仙台~東京を巡る旅【後編】その3


東京下町を締めくくる一大イベントは、ココ「亀戸餃子」。
妻曰く、餃子と言えば「亀戸餃子」しかないようだ。
…というのも、彼女が初めて口にした餃子が、幸か不幸か「亀戸餃子」なのだ。

そのくらいインパクトのある餃子である。

ボクも一度食べて、すっかり病み付きになってしまった。
とにかく皮が薄い!そして、肉汁が滴るほどのジューシーさ。
ひとくちでペロリと食べられる手頃さと、口の中に拡がる豊かな餃子ハーモニー。

…もう、この餃子抜きに餃子を語ってはいけないのではないだろうか?
そんな思いにさせる、とにかく絶品の「亀戸餃子」で、
餃子を5皿ずつたいらげる。1皿5個入りである。

こうやって、イメージを膨らましていると、また食べたくなってきた。
…そのくらい、絶品なのだ。お試しあれ!

ちなみにココ亀戸の「亀戸餃子」本店には「餃子」しかメニューはない。

仙台~東京を巡る旅【後編】その2


腰を痛めてからは、毎日のように湯船に浸かることにした。
沖縄の場合、お風呂に入る習慣がない。
だから、賃貸にも風呂付きの物件は少ない。
ご他聞にもれず、うちもシャワーのみの間取り。

だから、救急車を呼んだ「レクセンター」へ毎日通うことになる。

平日夜のスパは宿泊客しか利用しないのだろう。
いつもは数名ほどの男性がユデダコ状態である。

しかし本日、水曜日は「水の日」と称して、利用料がワンコインの500円。
地域の威勢のいいおじさん連中が多数訪れていて、大にぎわいだった。

腰の周りをやさしくもみながら、じっくりと湯船に浸かる。
カラダの芯から温めようと、サウナにも入る。

…「社長」呼ばわりされていた恰幅のイイおじさんが、サウナに入ってきた。

「社長」、威勢の良いかけ声で騒々しくボクの後ろに陣取る。
         しばらく無言。
…と、突然大きな声で話しかけるともなしに話しかけてきた。

「若いのに、禿げてるねえ!いくつなの?」
「……。37です…。」
「さんじゅうなな!若いのにねえ、禿げてるねえ!」
「……。」
「なんで?」
「…は?」
「なんで、禿げてるの?」
「…はあ?遺伝じゃないですかね?」

このやりとりの間、ボクは振り向くことはなかった。
つまり、背後の「社長」と顔を合わせることなく、
おのれの「禿げ具合」について、サウナで語り合ったのだ。

…。

いやあ、デリカシーってもんを、知らない。…うちな~んちゅは。

      ●

写真は、原宿で遭遇したプードル2匹。
マーブルとホワイトのセットが、イカしている。
トイプードルに見慣れた眼には、プードルは異様なデカさだ。
思わず、引いてしまった。

仙台~東京を巡る旅【後編】その1


腰を痛めるというアクシデントに見舞われ、
ブログの写真日記も、分断された感じだが、
実は……写真だけはその流れをしっかりと汲んでいた。

●仙台大観音の写真は、地元の風景。
 今となってはバブルの象徴にしか見えないが、
 中山周辺を開発した双葉土地開発…とかいった会社が、
 その稼いだ金額への罪悪感からか、高さ100mほどの大観音を建てた。
 今から、15年ほども昔の話である。
 まさにバブル全盛期。
 しかも併設されたホテルも、廃業となってしまっている。
 大観音だけが、日常の風景として取り残されてしまったのだ。
 
仙台大観音

●ダンディ(ビーグル犬)
 叔母が飼っているビーグルだ。
 年はもう11歳。りっぱな老犬となった。
 子犬の時から眼力がすばらしかった。
 眼で何かを訴えていた。
 哲学者のような風貌だった。
 今はさらに老獪なテイストまで加わっている。
 いまだに何を考えているのか、わからない。
 そこがまた愛くるしい。

