沖縄よ、踊れ!踊らされるな!


「沖縄よ、踊れ!踊らされるな!」
痛烈なメッセージだ。
1972年に日本復帰した沖縄。35年前の話だ。
1945年に終戦を迎えた日本。半世紀以上も前の話だと言うだろう。
戦後生まれの団塊の世代は揃って定年を迎え、第2の人生にシフトする。
それだけの時間が経ったのだ。いつまでも戦後で形容する時代は終わったのだ。

総理はそんな理屈からconstitutionを改新しようとしている。

集団自決の事実もなし崩しに葬り去り、過去を清算し、
「美しい国日本」へとbuild upしようとしている。

しかし沖縄は戦後35年だ。
戦後生まれの男達は今、働き盛りを迎えているのだ。

日本で言えば安保闘争、学生運動が勃発していた時代である。
あのとき学生たちは「見えない大きな力」に抗うことで
自分たちの自由を獲得しようと戦っていた。

「世の中を変えよう!」ともがいていた時代だった。

今はどうだろう。
complianceがキーワードとなって、
日常を滞りなく推し進めることが「美徳」となった。
敢えて冒険せずとも、基本的人権は保持され、営みは保たれる。

しかし、沖縄は?

観光立県をうたって年間500万人もの観光客を誘致し、
6000組ものリゾートウエディングを招き、外貨を稼いでいる。

DFSが建ち、高級ブランド品が流通し、
高層タワーのマンションが次々と分譲され、
リタイヤ組が、移り住むようになった。

はて。

はて。はて。

沖縄は豊かになったのだろうか?

  【統治者は変わっても、家のそばに巨大な米軍基地があることは変わらなかった。】

統治者は変わっても、相変わらずクイモノにされているだけじゃないか?

  【ふと気づいた。僕らは洗脳されている。「歌え」も「歌うな」も同じだ。
   右であれ左であれ、島の道は出口がなく、僕らはただ踊らされているだけだ、と。】

リトル東京になって、経済が廻り、物質的な欲求が満たされれば、この島はOKなのか?

もっと大事なものが、この島には残ってないか?
  「沖縄よ、踊れ!踊らされるな!」
今一度、立ち位置を見据え、将来を見据え、考える時では?
「世の中を変えよう!」とした70年代の人たちのように。

だからまず、選挙に行こう!

「沖縄よ、踊れ!踊らされるな!」website

【音市場】体験 その2


18時40分、本番スタート。

まずはデモンストレーションライブを行うにあたっての前口上が
現場責任者より説明される。

「実際のバンド演奏を聴いて、ホールの鳴りをご確認ください」

粛々とした雰囲気の中、メンバー入場。
ギターのカッティングから1曲目がスタート。

広々としたステージで、スポットライトが当たる。
見世物となった自分たちを、どうコントロールすればいいのか。

…右に左にカラダを動かす。
…楽器を高く上げてみる。
…あまりきょろきょろせず、正面を見据える。

自分たちが今、どのように見られているのか。
どうも浮ついた感じだ。

演奏だけ集中していればよかった今までのライブから
エンターテインメントを意識したひとつ上のライブへ。

演奏ももちろん、シビアに行いつつ、
そんな素振りを感じさせないステージングを目指す。

プロのパフォーマンスを見てみると
なるほど、ステージ上では一瞬たりとも「すき」を見せない。

     (>_<) 結局、同じところに突っ立ったまんまの
デモンストレーションライブ。

それを見ていたプロデューサーは
「はじめの3分で飽きちゃった。動かなきゃ、つまらないよ」

ライブ終了後は、とことん反省会。
やはり初めてづくしのステージは、
新たな経験ばかりで、こちらの志気も上がる。

演奏をソリッドに攻めつつ、
飽きさせないパフォーマンスをするためには
どうしたらいいか?

結論は、音楽に陶酔すること。

プレイヤーが陶酔を演じれば、
観客はその魅力に引き込まれていく…のだろう。

どのプロを眺めても、
中途半端な振る舞いは、ナシ。
とことん自分らの演奏に心酔している感じだ。

もっと、もっと音楽を楽しまなくては。
表現することの意識を考えさせられたライブだった。

【入院生活】その6


7月5日。
朝の9時から
リハビリ体験。

車椅子で地下のリハビリルームへ。

傷口が突っ張る。
いったいどんな状態で
傷は縫われているのだろう。

動かすたびに「チクリ」「チクリ」と疼く。

ベッドに移動し、仰向けになって
ゆっくりと右足を屈伸させる。

3日間の入院で、意識は完全に病人となっている。

何をするにも、恐る恐る…だ。
右足が持ち上げられ、ゆっくり膝が曲げられる。
傷口が突っ張って痛い。

「…ギブ。」

今度は、つま先の感覚を呼び戻すべく、
ビー玉を足で掴んで持ち上げる運動。

左足でまずは試してみる。
なるほど、こんな感じ。
では、右足。
…ん。なんで。…つかめない。
おっかなびっくり、つま先に力を入れる。
未体験の領域に踏み込むような慎重さ。
膝から下が、義肢のように他人行儀。

「それでは、立ってみましょう」…いきなり理学療法士が、無茶を言う。

きょとんとしていると、
「大丈夫、半月板削っただけだから」
さらに躊躇していると、
「痛いと感じるのは、傷口だけですよ」
はあ…。
「体重をかけても、半月板に痛みはありませんから」
…?…そうなんですか?

