【大浦信行】遠近を抱えて


【大浦信行展】画廊沖縄:5月16日(土)~31日(日)

忌野清志郎が「君が代」をパンクにして
レコードが発売禁止になったこともあったが、

昭和天皇を素材に版画を作っても展示拒否になるらしい。
「アトミックサンシャインの中へin沖縄」における検閲をめぐって

まったく。
またか…という思いがアタマをもたげる。

 ●牧野浩隆館長…
 「作家の自由な活動を否定する立場にはないが、沖縄の教育施設であり、
  公正中立なものを扱うなどの観点から総合的に見て(展示は)適切でないと判断した」
 ●金武正八郎県教育長…
 「(主催者側には)教育的観点から配慮をお願いした」

「公正中立」や「教育的観点」。
もっともらしい言い種だ。
「県の税金を使っているから」などという
公務員発言には、ホント呆れてしまった。

何を以て「公正中立」と言えるのか?

      ●

2月には、こんなこともあった。
「石川文洋写真展 戦争と人間」
こちらの写真展では、石川氏の代表作「飛び散った体」が展示されなかった。
その理由がまた…
 「人間の尊厳や倫理にかかわる問題がある」からだという。

…?

では「人体の不思議展」は?

名もない中国人の死体だったら、
Plastinationかけてスライスして
見せ物にしても倫理にかかわらないのか?

「闇の子供たち」
生きた子どもの臓器を売買する問題を取り扱った作品だったが、

「人体の不思議展」は中国人の死体を売買して
「解剖学」の観点からパブリックな「見せ物小屋」を
構築している、まさに「闇の展覧会」である。

      ●

何を以て「公正中立」「教育的観点」「人間の尊厳や倫理」を語っているのだろう。
未だに「数の論理」から抜けきれない日本の政治に似てないか?

白洲次郎が「プリンシプルのない日本」と嘆いたが、
館長や県教育長の発言は、まさに「プリンシプルのない日本人」。

周囲の眼の色を伺っているだけ。
信念のかけらもない。

今こそ忌野清志郎を聴け!と言いたい。

【忌野清志郎】青山葬儀所


      ●

忌野清志郎ロックンロールフェスティバルin青山にようこそってさ、
どうもホントに死んだらしい。
名曲が次々流れる中で、紅白の祭壇に骨壺を見たら泣けたよ…

      ●

高校時代の親友が、
ボクらの想いを持って
青山葬儀所へ弔問に行ってくれた。

写真は彼から送られてきた
葬儀場の祭壇。

4万人強のファンが詰めかけた…と新聞は伝えていた。
デイリースポーツ0510付

この写真を見て、胸が詰まった。
本当に、本当に、死んでしまったんだ。

昨日は密やかに清志郎を想って、桜坂「g」で飲んだ。

      ●

渋谷陽一が「ロッキンオンジャパン」で追悼号を出すという。
 渋谷陽一の社長はつらいよblog「0503忌野清志郎」

 何を書いたらいいのか分からない。書かないままでいようかとも思ったけれど、
 きっとどんどん何を書いたらいいのか分からなくなる気がして、
 どんな事でもいいから書く事にした。

 正直、覚悟しなければならないのだろうな、とは思っていた。

 先日、送られてきたファンクラブの会報に、
 いつも掲載されている本人の近況とコメントがなく、
 とても心配になったばかりだった。

 今はただ悔しいという思いだけが強くある。
 とにかく、いろいろな事が悔しい。

 凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、
 同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった。

 そのファンクラブの会報で、宗教関係の本を送ってくれる人がいるけれど、
 そうしたものは必要ないので送らないでいい、
 というコメントを出しているのが、いかにも清志郎らしかった。

 何かこうやって書いていると気持ちが落ち着いて来た。

 後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。
 俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと。

