myspaceで見えてきたもの

Nangoku Drops on myspace

Bozzo173 on myspace

アメリカ生まれのSNSで、全世界で1億600万人の登録者がある
myspaceに登録してみた。

このネットワークのすごいところは、音楽にある。

インディーズだろうが、メジャーだろうが、同列でバンド専用サイトに登録し、
自分たちの楽曲をトップページにmp3でUPすることができる。

UPされた楽曲は、それぞれのトップページにaddすることができるので、
インディーズだろうが人気が出れば、どんどん全世界でplayされてしまうのだ。

さっそくCD発売の「南国ドロップス」を登録して、楽曲をUPしてみた。

ものの見事にイギリスやメキシコ、アメリカの20代の女性たちから
    「cool!I love it!」「I want to buy it!」
…といったうれしい声が届いた!……amazingである。

沖縄に住むイギリス人に、さらに手ほどきを受け、
メジャーどころのアーティストのサイトへアクセスし、
friends listに登録してくれるよう、お願いしてみる。

「James Brown」や「Prince」「Brand New Heavies」が同列で存在している。
その下には3万4万の莫大なファンやミュージシャンがつながっていた。

ヨーロッパのclubjazzバンド「Koop」は早速approvalしてくれた!!
日本のバンドも多数登録されていて、やはり世界を視野に入れているバンドが
意外と多いことに気づかされる。
その中の「ゆらゆら帝国」へaddingを希望してみた。答えはapproval!!

このようにして、どんどんネットワークが拡がっていく。
これこそまさにweb2.0的コミュニケーションだ…と実感した。
世界中のパーソナルが並列に、敷居なくアクセスできるということ。

myspaceのさらにスゴイところは、
カスタマイズがものすごく容易であること。

同じ日本のSNSであるmixiはその点、
パーソナルなexpressがものすごく制約だらけだ。
閉じられた世界を感じてしまった。

myspaceであれば、URLで世界中の人々に公開できる。
つまり、myspace未登録者もアクセスすれば、楽曲を楽しめるわけだ。

レンタルサイトのノリである。

お見事だ。
お互いがトップページにコメントを残し、
その言葉から次の訪問者が生まれてくる仕掛け。

ボクはこのサバサバして目的のハッキリしている
myspaceと相性がいいらしい。

しばらく英語の鍛錬も含めてupdateしていきたいと思う。
みなさんも、accessよろしく!

punctumとstudium


もう少し、写真について考えてみる。

なぜ、写真を撮るのか。

目の前の情景を記録することで、自分のポジションを確認する行為。
この不確かと感じる「生きている世界」を平面に焼き付け、再確認する行為。
     世界を記録することで、自分の存在を知る。

むずかしい言葉で言いくるめても仕方ないか。

        ●

ボクの写真体験は小学生まで遡る。
大阪に移り住んで、京都が間近になり、
毎週末、家族で京都を訪れる機会が増えた。

悠久の時が刻まれた寺院や庭園を、
しっかり家族の記憶に収めようと、父はカメラを手にした。
購入したカメラは、当時はやりの「バカ○○ンカメラ」である。

機械に興味を持ち始める年頃だったボクは
自然と写真係を買って出た。

そんなある日、京都の寺院を散策しながら撮った家族写真とは別に、
たまたま収めた暖簾の写真がとても印象的に上がってきた。

そこでボクは学習する。「見た印象と写真にはズレが生じる」ことを。
同じように目に映った情景も、構図や光の取り方で伝わる印象が変わる…。
…幼いボクは写真の魅力を発見した。

それからというもの、格好いい写真を追い求めて、
カメラを構える時代が、大阪を離れるまで続く。

住まいを東京に移してからは、反抗期で音楽に目覚めたこともあり、
しばらく写真から遠ざかるのだが、レコードのジャケットを眺める目は、
グラフィックな魅力に取り憑かれていた。

大学に入って、本格的に写真と対峙してからは、
写真行為は、自己発見への手段となっていく。
セルフポートレイトを長時間露光で収めてみたり、
高架下の陰湿な情景ばかりをトリミングしたり…。

「死」を写真に投影することで、自己の危うい存在をカタチにしようとしていた。

そして今、やはり「写真」は自己確認の手段として、ある。
切り取る世界は、軽快になったフットワークのおかげで拡がってはきたが、
あいかわらず写し込まれた自分のポジションばかりを気にしている。

