【白井聡】永続敗戦論


この衝撃をどのように伝えたら良いのだろうか・・・。

震災以後ボクが感じた「ニッポン」という国へのどうしようもない諦念。
その諦念の根っこを見定めるべく、様々な著作を貪り、神社仏閣を経巡り、してきたのだけれど、
この「永続敗戦論」によってすべてが溶解し、ドロドロと混濁した悪臭放つ老廃物となって、面前したように思う。

この国の「欺瞞」や「謀略」が政権交代から震災・原発事故という過程において露わになったのだけれど、
ある意味それは「民主党」政権下であったから露見したとも言える。これが「自民党」であったら、そのまま欺かれていたのだろう。

つまり、私たちが日頃「ニッポン」という国に抱くイメージは、明治維新の伊藤博文政権から以後96代に亘って連綿と護持された「国体」の域を出ない。
その「国体」とは、天皇を君主と仰ぎ見ながらも、立憲政治というカタチ上の民主主義で国民を欺く構造体であった。150年間、その事実を疑うことは否認されつづけた。

明治政府は「神仏分離」と「神社合祀」によって巧妙に【天皇教】を構築し、自然崇拝の民の信仰心を「現人神・天皇」に収斂させた。
現存する神道の居心地の悪さは、その亡霊が今も公然と居座っていることに因する。
収斂された民の信仰心は、そのまま「強い国ニッポン=国体」への醸成へと、育まれていった。
脆弱だった天皇君主教の求心力も、海の外に広がる得体の知れない大国の脅威を目のあたりにすることで、必然的に強大化した。
「国体」を謀った権力護持者たちも、大国へ果敢に挑む「富国強兵」精神で徐々にその矜持を増大させていく。

満を持して放たれたのが「開戦の詔勅」である。

大東亜圏の平和保持を大義とし、大国アメリカへ宣戦布告をする。そこには【天皇教】が建立した「強い国ニッポン」の成就が目的としてあった。
いわば、明治維新以後、権力護持者たちが謀った「国体」は、大東亜圏まで増殖し、世界に君臨するところまで進む必然を内包していた。
それはそうだろう。元々が虚勢から形作られた【天皇教=国体】である。

「ひとつの嘘を突き通すには、さらなる嘘を積み重ねなければならない」
国民を欺き通すためには、どこまでも虚勢を張り続けなければならなかった。

虚に彩られた「国体」が招いた戦争。その結果は惨憺たる結果となった。
虚勢を突き通すために大翼賛体制で以て、「欲しがりません勝つまでは」を拠り所とし、「天皇陛下萬歳!」で多くの若者に犠牲を強いた。
軍事計画、食糧供給計画も杜撰なまま、数千名数万名もの兵士を熱帯前線に派遣し、ほぼ全滅させた。
オキナワでは米兵への投降は魂を売ることとされ、「一億玉砕」の詔によって11万もの集団自決を強要した。

虚ろな「天皇教=国体」の大敗は、火を見るよりも明らかだった。

明治維新以後構築された偽りの国体は、全否定されて当然であった。
さらに駄目押しの2発…「リトルボーイ」「ファットマン」それぞれが「ウラン原爆」「プルトニウム原爆」…投下。
わが国土を広大な実験場として提供する…という究極の「辱め」を受ける。

そのような事態を招いた中でも、大政翼賛会は本土決戦を計画していた。

8月15日のポツダム宣言受託は、国土国民を守る英断だったと教科書には書かれているが、本質は違っていたのである。

白井聡氏は語る。なぜ本土決戦は避けられたのか…と。そこには【革命よりは敗戦がまし】という権力護持者の矮小な謀略があった。

  かくて、問題の焦点は、革命・革新に見定められなければならない。河原宏は、戦争終結の決断の本質を「革命よりは敗戦がまし」という選択として捉えている。
  この把握は、なぜ本土決戦が避けられたのかを明快に説明する。本土決戦の準備段階で、大本営は軍を二つに分けることを決めていたという。
  本土内での連絡が途絶され、統一的な指揮を執ることが不可能になると予測されたからである。もはやいかなる中央からの命令もなく、各部隊は独自の判断で
  戦闘行動を決定するという状況が予想された。「それは組織論的な「国体」の否定、つまり革命に通じてしまう。天皇制支配層が本土決戦を危惧したのもこの点にあった」

  (中略)

  このような事態が避けられたことと引き替えに、「日本人が国民的に経験しそこなったのは、各人が自らの命をかけても戦わなければならないと自主的に決意すること
  の意味を体験することだった。近衛らが【革命よりも敗戦がまし】というカタチで、なんとしても避けようとした【革命】とは、究極のところ各人が自主的決意と判断によって
  行動するに至る状況のことだったのではないか」

明治維新以後、虚構に虚構を上塗りしてもはや堅牢となったモルタルの「国体」は、国民主体の「転覆劇」を経ることなく、権力護持者たちによって巧妙に現代へと移行する。
それは、恥辱の「敗戦」を【終戦】に、絶対的「君主」を【象徴】に、虚勢の「戦犯」を【神体】に、鬼畜「米英」を【親米】隷属に、すり替えることで成立した。

そもそも「国体」とは、なんだったのか?

