
3月16日。日曜日。
死者の魂が
両肩にのしかかる…そんな重たい天気。
遠景より
再現された2棟の囚人棟を眺める。
ただのプレハブだ。
この極寒のドイツで
この収容施設は、
まさに地獄。
死体が転がる中で、
明日は我が身…と
生きる望みを失っていく。
その諦めが死期を早めるのだろう。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

3月16日。日曜日。
死者の魂が
両肩にのしかかる…そんな重たい天気。
遠景より
再現された2棟の囚人棟を眺める。
ただのプレハブだ。
この極寒のドイツで
この収容施設は、
まさに地獄。
死体が転がる中で、
明日は我が身…と
生きる望みを失っていく。
その諦めが死期を早めるのだろう。

3月16日。日曜日。
鉛色のどんよりした天気。
強制収容所に
足を踏み入れる。
展示棟となっている建物は
ドイツ側の管理棟と思われる。
囚人棟の32棟はすでに取り壊され、
今あるモノは2003年に再建築されたもの。
かつての囚人棟は
コンクリートの土台を残すカタチで
その規模を再現していた。
1933年建立。
今から75年前。
1945年の解放までに
32099人が収容所内で死亡。
約1万人が疫病、栄養失調、自殺などで
ダッハウ周辺で息絶えた。
第三帝国の情勢が非常に厳しくなった1941年以降は、
政治犯や異分子がどんどん送り込まれ、
定員250人の囚人棟に約1000人が詰め込まれていた…という。
その大半はチフスなどの疫病にかかり、
食事も満足に与えられず、劣悪な環境の中で
どんどん死に追いつめられていった。
収容所内には巨大な焼却炉施設が併設され、
日に100人単位の死体が処理されていたが、
それでも追いつかず、死体の山がそのまま放置されていた…という。
まざまざと見せつけられる映像の数々。
ストライプ柄の囚人服をまとった群衆が、
死体脇で貧相にカメラを見つめた写真。
そこには「生きる」ことの意味すら、失われていた。
折り重なる手足、それを一輪車で運ぶ囚人。
囚人棟の室内いっぱいに積み重なった死体。
その脇で、目だけをギョロギョロさせ、
盛んに身体をひっかいている。
シブヤのスクランブル交差点…あの雑踏が
そのままこの収容所にあるような、そんなありさま。
最大時は40000人もの人間が、この区域に閉じこめられていた…。

3月16日。日曜日。
昨日と打って変わって、
雨模様の天気。
今日は、気合いを入れて
ダッハウ強制収容所へ。
ナチスの真髄を知るべく、
朝から列車に乗り込む。
ミュンヘン中央駅からS-bahn 2に乗り、ダッハウ駅へ。
さらに強制収容所行きのバス(724番か726番)で終着へ。
“ARBEIT MACHT FREI”「労働は自由をもたらす」
重々しい鉛色の空に、
重厚な鉄のトビラと
このスローガン。
これからはじまる
強制収容所の全貌を
予告するかのような
背中にドシッと来る情景。
このトビラは決して忘れることができない。

3月15日。土曜日。
快晴。
滞在中でもっとも晴れた。
ものすごく、気持ちの良い空。
ザルツブルクの駅は、
ミュンヘンとは違い、
雑然としている。
ナムチが言う。「経済力の違いだね」
ミュンヘンは自動車業界が牽引しているので、
全体的に所得も高く、余裕がある。
街も整然としているし、道路も広い。
その点、ザルツブルクは街並みのスケールも
道路の広さも、店舗の規模も、こぢんまりしてる…と思う。
しかし、しかし、
このアルプスを間近に見たら!
街のスケールってそんなところじゃ測れない…そう思った。
天気が良かったから、なおさら!
天地がぐぐぐぐーっと押し広げられて、
視界がががががーっと左右に拡大して、
地球の丸さが、どどどどーんと体感できた!
まさにそんな感じ。
いきなり目の前に広がったアルプス。
こんな山々のお膝元で、毎日を生活してたら、
自分と世界を対等に扱うだなんて、考えつかない。
息を呑む美しさ…とは、このこと。

