【portrait】10年の希望と絶望


ポラロイドだ。
ちょうど10年前、
沖縄に出てきて、

一人暮らしをはじめ、
初めての休日。

そう、時期的には10月。

何もすることがないから、
ポラロイド写真で
self-porraitを収めた。

それが今でも残っていた。

部屋は大道のかつての2DK。

ポラロイドも色あせ、
ところどころフィルムも浮いている。

10年後にこうやって、
感慨深く眺めるとも思わなかっただろう。

「ペパーミントキャンディ」は
20年の【希望】と【絶望】の変遷だった。

ボクはこの10年で
どれだけの【希望】と【絶望】を味わったのだろう。

おそらく【絶望】と呼べるモノはそう多くはない。
のほほんと暮らしてきた。

【希望】ばかり夢描いて、追いかけてきた。

今もその【希望】とやらを胸に抱いて、
あらぬ方向へ足を踏み出そうとしている。

さらにその先の10年。
ここが勝負所だ。

今の内に、新たなself-portraitを
収めておいたほうが良さそうだ。

その先の10年後。
それがホントの【希望】と【絶望】の決着点かもしれない。

NYから1年


ひとり寒々しく過ごしたあのNYから1年。
時間の経つのは、早いもの。
あれからどれだけ自分は成長したのだろう。

年明けの書き初めで記した「躍」。

2007年は公私ともに大活躍を!
…そんな思いを一文字に込めた。

振り返ってみれば、どうだろう。
自分が思い描いていたように、
        自身を発揮したのだろうか?

明日はビール会社のナレーション録音で、朝から東京入り。
佐藤B作さんにお願いしている。

長年の念願だったビール会社のTVCMをこの年末に手がけて
2008年初頭からオンエアの予定だ。

TVCMのBGMは、南国ドロップス。
CM用に書き下ろし、録音まで行った。

言ってみれば、これが今年の集大成。
公私ともに大活躍のカタチ…である。

しかし、何かが足りない。

片や、杓子定規にルール決めをする会社の動き。…Pマーク。
片や、なんでも前例を持ち出す指針のないクライアント。…コンプライアンス。

自分の中では、こちらの窮屈さが今年を象徴している。

NYで感じたラジカルでクリエイティブな活気。
常識に縛られず、新たなスタイルを築こうと闊歩する人たち。

創造こそが、人間本来の存在意義。
そんな全肯定が、心地よかった。

しかし、今のボクはアンバランスだ。
あいかわらず水面下でバタバタもがいて、全然前に進んじゃいない。

「躍」は確かにバタバタ派手に動くイメージだ。
 実際、今年は派手な動きをした。

 CDを出し、フォトミュージアムを企画実施し、
 半月板の手術をし、クルマを廃車にする事故を起こした。

あたりに何かを撒き散らしている…そんな印象である。
もう少し、地に足をつけて、まっすぐと目的地に向かわねば。

    2008年の一文字は「進」に。 
    派手な横振りを前の動きに変えたい。
    そして、しっかり現状を打破したい。
    ここから抜け出すことが、新たな自分をつくる…。
    そんな気がする。

ゆらゆら帝国で考え中。


今週末、「ゆらゆら帝国」が沖縄上陸する。
結成10年で、初の沖縄ライブだ。

ボクが沖縄に来た1998年、彼らはメジャーデビューした。
そのニュースを聞いて、喜び勇んでCDショップへ向かった。

あの坂本慎太郎が、メジャーデビュー!?

1989年の結成以来、約9年の下積み生活。
CDから流れてきた音楽は、衝撃的だった。
「すげえ、完成されている」
坂本ワールドが、確立されている。

今となってはこれだけのカリスマスターだ。
その才能の留まることを、知らない。

       ●

MusicCLIP集が発売されたのでさっそく購入、
デビュー当時から今までの映像を振り返ってみた。

「発光体」の頃は、ボクの知っている坂本慎太郎だった。
ギター小僧で、オタクな印象、そしてあどけない。
しかし、「ラメのパンタロン」からの彼は、
もはやスーパースターのオーラを全身から出している。
背筋もピンとして、威厳がある。

