
西島秀俊のCUTを観る。
愚直。
03/11後の今だからこそ、
この愚直さが、活きる。
この愚直さで、生きる。
音楽なし。ナレーションなし。
エンドロールは無音。
徹底している。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

あらゆるものは、動きながら、ある時、あるいはほかの時、
そこここで一時の休息を記す。空飛ぶ鳥は巣を作るためにある所にとまり、
休むべくしてほかのある所にとまる。歩いている人は、欲するときにとまる。
同様にして、神も歩みをとめた。あの輝かしく、すばらしい太陽が、神が歩みをとめた一つの場所だ。
月、星、風、それは神がいたところだ。木々、動物はすべて神の休止点であり、
インディアンはこれらの場所に思いを馳せ、これらの場所に祈りを向けて、彼らの祈りが、
神が休止したところまで達し、助けと祝福とを得られるようにと願う。
(北米ダゴタインディアンの老賢人による言葉)
トーテミズム的人間の、意識の内側を、想像してみることができる。
社会の中で生きるとき、彼の意識はたしかに人間を生きている。
しかし、彼は同時に、自分の存在が人間だけで構成された世界で完結していないことを、知っている。
熊楠と名付けられた南方家の少年は、自分が「熊」として、動物の領域への通路を開かれ、
また「楠」として、植物的生命の内面世界へのつながりをもっていることを、感じている。
それと同じように、トーテミズムの主体は、自分の魂が、単一のフォルムの中にはおさまりきれない、
重層性を内包していることを、知っているのだ。また、重層性でできたその魂は、
いつも自分の内奥に、「創造的」な「流れる」ものの実在を、感知している。
人間が個体性や有機体として体験しているものなどは、この「大いなる創造力の流れ」の、
一時的な休止点にほかならない。
(第一章「市民としての南方熊楠」より)
世界に現象しているものはすべて、神である偉大な「流れる」実体の、休止による表現にほかならない。
ここでいう「神」とは人知を越えた領界…とでも言えばよいだろうか。
万物に「ことわり」があるとすれば、それは常に「流れる」存在なのだ。
その「ことわり」において世界は、一時休止した「かりそめ」の凝固物であり、
いずれ混じり合い、束となり、次なる休止点へと向かう。
この世界観を読んだとき、ボクは三島由紀夫の「天人五衰」ふたたびを思い出した。
もし本多の中の一個の元素が、宇宙の果ての一個の元素と等質のものであったとしたら、
一旦個性を失ったのちは、わざわざ空間と時間をくぐって交換の手続きを踏むにも及ばない。
それはここにあるのと、かしこにあるのと、全く同じことを意味するからである。
来世の本多は、宇宙の別の極にある本多であっても、何ら妨げがない。
糸を切って一旦卓上に散らばった夥しいビーズを、また別の順序で糸につなぐときに、もし卓の下へ
落ちたビーズがない限り、卓上のビーズの数は不変であり、それこそは不滅の唯一の定義だった。
三島は南方熊楠を知っていたのだろうか?
知らなかったに違いない。
知っていたら、切腹など取るに足らぬ行為だと、分かったはずだ。
南方の視点と、三島の視点は、対極にある。
どこまでも個を貫く三島の論調と、
大いなる自然に抱かれ、万物は流れるとする南方熊楠。
この相違が、ボクには興味深い。

西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に感じるのは、
彼らとしてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解してないからである。
われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。
そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。
われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に他ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、
しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い砂壁を塗る。土蔵とか、厨とか、廊下のようなところへ塗るには
照りをつけるが、座敷の壁は殆ど砂壁で、めったに光らせない。
もし光らせたら、その乏しい光線の、柔らかい弱い味が消える。われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、
黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも余命を保っている、あの繊細な明るさを愉しむ。
我等に取ってはこの壁の上の明るさ或いはほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、しみじみと見飽きがしないのである。