3月15日。土曜日。
ヨーロッパ最後の週末。
3月5日から10日間、
自由気ままにミュンヘン周辺を
散策してきた。
でも、この10日間、
毎日がとても刺激的で、
発見と感動がいつも心を振るわせていた。
今ふりかえると、
なんと贅沢な時間を
共有していたんだろう。
海外の地で
自分の感性を剥き出しにして、
人とふれあい、事象とふれあい、
生きている歓びを得る。
秋葉原で起きた無差別殺傷事件。
世の中が、自分の手中にある…とでも思ったのだろうか?
自分のふがいなさは、この世の中に原因がある…とでも思ったのだろうか?
この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、
どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。
それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
海外に降り立つと、
自分の存在の小ささを感じる。
世界がボクのために存在する…だなんて
とてもじゃないが、思えなくなる。
異国の地では、あまりに無力で、あまりに無能だ。
言葉が通じない…という、そのことがどれだけ凹むか。
それでも世界は、無力な人間に
感動的なシーンを見せ、感動的な体験を与えてくれる。
異国に降り立つだけで、ただそれだけで、
感受性のすべてが開き、感動の針が大きく揺れる。
生きているそのことが、こんなにすばらしい…と感じられる。
秋葉原の歩行者天国に突っ込む前に、
なぜ、そのことが見えなかったのか…。
17人もの人間を巻き添えにする前に、
なぜ、そんなことがわからなかったのか…。
無念で仕方がない。
ひとつには、日本の学校教育に
やはり問題がある…とボクは思う。
インターネットを操るだけで、
世界を知った気になっている…
そんな若者が、なんと多いことか。
海外より国内旅行を選ぶ輩が、なんと多いことか。
面倒、危険、難儀、知ってる…などと、
頭でっかちに世界を決めてかかる若輩が、
なんだか最近多くなっている。
その背景には、矮小な教育方針が見え隠れしてないか?
就職へのモチベーションを上げるべく、仕事の現場を覗かせたり、
体験をさせたりするのも結構。
しかし、その前に
自分は世界ではなんとちっぽけな存在なんだ…
…そんなことを、しっかり教えるべきなんじゃないだろうか?
ホント、無念で仕方がない。
これで、彼もまた極刑だ。
異分子を抹消することしか、知らない。
病んだ日本の根本を見直すことをしようとしない。
ある意味、彼も被害者だと、ボクは思う。

3月15日。土曜日。
朝早く7時過ぎに中央駅へ。
今日はオーストリアは
ザルツブルグへの列車の旅。
東へ進むこと3時間ほどで、
モーツアルトの住んでいた地に着く。
途中の乗り換えもなく、
ひたすらバイエルンチケットで
車窓の変化を楽しむ。
ナムチ夫婦も
元気を取り戻し、
天候にも恵まれた
素敵な旅となった。

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、
どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。
それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、
きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、
一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、
毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
(池澤夏樹「スティル・ライフ」)
学生時代に感銘を受けた
池澤夏樹の「スティル・ライフ」。
今、読み返すとその感慨も変わる。
特に、株の売買を企てるあたり。
おそらくゲゼルの「自由経済」も熟知した作家の
「資本経済」への揶揄も含んでいると感じる。
●
「モラトリアム」…社会へ一定の距離を置いて留まる人種。
「社会にコミットする」や「総括」なんて言葉が
街に飛び交っていた「プロレタリアート」な70年代。
そこでただ留まり、静観している奴らは「モラトリアム」なんて言われた。
いつまでも社会に与しないボクたち。
●
21世紀にはいっても、その立ち位置を崩さないボク。
RADWIMPSには、同じ感性を勝手に感じている。
「スティル・ライフ」冒頭部分。
一定の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかること。
それは結局、自身の感性や感情に正直であるってことなんじゃないか?
「資本経済」の歪みも
生き苦しむことでの「もがき」も
その基盤には、外なる世界と内なる世界の呼応と調和があるんじゃないか?
「モラトリアム」大いに結構。
世界を肌で感じ、内なる感性の声をしっかり聞こう…と思う。
3月14日。金曜日。
相変わらずの曇り空。
ドイツの憂鬱に押しつぶされそう。
今日も一日、美術館を巡り
人生のインプットを。
アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテーク、モダン・ピナコテーク…
…と、年代別に美術館が分けられているのが、いかにもドイツ。
18世紀から19世紀にかけての
アートまっさかりなノイエに足を運ぶ。
とにかく、館内はめちゃくちゃ広い。
まあ、ルーブル美術館には行ったことがないので、
世界の規模はこれが標準仕様なのかもしれないが。
そして、異様に静か。
誰もが無言で、アートと対峙している。
妻曰く、フランス人は、がやがやとじゃかましく
アートを前に語り合うらしい。
そんな意味で、ドイツも日本と同じく
アートに対して一歩引いてるのかもしれない。
精神主義の大日本帝国や第三帝国の影響だろうか。
こないだハンガリー映画の「タクシデルミア」を観た。
人間の欲望が三世代に渡って描かれたグロテスク極まりない映画。
しかし、それがよかった。
三世代目の剥製師は、自らのカラダを剥製にして、
永代に残そうと試み、死んでいく。
残された肉体は、ダビデ像のように、
首と右手がないまま、台座に立ちつくしている。
アートって結局、そこに行き着く。
RADWINMPSの「バグッバイ」が心に響く。
生まれてくる前に願ってたことは
夜明け告げる朝に夕焼けを見せたげたい
きっと惹かれ合って きっと恋に落ちるよ
いつの間にか生まれてきて、
突然、消失を言い渡されて、
この世から、いなくなる。
せめて、そのもがきを
アートでカタチにしたい。
タクシデルミアの剥製師は
その究極なアートをやってのけた。
膨大な数の、「もがき」が、
静寂な館内に、陳列されている。
僕がいなくても地球は回るのに
地球がいないと僕は生きれない
僕がいない朝に 何か降らせてほしい
it’s so easy but it’s so crazy
僕のいた朝と 僕のいない朝は
どっか違っててほしい 少しだけでもいいから
彼らの「もがき声」が、
ボクの中で共鳴する。
だから迷うんだ 行ったり来たりと
僕の逝く道の上で立って待っててよね
「ほら、こっちだよ」って「こら、そっちじゃないよ」って
今日も一日、路頭に迷う。