私たちは日頃、思い思いの手前勝手な欲望を胸に、己の利益を獲得すべく邁進する【利益社会】の中で生活している。
よもやこの【利益社会】が瓦解することはない…という大前提が、震災が興るまでは成立していたのだった。
しかし、震災によって【利益社会】はあまりにも脆いことが露呈した。
強者だけが利益を奪い取る構造では、外部による不可抗力によって、弱者はどんどん切り捨てられることとなるからだ。

そこに「強い国ニッポン=国体」という妄想が、再び首をもたげてきた。

明治維新以降、巧みに「保身」されてきた虚ろな「国体」が、またもや権力護持者たちによって宛がわれようとしている。
ふたたび私たちは虚構に虚構を上塗りしようとしている。虚ろな【天皇教】の亡霊をそのままに、強い国の迷妄に分け入ろうとしている。

「お・も・て・な・し」の国ニッポンの偽りに「お・と・し・ま・え」をつけることナシに。
【革命より敗戦がまし】と国民を欺き通したこの国の虚栄を糺すことナシに。

白井氏はマルクスの言葉を引用する…「歴史は反復する。一度目は悲劇として。二度目は茶番として」。
伊藤博文が巧妙に作り上げた「国体」なるものに再びしがみつくことは、つまり反復を意味する。

わたしたちは自分たちの意識でもってこの「国体」を全否定しなければならない。

それはどのようなカタチでか?
わたしたちが真に欲する「守らなければならないもの」を提示することによって…だ。

それはなにか?
それは、回りを海に囲まれた肥沃な国土、自然を畏れ祀る信仰をもった、敬虔な国民性ではないか?
この唯一無二の風土で培われた精神が、なによりも守らなければならないものでは、なかったのか?

その目線にしっかりと立脚すれば、その国土を喪わないために為すべき方向は、「火を見るより明らか」だと。

血迷うな、日本の民よ。
国境すべてが海に開かれた国ニッポン。戦うことにこれだけ不都合な国ニッポン。
足元をしかと見つめれば、為すべきこと、目指すべきことは、明快なのだ。

【豊下楢彦】安保条約の成立


驚愕の事実、オンパレードの本書である。

いかに国民が敗戦後の処理に対して無知であるか、思い知らされる。
そしてまた日本帝国がどこまでも「体裁」と「保身」に傾注していたか…を浮き彫りにする。

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約を以て、日本は主権を回復する。(条約上は)
そして、同時に日米安全保障条約を締結して、カタチ上はアメリカと対等な立場になった。(…と大方のヤカラは思っているのだろう)

以下が条約の前文である。

  平和条約は,日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、
  さらに、国際連合憲章は、全ての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
  
  これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため、
  日本国内およびその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

武器を持ち得ない日本国の防衛として、ニッポンがアメリカに「希望」して基地を配置している…と明記されている。
(詳細は避けるが、この武器を持ち得ない立場も、アメリカの要請で「国防省」の設置や「自衛隊」の配備によって自衛権を行使する…覆す密約を結んでいる!)

これが初期の条文案では、

  米国軍の日本駐屯が単に日本と米国一国との特殊関係に基づくものでなく、客観的に日本の防衛が 
  世界の安全保障組織(すなわち国際連合)の一機能であるという意味の名分を立てなければならない。

主権を回復した一独立国家として、有事の際は、国連の委託というカタチでアメリカが動く旨を立てている。
この背景には、1950年に勃発した「朝鮮戦争」における平和維持活動としての国連軍の介入があった。

前出のようにソビエト・中国のコントロールで始まった北朝鮮の蜂起を、地球規模の目線でもって軍事介入した事実は、
憲法で武器を永久に放棄したニッポンには、この上ない有効な外交カードとして響いたのだった。

であるから吉田政権は、占領国から主権国家へと脱皮したニッポンを国民に印象づけようと交渉を有利に働かせるべく動いたのだった。
しかし、そこに天皇が立ちはだかった。新憲法施行前の昭和21年、そして発布3日後の昭和22年5月6日、「元首」から「象徴」へと立場を改めた天皇裕仁が、
マッカーサーとの交渉において、このような発言をしたのだった。