●高速バスで朝方の新木場へ。
 宮城県図書館やキャスロンを巡った日の夜に
 仙台を後にしたふたりは、翌朝、東京に着いた。
 どんより曇った東京の朝を見上げながら、トボトボと歩く。
 6時だというのに、散歩の日課をこなす人々。
 どんよりとした不健康な顔で、荷物を転がすふたり。
 東京の実家で、朝寝をむさぼる。

●京王線で、西東京へ。
 東京のベッドタウンである西東京のいわゆるニュータウンへ。
 妻とボクの共通の友人宅へおじゃまする。
 2歳となる「なぎさ」くんとご対面。
 はじめは人見知りな性格から遠巻きな「なぎさ」くん。
 徐々に徐々に親密度を増してきた。
 こちらへの興味も深まり、気持ちも高ぶってきたところ…

●思わず涙、「なぎさ」くん。
 ちょっとした一言が、胸にひっかかり、思わず涙。
 顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
 その泣き顔が、また可愛かった。
 ごめんね、「なぎさ」くん。

 

【速報】なんとか復活しました!


本日より、コルセットを巻きながら出社。
自分でも必要以上にカラダを意識しての1日。
1時間おきに、柔軟体操を行う。

それでも座っていると神経が麻痺するらしく、
腰の痛みを忘れている自分がおそろしい。
凝り固まった背中の筋肉を思い出し、すぐさま立ち上がる。

…この2日間は、怠惰に過ごしてしまった…。

しかたがない。思うようにカラダが動かない状態だ。
意識的に動こうとしても、言うことを聞いてくれないのだ。

だから、病気はおそろしい…と思った。

腰の痛みは、幸いにして、3日の惰眠でなんとか復活の兆しが見えてきた。
…しかし、病いによる安静は、先が見えない。
安静に過ごしたところで、復活の約束すら結べない。
…おのれのカラダとの呼応で、どうにか活路を見いだす以外にない。
その精神力・気力というのは、想像を絶する。

たった3日、カラダが動かせなかった…ただそれだけなのに、
その3日間における堕落ぶりは、ひどいものだった。
気が付いたら、眠っていた。
とにかく食うか寝るか…しかなかった。

あとは、見るともなしにテレビを見ている。

今後のことを考えてみよう…と、前向きな思考を呼び起こすことは不可能だった。
とにかく感覚的だった。何も考えられなかった。

今、こうやって振り返ってみても、その気力のなさには呆れかえる。

だから、病を背負ってもなお、自身をみつめ、答えを見いだそう…
という気力は、相当なものだと、あらためて思う。

もっと自身に達観する意識改革が必要だ…と、思った。

【速報】二度目の救急車その3


しかし、今回の救急車体験は、鮮烈な9分間だった。

たった9分。
国道58号線を横切り、そのままモノレール高架下を北上し、
市立病院前で右折するだけの距離だ。

しかし、その間の視界は、天井で輝く蛍光灯のみ。
カーテン越しに時々、車のヘッドライトやネオンサインの極彩色が乱入する。
エンジン音に混じって、自分の心拍音が、ピッピッピッと刻まれている。

その9分のあいだ、意識は限界まで張りつめていた。
「自分はもう、起きあがれなくなるのではないだろうか?」
「現実世界には、復帰できないのでは?」
そんなネガティブな思考がぐるぐると回っていた。

なぜだろう。

きっと、移動のあいだ通底奏音として流れていたサイレンが、
そのような思考を引き出していたのだと思う。

日頃は行き交う喧噪のひとつとして、いわば生活音の一部としてしか
耳にしない、救急車のサイレン。
せいぜい10秒やそこらのあいだでしか、共有しないその音を…

     9分間もまるまる聴かされていたのだ。

しかも、音源の真下で…である。

時々、合いの手のように救急隊員が呼びかける。
「救急車、赤信号を直進いたします。車は脇に停車してください!」
「救急車、このまま直進いたします。そこの車!停止してください!」

     ピーポーピーポーピーポーピーポーピーポー
     ウウウウウウウウウウウウウン…

大事には至らず、どうにか日曜の夜にブログを更新する状況まで復活できた。
しかし、この体験は、何かを示唆していると…思った。

考えなければ…。おのれの指針を。

【速報】二度目の救急車その2


救急車は人生で2度、乗車したことになる。

一度目は、大学時代。
無謀にも自転車で沖縄行きを敢行した。
東京から小田原までの約100キロを走破。
道路下で野宿をして、翌朝、箱根越えを試みる。
予定では静岡の清水が2日目の野宿先であった。
夕方に現地入りし、銭湯でリフレッシュしようと軽く考えていた。