3月13日。木曜日。
肌寒い天気。
夕方、ミュンヘン郊外へ。
住宅街の一角にある図書館の地下で、
日本語学校の見学をする。
事前にインターネットで
ミュンヘン市内の日本語学校を検索。
見学したい旨をメールでアプローチ。
昨日、OKのメールが届いたのだ。
初めてお会いする「哲先生」。
空手の先生もやられてるだけあって、
ガッツリした日本男子。
授業の進め方も大変ユニークで、
とてもリズミカル。
90分×2レッスンが
あっという間に終わってしまった。
20人ほどの仕事帰りのドイツ人が、
一心不乱に日本語を復唱している。
その光景は、感動的なものだった。
日本から遠く離れたミュンヘンの
一郊外の図書館の地下で、
夕方6時からドイツ人が20人集まって、
「100円ショップはどこですか?」
…と、復唱しているのである。
「日本語」というLanguageが、
ひとつの文化として、継承されている。
なんてすばらしいことだろう。
ヨーロッパ歴25年の「哲先生」の人柄もあって、
ドイツ人の生徒さんたちは、
皆おもしろ楽しく、日本語を習得しようとしていた。
とても集中した3時間のレッスンを終え、
「哲先生」ほか生徒さんたち15人ほどと、
近くのレストランでビールとソーセージを食べる。
「哲先生」は1リットルのジョッキで、黒ビールを注文。
その迫力に、ドびっくり!
生徒さんたちは、奥さんが日本人だったり、
昔日本に留学経験があったり、外交官だったり、
日本企業のドイツ支店で働いていたり…と、
何かしら日本に関わりのある方々。
なので、モチベーションが全然違っていた。
「奥さんとのコミュニケーションをよくしたい」
「仕事でもっと日本語を使いたい」
「秋葉原でメイド喫茶に入りたい」
さまざまな顔をしたドイツ人から、
一様に流暢な日本語が語られる。
言語ってすばらしい。語学ってすばらしい。
コミュニケーションって、ホントすばらしい。
なんだか、心あたたまる一期一会の時間だった。

3月13日。木曜日。
「お金」についての話が
長くなってしまった。
しかも中途半端。
経済を語るには、まだまだ力及ばず。
根源の疑問に立ち返らなければ…。
そもそも
お金の機能として問題なのは、
その価値を保蔵し、場合によっては貸し付けて値打ちを増やすこと。
誰もが利子だけで生活できる環境に憧れを持つ。
特に不安な状況となれば、なおさら。
ボクも一回痛い目にあった。
元金を増やして、
生活を楽にしよう…だなどと
よこしまな気持ちになった。
生活の安定が失われてくると、
人間、そういった発想が生まれる。
コンスタントな収入が途絶えた時など、
蓄えを2倍、3倍に…それこそ
ポケットを叩けばビスケットが2倍…
…になるようなそんな夢想を抱く。
ボクの場合、やはり元金そのものが失われる
最悪の結果を招き、もう二度とそのような
よこしまな発想は抱くまい…と心に誓ったものだが、
金持ちになればなるほど、
その蓄えをどのように増倍できるか
…といった妄想に囚われるのだろう。
シルビオ・セガルもアルゼンチンで
金の暴落に見舞われ、政府の通貨政策に振り回され、
甚大な経済暴力に攪乱させられた。
そんな辛酸が、彼を「自由経済」へ導いた。
社会のシステムを糾弾する
スケールの大きな話は、
もうすこし時間と労力をかけて
取り組んでいきたい。