どうやら「存在」が稀薄なんだ…と思う。
推し進めて言えば、「存在」が稀薄でありたい…と思っている、のだ。

「世界」と「自分」の距離を計る手段と称して、
正面切っての対立を回避している…自分がいる。

いつまでたってもモラトリアムの域を出ない。

その域をつなぎ止めるための写真であるような…気がしてきた。

自家撞着に陥ったか。

※「punctumとstudium」とは思想家ロラン・バルトが説いた写真言語で
 studiumとは、道徳や習慣、教養に基づいた一般的に共有される事象のこと。
 punctumとは、個人的な経験を喚起させる言語化不可能な事象。
 幼いボクが感じた写真の面白さがここにあると言っていい。
 寺院にかかった暖簾(studium)から言葉にならないイメージ(punctum)が湧き上がってきた。
 トリミングされ平面化された写真は、現実を再構築し、呈示するのだ。
 

【bozzo*bozzo*bozzo】fotologue更新

「ハゲタカと少女」


「自分が世界と対峙する」ことが、旅の基本構図である…と池澤夏樹氏は語る。
そして、自身と世界との距離を計るものとして、「写真」はある…と。

実際、無心になってシャッターを押し続けることで、
自分のポジションを確認している身に、この言葉は非常に響いた。

捉えられた写真群は、すべて自分の目線である。
自分が見て捉えた情景だ。
「世界との対峙」の姿勢がそのまま写真に顕れる。

ある人は、するどく対象を捉え、えぐり出すように撮影する。
…またある人は、常に一定の距離を保って、冷静に撮影する。

どちらにしても、世界と自分との距離感がそのまま写真に顕れ、
「対峙する姿勢」の鋭さが、多くの人に感動を与えてきた…ように思う。

写真とは「世界との対峙」を意識化し、問題提起するものであるはずなのだ。

その好例として池澤氏はケヴィン・カーター氏の写真を挙げている。
スーダンの飢えを捉えた「ハゲタカの少女」の写真である。
フォトジャーナリズムの最高賞であるピューリッツァー賞を取ったこの写真は、
一方でケヴィン・カーター氏に大きな非難を与えた。

「名声を求めて写真を撮るのではなく、飢えに苦しむ子どもを助けるべきだ」

…との非難である。
写真の本質を見失った非難で、ケヴィン氏は2ヶ月後に自殺をする。

彼はなぜ、自殺に追い込まれたのか。

もちろん彼への非難が引き金になっていることは疑いようがないが、
ケヴィン氏はきっと「世界と対峙」する尺度を見失ってしまったのだと思う。

写真とは、自分を媒介にする行為だ。
世界と向き合い、世界と距離を置くことで成り立つ行為なのだ。
その距離感が問題だ…とボクは常日頃思っている。

しかし、その「世界」が彼のスタンスを非難したのである。
             距離を保たず、対象に働きかけろ…と。
写真行為を全否定する「世界」の非難に、彼は押しつぶされてしまった。

もう、自殺するしかない。…写真を撮る行為はそのぐらい研ぎ澄まされた行為なのだから。

「ハゲタカと少女」のカメラマン自殺
Kevin Carter:1960-1994

「池澤夏樹」と沖縄


ボクにとって作家「池澤夏樹」は、とても特別な存在である。

彼が第98回芥川賞を「スティル・ライフ」で獲った時、
ボクは彼の存在を知った。

そして、彼が作家「福永武彦」の息子であることを知って
ボクは「福永武彦」に傾倒していった。

「忘却の河」や「死の島」の内省的な物語に
当時のボクは胸が締め付けられた。

…だから、「池澤夏樹」を語るときには必ず「福永武彦」が背後にあった。

そんな彼が1994年、沖縄に移住したことを契機に
ボクにとっての「池澤夏樹」は大きくなっていった。

1998年、後を追うようにボクは沖縄に移住する。
写真家の「垂見健吾」氏と懇意になる機会があり、
「池澤夏樹」が近くなった気がした。

2003年、CINEMAdubMONKSのヨーロッパツアーで
ベルリンを訪ねた際、ギャラリー前で「池澤夏樹」とすれ違った。
はじめは何のことか合点がいかず、ただ後ろ姿を見つめるだけだったが、
「池澤夏樹」であることを確信して、すぐさま追いかけた。
そのときは胸の動悸が収まらず、結局、話しかけることができなかった。

2004年、彼が沖縄を離れると決心した最後の夏。
久茂地の書店で行われたサイン会に、ボクは意を決して出かけた。
握手を交わす際、CINEMAdubMONKSのCDを手渡し、
ベルリンでの出来事を話した。
池澤氏はそのとき、「フランスに持って行きます」と応えてくれた。

         ●

今、あらためてこの作家の思想をなぞってみると、
深い深い自省の念にかられてしまう。

彼が何を憂い、沖縄を後にしていったのか…。
…最後の握手や、「…フランスへ…」という言葉のニュアンスから
この作家の思いが、このボクの血潮に脈打ってはいなかったか?