  「日本人の教養いまだ低く、且つ宗教心の足らない現在、米国に行われる【ストライキ】を見て、
   それを行えば民主主義国家になれるかと思うような者も少なからず」
          
           (1946年10月16日天皇・マッカーサー会見(第三回)における天皇発言)

  「日本の安全保障を図るためには、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを
   執ることを要するのでありまして、このため元帥の御支援を期待して居ります」

           (1947年5月6日、天皇・マッカーサー会見(第四回)における天皇発言)

さらに朝鮮戦争勃発直前の1950年8月、マッカーサーに替わって条約問題を担ったダレス国務長官に宛てて、

  「(追放の緩和によって)多くの有能で先見の明と立派な志を持った人々が、国民全般の利益のために
   自由に働くことができるようになるだろう。現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、
   大衆の心にきわめて深い影響をおよぼすであろう多くの人々がいる。仮にこれらの人々が、
   彼らの考え方を公に表明できる立場にいたならば、基地問題をめぐる最近の誤った論争も、
   日本の側からの自発的なオファによって避けることができたであろう」…と綴っている。

奥崎謙三氏が知ったら、怒髪天になって降りてくることだろう。

東京裁判においてマッカーサーの手により自身の戦争責任を免訴された経緯があるにもかかわらず、
自国民への誹謗と、宗教心の欠如を語り、民衆革命の不安を訴え、天皇存続の危惧ばかりを案じる天皇裕仁。

さらには、米軍駐屯が和平においては至極重要なことであることを国のトップを差し置いて「期待」してしまう始末。

ダレス宛に至っては、現在の政治中枢を全否定すべく、自分の息がかかった戦犯軍人を持ち上げて諮問機関の擁立を目論み、
“日本からの自発的なオファーによって米軍基地配備を進めることが賢明だ”と具体的な発言さえしている。

この背景には、「朝鮮戦争」によってソビエト・中国が台頭してきた状況と、
ソビエト首脳が声高に天皇制廃止と戦争責任の追及を図ってきた事実がある。

共産国、社会主義国の影響力如何によっては、天皇制そのものが廃絶され、自身もその責任を果たされざるを得なくなる。
国政も社会党が追い風となって、国民感情として天皇の戦争責任が追及される危険もある。

   「革命よりも敗戦のほうがまし」

“敗戦”はうまく立ち回れば、戦前の枠組みや思想は温存することが出来る。
しかし、“革命”が起きてしまうと、己の立場が奪われてしまう。

この国民を馬鹿にした「保身」を是とした戦争責任者たちが、天皇を筆頭として敗戦後の後処理でも生き残ってきた事実。

なにより腹立たしいのが、それらの「謀略」や「陰謀」が見事に国民の眼を欺き続け、現代に至っていることである。
いまだにこの「天皇・マッカーサー会見」の記録は一切が闇の中だし、天皇がここまで自発的に己の考えを発していたことすら、封印されている。

国を司る機関が、国民を欺き通そうといまだにしている現実を、どう受け止めていけばよいのか。
原発問題、TPP問題、憲法改正問題、いま立ち上がっているすべての諸悪の根源は、ここに在る。

【奥崎謙三】ヤマザキ、天皇を撃て!


戦慄の著書である。

1972年(昭和47年)に出版された奥崎謙三さんの著作。
奥崎謙三さんとは、のちに「ゆきゆきて、神軍」において日本を震撼させた人物。

しかし、その天皇への恨みがどれほどの深い体験によって裏打ちされているか、知られることはなかった。
奥崎さんはどこまでも至極真っ当な人間なのだ。
勿論、彼が独居房で執筆した陳述書であるから、信じるコトはできない…と歯牙にもかけないオケラもいるだろうが、
パプアニューギニア戦線における1年にもおよぶ“敗走”がどれだけ壮絶であったか、
そしてそれだけの“敗走”が起こりうることを重々承知していながらも杜撰この上ない人員配備と食糧供給、無謀な飛行場建設計画によって、
【独立工兵第三十六連隊】千二百名はむざむざと犬死にすることとなり、皮肉にも投降した奥崎さん含む6名だけが日本の地を再び踏むこととなった事実を鑑みれば、
「天皇陛下萬歳!」を強いて、お国のため天皇のためと良民を戦地へ赴かせた国の責任、天皇の責任には果てしないモノがあることは、
真っ当な人間であれば、易々と判断のつくことだろう。