スターを自覚している顔だった。

       ●

1987年、高校3年生のとき、
ボクは「すいどーばた美術学院」の門をたたき、
美術大学受験を公なものとして、自分を追い込んだ。

美術大学を目指す当時の学生や浪人生は、
とにかく個性的で、見る奴見る奴、興味深かった。
自己主張が激しく、それでいて他人を遮断する膜も厚かった。
こわれやすい自我を抱かえて、路頭に迷う、
オオカミの衣を借るこひつじたちだった。

そんな中に、坂本慎太郎もいた。

ストリートスライダースの蘭丸と見まがう風貌。
派手な赤い古着の上着を着て、ひょうひょうと歩いている。
いろんな奴がいたが、彼だけは特別に目立った。

夜間部と昼間部、現役生と浪人生の隔たりはあったが、
夕方に双方が入り交じるベンチの置かれた広場で、ボクは勝手に彼を意識していた。

そして、美術大学へ入学。
いろんな奴が入学式に来ていた。
「すいどーばた」の目立った連中も、多かった。
その年は特に、どばた出身の合格者が多かった…と思う。
坂本慎太郎も、いた。

       ●

大学の4年間は、近つ離れつの距離感で、
お互い刺激し合ったように思う。
ちょうど「イカ天」全盛で、
「フライングキッズ」が在学生だったことも手伝って
学内では音楽がものすごく盛んだった。

坂本慎太郎は、マイペースに自分の世界を構築していた。
突然眉毛を剃ってきて、みんなに笑われても
その後、徹底して眉毛を剃ってきていた。

授業はまじめに参加し、終わったと思ったら
とっとと居なくなった。

       ●

「ゆらゆら帝国」というバンド名で活動を始めたころ、
国分寺のライブハウスに誘われて観に行った。
絶叫する慎太郎と、おどろおどろしいサウンド。
そのギャップを、ボクはおもしろがった。

国分寺の食堂で飯を食った。
訥々と話す、坂本がいた。

その後、音信も不通となり、
ボクもカメラマンアシスタントで
私生活を完全に売り払っていたので、
彼らの活動を気にかける余裕がなかった。

気づいたら、メジャーデビューだ。

あれから約9年。
下積みから18年。
蘭丸から20年。

彼はこうやって確実にワールドを構築し、
どんどん手の届かない存在へとなっている。

ボクはどうだろう。
あいかわらず、うだつも上がらず
毎日がストレスフルで、貧乏揺すりが止まらない。

週末、彼はどんなパフォーマンスで
ボクの前に顕れるのだろう。
ボクは、どのようにそれを受け止め、消化するのだろう。

今から複雑な気持ちだ。

「ゆらゆら帝国」公式サイト

去年の、今頃は救急車


ぼくの6月はどうやら「健康運」が下がる月らしい。

去年の6月も、突然の激痛で動けなくなって救急車のお世話になった。
しばらくは腰を折り曲げることもできず、何をするにも気後れ気味でクサクサしていた。

それでもがんばって
風呂屋通いを続け、柔軟体操でカラダをほぐし、
徐々に徐々に日常生活ができるカラダへと戻していった。

その時間およそ、3ヵ月。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは、よく言ったものだ。

Alfieの思い出 その2


そんなAlfieで得た貴重な生Jazz体験のひとつに
五十嵐一生さんがいる。

2005年のこと。

元彦さんが1999年5月13日に突然亡くなられて
Alfieも相当様変わりしたのだろうな…と思っていたのだが、
行ってみると、学生時代に体験したまんまの雰囲気で、
元彦さんがカウンターでニコニコ笑っているような、そんな錯覚を覚えるほど
変わってはいなかった。

五十嵐一生。

一生さんの生Jazzは、その日が初めての体験だった。
ベルがマイクに向けられたその目の前に陣取って、
吐き出される生音を顔面で受けながら、文字通りナマの一生さんを感じた。

ものすごく野太く、ソリッドな彼のサウンドに、いっぺんにノックアウトされた。

耳をつんざくハイトーンも物哀しく、紡ぎ出されるインプロビゼィションも生き様だった。
テンションのかかったピアノの旋律に、切り裂くように嗚咽の高音が突き刺さる。
ベースとドラムが高揚感に任せて煽れば、一生さんも奔馬のごとく、天衣無縫にトランペットを響かせた。

プロフェッショナル…だと、思った。

音だけで、自分の世界を構築していた。
見事な物語が、音と共に映像となって浮かび上がった。
世界を創ること…それが表現者の表現者たるゆえんだ…とその時、切に感じた。

