はじまりの1枚


15日に大森克己ワークショップは終了となった。
7月7日の七夕の日から12月15日まで全12回。
途中沖縄合宿も挟み、充実の半年間だった。

半年前と今で、どれだけの変化があったのか
すぐさま測り知れるものではないが、
確実にボディブローは効いてくる。

2006年へのステップUPをストイックに考えていきたい。

今回、ワークショップの集大成として
大阪にてグループ展を行うこととなった。

お題は【はじまりの1枚】。

能動的に写真で表現していくその始まりとなった1枚を
各々がセレクトして展示する。

その1枚がこれ。

マニラのホテルで押さえた妻の写真だ。
午後の光が窓から差し込んだところを、
おだやかな気持ちで収めた。

展示にあたっては紙焼きをグレインハウスの寺屋さん、
額装をスガアートの菅原さんにお願いした。

どちらも一流のカメラマン御用達のスペシャリストである。
ボクみたいな輩が接するのも分不相応な話ではあるが、
「大森克己」をバックに、何事もトライしてみようとぶつかってみた。

もちろん、それなりの金額にはなった。

だが、ハラを決めた。
何しろ全12回の東京往復を終えての集大成である。
ここで決めずに、どこで決めるの?

…と言うことで大阪にお寄りの際は
是非とも訪れていただきたい。

◆大森克己ワークショップ【はじまりの1枚】展
 ギルドギャラリーにて
 2006年1月14日(土)から28日(土)まで開催

GUILD GALLERY
大阪市中央区北久宝寺町3-4-1 マーメイドビル 4F
TEL : 06-6244-0044FAX : 06-6281-8044
http://guildgallery.net/

hana&alice~篠田昇を偲ぶ~


岩井俊二監督の「花とアリス」完全版DVDを借りて観た。
何よりもショックだったのは篠田昇撮影監督が
メイキングの映像に数多く出ていることだ。

2004年6月22日、彼は52歳の若さで亡くなっている。

「花とアリス」の公開は2004年3月。
彼の遺作となるのは行定勲監督の「世界の中心で、愛をさけぶ」だが、
行定勲は岩井俊二作品の「Love Letter」「スワロウテイル」で
助監督を務めていたから、篠田昇とのつながりは岩井俊二同様深い。

http://www.swallowtail-web.com/jp/eye/backnumber/message_old/message_040623.html

「花とアリス」は篠田昇のカメラワークが思う存分楽しめる作品だ。
ボクは「リリィシュシュのすべて」で逆光に揺れる
手持ちのフレーミングに酔いしれた1人だが、
「花とアリス」では、斜光の美しさや独特の足下のトリミング、
懐に入るようなヒロインへの寄り、微妙な心理を匂わす不均衡なフレームアウトなど
円熟の篠田昇ワークを堪能することができる。

なにより、彼がメイキングカメラに向かって息を吹きかけ、
レンズを曇らせるシーンがあるのだが、番長健在の活きの良さが
こちらに伝わってきて…胸が痛んだ。

52歳。あまりにも若すぎる。

…うなだれてしまう。

宿命って奴が存在するなら、
死の影がいつかは忍び寄ってくるわけで、
…そんな日のためにも
こころの準備として、毎日を精一杯生きる。

…そんな当たり前を実行しよう…と思った。

職安通りから百人町へ


江戸時代は百人鉄砲隊という護衛の武士がいたから、
百人町と呼ばれるようになった大久保周辺は、
職安通りから流れてくると、地名とは裏腹に人影もまばらな
独特の雰囲気をもった地域だ。

歴史をしょったひなびたホテルや、
連れ込み宿を地で行くようなラブホテルがあり、
ハングル文字の看板まで眼にすると、
見事にアジアな情感を帯びてくる。

高層街西新宿から見ると、
歌舞伎町から大久保に至るまでのエリアは
まるで地を這うような湿地帯だ。

都庁舎がそびえ立つ新宿の、
その長い影がここ大久保まで伸びている。
陰部はどこまでも深く、計り知れない。

湯気に湿った街、大久保


今回泊まったホテルは大久保の飛鳥ホテル。
絶妙なネーミングと外観にあらぬ期待を込めて
チェックインしてみると…。

そこはなんとも淫靡な雰囲気を湛えていて
地階に滾々と沸き立つラドン温泉を備えた
誠に珍しいビジネスホテルだった。

ルームキーもお好きな暗証番号をご登録…と。
フロントも地階にあって、1階はまさに無人。

…これってなんでもありってこと?と穿ってみると
周辺には韓国人経営のアカこすりの店が並んでいたり…と
なるほど、ホテル周辺も湯気の湿りを帯びた感じである。

さすが大久保と唸らずにはいられなかった。

沖縄料理屋「抱瓶」


ボクが今、ここ沖縄にいる因果は「抱瓶」にあると言ってもいい。
高円寺の沖縄料理屋「抱瓶」。

ここで巡りあった泡盛や沖縄そば、ゴーヤーが
そのあとの人生を決定づけた。

高校生の時、家族でこの「抱瓶」に何度か訪れた。
その時に感じたカルチャーショックは
しばらく所在なくボクの周りに漂っていた。
「抱瓶」に来ると、そんな不可解な感慨に陥っていた。