いま読み返しても、怒り心頭である。

   私は直感的に、この土人部隊には、土人はもちろんのこと、敵兵も必ず駐屯しているにちがいないと判断しました。
   道の北側は、部落の西側あたりまで、高さ1メートル余りの草が刈り取られて広場となっており、歩行は容易でした。
   私は道を西へ進むことは危険だと思い、道から二十メートルほど北側の草原に沿い、姿勢を草よりも低くして前屈みになって西へ進みました。
   草原の中程で二、三匹の犬にいきなり吠えられびっくりしましたが、大したこともなく、ようやく部落の西の端まで進みました。
   そこで草原は終わり、前方は密林になっていましたので、私は再び道に出て歩こうと考え、左へ曲がり、数歩進みました。
   すると草が刈り取られた広場に、幅二、三十センチの浅い溝が掘られてあり、その中に大便をして使った白い紙が夜目でもはっきりとわかりました。
   その傍らにはスコップが二丁おいてありました。私は立ち止まって、この急造の便所は敵のモノであると判断しました。

   その時、すぐ近くで、銃に弾をこめる音がしました。
 
   私が弾ごめの音のする方の暗闇を透かしてみると、十メートルほど離れた道端に建てられた低い分哨小屋の中で、
   五、六名の敵兵が地べたに折敷の姿勢で弾をこめている黒い影が見えました。発見されたのです。
   私はおどろいて踵を返し、草原の西端を茂みに沿って北へ逃げました。私が数歩走った時、うしろで銃声が響き、
   私は右大腿部と右手小指に鈍いショックを覚えました。逃げながら右手を見ると、小指は付け根から折れてぶらぶらしていました。
   私は北に真っ直ぐに逃げるとさらに弾を受けることになると思い、左側の茂みの中に飛び込み、敵から三、四十メートル離れた茂みの中で、
   静かにじっと潜伏しておりました。幸い、敵兵は私のあとを追いかけてきませんでした。

   しばらく経って落ち着いてから、私は軍袴を脱いで、右大腿部を調べてみました。
   傷は右大腿部を銃弾が貫通して、血が多く出ていました。私は生き抜くために、数時間前に、狂った田中軍曹から、
   天幕、飯盒、靴、革脚絆を取ってここまで来ましたが、いまでは田中軍曹同様、あるいはそれ以上に惨めな姿となってしまいました。
   このままでは、出血多量で死に、数日後には、今まで’死んでいった多くの兵隊のように醜く膨れあがり、山豚に死体を喰われてバラバラの白骨
   になるだろうと考えながら、死が急速に近づいたことを覚悟しました。
 
1年もの“敗走”は、このように土人と敵兵、そして熱帯独特の湿気と慢性的な餓えとの闘いだった。
それでも終に奥崎一兵卒は、長い敗走生活により満身創痍となり痛みと餓えによる精神的挫折から生きる希望を喪い、
「このまま犬死にするくらいなら、敵兵の銃で瞬殺されたほうがマシだ」と敵地に乗り込む。

その後、俘虜生活を経て日本へ帰国することとなった奥崎一兵卒は、ニッポンが戦前と同じような構造で存在していることに大きく狼狽する。
驚愕!驚愕!驚愕!驚愕の至りである…と。
「あれだけの戦争を興し、戦地であれだけの苦渋を強いた張の本人たる天皇が、なぜ今も君臨しているのか」
「戦地で犬死にした多くの兵士たちへの悔恨もなく、戦災復興へまっしぐらに嬌声をあげる国民に猛省はないのか」
そのような挫折に心根をへし折られながらも、父の死、母の死を境に生活を建て直すべく「バッテリー業」で生計をたて10年。
人間関係のトラブルにより殺人事件を起こし10年の禁固刑。さらに昭和四十四年、6年ぶりの天皇新年参賀式でパチンコ玉を発射、
「不敬罪」とも思われる罪状により1年六ヶ月の判決を受ける。この本はその時の陳述書が元となっている。

   私が、ニューギニアから生きて帰れたからといっって、私の戦友はみな生きて帰れなかったように、
   すべての人間の力や意志の強さには、おのずから限界があり、弱いモノであります。
   ですから私は、強い力や意志を持った、例外的な特異な人間を基準にしないで、弱い力と意志を持った、一般的な、
   普通の、弱い人間を基準にして、それに合わした社会をつくるのが正しいと思いました。
   
   どんなに世界一強い力と意志を持った人間でも、この地球上で独りだけ生きていくことはできないという当たり前のことに、
   独房で私は初めて気がつきました。そして、それは、自然(神)が人類を無限に進歩、発展させるためにはそうするより仕方がないから、
   故意に人間をそのように独りでは生きられない、弱い非力な、動物としては不具な人間を創造したのだと思いました。
   私は、人間というものの非力さと限界を知ると、私を独居房で空腹も感じないで生かしてもらっていることが、
   自然(神)に対してありがたくて、あまりのもったいなさうれしさに、独居房で何回も涙をこぼしました。