そんな五十嵐一生さんの9年ぶりとなるアルバムを手にした。
昨年の1月16日に発売されていたとは露知らず、今頃になって彼の世界を堪能したのだけど、
相変わらずの世界観には、感服。

「Invitation」や「peace」をカヴァーで持ってくるあたり、
Alfieの系譜を汲みつつ、新たな領域へと踏み込んでいる五十嵐さんの志向が伝わってくる。

おそらく現在、一番ノリに載ってる表現者だと確信した。

FREE DROPS / Issei Igarashi

Alfieの思い出 その1


学生時代の話だ。

Jazz喫茶「Meg」で一緒に働いていた
Vocal志望の女の子に連れられて
はじめて六本木のAlfieへ行った。

まだオーナーの日野元彦さんが健在だった頃だ。
たしか伊藤君子さんのライブだったように思う。

セカンドステージでは元彦さんが元気いっぱいにドラムを叩いた。

Vocal志望の女の子は、かなり酔っぱらっていて、
女王様気分で、生Jazz初体験のボクをいじり回しては、ケラケラと声高に笑っていた。

「Jazz喫茶で陰気にレコードばっかり聴いてるから、わからないのよ。
 ナマのエロスをもっと感じなさい!ほら、この音を飲み込みなさい!」

ほとんど、ワケが分からない領域に達していた。
実際、その女の子はロレツも回らない状況で、
背広姿の客からひんしゅくを買っていた。

しかし、生で初めて聴くJazzは、強烈な体験だった。
女の子の言うとおりだ…エロスが充満している。

ドラム・ベース・ピアノ・ヴォーカル…それぞれの人生模様が
音となって激しくせめぎ合っていた。
その駆け引きが、学生のボクには消化不良なほど、エロスに漲っていた。

ビール一杯でひたすらどぎまぎしているボクを尻目に
女王様になった女の子は、不敵な笑いを浮かべている。

しかし、テリトリー外で萎縮してしまったボクは、
愛想笑いすら返すことができない。

女の子はエロスの実習でも施すかのように
タチの悪いInvitationを送ってよこしたが、

こちらはただもう、息をするのがやっとの状態。
チェリーボーイよろしく、その場を立ち去ってしまった。

六本木アルフィー

岩石一家ふたたび


まったくもって、驚いた。
インターネットのすごさだ。

20年ちかく、音信不通だった人間とつながった。

サイトのコメントから、一挙に4人も。
大学時代の先輩諸氏。

リスペクトして止まない
音楽キチガイたち。

しっかりと、今も活動していた。

Jamaican Air Session

JUJU

しかも、かっこいい。
ものすごくシビレル!

初志貫徹。見事に変わってない。

20年のブランクを感じない。
やはり、感性は変わらないのだろうか。
共鳴する部分は、しっかり保たれるのだろうか。

ものの1時間で、見事にタイムスリップをした。
興奮してしまった。

「岩石一家」とは、その時代のバンド名。
ステキなキチガイバンドだった。

毎週土曜にオールナイトでスタジオにこもって
ワンコードでシャウトした。

明け方、カラダはヘトヘトなのに、アタマだけがハイテンション。
どうしようもなく、そのまま繰り出したりしたもんだった。

影響力の強い先輩諸氏のおかげで、
今になってもあの頃のグルーヴ感は、深く刻まれている。

あの、生命力が…ピチピチした感じ。
音楽にどっぷり使っていた時代。

何もかもが、音楽で解決出来た。
すばらしい体験だった。

…おっと、こうやって、メモライズしていると、
 その先輩諸氏から、つっこみが入りそうだ。

「振りかえってんじゃねえよ!」

今夜は気分がいい!乾杯!