 前に、同い年の清志郎が闘い続けているので、
 自分も逃げられない、という原稿を、
 彼の何周年かの記念ライブのパンフに書いた記憶がある。

 清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、
 この現世のステージから去って行った。

 後は残った僕たちが闘いを続けていくだけだ。
 ゆっくり休んでもらいたい。一緒に同じ時代を生きられて幸運だった。

      ●

 今夜はNHKで22:30から追悼番組もある。
「愛し合ってるかい?キング・オブ・ロック忌野清志郎」

 清志郎の意志を継いだボクらが、
 これからをどう生きるか。

 大いなる遺産を彼は残してくれた。
 心から そう思う。

【bozzo】写真展告知


5月7日。木曜日。晴れ。
このGW恨めしいほどの晴れ続き。

その大半を暗室で過ごす。
暗幕から洩れる戦慄のような光線。

孤独な作業。

「ゆれる。」イメージを増幅させる
ピアノ曲をBGMに黙々と紙焼き作業。

時間を忘れて光と色の芸術に戯れる。

      ●

昨日は会場である牧志の「流求茶館」と桜坂の「g」に
写真展の告知ポスターと実際の写真を展示しに行く。

大四つサイズといえど、
会場に置かれると心細いほど小さい。

これだけの空間を「写真展」と言えるものに
するためには、質と量をしっかり呈示しなければ…。

「賽は投げられた。」

【上田現】や【忌野清志郎】じゃないが、
カタチにすることのすばらしさを
身をもって追体験していこうと思う。

      ●

会期は5月28日(thu)から6月14日(sun)まで。

【上田現】カッシーニ


【元ちとせ】カッシーニ

たとえ世界が喜びにあふれ、光輝いた朝を迎えても
もしあなたが消えてしまったら 私にとっては もうここはさみしい所

はっきり目に映る程 こんなに近くにいる
唯それだけのコトが 本当に不思議でウレシイ

土星の環っかがある理由を
知らないまま この地上で今日も暮らしてるけど

重なる手と手の合間に広がる
銀河の深さに ねぇ 吸い込まれそうだよ

世界中に転がってる 石ころのような でも誰も壊せない祈り
あなたを想うだけでも こんなに苦しくて こんなにも愛しい

カンパネルラが聞こえた 何処かで誰かが生まれた
そして誰かが消えてく わたしはあなたの手を握ってる

土星に環っかがある理由を
考えてみた
ガリレオはきっと笑うかな

好きで 大好きで  もうどうしようもなくて
気がついたら あなたの周りを ぐるぐる廻ってる

土星は今日も遠く空にいて
見渡しても 見上げても 私には 見つからない

好きで 大好きで もうどうしようもなくて
気がついたら あなたの周りを 廻ってた 想い

      ●

上田現の【遺作】と言われている。

妙な符牒を見つけてしまった。
この「カッシーニ」はNASAの土星探査機「カッシーニ」から
持ってきたタイトルだと思うが、

この土星探査機「カッシーニ」は
土星の環を見つけたイタリアの天文学者
「ジョヴァンニ・カッシーニ」にちなんで命名されている。

歌詞の中で「カンパネルラが聞こえた」とある。
「カンパネルラ」とはイタリア語で教会の鐘のこと。

そして「ジョヴァンニ」と「カンパネルラ」は
【宮沢賢治】の「銀河鉄道の夜」の登場人物だ。

おそらく上田現は、そこまで符号を合わせて詞を完成させている。

「春と修羅」の序に出てくる有名な一節、
 
 わたくしといふ現象は
 假定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

風景やみんなと一緒に
忙しく明滅しながら確かに灯り続ける
「ひとつの青い照明」が自分であり、あなたである。

これは「ゆれる。」のコンセプトともなった部分。

忙しく明滅しながら「ゆれる」ひとつひとつの青い照明たち。
そんな「共生」をテーマに撮りたいと思ったのが、はじまりだ。

      ●

 カンパネルラが聞こえた 何処かで誰かが生まれた
 そして誰かが消えてく わたしはあなたの手を握ってる

「わたしはあなたの手を握ってる」

「土星の環っかがある理由を
 知らないまま この地上で今日も暮らしてるけど」

「重なる手と手の合間に広がる
 銀河の深さに ねぇ 吸い込まれそうだよ」

上田現もきっと、「春と修羅」の一節を想いながら
この「カッシーニ」を作り上げたに違いない。
宮沢賢治へのオマージュも含まれているに違いないのだ。

 そんな符牒に気づいて、うれしくなった。

      ●

昨日5月5日、日比谷野外音楽堂にて、
元ちとせを始めとする上田現に縁あるアーティストが
「UEDA GEN TRIBUTE LIVE『キコエルカイ』」を開いた。

天国の上田現に向かって、彼の楽曲を捧げた。
雨空だったようだ。

シリウスは見えたか。

【宮沢賢治】春と修羅・序


わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

                 大正十三年一月廿日  宮澤賢治

【忌野清志郎】ヒッピーに捧ぐ


【RCサクセション】ヒッピーに捧ぐ

お別れは 突然やってきて
すぐに 済んでしまった

いつものような なにげない朝は
知らん顔して ボクを起こした

電車は動き出した 豚どもを乗せて ボクを乗せて

次の駅で ボクは降りてしまった 
30分泣いた 

涙をふいて 電車に乗り込んだ
遅刻して ホールについた

ボクらは 歌い出した
君に聞こえるように 声を張り上げて

空を引き裂いて 君がやって来て
ボクらを救ってくれると 言った

検屍官と 市役所は 君が
死んだなんて いうのさ

明日 また 楽屋で会おう
新しいギターを 見せてあげる

【忌野清志郎】トランジスタラジオ


【RCサクセション】トランジスタラジオ

Woo 授業をサボッて
陽のあたる場所に いたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で
たばこのけむり とても青くて

内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ
彼女教科書ひろげてるとき ホットなナンバー
空にとけてった
ああ こんな気持ち
うまく言えたことがない ない