だまされたと思って、立ち上がってみる。
…おそる、おそる…。
左だけで立ち上がったようなバランス。
腰の位置がおかしい。

療法士が腰の位置を正す。
右膝に体重がかかる。
…不思議な違和感。

「そのまま、つま先を立ててみてください」
…はぁ。
「膝がまっすぐ伸びる感じ、わかりますか?」
なるほど。
「ゆっくり右足を少し前に出してみてください」
歩けってか。
「つま先は立てたままです。ちょっとずつ前に。痛いですか?」
痛くはない。
「ゆっくり体重をかけていきましょう。まだ左に重心があります」
当たり前だ。

それでも、10分もしないうちに、歩けるようになっていた。
実は気の持ちよう…だったようで。

しかし、筋力は極端に減少していて、
膝上の筋肉の張りがまるで違う。
たった2日拘束されただけだというのに…。

ここの筋肉が回復するまで
リハビリは続けないと、
逆に膝への負担が大きくなってしまうらしい。

体を動かさないと、急激に体力が衰えてしまうことを
身をもって痛感した。

寝たきり老人の歩行困難が、痛いほど理解できた。

【入院生活】その5


膝の麻酔がまだ効いているのか、
傷口はふわふわとした状態。

しかし、まったく自由がきかない。

夕方の7時までは
動かずにじっとしている。
何も口にできない。
水さえも。

前日の夕食が6時だったので、
まるまる24時間、断食をしている。

学生以来の体験。

学生時代はサイババに傾倒し、
呼吸法を極めようと、食を断った。
やがて目の前が真っ白になり、星がチラチラしだした。
今にして思えば、危ない状態だった。

午後7時。

飲水の許可が下りる。
静かに咽元へ水を流し込む。
食道を伝わり、空洞となった胃に到達するのが、
透かしたようにわかる。

「うまい」

24時間の断食で、人は幸せになれる…。そう思った。

その後、しっかりとした夕食が運び込まれる。
味噌汁を口にする。味噌の塩分が口内に染み渡る。
おかずを小分けにし、少しずつ食べてみる。
塩分だけでなく、旨み成分の存在を確認。
白米の粒をひとつひとつ意識しながら、口に運ぶ。
あごを動かす度に、歯と舌に米の甘みを実感する。

味覚が敏感に反応し、
少しずつカラダの感覚が蘇ってくる。
生きていることを、実感。

努めてゆっくりと食事をしたつもりだったのだが、
15分と待たずに完食。思わずにんまり。

食事をしたら、トイレに行きたくなった。

看護師を呼び、用を足したい旨を伝えると
「車椅子」がやってきた。
Wheel Chair…を利用するのは、初めての経験。
右足に体重がかからないよう、
注意を払いながら、椅子に乗り込む。

ためしに右膝を少し動かしてみる。
…とたんに激痛が走る。
麻酔が切れたようだ。

車輪を前後にそれぞれ動かしながら、前へ進む。
はじめは左右にぶれてしまい、すんなり直進できない。
しかし、右に左に大きくぶれながら、軌道修正を繰り返すうちに
車輪の操作を体得する。

なるほど、右と左を逆に回せば、小回りがきくのね。

右膝をかばいながら、病室からトイレまでの小探検。
右往左往する看護師を上目で捉えながら、縫うように車椅子を操作する。
今までにない移動感覚が、たのしい。

沖縄本島、台風直撃!


