punctumとstudium


もう少し、写真について考えてみる。

なぜ、写真を撮るのか。

目の前の情景を記録することで、自分のポジションを確認する行為。
この不確かと感じる「生きている世界」を平面に焼き付け、再確認する行為。
     世界を記録することで、自分の存在を知る。

むずかしい言葉で言いくるめても仕方ないか。

        ●

ボクの写真体験は小学生まで遡る。
大阪に移り住んで、京都が間近になり、
毎週末、家族で京都を訪れる機会が増えた。

悠久の時が刻まれた寺院や庭園を、
しっかり家族の記憶に収めようと、父はカメラを手にした。
購入したカメラは、当時はやりの「バカ○○ンカメラ」である。

機械に興味を持ち始める年頃だったボクは
自然と写真係を買って出た。

そんなある日、京都の寺院を散策しながら撮った家族写真とは別に、
たまたま収めた暖簾の写真がとても印象的に上がってきた。

そこでボクは学習する。「見た印象と写真にはズレが生じる」ことを。
同じように目に映った情景も、構図や光の取り方で伝わる印象が変わる…。
…幼いボクは写真の魅力を発見した。

それからというもの、格好いい写真を追い求めて、
カメラを構える時代が、大阪を離れるまで続く。

住まいを東京に移してからは、反抗期で音楽に目覚めたこともあり、
しばらく写真から遠ざかるのだが、レコードのジャケットを眺める目は、
グラフィックな魅力に取り憑かれていた。

大学に入って、本格的に写真と対峙してからは、
写真行為は、自己発見への手段となっていく。
セルフポートレイトを長時間露光で収めてみたり、
高架下の陰湿な情景ばかりをトリミングしたり…。

「死」を写真に投影することで、自己の危うい存在をカタチにしようとしていた。

そして今、やはり「写真」は自己確認の手段として、ある。
切り取る世界は、軽快になったフットワークのおかげで拡がってはきたが、
あいかわらず写し込まれた自分のポジションばかりを気にしている。

どうやら「存在」が稀薄なんだ…と思う。
推し進めて言えば、「存在」が稀薄でありたい…と思っている、のだ。

「世界」と「自分」の距離を計る手段と称して、
正面切っての対立を回避している…自分がいる。

いつまでたってもモラトリアムの域を出ない。

その域をつなぎ止めるための写真であるような…気がしてきた。

自家撞着に陥ったか。

※「punctumとstudium」とは思想家ロラン・バルトが説いた写真言語で
 studiumとは、道徳や習慣、教養に基づいた一般的に共有される事象のこと。
 punctumとは、個人的な経験を喚起させる言語化不可能な事象。
 幼いボクが感じた写真の面白さがここにあると言っていい。
 寺院にかかった暖簾(studium)から言葉にならないイメージ(punctum)が湧き上がってきた。
 トリミングされ平面化された写真は、現実を再構築し、呈示するのだ。
 

【bozzo*bozzo*bozzo】fotologue更新

【夕暮れな気分】Be Yourself


最近「オーラの泉」の総集編を見た。
美輪明宏と江原啓之が、ゲストの「前世」や「守護霊」を語るあの番組である。

基本的に、この手の番組はあまり見ないのだが、
(⇒胡散臭い…と思いながらも信じてしまう自分がいる)
やはり、見入ってしまった。

美輪が説く。
「あなたね、こんな親に生まれたからって言うけどね、
 人間、すべて自分で決めて生まれてくるのよ。」
江原が続く。
「子どもは親を選んで生まれてきます。あなたが親を選ぶんです。」

…ごもっともだと思った。

        ●

また昔話で恐縮だが、
大学4年のころ、ボクはSHINEなるバンドに在籍していた。
博報堂のアートディレクターが結成したレゲエバンドである。
自主制作だがシングルCDも1000枚ほどプレスした。

そのCDの1曲めが「Be Yourself」というタイトルの曲だった。
ボーカルであり、リーダーである遠山晋一の思いの丈がカタチになった曲だ。

  ♪なにもかも 偶然なものはこの世にナイ ナイ
  ♪おまえが選び おまえが起こし おまえが呼びよせてるのさ。

   Cool down Cool down まわりを見なよ いつものおまえが選んだコトばかりさ
   Cool down Cool down 気がついたなら ほんとに生きるコトを始めてみなよ

  ♪誰のせいでもナイ ナイ 何のせいでもナイ ナイ
  ♪おまえ自身が選ぶ エラブ エラブ 選んでみれば わかる

  ♪Be Yourself! ♪Be Yourself! ♪Be Yourself!
♪おまえ自身のコトさ

すべての事象は、偶然ではなく必然だ。
だから自分自身に責任を持て!