ベイ・エリアから リバプールから
このアンテナが キャッチしたナンバー
彼女教科書ひろげてるとき 
ホットなメッセージ 空にとけてった

授業中 あくびしてたら
口がでっかく なっちまった
居眠りばかり してたら もう
目がちいさく なっちまった
ああ こんな気持ち
うまく言えたことがない ない

Ah 君の知らないメロディー
聞いたことのない ヒット曲
Ah 君の知らないメロディー
聞いたことのない ヒット曲

      ●

昨日はどれだけの人が
清志郎を偲んで このナンバーを口ずさんだことだろう。
ボクもしばらくyoutubeを漁っては 涙をこぼしていた。

映像を見れば見るほど その存在が大きくて
喪ったことの哀しさに 心底顫えてしまう。

「トランジスタラジオ」の歌詞そのままに
自分の学生時代を記憶している輩も多いことだろう。

ボクも自分の高校時代の記憶が、この歌詞にすり替わっている。

 授業をサボッて 陽のあたる場所にいたんだよ
 寝ころんでたのさ 屋上で
 たばこのけむり とても青くて
 
 彼女教科書ひろげてるとき ホットなナンバー
 空にとけてった ああ こんな気持ち
 うまく言えたことがない ない ない ない

まさに まさに。

下手に突っ張って 音楽に没頭して
気になる「あの娘」の 気を引こうと躍起になって
そんでもって 目の前では 口ごもっちゃって
デートのひとつも うまく誘えなくて
安酒飲んでは 男同士 キズを舐め合って

そんな青春そのものが この歌にはチルドパックされている。

80年代のサウンドと映像を見つめながら
あのころが 清志郎の死とともに 手の届かないところへ
ずんずん 遠ざかっていくようで 心臓の奥がきゅうっと 締め付けられた。

       歌のチカラだ。 清志郎のパワーだ。

いくつになっても この曲が あの頃の弾む気持ちに 引き戻してくれる。
今は哀しくて やり切れないけど これから先も 深く刻まれていくんだ。

       歌のすごさを思い知らされたよ。
           
   

【忌野清志郎】スローバラード


昨日は クルマの中で寝た
あの娘と 手をつないで
市営グランドの 駐車場oh
ふたりで 毛布にくるまって

カーラジオから スローバラード
夜露が 窓をつつんで
悪い予感の かけらもないさ
あの娘の ねごとを聞いたよ
ほんとさ たしかに聞いたんだ

カーラジオから スローバラード
夜露が 窓をつつんで
悪い予感の かけらもないさ
ぼくら 夢を見たのさ
とっても よく似た夢を

【RCサクセション】スローバラード

      ●

忌野清志郎が亡くなった。
信じられない。

高校時代、彼の歌を知った。
すごい日本人がいる…心底そう思った。

教科書や学校の授業では測れないコトがある
…そんな事実を知ったのも、RCサクセションからだ。

仲間と連んでカラオケへ行けば、
「スローバラード」「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」は
必ずと言っていいほど、唄った。

安い酒で悪酔いしては 歌詞の「あの娘」と
現実の「あの娘」を重ねて ドロドロになったりした。

「忌まわしい」なんて名前からして衝撃だったが、
その派手な存在が、衝撃だった。

清志郎がいたから、清志郎が先陣切って走ってたから、
ボクラは堂々と悪さもやったし、派手な衣装も着たりできた。

清志郎みたいな人間がいたから、大人や社会に対する思いも
「反発」だけでなく「憧れ」を伴うことができた。

すべての原点みたいな人だった。

それこそ、ボクにとっての教科書みたいな存在だった。

ひとつの指針として、そこにあったから、「安心」して生きられた。
そんな「忌まわしい清志郎」がいなくなった。
これから先、ボクラが清志郎の意志を継いでいかなければならない。

大変な重荷だ。

だけれど、その振り幅を示していかなければ、
後継の「くずども」が救われない。
こぢんまり 収まっちゃ、ダメなんだ…って 見せてあげなきゃ
「生きる」の ツラいだろ。

清志郎、おつかれさま。
ホントに ボクは あなたの存在に救われました。
ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

【bozzo】個展同時開催「ゆれる。」


こちらは桜坂の「g」にて。
10年来のつきあいのあるオーナー…けんちゃんと

写真家独立記念に
思い切ってやってみるか…と

酒の席で盛り上がった次第。

通常の「g」だと、写真展示はおろか
足元もおぼつかないほどの暗闇だが、

照明をブルーにし、
深海モードで「ゆれる。」を
疑似体験してもらおうと、思ってる。

こちらの作品群は新作ぞろい。
これから撮影する女性も多々。

我こそは!…という方、
ご一報乞う。

「ワダツミの木」になれるか。

【bozzo】個展同時開催「台湾」


5月28日(木)から6月14日(日)まで
那覇市牧志にある流求茶館にて
写真展を開催することに。

昨日、オーナーと具体的な話を詰めた。
2回に亘って撮影した「台湾」の写真を展示、

少しでも隣国「台湾」に興味を持ってもらおう
…と、オーナーと意気投合した。

しかも、同時開催!…という思い切った…作戦に出た。

この連休は
自分を追いつめる。

乞うご期待。