とにかく餃子。


宇都宮にはCI(コーポレイトアイデンティティ)全盛の
1988年に一度、足を運んでいる。

その時は看板業者のアルバイトとして
宇都宮にある銀行のCIを全面変更する大工事に参加した。

大きな袖看板を4tトラックに括り付け、
東京から高速を飛ばして、宇都宮の中心に入った。

銀行の閉店後、袖看板の取り替え、
ガラス面の意匠シート貼り替え、入り口真鍮サインの付け替え…と
作業は明け方まで続き、宇都宮の餃子は遠のいた。

作業も終盤にさしかかり、眠気も頂点に達した頃、
ガラス面のカッティングシートを貼り替え中に、
ボクは大きな失態を演じた。

カッター作業で小指を切り落としかねたのだ。
夜中に見る鮮血は、若輩にはきつすぎた。
自分に対して無性に腹が立ち、ズキズキ痛む小指を憎んだ。

結局、悪態をついたボクを除いたメンツで
職人たちは宇都宮の餃子にありついた。

ボクは4tトラックの助手席で、突っ伏したまま
恨めしく餃子の赤い看板を眺めていた。

宇都宮の餃子。

着いたら、とにかく餃子にありつこう。
…新幹線の車中でそんなことばかり考えていた。