根太い雑誌が休刊となった。
佐伯編集長の無念さが心に響く。
今の世の中の揺らぎは古いヒエラルキー崩壊の予兆であり、
マスメディアによって権威付けされた価値観が表層的であることの
目に見えるカタチでの瓦解であると_編集長は説く。
*放浪というのは、地理上の世界をあれこれ歩きまわることに限らず、既存の価値観に自分を追従させることができず、
あれこれと足掻きながら彷徨い、自分のまなざしでモノゴトをみつめ、自分なりの世界との付き合い方を体得していくプロセスのことだと思う。
私が制作する「風の旅人」は、旅行好きの人のためのガイドブックではなく、誌面を通じて、放浪と同じ体験を味わうことを目指している。
多面的に物事を見極める。
それは表層ではなく深層へと思考を向かわせる。
ボクも「風の旅人」によって世界の移ろいを目の当たりにし、
それでも変わらない「根っこ」の存在を思い知らされたひとりだ。
創刊の時に定めた全体を貫くテーマは、「FIND THE ROOTS」。ルーツを探せ、ではなく、根元を求めよ_という意味です。
物事の表層にとらわれるのではなく、根元を見つめ続けること。根元を見定めることさえできれば、世の現象が移り変わろうとも、軸はぶれません。
そうしたスタンスそ続けると、「何の為に役立つのか?」と目先の実用を気にする人からは敬遠されます。でも最初から、そのことは承知でした。
プリンシパルを持つ。白洲次郎の言葉。
原理原則をぶらさず、常に等距離で物事と向き合う。
そこには現代の「しのぐばかりの人間関係」とは違うものがある。
実用とか快適とか癒しとか、世知辛いストレス社会と表層的に付き合うための処方箋ではなく、
社会がどう変わろうとも動じない耐性のようなものを身につけること。
そういうことの方が、より大切になるとの思いで「風の旅人」を作ってきましたから。
薄利多売で経費圧縮、利幅増大と
経済至上主義にばかり目を向けてきたニッポン。
そのために今、根っこ不在の状況が続いている。
2011年は、震災がそれを露呈したまで。
社会は、まだまだ消費・快楽追求状態から抜け出せておらず、その状態を維持することで利益を受ける人達や組織が相変わらず力を握っているので、
簡単には変わらないでしょうが、永遠に今の状態が続くこともあり得ないと思います。
捨てられない雑誌として、数年後にふと見直して、何かを感じていただける可能性もあるでしょう。
雑誌を作り続けることは途切れたとしても、44冊の「風の旅人」は、役割を終えてしまったわけではないと私は思っていて、だから、そんなに落胆もしていないのです。
ボクも2011年は大きな分岐になったと思っている。
あとはひとりひとりの自覚によって、パラダイムシフトは実現される。
ただまだまだ潜在的な状況は脱しきれていないのが、実情だ。
そんな中にあってひとり気炎を吐いていた佐伯編集長の「風の旅人」。
「やはり休刊か…」との思いはぬぐえない。
この体勢をどうにか立て直していきたい。
ひとりひとりの思いと自覚が、今は必要なのだ。

踊りながら念仏を唱え、
人生の後半16年間、ひたすら日本各地を遊行し命尽きた私度僧、
一遍上人の一生を描いた本書「踊る一遍上人」を読了。
「五蘊の中に衆生をやまする病なし、四大の中に衆生をなやます煩悩なし」
すべての存在を成立させている要素である五蘊(色・受・想・行・識)のなかには、
本来衆生を害する病気の原因はない。また、人間の関係を形作っているとされる
四大(地・水・火・風)には、元々衆生を悩ませる欲望などは一切含まれていない。
要するに、それら苦悩の原因のすべては、人間自身が勝手にこしらえた災いなのだ。
「念仏の行者は、智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界も捨て、貴賤高下の道理も捨て、
地獄をおそれる心も捨て、極楽を願う心も捨て、又諸宗の悟りをも捨て、一切の事を捨てて
申す念仏こそ、弥陀超世の本願にはかない候へ。」
念仏を唱えたところで、ふつうに言われている仏の来迎による極楽往生はありえない。
つまりは、浄土は外部に存在するのではなく、あなた自身の心の中にある。
妄執にとらわれ煩悩にとらわれ、己自身の存在の尊さに気づかぬまま、一生を終える人のなんと多いことか。
見よ大地よ、自然よ、この生命の氾濫を。
あの仔馬を見よ。全身に悦びを顕して、あんなに跳んだり跳ねたりしているではないか。
鳥だってそうだ。可憐な声を張り上げて、感謝の気持ちを精一杯伝えようとしている。
山川草木ことごとくが、生命の讃歌を歌っているのだ。これが宇宙というものなのだ。
これが大宇宙に生きるモノの実相なのだ。
なんというお方であろうか。
生きているその事実をそのまま受け入れろ…と一遍は語っている。
その歓喜をそのまま顕せ…と。
「踊る」とは、自然との交歓。
「合歓」である。自然と寄り添い、歓喜する…ことが「踊り」なのだ。
ニッポンのダンスの原型がここに在った。