   本来ならば、私は、戦友たちと共に、ニューギニアの密林の中で、とっくの昔に餓死して、
   密林の肥やしか、山豚か気味の悪い虫の餌食になっているところなのに、
   自分の意志と力以外の意志と力によって、私は特別に多く、過分に生かされているのだと思いますと、
   それに応じて私は自然(神)や世の人に対して何かお返しをしないでおれない気持ちにかられました。
   そのためには、やっぱりすべての人間が人間らしく、平等に過不足なく生きられ、心身ともに健康に、強く美しく
   清く明るい毎日を送り、一生のあいだ、平和、幸福、自由な人生を過ごして、本当に自然死できる構造の社会をつくるために、
   残生をかけて工夫と努力をしなければならないと思いました。

   そして、すべての人間を永遠に平和、幸福、自由にすることのできる唯一の方法は、
   天皇や天皇的なものがまったく存在しない、弱い平等な万人一様の人間性にあわせてつくられた、
   すべての人間が過不足なく毎日を生活することのできる構造の、数千名を単位、部分として、
   社会全体が故障のない、一つの機械のごとく有機的に構成された、まったく新しい構造の共同体しかないと確信しました。

どこまでも至極真っ当な、奥崎謙三さんであった。
この真っ当さを証明するかのように、ボクは一冊の本にこのあと巡り会う。

【豊下楢彦】安保条約の成立

この本における天皇外交の史実で、ボクは眼をひん剥かれるような事実に突き当たるのだ。

   

 

【萩原遼】朝鮮戦争


前から朝鮮半島の存在は気になっていた。
大化の改新を繙くと、あの時代のニッポンと朝鮮半島は関係は濃厚である。
天智天皇が組んだ藤原鎌足は百済王子「豊璋」という説もある。

国政もままならない時に半島の戦争に首を突っ込んで大敗を帰しているのである。
藤原一族が渡来人であってもおかしくない。
ちなみに蘇我氏が半島からの渡来人であることは正史(国が定める歴史)でも説かれている。

ニッポンの歴史は半島との歴史でもあるのだ。

そんな隣国が1950年に起こした同族争いが「朝鮮戦争」…ということになっている。
おそらく日本史の授業でもあまり触れられることのない史実だし、
この頃のニッポンは講和条約だ、安保条約だと、主権回復に躍起だったので、
多くの国民は、振り返ることも為されない史実として忘却の彼方である。

しかし、拉致問題の発端がここにあり、
引いては南千島、竹島、尖閣諸島などの国境問題がここに凝縮されている。

38度線はどこまでも便宜的な境界線であった…という事実。
一方的に蜂起した北朝鮮も、ソビエトによって作られた傀儡政権であった…という事実。
さらにさらに、何にも増して驚かされるのが、アメリカの存在。

マッカーサー統帥は、北朝鮮・中国の領域に多数のスパイを送り込み(カネで自国民の裏切りを唆し)、
ソビエトの操る金日成の思考や動向を手に取るように把握していたにもかかわらず、
1950年6月26日の開戦まで知らぬ存ぜぬを通し、朝鮮半島を巨大な軍事マーケットへと誘導した。

つまり、アメリカという国は半島の民を皆殺しにしてまでも、
自国の国益_軍産複合体の利益というものを追求し、戦争を興すことで国が潤うカタチを、
「国際連合」つまり国際平和の維持という大義を傘に遂行した驚愕の事実である。

そして、もっとも糾弾されてしかるべきは、ソビエト連邦が北朝鮮を見放したこと。

もともと一介の兵士であったキム・ソンジュ少年を、半島に広く伝わる「金日成伝説」になぞらえ、
一国の主として金日成主席に祀り挙げながら、戦況が窮地に陥ったところでソンジュ少年を見切り、国際的に完全な孤立を強いた。

「朝鮮戦争」とは、このようにふたつの大国の思惑が半島に集結した第二次大戦の徒花だったのだけど、
それによって巻き込まれた国民の死者は300万人にものぼった。

これを読んで思い知らされるのは、政治に道義を持ち込むのは「お笑い種」だということ。
歴史を振り返る時にしばしば陥る改ざん問題は、この事実だけで失笑なのだ。

国は常に国益で動く。そこに道義は露程も存在しない。

そのことを後になって「正しかった」「間違っていた」と隠蔽すること事態が、
歴史から学ぶ…という姿勢を狂わせる。
必要なのは「道義」ではなく、「真実」である。

そのとき国はどのような判断により、コトを興したのか。
その「真実」を子細に眺めることが、人間社会を高みへと導く。

「謀略」「陰謀」「隠蔽」は付きもの…と、思考停止することが、もっとも悪である。

【関裕二】藤原一族の正体


2013年を顕す一文字は「烏」。これが今年のボクの抱負だった。
その志を胸に熊野三山を巡り、伊勢の内宮外宮を巡った。

熊野三山では、太古から連綿とつづく日本人の信仰の深さが、
自然への畏れから派生しているものだ…ということを実感できた。
人間は自然を敬い、自然に一目置くことで、その恩恵を賜る矮小な存在だ…と。