うまく消化しきれなかったんだと、今になって思う。
まだ「島唄」も「ビギン」も存在していなかった。
せいぜい「花」や「ハイサイおじさん」ぐらいの時代だった。

この雰囲気の源泉が、遠い南国に息づいてるだなんて
想像もつかない立ち位置で、ボクはボクの中に沖縄を醸成していた。

すこしづつ、すこしづつ、沖縄が堆積していった。

だから、この足で沖縄に触れた時の「しっくり」くる感じが堪らなかった。
カラダの毛穴全部がパフパフと喜んでいた。

ある意味、必然だった。

時代の趨勢と取り残されたもの


写真は現在の高円寺北4丁目27の6。
かつての社宅は跡形もなく、立派な低層マンションが視界を遮っている。
中学生のボクが眼にしていた平屋のシルエットは
遠い記憶を辿るしかない。

ここもすっかり変わってしまったなあ。

そんな感慨をもって視線を右に移すと…、あるじゃないですか。
立派な植木に囲まれた、立派な邸宅が。

社宅時代に盛んにやりあった気むずかしいお向かいさんのお宅。
今もそのままの気むずかしさを醸し出している。

20年の月日の中で、変わらないモノもあるんだ…。

そんな感慨がまた湧いてきた。

高架下の誘惑


高円寺北四丁目27-6。
これが、当時ボクが過ごした社宅のアドレスだ。
細い道を挟んで向かいは阿佐ヶ谷になる。

中学生、高校生とボクは愛犬ダンディとマリーを連れて
朝夕さらに夜と、ひんぱんに散歩に出かけていた。

今にして思えば、この6年間の散歩が、
ボクの性格と想像力を見事に形成したように思う。

その時、ボクはよく中央線の高架下へ向かった。

昼間でも夜でも一様に暗躍としていて、
何かしらの蠢きと企みを放っている、高架下がボクは好きだった。

太陽光が遮断され、軒の隙間から入り込む一条の光が、
劇的な空間を演出したりするのを眺めるのが、好きだった。

逆光にはためく洗濯物と安普請のアパートにドラマを感じて、
高架下を行き交う、一癖も二癖もある風貌の人々の生活に思いを馳せた。

そんな雰囲気そのままに、高架下の古本屋で、かび臭い文庫本に手を伸ばし、
淫靡な世界にどっぷり浸かるのが、ボクにとっての快楽だった。

高円寺北中通り商店街


高円寺に降り立った。
中学2年から大学4年、その後の社会人2年をこの土地で過ごした。
11年間…人生のおよそ1/3をこの地に費やした格好だ。

多感な時期に、さまざまな事象をスポンジのように吸い込んで
ボクは大人になっていった。
高円寺には、そんなボクの源泉が豊富にある。

古着屋、中古レコード屋、ライブハウス、ゲーセン、
中古本屋、高架下、客引き、ピンサロ、沖縄料理屋…。

降り立って、あきれた。

北中通り商店街の入り口は、パワーUPしていた。
かつてのピンサロは、キャバクラと名前を変えて
軒を連ねていた。見事に奥行きと彩りを深めていた。

壮観だった。

高円寺だ…と感入った。

とにかく餃子。


宇都宮にはCI(コーポレイトアイデンティティ)全盛の
1988年に一度、足を運んでいる。

その時は看板業者のアルバイトとして
宇都宮にある銀行のCIを全面変更する大工事に参加した。

大きな袖看板を4tトラックに括り付け、
東京から高速を飛ばして、宇都宮の中心に入った。

銀行の閉店後、袖看板の取り替え、
ガラス面の意匠シート貼り替え、入り口真鍮サインの付け替え…と
作業は明け方まで続き、宇都宮の餃子は遠のいた。

作業も終盤にさしかかり、眠気も頂点に達した頃、
ガラス面のカッティングシートを貼り替え中に、
ボクは大きな失態を演じた。

カッター作業で小指を切り落としかねたのだ。
夜中に見る鮮血は、若輩にはきつすぎた。
自分に対して無性に腹が立ち、ズキズキ痛む小指を憎んだ。

結局、悪態をついたボクを除いたメンツで
職人たちは宇都宮の餃子にありついた。

ボクは4tトラックの助手席で、突っ伏したまま
恨めしく餃子の赤い看板を眺めていた。

宇都宮の餃子。

着いたら、とにかく餃子にありつこう。
…新幹線の車中でそんなことばかり考えていた。

宇都宮…朝の出勤風景


朝の7時半。
JR宇都宮駅に降り立つビジネスマン、学生を待ち受ける。

太陽がしっかりと光を放ち、
休日明けの萎えた気持ちを奮い立たす。

それでも学生は、心ここにナシ。

皆一様に寝ぼけ眼にだらしなく集団で歩く。
宇都宮の女子校だろうか…バスを待つ集団。

紺色の制服が、さらにどんより紺色を増して
朝の風景に重たく鎮座している。

「ニンニクたっぷりの餃子を朝から食べてこい!」

ひとりごちた息がニンニク臭かった。