
私たちの望むものは
生きる苦しみではなく
私たちの望むものは
生きる喜びなのだ
私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ
2010年の5月に大森克己さんと大森立嗣さんのトークショーを観て
ずっと引っかかっていた映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」。
追いつめられた鹿は断崖から落ちる
だが 人間が断崖から落ちるためには
一篇の詩が必要だ
この田村隆一の詩がすべてを物語っているような映画だった。
なにも震災があったから噴き出したわけじゃなく、
ニッポンはずっと昔から、何かしらの閉塞感でおかしかった。
この岡林信康の「私たちが望むものは」だって1970年の作品。
ずっとずっと、なにかおかしいと思いながら、2011年03/11を迎え、
震災と津波と原発事故によって、やっと人間本来の心の叫びに気づき始めたってことか。
しかし、全編書き下ろしの大森立嗣監督の感性は、素晴らしい。
「ぶちこわしても、ぶちこわしても、なにも変わらねえ」
網走刑務所の兄貴との面会で、ケンタが絶叫する。
この絶叫に呼応するかのような、「私たちが望むことは」の挿入。
結局、ボクたちは社会に迎合しすぎた。
社会の仕組みだって、人間が作ったものだというのに、
いつのまにか仕組みだけが一人歩きし、人々は消費財のごとく
カネを巻き取られる人生しか選び取ることができなくなった。
世の中には2種類の人間がいる。人生を選べる人間と、人生を選べない人間と。
ここでいう選べる人間とは、システムを構築する側に属する人間だろう。
そして、選べない人間とは、システムに翻弄され消費される人間。
東京が選べる側で、東北が選べない側。
経済のタービンを回し続けるために、消費財としての人間を翻弄する側、それが東京のポジションで、
そのタービンの消費財に進んで焼べられようとする側が、東北の土地であり、東北の民であった。
戦後67年、振り返ってみれば、その消費の速度、タービンの速度を早めるために、
首都圏はありとあらゆる欲望喚起の商品を生み出してきた。
そのたびに東北の民は、土地を提供し、安全を提供し、労力を提供してきた。
消費を即せば、カネが回り、会社の数字は伸びる。
人手が必要となるから、雇用を増やし、人件費を稼ぐために規模や効率をUPさせる。
会社がどんどん大きくなると、消費財もどんどん必要となるから、業種をまたいで事業展開し、
M&Aでさらに規模を大きくして、そのタービンの規模と回転数を高めていく。
そうこうするうちに、数字を上げることが第一の目的となってきた。
抱えた社員の人生がかかっているし、銀行から借りたお金も回さなきゃならない。
はじめは市場ニーズがあって、商品開発が行われていたのだけど、
いつのまにやら、商品開発があって、市場ニーズが喚起されるようになった。
消費財の小市民たちは、システム側の人間たちに不要な欲望を焚きつけられ、
先進技術、未来の先取りなどというコピーで、一方的な利便性を押しつけられた。
エアコンなしには住めないマンションを住宅ローンで購入し、
片道1時間の通勤ラッシュに汗まみれで相まみれた。
着けばクールビズとか言いながら22度に設定されたインテリジェントオフィスで働き、
ない知恵を寄せ集めて、消費財の欲望を新たに喚起させる新商品の開発に日夜尽力した。
会社を辞めたら失業保険で半年先の収入は保証され、
死亡しても家族の未来は安泰といった生命保険に入り、
65歳からは貰える番だから…と、毎月せっせと年金を支払う。
すべてが「システム側の人間」によって組み上げられた人生設計。
オルタナティブは選択できないのか?…という疑問の挟む余地がないほど、
ニッポン全体が、大きな枠組みの中で、雁字搦めになっている。
はみ出した人間のうち年間3万人あまりは、自らの死を選ぶ社会って。。。。?
そんな経済への悪影響を避ける唯一の方法は、「問題を先送りして、多少の危険を承知で原発を運営し続ける」ことなのである。
それでも、現状維持しかないと説得する経済人がいる。
これだけ綻んだ社会が目の前に広がって、
小市民は「消費財なんてまっぴらだ!」と声高になって叫んでいるのに、
それでも、「いや、システムは変えられないんだ」と諭しにかかる輩がいる。
「バカか、死ね」
ケンタなら、そうつぶやくだろう。
「ええ加減にせええや、おまえら。」
システムは当にぶっ壊れちまったんだよ。
経営破綻でも、大混乱でも、起こせばええやろ。