【tug of war02】眺める観光客その1


やたらと外国人が多いからだろう。
まつりの進行がよくわからないようだ。

実際、現場が初めてのボクも
状況がよくわからなかった。

いつ、綱挽きが始まるのか…
気が気ではない感じ。

オキナワの結婚式と同じで
とにかく余興が多い…。

この撮影の一時間後、綱が接合され、綱が挽かれた。

【tug of war01】58号線封鎖


1944年の10月10日に那覇市一帯が大空襲に見舞われたことを忘れない…
…と始まった「那覇まつり」が今年も行われた。36回目である。

そのメインイベントとなるギネス認定の「那覇大綱挽」。
【tug of war】と聞いて血が踊るのだろうか、とにかく外国人が多い。
今年は「世界のウチナーンチュ大会」(10月12日から)が行われるから…といった
理由もあるだろうが、アメリカ、スペイン、インドなど多国籍の綱挽きとなった。

オキナワに来て9年…。
過去9回の綱挽きを遭遇しているはずだが、
実は、一度も現場に来たことがなく、今回は圧倒されてしまった。

とにかく人、人、人。

国道がこれだけの人で埋まってしまう…状況は、
ここオキナワでは、この綱挽きだけだろう。

客観的に撮った写真は、なんとも不思議な雰囲気となっている。

十・十空襲

第27回写真「ひとつぼ」展


昨日の10月10日から10月26日まで
銀座ガーディアン・ガーデンで開催の
第27回写真「ひとつぼ」展。

昨日の夜、知ったのだが、
大森克己ワークショップのメンバーが
公開審査の10名の中に選ばれていた。

阪本 勇。

これは、おめでたい!
ぜひとも明日の公開二次審査で
グランプリを射止めてもらいたい!

「ひとつぼ」スペースで
審査員とやり合う阪本にエールを!

  ⇒朗報待ってるで!

第27回写真「ひとつぼ」展

ジュンの三回忌


…不覚にも忘れていた。

10月であったことは覚えていたのだが、
10月7日だったとは…。

ゴールデンレドリバーの「ジュン」が居なくなって
今年で2年目。ちょうど三回忌にあたる。

なんだか、早いモンである。

…あれから丸々2年が経ってしまった。
大きな大きな「ジュン」を雪山で追いかけた
山形蔵王の想い出が、今ふと、蘇ってきた。

この写真は、
夏の宮城蔵王へ連れて行った時のもの。
ちょうど死ぬ2ヶ月前だ。

飼い主を求めて、つぶらな瞳を泳がせている。
なんとも切ない写真だ。

「ジュン」は、ホントにカワイイ奴だった。

1997.03.13-2004.10.07

 
もう、忘れない。

【Minidigiその3】緑のポントルモ


同じ状況下で撮影したヤコポ・ダ・ポントルモの「十字架降下」。
    
      なぜか、今度は緑に色転び。

このポントルモの「十字架降下」は、
友人がイタリアに行く…と聞いて、わざわざ買ってきてもらった代物。
ポントルモの全体の浮遊感が厭世的で、とても気に入っている。

この「十字架降下」は構図がらせんのカタチになっている。
真ん中の左手から順に顔の配置を目で追うと、
外側に向けて左回転のらせんに広がっているのが、わかる。

ぜひ、現物をイタリアで拝みたい…と思っている。

ポントルモ「十字架降下」

【Minidigiその2】橙のサンライズ


10月にもなると、日の出の時間も徐々に遅くなってくる。
おまけに、今週から妻が正式に勤めだしたので、
木曜日と金曜日は6時起きの慌ただしさだ。

…カーテン越しにあがる太陽を収める。

デジタルらしい色転びである。
まるで夕景のようだが、朝は6時30分の銘苅の情景。

【Minidigiその1】台風の日曜日


Rollieの【Minidigi】を購入してから、
すっかりブローニー版で撮影する機会が減ってしまった。

写真魂が衰えたわけではない。

今は次なる「射的」を求めている感じ。
首に下げた【Minidigi】で、すぐさま狙い撃ち。
仕上がりはほとんどがガッカリするような内容だが、
たまに、デジタルらしい手ブレが利いていて、面白い写真になる。