実際、箱根越えは強烈な経験だった。
身体中の筋肉が伸びきった。
完全に弛緩してしまった。
…それが、まずかった。

弛緩した状態での下り坂は、体感以上に筋力を消耗した。
国道一号線に到着した段階で、カラダは悲鳴を上げていたのだろう。

意識は朦朧としていた。
夕方5時。夏の西日がほてった体を照らした。
東海道を急ぐ大型トラックが、びゅんびゅん脇を通り過ぎる。
よろめきながらも自転車を制御する。

…そして、気づかず、反射板に乗り上げた。

夜間走行用に白線の位置を知らせる反射板が、
道路脇に縦列に配置されていたのだ。

    …ガタゴトガタゴトガタゴト…!…!

弛緩した筋力ではもはや制御不能だった。

…そのまま自転車は横転。
…トラックがけたたましくクラクションを鳴らし、
…急ブレーキ。

巻き込み防止の柵に荷物を取られた状態で、ボクは30メートル引き摺られた。
荷物がなければ、確実にタイヤの下敷きになっていたであろう、事故。
頭を強打する状況ではあったが、これまた荷物のおかげで、地面すれすれで着地。

夕方の国道を通行止めにする大惨事を引き起こしながら、
無キズで救急車に乗り込んだ。

だが、疲弊したカラダと引き摺られたショックで、
乗車したことを、ほとんど覚えていない。
気が付いたら、翌日の朝、ベッドに横になっていた。

【速報】二度目の救急車その1


金曜日の夜だ。

背骨の位置が治ったとはいえ、筋肉の緊張までは
まだ取れていなかったのだろう。
仕事をまともにしたのが、間違いだった。

夜の7時には完全に背中の筋肉が硬直していた。

とにかく妻に迎えに来てもらい、
お湯につかって緊張を和らげようとクルマに乗ったのが、
不味かった。

スパ設備のある「かんぽレクセンター」までクルマを走らせ、
駐車場で降りようとしたところ、背中が固まってしまい、
動くたびに激痛が走った。
右に左にカラダを揺らすたびに、走る激痛。

クルマのシートを不格好に転がりながら、
なんとか地べたにカラダを横たえる。

…そこで果てた。

起きあがることも、寝返ることも、できなくなった。

…しかたなく救急車を呼ぶことに。

21時30分。救急車は到着した。
1時間、駐車場で悶えていたことになる。

救急隊員が、凝り固まったボクのカラダを担架に乗せて運んだ。
心拍数、血圧、呼吸回数、体温…すばやく数値を調べる。
21時39分。救急車は那覇市立病院へと向かった。

21時48分。救急車は那覇市立病院救急受付に到着する。
すぐさま、救急の処置が施され、痛み止めの座薬を挿入される。
1時間後、痛みの治まらない状況を見かねて、レントゲン撮影。
整形外科医の触診を行うが、激痛のため、手の施しようがない。

煌々と蛍光灯が充満する救急室の簡易ベッドで、一夜を明かすことになる。

ドクドクと血を流す酔っぱらいや顔面蒼白の心臓を患った女、
気管支が痙攣したおじい、高熱の幼児など…金曜夜の救急は忙しい。

そのたびにベッドの位置が後方へ後方へと移動させられる。

気が付いたら、朝方の6時を過ぎていた。

【速報】「腰が満期に」


仙台への旅の続きをつづるとすれば、
次は仙台キリンスポーツクラブで、テニスをした話になる。

しかし、ここはひとつ。
おととい突如襲われた腰痛の話。

いきなり腰に電気が走って、まったく曲がらなくなった。
経験者には、よくおわかりの症状だと思うが、まさに「ギックリ腰」。
ボクの場合はそこまで重度のものではなかったが、起きあがるのが精一杯な状態だった。