あまたある神社仏閣は元を正せばすべて、自然神への畏れ、怒りを鎮めるために祀られている。
または怨念を鎮めるため。恨みを買うようなことを人間はしてきてしまったのだ。

その最も神格化されたカタチが伊勢の内宮外宮だと、訪れてみて身体が理解した。
その場の空気がすべて「作られている」と感じたのだ。

恭しく丁重に、腫れ物を扱うがごとく振る舞うのが、神への態度。
「神々しい正殿は直視せぬようお願いいたします」
20年に一度の遷宮は、その光臨を瑞々しく後世に引き継ぐため。
「内宮は天皇の祖先、つまり天祖を祀るところです」

この場所を修飾する言葉の数々がこうも空々しいのは、なぜか?
それは覆してはならない事実が秘められていることの、証左。

身体全体で感じた違和感を携えて、ボクは「関裕二」の著作を貪った。

今から一世紀半以上も昔の出来事を、
限られた実証だけでああだこうだと自説をひけらかすのはどうか…と、多くの人は思うだろう。

「もう遠い昔のことだ、そっとしておいてくれ」

「もう決まり切ったことだ、なにをいまさら」

天皇は徹頭徹尾、尊い存在だし、ニッポンという国を作った先祖であるのだから、敬うのが務め。

そのアンタッチャブルな包囲網が、どこまでも怪しい。
疑うことすら御法度な、その空気。
一蹴して葬る、その思考停止な振る舞いが、日本人の無責任主義の元凶だと、今は合点できる。

ここでその説を繙く時間はないのだけど、この一言だけは断言できる。

「天皇家も数ある部族のひとつに過ぎなかった…のだ」と。

骨肉の争いを正当化するためにあらゆる謀略・陰謀・隠蔽を繰り返して、今の天皇は存在する。
そのことを、日本人はもう少し真剣に「思考」したほうが良い。これは忠告である。

【jul_18】ケンタとジュンとカヨちゃんの国


私たちの望むものは
生きる苦しみではなく
私たちの望むものは
生きる喜びなのだ

私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ

 「私たちの望むものは/阿部芙蓉美

2010年の5月に大森克己さんと大森立嗣さんのトークショーを観て
ずっと引っかかっていた映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」。

 追いつめられた鹿は断崖から落ちる
 だが 人間が断崖から落ちるためには
 一篇の詩が必要だ

この田村隆一の詩がすべてを物語っているような映画だった。

なにも震災があったから噴き出したわけじゃなく、
ニッポンはずっと昔から、何かしらの閉塞感でおかしかった。

この岡林信康の「私たちが望むものは」だって1970年の作品。
ずっとずっと、なにかおかしいと思いながら、2011年03/11を迎え、
震災と津波と原発事故によって、やっと人間本来の心の叫びに気づき始めたってことか。

しかし、全編書き下ろしの大森立嗣監督の感性は、素晴らしい。

「ぶちこわしても、ぶちこわしても、なにも変わらねえ」

網走刑務所の兄貴との面会で、ケンタが絶叫する。
この絶叫に呼応するかのような、「私たちが望むことは」の挿入。

結局、ボクたちは社会に迎合しすぎた。

社会の仕組みだって、人間が作ったものだというのに、
いつのまにか仕組みだけが一人歩きし、人々は消費財のごとく
カネを巻き取られる人生しか選び取ることができなくなった。

世の中には2種類の人間がいる。人生を選べる人間と、人生を選べない人間と。

ここでいう選べる人間とは、システムを構築する側に属する人間だろう。
そして、選べない人間とは、システムに翻弄され消費される人間。

東京が選べる側で、東北が選べない側。

経済のタービンを回し続けるために、消費財としての人間を翻弄する側、それが東京のポジションで、
そのタービンの消費財に進んで焼べられようとする側が、東北の土地であり、東北の民であった。

