【SALZBURG】振り返ってみると…


3月15日。土曜日。
ヨーロッパ最後の週末。

3月5日から10日間、
自由気ままにミュンヘン周辺を
散策してきた。

でも、この10日間、
毎日がとても刺激的で、
発見と感動がいつも心を振るわせていた。

今ふりかえると、
なんと贅沢な時間を
共有していたんだろう。

海外の地で
自分の感性を剥き出しにして、
人とふれあい、事象とふれあい、
生きている歓びを得る。

秋葉原で起きた無差別殺傷事件。

世の中が、自分の手中にある…とでも思ったのだろうか?
自分のふがいなさは、この世の中に原因がある…とでも思ったのだろうか?

  この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
  世界はきみを入れる容器ではない。
  世界ときみは、二本の木が並んで立つように、
  どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
  きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。
  それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

海外に降り立つと、
自分の存在の小ささを感じる。
世界がボクのために存在する…だなんて
とてもじゃないが、思えなくなる。

異国の地では、あまりに無力で、あまりに無能だ。
言葉が通じない…という、そのことがどれだけ凹むか。

それでも世界は、無力な人間に
感動的なシーンを見せ、感動的な体験を与えてくれる。
異国に降り立つだけで、ただそれだけで、
感受性のすべてが開き、感動の針が大きく揺れる。

生きているそのことが、こんなにすばらしい…と感じられる。

秋葉原の歩行者天国に突っ込む前に、
なぜ、そのことが見えなかったのか…。

17人もの人間を巻き添えにする前に、
なぜ、そんなことがわからなかったのか…。

   無念で仕方がない。

ひとつには、日本の学校教育に
やはり問題がある…とボクは思う。

インターネットを操るだけで、
世界を知った気になっている…
そんな若者が、なんと多いことか。

海外より国内旅行を選ぶ輩が、なんと多いことか。

面倒、危険、難儀、知ってる…などと、
頭でっかちに世界を決めてかかる若輩が、
なんだか最近多くなっている。

その背景には、矮小な教育方針が見え隠れしてないか?
就職へのモチベーションを上げるべく、仕事の現場を覗かせたり、
体験をさせたりするのも結構。

しかし、その前に
自分は世界ではなんとちっぽけな存在なんだ…
…そんなことを、しっかり教えるべきなんじゃないだろうか?

   ホント、無念で仕方がない。

これで、彼もまた極刑だ。
異分子を抹消することしか、知らない。
病んだ日本の根本を見直すことをしようとしない。

   ある意味、彼も被害者だと、ボクは思う。

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