台風の目を久々に体感。
写真はそのときの模様。

台風4号マンニィが、沖縄本島を上陸。
朝はベランダに出れば、天然シャワーの様相だったが、
昼過ぎの今は、那覇市から北へ50キロ離れ、、騒ぎは収まった感じだ。

洗濯機の中をかいくぐるかのような
天変地異のさなか、クルマを運転するのは、
かなりのスリル。

横殴りに倒木が飛んでこないか…と冷や冷やしながら会社に向かう。

こんな非常事態でも、コンビニは輝いていた。
4年前の直撃のときは、たしかコンビニも閉まっていたので、
今回はそれほどでもないのか。
(台風の速度が以前よりも相当速い)

すきま風がひゅーひゅーと唸っている。
換気扇がバタバタと激しく音を立てる。
FMは台風情報を織り交ぜながらも、お便りトーク全開。

広い社内でたったひとり…。開店休業の状態。

時々送られてくるメールから、
同じように非常時にも仕事を進める輩がいることを確認。

こうやって、非日常が日常に収斂されていく。

浮き足だった状態が、いつのまにか過ぎ去り、
バツの悪い思いをしながら、浮いた足を地に着ける。

今日の締切が、明日にただ移行するだけだ。

つかのまの不思議な時間。
台風の目のように、すべてが不自然に留まっている。

台風情報~ウェザーニュース

【入院生活】その4


7月4日、朝から恨めしくも快晴。
8時30分から点滴を開始。
左手首から10センチほど下がった
静脈のあたりに注射。
看護師あやまって、大量の血をこぼす。
シーツが赤く染まる。

静脈注射と空腹で、意識が朦朧としてくる。

午前11時10分前、手術室からの呼び出し。
エレベーターで2階に降りる。
歩いて手術室に向かう気まずさを感じる。

初めて見る手術室内部。
5つか6つの手術室が集合した効率的なつくり。
濃緑の手術着を着せられ、
光が煌々とたかれた手術室へ入る。

マスクをした麻酔科の医師が、
麻酔液の注入を説明する。
いつのまにか濃緑の手術着は脱がされ、パンツ一枚の状態。

麻酔液が注入され、マスクがかけられる。
マスクからは酸素を吸入されるが、突然意識を失う。

「暗闇」の時間。

またもや突然意識の回復。
鼻に挿入されたチューブに違和感を覚え、目を開ける。
ノドが痛い。
呼吸を確保すべく人工呼吸器の管が喉元まで挿入されていた模様。
「森さん、手術は無事終わりましたよ。」の声。
当たり前だが、記憶が欠落している。
酸素を吸入されてから、鼻のチューブの違和感まで地続きだ。

回復室では、「仕事体験」の一環として中学生が写真を撮っている。
ニートが増えているからといって、中学生を術後の現場まで招くのはどうか…と疑問を抱くが、依然朦朧。
ベッドの状態のまま病棟まで戻される。

足の痛みはない。
ノドの違和感が酷い。
イガイガとした状態を水で解決したいが、口にできず。
しきりに唾を飲み込む。

やがて意識も正常な状態に。

執刀医の説明を受ける。
「手術自体は非常にスムーズに進みました。27分という短時間で終了しました。」
「麻酔がかかりにくかったので、結局2時間かかりました。」
「関節鏡で撮影した半月板の状態です。やはり大きく裂けていました。」
「関節の後ろは裂けた上にささくれていたので、その部分をすべて削除しました。」

初めて見る関節内の状況。
骨が異様に白く光を反射している。
奥に進むにつれて、半月板が裂けている。
他人事のように、写真をみつめる。

【入院生活】その3


沈痛な面持ちで病室に戻ると、6人の大部屋はすでに患者で埋まっていた。
他の病室から移られてきた体育会系の男性、
サルモネラ菌の感染で運び込まれた中学生、
同じく半月板の損傷で明日手術を受ける初老の男性。

南棟3階の病棟を眺め回すと、
実にさまざまな状況の患者たちが、
一様に沈痛な面持ちで夕方を迎えている。

両肩に取り付けた金具で頭部全体を支えている女性。
折れ曲がったベッドで苦虫を噛みしめたような苦悩を浮かべるオバア。
菌の猛威に為す術もなく、蒼白な表情で嘔吐を繰り返す学生…。
各々の凝縮された人生が、小さなベッドの上で繰り広げられている。

そこで親身な介護を執り行っている看護師は、ものすごい存在だと思った。
イヤな顔ひとつせず、オジイオバアのわがままに応える女性看護師。
病状を的確に把握し、それぞれの状況にあったプログラムでケアを施す。
夕方から朝方までの深夜勤務は、ホントに頭が下がった。

夕方6時すぎ、術前の最後の食事をいただく。
麻酔の副作用で嘔吐をした場合、異物が肺に入るのを防ぐため
術前は水も含めて何も摂取することが出来なくなる。

米ひとつぶに至るまで、ゆっくり丁寧に食事を摂る。

【入院生活】その2


麻酔の話をひととおり終えて、遅めの昼食。
5階にある喫茶店で「ハンバーグ定食」を食べる。
看護士や医者が聴診器を肩にぶら下げ、熱心に語らっている。
本人を識別するネームバンドを右手にはめていたので、
自分もすでに彼らに取り込まれているのか…と思うと、居心地が悪かった。