戦後67年、振り返ってみれば、その消費の速度、タービンの速度を早めるために、
首都圏はありとあらゆる欲望喚起の商品を生み出してきた。

そのたびに東北の民は、土地を提供し、安全を提供し、労力を提供してきた。

消費を即せば、カネが回り、会社の数字は伸びる。
人手が必要となるから、雇用を増やし、人件費を稼ぐために規模や効率をUPさせる。

会社がどんどん大きくなると、消費財もどんどん必要となるから、業種をまたいで事業展開し、
M&Aでさらに規模を大きくして、そのタービンの規模と回転数を高めていく。

そうこうするうちに、数字を上げることが第一の目的となってきた。

抱えた社員の人生がかかっているし、銀行から借りたお金も回さなきゃならない。
はじめは市場ニーズがあって、商品開発が行われていたのだけど、
いつのまにやら、商品開発があって、市場ニーズが喚起されるようになった。

消費財の小市民たちは、システム側の人間たちに不要な欲望を焚きつけられ、
先進技術、未来の先取りなどというコピーで、一方的な利便性を押しつけられた。

エアコンなしには住めないマンションを住宅ローンで購入し、
片道1時間の通勤ラッシュに汗まみれで相まみれた。
着けばクールビズとか言いながら22度に設定されたインテリジェントオフィスで働き、
ない知恵を寄せ集めて、消費財の欲望を新たに喚起させる新商品の開発に日夜尽力した。

会社を辞めたら失業保険で半年先の収入は保証され、
死亡しても家族の未来は安泰といった生命保険に入り、
65歳からは貰える番だから…と、毎月せっせと年金を支払う。

すべてが「システム側の人間」によって組み上げられた人生設計。

オルタナティブは選択できないのか?…という疑問の挟む余地がないほど、
ニッポン全体が、大きな枠組みの中で、雁字搦めになっている。
はみ出した人間のうち年間3万人あまりは、自らの死を選ぶ社会って。。。。?

 急激な脱原発をすると電力会社が経営破綻を起こして日本経済が大混乱する。
 しかし、安全に原発を運営しようとすると、原発はしばらく再稼働できなくなってしまうし(その間は化石燃料を輸入する必要がある)、
 原発による発電コストがさらに上昇してしまう。いずれの道を選んだところで、電力会社の経営は非常に厳しくなるし、
 その影響が、銀行、保険会社、ゼネコンなど数多くの業種に及ぶことは避けられない。
 東電以外の電力会社にも政府は資金注入をしなければならなくなってしまう。

 そんな経済への悪影響を避ける唯一の方法は、「問題を先送りして、多少の危険を承知で原発を運営し続ける」ことなのである。

それでも、現状維持しかないと説得する経済人がいる。

これだけ綻んだ社会が目の前に広がって、
小市民は「消費財なんてまっぴらだ!」と声高になって叫んでいるのに、
それでも、「いや、システムは変えられないんだ」と諭しにかかる輩がいる。

 「バカか、死ね」

ケンタなら、そうつぶやくだろう。

「ええ加減にせええや、おまえら。」
システムは当にぶっ壊れちまったんだよ。

経営破綻でも、大混乱でも、起こせばええやろ。

【jul_14】しっちゃかめっちゃか


「こいつ何言ってんだ?」と思いながらも何かおもしろいから読者は本を放り出すわけにもいかず、
ついつい付き合ってしまう。小説のおもしろさも小説がこの世界に存在する意義もそれに尽きると言ってもいい。
効率最優先・経済最優先、あるいは「こころにしみるいい話」や「人を動かすすばらしい話」しか
求めていない人には小説とはどこに価値があるのかまったく理解しがたいものだが、
どれだけ手を尽くしても死は避けられず、死の前ではいくら言葉を費やしても
やっぱり沈黙と向き合わなければならないことを怖くても認めるなら、
人を最後に救うのは小説あるいは音楽、美術、映画…といった芸術でしかない。

書かれることの因果関係や原因・理由や動機や必然性などなどは小説の場合、
小説それ自体によって決まる。小説に先行する社会的な常識や通念で即断することはできない。
が、このように小説それ自体の運動によって因果関係や価値観などが決定されてゆく小説は
実際には少なく、ほとんどの小説は小説に先行する知識・判断が小説の中に持ち込まれている。

だからきっと芸術という活動を人間がはじめたときに魂が生まれた。
魂が生まれたときに人間が芸術という活動をはじめたのでもどっちでもいい。
魂は人間の中に生まれたものだが、芸術と同じように完全な無から、
つまり完全なフィクションとしてそれを生み出すことは出来ない。
打楽器はいうに及ばず、管楽器も弦楽器も自然が鳴らしていた音を、
鉄鉱石から鉄を精錬するように形成した結果であり、絵の具の色も辰砂の朱、
マラカイトの緑、フェルメールで特に有名なラピスラズリの青、
などなどはほとんどすべて自然から抽出された。

