気を強く感じたが、

今回は、成熟した街、充足した街、ミュンヘンの
予定調和な部分、慣性に任された部分、置き去りにされた部分…と、
過去を振り返させる要素が多々あり、
とても考えさせられた。

人間をみつめる上で
欠かせない要素が詰まったドイツ。

   ●

週末、沖縄県芸術大学で開かれていた
ウォルサー・モーリッツ個展
を見に行った。

ミュンヘン芸術大学から来た交換留学生で27歳。

ドイツ・ミュンヘンの土壌から沖縄はどのように映ったのか…。
作品のスタンスは極私的で、沖縄の繊細な部分への興味も
感覚的なところに留まっていたが、「沖縄」が彼の中で育まれ、
ミュンヘンで花開くこと…を期待したい。

そして、ボクの中でも
ミュンヘンが開花することを。

【DACHAU】レクイエム


3月16日。
沈痛な面持ちで
クレマトリウムを後にする。

有刺鉄線には、
誰かがその思いを
花に託したのか、

白バラが手向けられていた。

      「白バラ」潔白の証。

独裁による極端な思想が
12年間もの間、ドイツを翻弄し、
民族浄化の名目で1100万人を死に至らしめた。

その渦中にあった市民は
どれだけの恐怖を味わったのだろうか。

ボクたちにできることは
この史実を、しっかり後世に伝えること。
そして、死者を想うこと。
メメント・モリ。

人類最大の過ちを二度と繰り返さぬよう、
この記憶に刻み、伝え歩くこと。

「無知」なる涙をもって
自らの存在を見つめること。

      そして、与えられた命を全うすること。

無念の意志を受け継ぎ、
その懊悩を解放してあげることだ。

そのためにも、固まることなく
前を進んでいく。…それが、大事。

【DACHAU】そして、クレマトリウム


3月16日。日曜日。
すでに3時。来館から4時間が過ぎた。

囚人棟が立ち並んでいたあたりの
糸杉並木をそのまま先まで歩く。

左手には、クレマトリウム。

crematorium…火葬場。

ナチス的にはガス室も含まれる
「死」処理施設。

これも当時のまま、残されている。

近づくと、浮遊する「魂」に押しつぶされそうな
…どーんっっと重い空気が、肩や背中にのしかかる。

        焼却炉。

虫の息となった極限状態の囚人を
手前の梁にぶら下げ、絞首し、
息の根を止めてから、焼却した…という。

生きたまま焼却することもあっただろう。

      「死」処理場。

シャワー室と偽って(なんと見え透いた!!)
ガス室に裸の囚人を放り込み、死に至らしめる連中だ。
大量殺人を処理したのは、先程の独居房の連中。
(ダッハウではガス室の使用はなかったとされる)

収容所は元々ドイツ復興(民族浄化)の
「前向き」な目的で作られた施設である。

“ARBEIT MACHT FREI”「労働は自由をもたらす」

ドイツのために労働できない人間は
「死」しか選択肢がなかった。

女や子どもはそのまま
ガス室に連行され、
服を脱がされ、「死」処理された。

       アウシュヴィッツでは
      600万人ものユダヤ人の「死」
         が処理された。

          600万だ。
          桁が違う!
     

        ホロコーストである。
         絶滅収容所である。
 

福岡県の人口以上の人間が
人為的に強制「死」処理されたのだ。
ユダヤ人だ…という理由で。

     やばい、心臓がバクバクしてきた。
     もはや、この場所には居られない。

【DACHAU】独居房


3月16日。日曜日。
すべてが灰色に包まれた午後。

当時の状況を物語る独居房の棟へ。

ダッハウ強制収容所には
最大時40000人ほどの囚人が送り込まれたが、
それだけの数の人間が集まると、
もはや統制を取るのは難しい。

区切られた村のようなものだ。

そこで第三帝国は
囚人にランクを付け、
上下関係を構築することで
囚人が囚人を管理するシステムを作った。

この独居房は
主に政治犯が収められた。

共産主義者など
政府の政策を糾弾し、
捕らえられた者たちだ。

他にカトリック教の牧師が
3000人ほど拘留された。

第三帝国にとって
神は不要だった。

そのように捉えられた
博識ある人間たちは
政府にうまく利用された。

巧妙な取引で
命を細々とつなぐ
…そんな状況下に追い詰められた。

巧妙なだけに
信頼を失うと
極悪な刑に処せられた。

cell-roomといって、
細胞のように細かく区切られた
立っているのがやっとのような細長い空間に、
水も食事も与えず放置され、餓死するのを待つ刑。

睡魔に襲われ
横になりたくても
膝を曲げることすらできない。

足の筋肉が衰え、
関節が炎症を起こし、
もはや立つことすらできなくなる。

そのような究極の状況で
人間はどのような対処をして
死を受け入れるのだろう。

朦朧とした意識との格闘。
死を待つしかない究極の懲罰。

コンクリートの壁に残された
数々のひっかき傷や凹みが
…その懊悩を…訴えていた。

【DACHAU】生きる糧


250人収容の施設に、
これだけの風呂場…とトイレ。

風呂もトイレも
完全管理の中で
時間を与えられて
処理していたのだろう。

汚物臭と体臭と
さまざまな臭気が
混じり合い、

どんどん人間性が失われていく。

嗅覚って実は
神経と直結な部分で
おぞましい臭いに長時間紛れると
完全にイカれてしまう…と思う。

それだけ人間は臭いに敏感だ。

このような劣悪非道な環境下で
250人、いや1000人、1600人…という
大量な囚人の汚物臭や死臭、体臭が
入り交じっていたのか…と思うと
吐瀉しても吐瀉しても、吐き気は収まらない。

「生きる」糧など、あったもんじゃない。