…ふと周りを見渡すと、自分がいろんな人間と関わってきたことに気づく。
 そして、いろんな人間を選んできたことにも、気づかされる。

短い人生の中で、
どれだけの人間と深い関わりを持てるか…と考えたとき、
ホントの意味で「深い付き合い」のできる人間は、ごくわずかだ。

その巡り合わせの不思議と、
それを選択した自分の不思議を思う。

…そう考えていくと、周りの人間がみな愛おしくなってくる。

22歳で「Be Yourself」に出会った自分に感謝。
人生は、誠に尊い。

【夕暮れな気分】Glenn GouldのBach


沖縄もすっかり秋めいてしまった。
…といっても日中はいまだに30度を超す暑さではあるのだけど。

朝夕、とくに朝方のひんやりとした感じは、
見事に「秋」である。

夏の盛りが過ぎてしまうと、とたんに寂しくなる。
興が冷めて、ひとり佇む…そんな気分だ。

心の奥もなんだかセンチメンタル。
そんな時は、ひとりピアノ曲で悦に入る。

        ●

ころころと旋律を転がるBachに耳を傾ける。
…Glenn Gouldだ。

カナダはトロントで生まれた孤高のピアニスト。
1932年9月25日生ー1982年10月4日没。享年50歳。
ボクは彼のBachで、浄化された…と言っていい。

大学を卒業して2年後、ボクは建築カメラマンの事務所に
アシスタントとして就職する。

倉俣史朗に育てられ、田原桂一と下宿を共にしていたこともある…
ちょうど「団塊の世代」といわれる時代のカメラマンの事務所である。

今にして思えば、ものすごい巨匠なのだが、
マンツーマンでカメラマンと対峙するのが、
ボクにはものすごく苦痛であった。

建築写真の撮影は、太陽とともに動き、太陽とともに終える。

だから、やたらと朝が早い。
始発で渋谷区神泉の事務所まで向かい、
夏は8時頃、帰宅。

酒池肉林の渋谷スクランブル交差点を尻目に
すたすたと帰宅する毎日。

どうやらかなりストレスが溜まっていたらしい。

毎日のように、Glenn Gouldに心酔し、
いつしかBachを弾きたい!…と思うまでになってしまった。

神田神保町の楽器店で小さな電子ピアノを購入。
夜な夜なピアノ譜とにらめっこしながら、
Bachの対位法と格闘した。

まずは右手で主旋律を記憶する。
楽譜が読めないので、とにかくカラダになじむまで
主旋律をたたきこむ。

それから左手。
これも同じようにGouldをお手本に
流れるようになるまで弾きまくった。

そして、最後に両手を合わせてみる。
当然、右手が疎かになったり、左手が疎かになったりする。
そんなときは、オルゴールの回転する歯を思い描きながら、
右手と左手のタイミングをアタマでイメージして、弾いた。

とにかく、すべてがガチガチだ。
アタマの中で回転するシリンダーに操られるように、
右手の中指が動き、左手の薬指が動いた。
ものすごくスローなので、全然Bachに聞こえない。

それでもひとつひとつの動きをカラダに染みこませ、
夜な夜な同じことを繰り返しているうちに、…ひ、弾けるようになった。

奇跡だと思った。

それと同時に、「為せば成る」のだ…とも思った。
これだけの思いを抱かせてくれた音楽の力に、感謝した。
ピアノを弾きたい!と思わせたGouldに、この演奏を聴かせたい…と思った。

        ●

強烈な思い入れでピアノを弾いていた3年間。
レパートリーは10曲ぐらいまでふくれあがり、
調子にのって、友人の結婚式ではBachのカツラをかぶって弾いたりもした。

その思いもいつの間にか薄れ、
かつてのレパートリーは見事に再現不可能な状態だ。

でも、あのときの強烈な感動は、
今でも滾々と湧き上がってくる。

乾いた心をひたひたと潤してくれる。

Glenn GouldのBachは、ボクに生きる力を与えてくれたのだ。

【散文詩】「あ、はげてる」


引っ越しの際、出てきたノートの中に
妻が絶賛する【散文詩】がみつかったので
仕方なく紹介する。

12年前の作品である。
題名は「11月11日 あ、はげてる」。

        ●

最近ぬけ毛の激しさが気になりだして
ふと鏡の中の自分をみてみると

はげていた。

やはり心労もここまでくると脱毛を促進するのね。
こうやって自分の力では 曲げることのできない
深みへと はまっていくのだろう っ て。

どうしようもない力に 押しつけられても
生きているのだから 仕様がない。

ふり返っても はじまらないから 前へ進むの っ て
気がついてみると 晩年むかえてるのと同じくらい 愚かだし、
だからといって 自己をつら抜き通すほど 強くないんだから。

あー さてどうしましょ という感じなの。

とにかく 一つの生きてる証なんだわと
納得して、せめて格好よく はげましょ と
鏡の中の自分に 笑って見せてる 私って なに?