魂もきっとそのようなものだから、
こちら側に強烈に働きかける力がないときとか
敏感にそれを察知する能力がないときには何も感じることができず、
人間は魂がかぎりなく無にちかい世界にふだんは生きることになる。
こう書く私の「働きかける力」とか「察知する能力」というイメージ自体が、
そもそも物理の力学や観察から借りてきた概念であり、魂を否定する科学の側の
用語・図式によってしか語られないところに、もともとの矛盾がある。

白黒の写真ではフェルメールの色彩はわからないとか、
憎しみしか知らない人に愛を語らせることはできないとか、
そういうことではなく、数字しかない世界。気象や動植物を数字だけ
記述するということではなく、数字とそれを結ぶ記号しかない世界。
風も吹かず雨も降らず、それどころか大地も何もなく、ただ数字と
それを結ぶ記号しかない世界で、色彩や愛について語る不可能。

思考の様式の根本、つまり見たり聞いたり感じたりしたことを
自分の中で再現することとそれを誰かに伝えることの二つが、どっぷりと
科学的思考様式に浸っている私たち。
たとえば2と3を並べると3の方が大きいと無条件に考えることしか
できなくなってしまっている私たち。私がこんなことを書くと、
「バカか、こいつ。」としか思わない私たち。

1とは全なる状態なのだから、1より完全な数はなく、
そのときに2と3を比較することは空しいだけだ。
と考えることのできない私たち。無とは原初の充満であり、
無の中にすべてがあり、したがって無とは空虚ではなく
石のように寸分の余地もなく詰まっている。…と考えることのできない私たち。
そのような私たちは平生においては、魂からかぎりなく遠い。

      (すべて保坂和志著「魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない」より)

       ●

今日封切りの映画「へルタースケルター」を観た。
1と4で「とおふぉお=東宝」ということでTOHOシネマズは1,000円。
蜷川幸雄の娘である蜷川実花がどんな映画を撮るのだろう…という期待もこめての鑑賞だった。

結果は、上の言葉に表れている通り。

保坂氏は小説について「先行する社会的な常識や通念で即断することはできない」ものと定義している。
これは芸術全般に言えることで、「人を最後に救うのは芸術しかない」と断言さえしている。

実際さらに辛辣に…
 
 芸術に接するときに根拠を求めてはならない。根拠はそのつど自分で創り出すこと。
 社会で流通している妥当性を求めないこと。芸術から見放された人間がこの社会を作ったのだから、
 社会は芸術に対するルサンチマンに満ちている。彼らは自分が理解できないものを執拗に攻撃する。
 自分の直感だけを信じること。      (保坂和志著「カフカ式練習帳」より)

…と世の中の構成物全体が芸術に対するルサンチマンに溢れているのだから、
 先行する社会的な常識や通念に妥当性を求めるな…と諫めている。

 「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組自体を疑うという点において、
 本質的に反社会的であり、反時代的な行為である。…という言葉からもわかるとおり、

本来表現(芸術)とは先行する社会的な常識や通念では捉えきれないものであり、
その裏切りが、自己目的化した思考の枠組打破…の原動力となる点…
…その1点において、生活を営む上で必要不可欠なモノなのだ。

しかし思うに現代社会はスマホの蔓延によって、インターネットというサイバーネットワークが
「知識」や「常識」「通念」といったもので、私たちの生活全体…思考全体を網掛けしてしまった。

いつのまにやら思考の枠組みが狭められ、「涵養」といった言葉が死語のように、即時性や即物性が重んじられ、
イメージの転換や連想も「安易」なものへとどんどん流れていく傾向を作ってしまった。

吉本隆明氏が存命ならその「共同幻想論」をさらに推し進める展開を指し示してくれたかも知れないが、
語られる言語体系がやせ細ってしまったが故に、そこから喚起されるイメージも狭量で浅薄なものしか
許容できない思考となっている…そんなことを映画「へルタースケルター」を観ながら思ったのだった。

   「一億総思考停止」

保坂氏が指摘するまでもなく「勉強できる奴はけっこう頭が悪い」状態の極み。

映画「へルタースケルター」から繰り出されるイメージは
どこまでも既視感が付きまとう「答え合わせ」の域を出ていない。

「沢尻エリカ」やら「蜷川実花」やらの先行するイメージの模範解答でしかない。

ボクが大きく危惧するのは、この映画の到達点ではなく、
そこに批評の芽が生まれない現代社会の柔順さ…「大衆」の思考停止である。

要は全然「Helter-skelter=しっちゃかめっちゃか」してないのよ。
アルモドバルの「私が、生きる肌」のほうが、よほど「しっちゃかめっちゃか」だ。

ITの弊害である…情報錯乱の末の思考停止が、ボクは怖い。

「考える」ことを止めてしまう…どうもIT社会はそこに近づいているように思うのだ。