         ●

日本の社会は、同じ文化の出身で、同じ言葉をしゃべって、ほぼ同じような肌の色をしていて、
しかもみんな流行で同じようなものを持っている人たちの集まりだから、互いに衝突することがない。
必死で衝突や意見の違いを回避しようとしていますね。お互いに両隣を見て横並びして目立たなくすることで、
言葉を使う機会をなるべく消そうとしてさえいる。

でも、それは何でしょうね。見知らぬ同士がこれほどまで口をきくことのできない社会、話のできない社会。
知っている人同士でも、隣の席同士でも、直接話すのが恥ずかしいから携帯のメールでやりとりするというこの社会は。

  (中略)

ただ、今の日本のこのあまりに急速な変化を見ていると、一人ずつがものを考えていない、
考えることを禁じるような空気がある。この国はどこへ行ってしまうんだろうと不安になりますね。
そういう思いもまた、ぼくがもう若くないからかもしれない。戦後とともに育ってきて、今年で六十二歳ですから。
                            (Coyote「若い日本、老いたヨーロッパ?」抜粋)

         ●

毎日をケータイとPC環境の中で過ごし、生業としてケータイの広告や企画を考え、
自己発信と称してblogやSNSに手を伸ばし、ヴァーチャルな交流に嬉々としている。

日本の社会が、日本人の指向が、若さやスピードを尊ぶひとつの枠組みの中では、
ボクやあなたの生活スタイルは、多かれ少なかれ、その枠組みを外すことはできない…と思う。

かつて、その枠組みに深い疑念を抱き、精神的な均衡さえ崩してしまった友人が、
自国脱出の名目でエジプト・カイロへと旅に出た時、送られてきた絵ハガキには…

「スフィンクスやピラミッドの悠久の時を感じながら、日本を顧みると、
 わたしはたまたま日本の枠組みが合わなかっただけなんだ…という事実に当たりました。」

と書かれていた。

「池澤夏樹」の幻影を追いかけて、沖縄に来た自分を振り返ってみると、
ボクはいつもこの友人の言葉を、胸に刻んで生きてきた事実にぶち当たるのだ。

東京でのアシスタント生活から、逃げるように仙台へ移り、さらに沖縄へ。

日本的尺度で考えれば、これらの行為は完全な「逃げ」であった…だろう。
しかしその根底には、多くの現代人が感じている「異和感」があるんじゃないか?

「違和感」…ちぐはぐな感じ。(広辞苑)

…ではなく、「異和感」…異なる感じ。
毎日を生活しながらも、これが正解?と感じながら生きているところは、
現代の若者がNEETやFreeterとなって、社会から逸脱しつつ、生活していることに通じないか?

     おそらく、何かしらの受け皿が、長きに渡り失われたままなのだ。

11月、ボクは旅に出る。日本の枠組みを考える、良い機会だと思う。

Coyote No.14 : 池澤夏樹「帰りそびれた旅行者」

【速報!】南国ドロップスCD発売!


10月14日のGrooveライヴも無事終了!
徐々にバンドスタイルも固まりつつある、南国ドロップス。
やはり、ライヴで盛り上げられないと
こんな大所帯バンドは存在価値がない…と
あらためて思った次第。
10人の音楽魂をひとつにしたら、
オーディエンスも本来、ドカン!と「まぶい(魂)」を射抜かれるはずである。

…ということで今回は宣伝もかねて、イレギュラーでCDジャケットをVi添付してみた。
11月22日にはCDショップ店頭で、このジャケットがディスプレイされる…はず。

       ●

以下、リーダーからのニュースリリース!

       ●

南国ドロップスの初CDシングル発売日決定!
11月22日水曜日(小室とKEIKOの結婚記念日)

そしてステキングなレコ初ライブも決定!
二箇所でやりますのでお好きな場所、時間帯をお選び下さい。

@南国の夜
11月22日(水曜)
開場9:00PM 開始10:00PM

@カフェユニゾン
12月3日(日曜)
開場8:00PM 開始8:30PM

入場料
当日2,000円 1ドリンク付
メール予約 1,500円 1ドリンク付

メール予約方法
ご来店予定の店舗にメールします。
件名にドロップスライブ予約と明記し
本文にお名前をフルネームでお書き下さい。
またライブ前日までに電話(FAX)、または訪店で予約でもOKです。
両会場にお越しいただいたお客様には両店からステキなプレゼント
ありますので当日お渡しするスタンプカードをなくさないように。