                     (原文ママ)

        ●

若者の裏腹な心情がよく顕れている作品…との評価。
ありがたく 受け止めておいて いいのだろうか?

夏の西日は、郷愁を生むと思う。


そんな「アナーキスト」の夏休み。

夏の夕暮れのオレンジの光は、
人々をノスタルジックにさせる…と思わないか?

強烈な西日に浮き上がった子供たちのシルエットを見てると、
かつての自分がオーバーラップしてくるから、不思議だ。

遊び疲れて、家路をトボトボ、放心状態で歩く。
その日に起こった感情の起伏を反芻し、自分の胸の内に納める。

そんな子供なりの気持ちの整理に、西日は最高の演出だった。

湧き上がり蠢く欲望ゆえの、失意や齟齬。
友だちの裏切り…異性へのあこがれ…先輩からの圧力…。
子供社会にも、それなりの人間関係があって、
欲望が噴出する季節ゆえの衝突も多かった…と思う。

そんな火照った感情を、強烈な西日が帳消ししてくれた。
がつんッと鮮やかなオレンジ色が、落ち着かせてくれたのだろう。

そんな夏休みの西日が、ボクは好きだ。

大道の9年間 その3 ~栄町りうぼう~


森山大道の写真展に行った時、
芳名帳に住所を記入していて、ひとりほくそ笑んだ記憶がある。

「大道」

この響きには、胸騒ぎがする。
社会をProvokeする、Agitateする勢いがある。

「プロヴォーク」といえば、中平卓馬だが、
写真家とは、写真行為で現実を捉えながら、
現実を転覆させるアジテーターな存在なのだ。

ここ「大道」は占領下のアメリカ世の時代から、
特殊飲食街いわゆるアカセン「栄町(さかえまち)」として栄えた。
今も、「旅館」を掲げた特飲店が数多く点在する。

その光景は新宿ゴールデン街の森山大道そのものだ。

栄町市場といい、アカセン「栄町」といい、
「大道」の名にふさわしい混濁した欲望が浮遊している。

9年前のボクは、そんな雰囲気にノックアウトされ、住み着いたのだった。

       ●

ここ「栄町りうぼう」は「栄町」を背後に
24時間オープンしているスーパーマーケット。

タイムサービスやワゴンセールスに出くわすと
スーパーの照度では、ちょっと濃すぎる
往年の女性たちが列をなしていたりする。

黒づくめのゴージャスな衣装に、
ゴージャスなつくりの顔(眉、眼、唇…)。
強烈なパフュームを漂わせながらも、
足許は、素足にサンダルの出で立ち。

妖しげな赤い照明の下では、
年齢不詳な魅惑の女性たちも、
スーパーの中では、ただの厚化粧女だ。

アメリカ世の世界観を引きずった女版「浦島太郎」…。

「栄町」のいつまでも変わらない
そんな取り残された感が…ボクは好きだった。

大道の9年間 その2~大道小学校~

ボクの青春「高円寺」と
イメージがダブるもうひとつの場所…
それが「大道小学校」だ。

「高円寺」時代は、
眼と鼻の先に「馬橋小学校」があった。
弟は、その小学校を卒業している。

朝は早くから野球の練習が行われ、
校内アナウンスが高らかに響く。

運動会の季節になると、毎日毎日、
朝からブラスバンドの練習が大音量で聞こえてくる。

夕方には、帰宅を促す「ほたるの光」が、
西日独特の湿った空気とともに入り込んでくる。

夜には、どこから集まってくるのか
悪ガキどもが車座になってひそひそ話をしている。

そんな学校の風情が、
ボクには、タマラナイ。

なぜだろう?
なぜだか、わからない。
学校を取り巻く、
そのゆるやかな空気が
おそらく好きなんだ…と思う。

大道の9年間 その1~栄町市場~


あさっての土曜日に、いよいよここ栄町に別れを告げる。
那覇市大道「栄町」に、まる9年間。
義務教育の9年間をここ栄町で過ごしたと考えると、大変感慨深い。

…沖縄に来て、もう10年が経とうとしている。

いつまでたっても「客人」としての自分がいる。
最終的には、やはり沖縄に「心酔」していない自分に気づく。

そもそも、ここ「栄町」に住まいを決めた理由は簡単だ。
この「栄町市場」に惚れ込んだからだ。
迷路のように入り組んだアーケード街が、
かつての住まい「高円寺」を思い起こさせた。

「高円寺」はまさしくボクの青春である。
中学2年から大学卒業、社会人3年までの
12年間を過ごした場所である。

そんな思い出の地「高円寺」とここ「栄町」を重ね合わせていた9年前。
ボクは沖縄の地に、血湧き肉躍るかつての青春を求めていたのか?

