【jul_18】ケンタとジュンとカヨちゃんの国


私たちの望むものは
生きる苦しみではなく
私たちの望むものは
生きる喜びなのだ

私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ

 「私たちの望むものは/阿部芙蓉美

2010年の5月に大森克己さんと大森立嗣さんのトークショーを観て
ずっと引っかかっていた映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」。

 追いつめられた鹿は断崖から落ちる
 だが 人間が断崖から落ちるためには
 一篇の詩が必要だ

この田村隆一の詩がすべてを物語っているような映画だった。

なにも震災があったから噴き出したわけじゃなく、
ニッポンはずっと昔から、何かしらの閉塞感でおかしかった。

この岡林信康の「私たちが望むものは」だって1970年の作品。
ずっとずっと、なにかおかしいと思いながら、2011年03/11を迎え、
震災と津波と原発事故によって、やっと人間本来の心の叫びに気づき始めたってことか。

しかし、全編書き下ろしの大森立嗣監督の感性は、素晴らしい。

「ぶちこわしても、ぶちこわしても、なにも変わらねえ」

網走刑務所の兄貴との面会で、ケンタが絶叫する。
この絶叫に呼応するかのような、「私たちが望むことは」の挿入。

結局、ボクたちは社会に迎合しすぎた。

社会の仕組みだって、人間が作ったものだというのに、
いつのまにか仕組みだけが一人歩きし、人々は消費財のごとく
カネを巻き取られる人生しか選び取ることができなくなった。

世の中には2種類の人間がいる。人生を選べる人間と、人生を選べない人間と。

ここでいう選べる人間とは、システムを構築する側に属する人間だろう。
そして、選べない人間とは、システムに翻弄され消費される人間。

東京が選べる側で、東北が選べない側。

経済のタービンを回し続けるために、消費財としての人間を翻弄する側、それが東京のポジションで、
そのタービンの消費財に進んで焼べられようとする側が、東北の土地であり、東北の民であった。

戦後67年、振り返ってみれば、その消費の速度、タービンの速度を早めるために、
首都圏はありとあらゆる欲望喚起の商品を生み出してきた。

そのたびに東北の民は、土地を提供し、安全を提供し、労力を提供してきた。

消費を即せば、カネが回り、会社の数字は伸びる。
人手が必要となるから、雇用を増やし、人件費を稼ぐために規模や効率をUPさせる。

会社がどんどん大きくなると、消費財もどんどん必要となるから、業種をまたいで事業展開し、
M&Aでさらに規模を大きくして、そのタービンの規模と回転数を高めていく。

そうこうするうちに、数字を上げることが第一の目的となってきた。

抱えた社員の人生がかかっているし、銀行から借りたお金も回さなきゃならない。
はじめは市場ニーズがあって、商品開発が行われていたのだけど、
いつのまにやら、商品開発があって、市場ニーズが喚起されるようになった。

消費財の小市民たちは、システム側の人間たちに不要な欲望を焚きつけられ、
先進技術、未来の先取りなどというコピーで、一方的な利便性を押しつけられた。

エアコンなしには住めないマンションを住宅ローンで購入し、
片道1時間の通勤ラッシュに汗まみれで相まみれた。
着けばクールビズとか言いながら22度に設定されたインテリジェントオフィスで働き、
ない知恵を寄せ集めて、消費財の欲望を新たに喚起させる新商品の開発に日夜尽力した。

会社を辞めたら失業保険で半年先の収入は保証され、
死亡しても家族の未来は安泰といった生命保険に入り、
65歳からは貰える番だから…と、毎月せっせと年金を支払う。

すべてが「システム側の人間」によって組み上げられた人生設計。

オルタナティブは選択できないのか?…という疑問の挟む余地がないほど、
ニッポン全体が、大きな枠組みの中で、雁字搦めになっている。
はみ出した人間のうち年間3万人あまりは、自らの死を選ぶ社会って。。。。?

 急激な脱原発をすると電力会社が経営破綻を起こして日本経済が大混乱する。
 しかし、安全に原発を運営しようとすると、原発はしばらく再稼働できなくなってしまうし(その間は化石燃料を輸入する必要がある)、
 原発による発電コストがさらに上昇してしまう。いずれの道を選んだところで、電力会社の経営は非常に厳しくなるし、
 その影響が、銀行、保険会社、ゼネコンなど数多くの業種に及ぶことは避けられない。
 東電以外の電力会社にも政府は資金注入をしなければならなくなってしまう。

 そんな経済への悪影響を避ける唯一の方法は、「問題を先送りして、多少の危険を承知で原発を運営し続ける」ことなのである。

それでも、現状維持しかないと説得する経済人がいる。

これだけ綻んだ社会が目の前に広がって、
小市民は「消費財なんてまっぴらだ!」と声高になって叫んでいるのに、
それでも、「いや、システムは変えられないんだ」と諭しにかかる輩がいる。

 「バカか、死ね」

ケンタなら、そうつぶやくだろう。

「ええ加減にせええや、おまえら。」
システムは当にぶっ壊れちまったんだよ。

経営破綻でも、大混乱でも、起こせばええやろ。