南国の夜
〒901-2215 沖縄県宜野湾市真栄原3-4-7-2F
南国の夜
メール info@nan59.com
TEL:098-898-1227/FAX:020-4622-5925(PM9:00~AM5:00 水休)

office UNIZON/CAFE UNIZON
〒901-2201 沖縄県宜野湾市新城2-39-8 MIX life-style 2F
CAFE UNIZON
メール info@cafe-unizon.jp
TEL&FAX:098-896-1090

藤田憲一さん、お疲れ様でした。


末期ガンでこの1月に余命3ヶ月を宣告されながらも
精力的に活動されていたIT企業の社長、藤田憲一さんが、
10月12日午後2時、お亡くなりになりました。(mixiコミュニティ報)

彼は最後の事業計画として、以下のようなものを自身に課して活動されてました。

  ■タイトル
   人生の総仕上げ

  ■事業計画の要約
   ネットとメディアを融合するメディアミクス戦略により、人々の注目を集め、
   そのことにより、通常は5年?10年かかると考えられるウイルス療法など
   「がん治療の特効薬」になる可能性を期待されている治療法を即時に受けられるようにする。

   そのことで通常では不可能とされる自分自身のがんの根治(※医学用語で完治という意味)を目指す。
   がんの根治が達成されない場合、死に至ることになるが、それにトライすることや、
   その日々の記録を残すことにより、今後の末期がん患者が世の中のルールや仕組みの壁により
   受けられない治療を受けるための活動のヒントや指針になる。
   また、日々の活動の記録を見て、単純に元気を出してもらえることで何らかの意味をなしうる。

  ■具体施策
   これまで培ったネットワークを活用し、下記のメディアによる情報発信を行なう。
   1. 書籍執筆
   2. テレビ番組などへの出演
   3. アクセス数の多い複数の有名ブログサイトの公式サイトに登録してもらう。
   4. 右記1から3の活動により自身の考え方を伝え、それに賛同した医師、患者のパワー、
     知恵を終結し、臨床試験で第二相段階程度まで進んでいるウイルス療法などの新しい治療法を
     即時に受けることが出来るようにする。
     それにより不可能とされていた自身の病気の根治とがんという不治の病の治療法確立という
     二つの目的を達成する。

「その日々の記録を残すことにより、今後の末期がん患者が世の中のルールや仕組みの壁により
受けられない治療を受けるための活動のヒントや指針になる。」

残念ながら、blogの更新は体調の関係で滞りがちだったため、
末期ガン患者への活動のヒントや指針にはならなかったようですが、

「単純に元気を出してもらえることで何らかの意味をなしうる。」

元気を与えることに関しては多大な影響を与えたことと思います。
「自己責任」という言葉の中で、
毎日を精一杯生きられた藤田さんの「生きよう」は、
ボクにも、最大級の励みとなりました。

ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
安らかにお休みください。
私たちに「元気」をありがとうございました。

この世のパッセンジャーとして

村上春樹がノーベル文学賞?


本日、午後8時。
「村上春樹」のノーベル文学賞が決まるらしい?

    見事、くす玉が割れるのだろうか?

1994年の「大江健三郎」の時も、
世間の騒ぎようは半端じゃなかった。
一時的ではあったが、「大江健三郎」の著書も
大増版で、書店では平積みの大賑わい。
難解な三部作も、あれよあれよと売れてしまっていた。

これが、「村上春樹」である。

まさに時代の代弁者とも言えるこの著名な作家が、
ノーベル文学賞なるものを受賞してしまったら…。

日本人すべてが、
一度は「村上春樹」の著書を書店で手に取ることだろう。

複雑な心境。

ハルキストを自他共に認めるボクとしては、
血肉と化してしまったハルキワールドが
国立公園化してしまうのは、なんとも…いただけない。

ましてノーベル文学賞である。
「世界遺産」規模じゃないか!

…それだけ偉大な作家だった…ということか。
ハルキワールドを継承し、膨らませていく責務がある…ということか。

本日、午後8時。
すべてが決定する。

【tug of war05】芸能の演者たち


メインイベントとなる大綱挽までのあいだ、
大綱のまわりを取り囲むように、さまざまな芸能が演じられていた。

旗頭が上空に踊り、空手の組み手が次々に演じられ、獅子舞が舞った。
絢爛豪華で艶やかな琉球絵巻が、国道58号線を見事に占拠していた。

さぞかし、ビルの上からの眺めは壮観だった…と思う。

【tug of war04】綱の住人


全長200mの綱の上に居並ぶ、いかつい男達。
彼らは空手有段者だ。

少林琉、剛柔流と流派に分かれて
東と西の綱挽きのタイミングを合図する。

誠に勇姿である。

実は2年前、うちの妻もこの綱の上で…。
…なぜ見に来なかったのだろう?。
「仕事が忙しい」とか理屈捏ねてか。