   (^^;)

ジャズ喫茶の音源が詰まったテープ


昨日、大学時代の友人に預けていた音楽テープが
段ボールいっぱいに入って届いた。

預けていた…と言っちゃ、語弊がある。

プレゼントした…と言うほど、ステキなもんじゃない。

譲渡した…と言えば、座りがいいか。

大学時代の3年間、
働くというより、過ごしていた…と形容したほうがピッタリくる
吉祥寺のジャズ喫茶「meg」で、
バイト帰りにこっそりお借りして、録音を繰り返した往年のジャズアルバム。

今あらためて、そのテープを聴いてみる。

ウッドベースが、クリアに映える。
ピアノの鍵盤を叩く爪の音が、聞こえる。

サックスを吹き鳴らす時のリップの破裂音や、
リードを濡らす舌の動きまでコチラに伝わってくる。

なんという臨場感。

33cmの丸い円盤に刻まれた
1950年代の吐息が、そのまま封じ込まれている。

あの摩天楼の一角で、夜な夜な繰り広げられた
インプロビゼーションの1音、1音が、
プレイヤー同士のやりとりとともに、蘇ってくる。

JAZZ…。

なんと、エロティックな音楽なんだろう。
…その生命力に、乾杯。

夜の帳が、さらに深く落ちていった。

Rivers of Babylon その1


胸に沁みた。
なんだか改めて、黒人のパワーを感じた。
耳慣れたメロディの中に込められたメッセージが、
これほど深いものだったとは、
…正直、理解していなかった。

今はインターネットが発達して、
過去の映像もyoutubeで検索すれば、
ボロボロと出てくる時代である。

さっそく80年代のreggaeを探ってみる。
The Melodiansが、The Skatalitesが、Dennis Brownが、目の前によみがえる。
【youtube】dreadrecords

新宿2丁目の「69」と呼ばれるレゲエバーに行っていた頃を思い出した。

当時の新宿2丁目はかなり妖しい雰囲気で、
18歳のボクには、危険極まりない場所だったのだが、
その妖艶でいかがわしい空気が、返ってボクをいざない、
週末になると、始発の時間まで入り浸っていた。

狭いホールにギュウギュウの店内。
黒人のワキガの匂いと、ガンジャと呼ばれる”吸い物”の煙が、
絶妙に溶け合って、DeepでMeltyな異空間を作り出している。
汗と汗が絡み合い、吐く息と吐く息が絡み合い、
そこはもう、ホールという名のMake Love場と化していた。

白人と黒人、そして黄色人が犇めき合い絡み合った濃厚な場で
流れてくるのが、Dennis BrownのSweatなRoots。

18歳には、もちろん厳禁な場所だ。
しかしあの原体験が、今の自分を作っていると確信する。

NYに行って、あらためて思った。
あらゆる人種が、ひとつの音楽に集う。
「One Love!One Love!」と合唱する閉店間際の店内は、
ホントに心から互いを思いやる気持ちにあふれていた…ように思う。

新宿2丁目の「69」がなかったら、
音楽もやっていなかったし、写真も撮っていなかっただろう。

あのカオス体験が、ボクの出発であり、目指すべき場所なのだ。

2006年をふり返って。


昨日は会社の忘年会があり、
久々に明け方まで騒いでしまった。
一夜明けてみれば、なんだったのだろう…と
妙に冷静になってしまうから不思議なもんだ。

この1年を酒で締めくくり、新たな1年へリセットするのも
ひとつの切り替えとして適当なのかもしれないが、
最近の慌ただしさには、疑問も覚える。
もう少し立ち止まる勇気も必要なんじゃないだろうか…?

そうは言っても、自分もなかなか立ち止まれない性格なのだが、
ここはひとつ2006年をふり返ってみよう。

1月…ワークショップグループ展を大阪で。
january.2006
2月…RollieFLEXとの出会い。
febrary.2006
3月…フィリピン・マニラ最後の旅。
march.2006
4月…夏商戦プレゼンに破れる。
april.2006
5月…妻帰国と南国ドロップス録音。
may.2006
6月…仙台帰郷と腰痛救急車。
june.2006
7月…大道から銘苅へ引っ越し。
july.2006
8月…甥っ子の誕生と秋冬商戦プレゼン敗退。
august.2006
9月…県プレゼン獲得とminiDIGI購入。
september.2006
10月…妻就職とシングルCD販売と「美ら島フォトミュージアム」。
october.2006
11月…CD発売ライヴと結婚式とニューヨーク。
november.2006
12月…春商戦プレゼンとクリスマス。
december.2006

…フィリピンと腰痛とCDとニューヨーク。
2006年はいろいろ動きの激しい年だった。
ふり返ってみても、なかなか迫力がある。

ただ、このままだと結実しない可能性も残されている。
2007年は、もう少し絞り込んだじっくりした動きが必要なんだろうか。

どちらにしても、動き出したコマを結実させるのが来年の目標。
…実らせまっせ。