これは台風の日曜日に、喫茶店でコーヒータイムの合間に撮影。

レンズが意外に広角ではないので、
こんな感じに収まった。

…これはこれで、面白い。

表現は手段でしかない by いっこく堂


続けざまにインタビューづいているが、
今日は「いっこく堂」の取材。

インタビュー内容は
ここでは書けないのだけど、
とにかく「いっこく堂」は真摯だった。

      ●

表現したい…ではなく、伝えたい。

      ●

劇団民藝の役者として長いこと舞台に立っていた時代があって、
結果的には腹話術「Ventriloquism」の道へと進んでいったのだけど、
彼に言わせれば、そこに大きな差はないのだ。

人が小説や映画や写真などで表現をする…というのは、
伝えたい言葉や事柄があってはじめて成立すること。
表現はプロセスであり、到達点ではない。

どんなプロセス(表現)が、素直に受け入れてもらえるのか…
  ●言葉巧みにストーリーを展開する
  ●劇的な場面展開で映像に引き込む
  ●無言の動作で固唾を呑む演技をする
  ●人形を使ってワンダーランドの世界で魅せる

そのプロセスはいろいろあるけれど、
最終的には演者がどんなことを伝えたいのか…にかかっている。

だから「いっこく堂」はその国の言葉で演じる。
アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、中国、フィリピン、インドネシア…
あらゆる言葉に置き換えて、30分間のパフォーマンスを丸暗記する。

言葉の壁を取っ払うことで、
伝えたいことが伝わるのだったら、
そのプロセスもしっかり取り込んでしまう。

  「ジョージ」や「師匠」「サトル」などの人形を巧みに動かしながら、
  【生きているだけ、それだけですばらしい】ことを伝えたい…と
  「いっこく堂」は語ってくれた。

  「世界中のあらゆる国を訪問して、わたしはそれを伝えていきたい」

その使命感ある言葉を間近に受けて、ボクは素直に感動した。
このような人がいる限り、世界はきっと大丈夫だ…と。
「いっこく堂」の言霊を丸呑みして、ボクもその仲間に加わろう…と。

   「下地勇」「いっこく堂」…ふたりの「Evangelist」に出会えて、ボクは幸せだ…と思った。

いっこく堂オフィシャルWEB

「アタラカの星」by 下地勇


 んだがみ歩きぞーかーが
 人や同場所ぬ目当てぃな
 果てぃや見いらるん砂漠地ゆ
 願う心だきどぅ我ぬう助きうー
 うぬ星んな
 我とぅ一頭ぬ馬
 和合ぬ地ゆ揉みーどぅ
 がまらす心だきゆ担ぎ

 アタラカぬ父母や
 アタラカぬ物うふぃーたー
 いつがみまい止まん世
 我ぬう歩かすだき

 んざがみ歩き来たがーら
 歩ぎ意味やーつ押さいらるん
 捨てぃたふぁにゃーんがまらさまい
 疲りゅ心やーつ治さるん
 今だきや
 夢ゆ見いしみる
 戻らるん昔ぬ
 アタラス母ぬ腕ん
 心愛さ溢りーぬ
 忘きらるん日数
 アタラカぬ人々ぬ
 戻しふぃーぶさぬ

 うん越いや何まいさーりーふぃーなよ
 “ツンダラーサ” てぃぬ言葉や
 死ににゃーん新世ぬ
 やがてぃ廻り来すがみ

 アヤシャーカぬ太陽拝み
 和合ぬ大地んかい
 遠た果てぃがみまい
 歩ぎ止まされん

    ●

日曜日、下地勇氏を取材。
「みゃーくふつ」をメロディに乗せ、
時代の空気を歌う彼の姿勢は、
一見、非常に遠回りな印象を受けるが、
生きた言葉「みゃーくふつ」の響きが、
詞の内容以上に聴くものを凌駕する。