振り返ってみると、沖縄の9年間はまさに青春だった…と思う。
最果ての地、南国の地、スカイブルーの海、照り注ぐ太陽…。
うだる暑さ、潮風にべたつく肌、キチガイみたいな夕焼け…。

何をとっても新鮮だった。

毎日、毎日が嬉々とした驚きにあふれていた。

朝は早くから西海岸を北上し、
青い空と青い海をまぶしく思いながら、
今までの経験を生かした仕事をこなし、

夜はおそくまで酒を飲み、
時には異国情緒あふれるオキナワ女をくどき、
毎日ヘベレケになりながらも充足していた。

学生時代に戻ったような
自己発現の毎日だった。

東京、仙台の修業時代が色あせて見えた。

オキナワの地が、ボクを再生した…と言っても過言ではない。

「人生いろいろ、時間は前にしか進まない」


引っ越し作業を進めていくと、思いもかけない過去に巡りあったりする。

…昔読みふけった哲学書。
…出会った感動を記した日記。
…仮装パーティの恥ずかしい写真。
…永遠に葬り去られた往復書簡。

すべてが、ボクの過去。ボクの時間だ。

その時の流れに呆然と立ち尽くす。
あれから5年、10年、15年…。
振り返ってみると、
貴重な持ち時間が、すでにこれだけ消化されている。

      
     ……。

すべてを飲み込んで、プールへ。

何も考えずにカラダを動かす。
ナツの強烈な陽差しが水の揺らぎをとらえ、
光の陽と陰を、まざまざと見せつける。

カラダを浮力にまかせ、漂わせてみる。
詰め込んだ記憶も、…いっしょに漂わせてみる。
水面に乱反射する光、…呼応して乱反射する記憶。

このまま自身を分解して、プールに溶け込ませたい…。
この水に溶け込ませ、…そのまま永遠に留まりたい。

     ……。

気持ちよい脱力感を伴って、プールを出る。
バラバラとなった記憶は、血肉化され、昇華されていた。

「人生いろいろ、時間は前にしか進まない」

わかったような台詞を吐いて、
大手を振って外に出る。

強烈なナツの陽射しが、視界を真っ白にした。

ドキュメンタリー写真の心得 by 大森克己


      ●
      まずカメラを持つ前に、何故、何のために写真を撮るか
      よく考えましょう。写真を撮ることには、大きな覚悟が必要です。
      …各自黙想すること…よろしいですか?では始めましょう。
      ●
      まず、正面に立つ。よく見る。
      もっと近くによる。細部に注意をはらう。
      そして引いて見てみる。もっと引いて見る。
      タテ位置は断定。ヨコ位置は客観。
      ●
      音や匂いにまどわされない。
      センスだの感覚だの生意気なことを言うな。
      とにかくたくさん撮れ。
      ●
      被写体の気持ちを考えろ。
      そして裏切ることを忘れるな。
      絶交を覚悟せよ。
      独りになれ。
      現在の自分というものを簡単に信じるな。
      しょせんあなたの理解はあなたを越えられない。
      世界はあなたの友達ではない。
      直観は大切だ。
      ことばで説明できることは写真に撮るな。
      未来の記憶を思いだせ。
      そして世の中には写真に写らないものがたくさんある。
      ●

ちょうど1年前の七夕の日、ボクは「大森克己ワークショップ」に参加していた。
全12回、6ヶ月におよぶ長いスパンだ。
講師は写真家・大森克己さんと
ディレクター・町口覚さん、キューレター・金谷仁美さん。
受講生は全14名。北は山形から南は沖縄までの人間が、この東京に集まった。
皆、大森克己の写真に惚れ込み、応募してきた写真家志望の連中だった。

あれから1年が経ってしまった。
「ドキュメンタリー写真の心得」も未だ習得できないでいる。
これを読むたびに大森さんの鋭い眼光がよみがえる。
町口さんの無言の批評に恐れおののく。
6ヶ月を共にした受講生はみなどうしているのだろう。
同じように背筋を伸ばして、この「心得」と対峙しているのだろうか?

写真のなんたるかを体得できないまま、
「とにかくたくさん撮れ」の言葉だけ鵜呑みにして行動する。
突き動かされる視覚を客観的に判断しつつ、シャッターを押す。
再編して集約して、「世の中には写真に写らないものがたくさんある」と
反芻しながら、大森克己に近づこうともがいている。

今年もあと6ヶ月。
去年の自分を研ぎ澄まそうと、奮起を誓う。

大森克己
町口覚
ギルドギャラリー