執刀医から手術内容の詳細を聞かされるまでのあいだ、
「大人の科学vol.9:究極のピンホール式プラネタリウム」を制作する。
デザイナーが、入院の暇つぶしに…とわざわざ買ってきてくれた。
大人の科学:究極のピンホール式プラネタリウム
作ってみると、意外に時間を忘れて没頭してしまった。
夜の病室で試してみることにする。

呼び出しを受け、ナースステーションに。
執刀医のO先生は、手術が長引いているため代理の医師に
明日の手術内容の説明を受ける。

あらためてMRIの画像と膝の模型を照らしながら、
関節鏡をどのように扱い、半月板を削除するのか、その流れを聞く。
「MRIではわからない関節の状態を、カメラを入れてしっかり検査するのが、この手術です。」
「だからこれは手術のカタチを取った最終の検査だと思ってください。」
患者の気持ちを軽減するためだろう、言葉を換えて巧みに説明をするが、
健康な人間には、カラダに穴が開けられることすら抵抗がある。

セカンドオピニオンとして受けたMRIの画像も比較してみる。
初診から2週間経っての画像…少しは変化があるかと思いきや、
「損傷している」箇所は、しっかりと同じ場所に留まっていた。

「90%の確率で損傷していると思われます。」

明日の「最終検査」で、その全貌が明らかになる…と
代理の医師は自信たっぷりに語った。

関節鏡とは?

【入院生活】その1


7月3日から3日間、約28年ぶりに入院生活を経験した。
たとえ3日間でも、その経験はいろいろなことを考えさせてくれた。

ボクの場合、整形外科なので、
「その経験」などと暢気なことを言ってられるが、
同じような年齢で、突然致命的な病気に罹ってしまい、
運命と闘っている懸命な方もたくさんいる。

だから、あくまで私的な経験として
今回の入院生活を振り返ってみたい。

7月3日、病院からの連絡を受け、入院の準備をして病棟に入る。
洗面道具、着替え、有意義な入院を送るための書物や音楽など。

南棟3階の306号室に通される。6人の大部屋だ。
入室時は、イヤフォンでテレビを見ているオジイしか居なかった。
窓側を指定され、少し安堵。息詰まる病室で、窓を占有できるのはありがたい。

さっそく麻酔科の先生に、明日の手術の話を伺う。
別棟の手術室脇が麻酔科の説明室だ。
重厚な扉と静寂に、気持ちが騒ぐ。
この扉の向こうでは、今も手術が行われている。

麻酔科のS先生は、懇切丁寧にその手順を教えてくれる。
「静脈より麻酔の液を注入し、同時に吸入で意識を失わせます。」
「呼吸を確保すべく、チューブを喉元まで挿入します。」
「…ということは、呼吸も止まるんですね。」
「はい。呼吸も麻酔で止めます。」
「心臓は動いてますか?」
「もちろん、心臓は動いています。」
呼吸が止まる…とは、どういうことだろうか。
少しドギマギする。

セカンドオピニオン


膝の宣告を食らってから一週間。

その間にライブのステージもこなし、
プールでのリハビリも行い、
仕事中もふつうに振る舞い、
行き帰りも徒歩で通勤し…と、
なにひとつ不自由がないことに気づく。

これって、もしかして治ったりしてない?

軟骨が自然治癒するはずもなく、
ただ単に傷に慣れてきただけなのだが、
そのような淡い期待を抱いてしまった。

しかし、少なからずも
手術の宣告を受けた先週より
明らかに症状が軽くなってはいないか?

これは、もしかしたら
手術でカラダを傷つけなくとも
何かしらの措置がありそうじゃないか!

…そんな気持ちがもたげてしまったら、もう止まらない。

早速セカンドオピニオンを受けに
那覇市内のスポーツ外科へ。

問診でいきなりすべての事情を吐き出し、
MRIで先生の意見を伺いたいと申し出る。

運良くMRIの検査室が空いており、
すぐさま検査を実施。

40分間の高磁場にさらされ、
手足の痺れを再び体感する。
一週間で二度のMRIが人体に及ぼす影響を
ふと心配するが、未知の領域。

結果は、手術を要するほどの状態ではないが、
いずれまた何かの弾みで急な痛みに襲われる可能性はある…とのこと。
削れた半月板を掃除することで、不安が払拭できるのだから
この機会に思い切って済ませてしまうほうが得策…と。

思い起こせば、
右膝は常に何か問題があった。

テニスのあとや、ジョギングのあとなど
疲労している状態の時、突然、
関節が外れるような動きとともに
激痛が走っていたのだ。

もともと軟骨に何か欠陥があったようだ。

その問題が払拭できるなら、
これはイイ機会だ…と素直に受け止める。

セカンドオピニオンを経て、
ようやく手術を受け入れることが出来た。

…さて。いよいよ来週。