    ●

実際、心がうち顫えた。

「みゃーくふつ」の言霊が
旋律の抑揚とともにダイレクトに波打つ。
スケールの大きな楽曲だ。

    ●

 どこまで歩けばいいのだろう
 人々は同じ場所を目指すの
 果てしない砂漠の地を
 祈る心だけがオレを支えている
 この星には
 オレと一頭の馬だけ
 平和の地を求めて
 悔しさだけを背負いながら
 
 大切な父母は
 大切なものを残してくれた
 いつまでも回り続ける世
 オレを歩かせるだけ

 どこまで歩いてきたのだろう
 歩く意味さえわからない
 失いたくない悔しさは
 疲れた心を癒せない
 今だけは
 夢を見させて
 戻ることのない昔の
 愛しい母の腕へ
 愛が溢れてた
 忘れられない日々
 大切な人々を
 返してほしいだけ

 これ以上何も奪わないで
 「哀れな」という言葉など
 存在しない新しい世界が
 いつか回る来るまで

 夜明けの太陽に祈る
 平和の大地へ
 遠い果ての地までも
 歩みを止められない

    ●

 標準語に訳すと、平坦で奥行きのない印象になってしまった。
 言霊が抜け落ちた感がある。

 「みゃーくふつ」が持つ生きた言霊を畏怖し、
  操る下地勇氏は、まるで「ノロ(霊能者)」のようだ。
  
「アタラカ」⇒「かけがいのない」
 言葉の持つ力を、思い知らされた取材だった。

     下地勇オフィシャルWEB

【夕暮れな気分】Google的民主主義


「Google」が元気だ。
10の100乗という意味のグーグルが登場したのは98年。
米スタンフォード大学の学生2人がガレージで立ち上げた会社も、
2005年度には、売上高61億3900万ドルの怪物会社に成長した。

世界の頭脳を集めたIT集団「Google」は
『ビジネスを忘れ、剣を情報に置き換えた民主主義革命に殉ずるべし』と、
世界中のあらゆる情報を整理し、そして誰もがそれを簡単に検索できるように
日夜、アイディアをひねり、カタチにする努力を重ねている。

その成果が「Google Map」であり「Google Earth」である。

世界中の衛星写真を隙間なくつなぎ合わせ、
ひとつの球体にしてしまおう…という発想のスケールがまず怖ろしいが、
その地図上にある、あらゆる情報を広くユーザーから募る…といった姿勢がすばらしい。

全世界のネットユーザーが、次々と身近な情報を地図にインプットし、情報を公開する。
その情報が次の情報を呼び、その蓄積の積み重ねがとんでもないスケールとなって
「2006年度版 地球ガイドブック」を産んだ。

情報を独占し、その権利でもって世界を牛耳ろうとする考えではなく、
情報を共有し、そのつながりで情報のストリームを生み出そう…とする考え方。

まさにGoogle的民主主義だ。

インターネット上に広がるこういった数の力が、
世界の次なる新しい局面を提示している…。

上から下へと頭ごなしの支配を目論む、限られた人間だけの支配政治が、
コミュニティの横のつながりから産まれる、市民革命に転覆させられる可能性も出てきた。

次なるGoogleの動きは「Google Book Search」。
これは世界中のあらゆる本をスキャンして、
本の中身を検索できるようにしたもの。

そのデータベースの基礎となる本のスキャニング数が、何千万冊…といった
天文学的な数字になっているから、そのネットワーク力は半端じゃない。

世界中のあらゆる本をスキャンして、検索できるようにしよう…
という地道な取り組みが、「知の開放」を促進し、
地球規模の一大市民革命とつながることを…期待したい。

…これはもう、クーデターだ。