
独立行政法人「防災科学研究所」の募集で集まった
「災害記録ボランティア」のメンバー。
「ぼくらも被災者」
この言葉は、誤解されるので注釈すると、
「被災者の気持ちに寄り添う」という姿勢を顕す。
ボクらは決して被災者ではない。
ただ、寄り添うことは出来る。
その思いで常に被災地に降り立て!
…と毎日のミーティングで口酸っぱく言われた言葉だ。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

独立行政法人「防災科学研究所」の募集で集まった
「災害記録ボランティア」のメンバー。
「ぼくらも被災者」
この言葉は、誤解されるので注釈すると、
「被災者の気持ちに寄り添う」という姿勢を顕す。
ボクらは決して被災者ではない。
ただ、寄り添うことは出来る。
その思いで常に被災地に降り立て!
…と毎日のミーティングで口酸っぱく言われた言葉だ。

キズついても
キズけば
キズなとなる
ナカヤーマンの言葉。
あらためて深い…と感じた。
打ち拉がれた思いを
共有できれば、
それがキズきとなって
広がる。
今回の震災は甚大な被害だけれど、
ひとりでも多くの人間が(あえて国民ではなく)
この被災地のガレキに思いを馳せてくれれば、
きっとこの地球はよりよい方向へ向かうと思う。
ミヒャエルエンデの言葉が刻まれる。
「問題は全科学が自負する客観性なのです。
わたしはこの客観性に異論があります。
ナイーブな基本姿勢に思われます。
その結論では自然科学とその一連のものが計測、計算
できるものだけを現実として認めるということです。
それは現実のあくまでも一部であり、
もしかしたら最も重要な部分でさえないかもしれないわけです」
人知を超えたものが実在する。
そのような畏怖の念を保ち続けること。
それはなにも宗教的な懺悔する心ではない。
ひとこと「常に謙虚」で有られることではないか。

なにもかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で
言葉は発芽する
ガレキの下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味
言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて
◎
谷川俊太郎
朝日新聞「5月の詩」から。
◎
陸前高田の現場に降り立ってみて
そのガレキの盛り上がった町並みに
言葉を失ったのだけど、
そこで悲惨だ…と突き放すのではなく、
寄り添うように努めた。
これがボクの愛する町だったら、
どんな気持ちで眺めるのだろう…と。
そうすると、ガレキのひとつひとつが
とてもいとおしく思えるようになれた。
ひとつひとつに思い出が詰まってる…そう思った。
だから、ひとつひとつの思いを摘み取るように
シャッターを押そうと思った。


災害記録ボランティアとして赴いた
陸前高田市は江戸時代より「気仙大工」として
技術力が評判の大工発祥の地であるらしく、
「気仙大工左官伝承館」なる施設もあった。
そこでお話を伺った81歳の館長から、
隣接する住田町では震災以前から地場杉を使った
独自の仮設住宅を提唱していたようで、
実際に99戸の住宅が5月半ばには引き渡しの予定だと聞かされ、
すぐに足を運んでみた。
「プレハブとは違い、杉が呼吸するので結露にもなりにくい」…といった住民の声、
地場杉を使って地元の大工で製材加工…という復興にもプラスになる要素を鑑みても、
これこそ理想的な仮設住宅ではないか…と実感。
坂本龍一さんも賛同し、サポートを名乗り出ている。…LIFE311
この動きがモデルケースとなり、
ゼネコン一辺倒の大量発注に風穴が開けば良いと思う。

遠野まごころネットの記事にもあるように、
岩手県内一、二の水揚げ量を誇る陸前高田のサンマが、この津波による保冷庫の破壊で、
800トン1200トンレベルで放出・腐乱し、漁港に臭気を放つ結果となった。
それでも一日100トンという単位で、そのサンマを回収し、段ボールと分別する従業員たち。
保冷庫も加工機械も、船さえも失ってしまった今、とにかく目の前のサンマを回収し、
すこしでも前に進もうと従事している彼らの姿をみて、撮影している自分がいたたまれなくなった。
