表現は手段でしかない by いっこく堂


続けざまにインタビューづいているが、
今日は「いっこく堂」の取材。

インタビュー内容は
ここでは書けないのだけど、
とにかく「いっこく堂」は真摯だった。

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表現したい…ではなく、伝えたい。

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劇団民藝の役者として長いこと舞台に立っていた時代があって、
結果的には腹話術「Ventriloquism」の道へと進んでいったのだけど、
彼に言わせれば、そこに大きな差はないのだ。

人が小説や映画や写真などで表現をする…というのは、
伝えたい言葉や事柄があってはじめて成立すること。
表現はプロセスであり、到達点ではない。

どんなプロセス(表現)が、素直に受け入れてもらえるのか…
  ●言葉巧みにストーリーを展開する
  ●劇的な場面展開で映像に引き込む
  ●無言の動作で固唾を呑む演技をする
  ●人形を使ってワンダーランドの世界で魅せる

そのプロセスはいろいろあるけれど、
最終的には演者がどんなことを伝えたいのか…にかかっている。

だから「いっこく堂」はその国の言葉で演じる。
アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、中国、フィリピン、インドネシア…
あらゆる言葉に置き換えて、30分間のパフォーマンスを丸暗記する。

言葉の壁を取っ払うことで、
伝えたいことが伝わるのだったら、
そのプロセスもしっかり取り込んでしまう。

  「ジョージ」や「師匠」「サトル」などの人形を巧みに動かしながら、
  【生きているだけ、それだけですばらしい】ことを伝えたい…と
  「いっこく堂」は語ってくれた。

  「世界中のあらゆる国を訪問して、わたしはそれを伝えていきたい」

その使命感ある言葉を間近に受けて、ボクは素直に感動した。
このような人がいる限り、世界はきっと大丈夫だ…と。
「いっこく堂」の言霊を丸呑みして、ボクもその仲間に加わろう…と。

   「下地勇」「いっこく堂」…ふたりの「Evangelist」に出会えて、ボクは幸せだ…と思った。

いっこく堂オフィシャルWEB