腰を曲げようとすると、電気が走る。
顔を洗おうと前屈みになってそのまま腰抜けになり、
膝の力がぬけて、崩れ落ちた。…横になって眠りについても、
寝返りを打とうとして、その激痛に目覚める…こんな体験は初めてだった。

骨の髄から発信されるその痛みに、かすかな恐怖を覚え、
とにかく翌朝、紹介された整形外科へ。

那覇市内では「腰痛」では有名な外科医だから…と緊張した面持ちで、伺ってみる。
なにしろ、こちらは脂汗が出るような状況だ。ワラにもすがる気持ちである。

    …外科医は結構なお年を召した男性だった。

さっそくレントゲン写真を4枚撮影。
ほどなく診察室に呼び出され、先生の診察を受ける。

「腰が満期を迎えたんじゃな」
「悪い姿勢でいたことが、積もり積もって今、満期になったんじゃ」
「だから、この背骨の並びが歪んでしまって、神経を刺激し、激痛が走る」
「曲がった土台をそのままにしておいたら、「首」や「頭」も痛いコトになってしまう」

横になってください…と看護士に言われるまま、横になっていると、
先生が全体重をかけて、曲がった背中をボキボキ、バキバキと施術してくれた。
その荒療治にびっくりして、呼吸を乱していたら、いきなり立ち上がれと言う。

「立ち上がって、合図にあわせて膝を高く上げてください。」
「いち、に、いち、に、いち、に、いち、に、…」
「そのまましゃがんで頭を膝のあいだに入れてください。」
「…い、いたい、」
「膝を曲げずに前屈をしてください。」
「…い、いたくて、まがりません」
「痛くない!」
「…?」

施術後の扱いは、普通の人へ向けた柔軟体操並みである。
こちらは、ついさっきまで眠れぬ夜を過ごしていたカラダだ。
意識的に、カラダを気遣ってしまう。

そんなことはおかまいなしにバンバン無理難題を課せる。

まずは療養生活ということで、
先生の言葉を信じて、続けるしかないか・・・。

泉パークタウンのCaslonへ。


小腹が空いてきたので、近くのカフェへ。

    キャスロン…と読む。

三菱地所が1972年から宅地分譲して、
大成功を収めた「泉パークタウン」の敷地内にある。
トータルプロデュースを東京のデザイン事務所が行ったステキなカフェだ。

ボクもデザイン専門誌でこのカフェの存在を知った。

「モスバーガー」や「ウンナナクール」を手がけたデザイナーが
ロゴデザインからインテリアに至るまでトータルにプロデュースしている。

「泉パークタウン」の客層にぴったりマッチしたリッチな雰囲気がムンムン。
メニューも有機野菜にこだわったオーガニックなセレクトである。
周りを見渡すと、平日だというのに、このにぎわい。
やはり、このトータルな空間プロデュースが心をくすぐるのだろう。

接客もお客様本意の「モス」同様、とても気持ちのよいものだった。

Caslon

創立125周年の宮城県図書館


翌日の仙台も気持ちのよい見事な晴天だった。
平日のゆるりとした時間を、散策気分で過ごそうと
家族全員で宮城県図書館へ。

巨大なかまぼこのカタチをした建築物は
大阪の「梅田スカイビル」でも有名な原広司氏の作品。
1998年に竣工した。

完成した年にボクは沖縄移住を果たしたので、
実はまだ建築空間を体感していなかった。

平日昼間の図書館は、実にゆったりとしていて
閲覧を楽しんでいる人たちも、静かだった。
その豊かな建築空間が、人々の気持ちに余裕を与えている。

豊富な映像図書の在庫が目を見張る。
日がな一日、ビデオ鑑賞に明け暮れても飽きることはない。
並んだタイトル群を目で追うだけ…ただそれだけで、楽しくなる。

「こども図書館」としてコーナー化された空間には、大量の絵本が。
   …見ているだけで、思わずにんまり。
しばし家族全員で、絵本の立ち読み。

誰もいない空間で、もくもくと絵本を読む。

ぜいたくな空間、ぜいたくな蔵書、ぜいたくな時間。
…サイコーの過ごし方だと、思った。

宮城県図書館