岩波ホールで公開中の「おじいさんと草原の小学校」
主人公のキマニ・マルゲは実存の人物で
この映画はその実話を元に制作されている。
イギリスからの独立という強い信念で
その人生の大半を収監され、字を読むことすらできなかった。
しかしケニアは見事にイギリスからの独立を実現。
その過程でマルゲが強く抱いた確信は、
「教育」こそが被支配から脱出する道である…ということ。
だからこそ84歳にして、彼は小学校入学を渇望する。
「強く生きる」そのことを思い知らされる映画。
今のニッポンこそが、この確信を胸に描いて生きるべき。

森村誠一の「人間の証明」を読了したあと、
ニッポンの敗戦がもたらした贖罪ってやつは
とんでもないものがあったんじゃないか…と鑑み、
戦後の闇を描いた作家の本を当たってみようと
まずは松本清張「ゼロの焦点」を手に取った。
思った以上に、ニッポンは多くの代償を支払い、
今に至っている…と痛感、まさに痛感した。
米兵好みの女「パン」×2=「パンパン」に成り下がった過去を持つ女が、
過去を抹消すべく次々の殺人を犯してしまう筋立ては「人間の証明」と近しいものがあるが、
いやいや、それだけ敗戦後のニッポンは貧に窮していて
「プリンシパル」などかなぐり捨てて「復興」に一目散だったのだろう。
GHQ占領下の立川・横須賀の、欲望が渦巻く無政府状態は、容易に想像がつく。
人間の本性が剥き出しになった勝者米兵と敗者パンパン。
のちに社長夫人とまでなる女も、大学で習得した英語を駆使し、
世間の荒波を乗り越えていく。
たかだか66年前の話である。
しかし、生きることに必死だった。
考えてみたら、たった66年。
しかし、ニッポンはどん底だった。
この「ゼロの焦点」は昭和34年(1959年)の発刊。
連載された当時は、パンパンの記憶もまだ生温かい時代。
これだけ貧に窮した苦々しい体験があったから
ニッポンは高度経済成長という理想を打ち出したし、
日本列島大改造などという大きなスローガンを掲げた。
「なにっくそ!」という反骨精神…それだけで繁栄を勝ち得た。
あの田中角栄は「田舎の貧窮をどうにかせにゃならん」と「原子力」を推進した。
「いつまでもアメリカに頼ったエネルギー政策ではならん、自立して貧窮から脱するのだ」と。
そして、カネが循環する法を成立させた。原子力を建てることでカネが還元される法を。
「田舎でエネルギーを作り、東京が経済を回す。そして田舎にカネが回る」
それが電源3法と呼ばれるものだ。
なんとも皮肉なことだろうか。
結局、敗戦後の清算を66年経った今、
喧喧諤諤としながらニッポンはおこなっている。
ちっとも戦争は終わっていない。
敗戦の古傷は今も癒えていないのだ。
昨日、蒼穹舎で見た写真集を思い出す。
村越としやさんの「あまもり」。
軟調のどんよりしたモノクロの雨の情景。
ニッポンの田舎が写し出された質素な光景。
でも、ニッポンは今もこのような情景の島だった。
基本的には華美とは程遠い島国であった。
そのどんよりとした写真集をめくりながら、
ニッポンの貧窮を想った。
いやいや、これこそがニッポンの原景である。
ここからスタートしなければいけないのだ。
急速な電子機器の発達が、ニッポン人の原型を麻痺させてしまった。
なにか勘違いをしている…と、ボクは思う。
いまこそ敗戦後のニッポンから学ぶべき時なのではないだろうか?
そんな思いに、「ゼロの焦点」読了後、ボクは強く囚われた。
たった66年。
今日も鎮魂の花火が、隅田川上空に上がる。
戦争はちっとも終わっちゃいない。

8月17日(水)、西陽が差し込む中、
ボクは横須賀にいた。
ジョー山中が亡くなってから
森村誠一の「人間の証明」を読了した。
戦争という悪しき出来事に
人間の「良心」が翻弄され、その「領界」を喪う
なんともやりきれない話だった。
その喪われ膿を伴った「良心の領界」に
一条の光を与えるのが、西條八十の詩であった。
母さん、ボクのあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ
森村誠一氏自身、20代の彷徨える時代、
ひとり霧積の山峡の湯宿でこの詩に出会い、
激しく感動を覚える。
氏曰く「永遠の母」が、この詩には宿っている。
人間本来の「良心の領界」が滾滾と水を湛えている…
そんな澄み渡る心の情景だろうか。
実際、棟居刑事が八杉恭子に自供を迫る場面は、
…心底、顫えた。
特に自らの生命を「邪魔」と悟ったジョニーヘイワードへの述懐…
「でもジョニーに会うと、何度も固めたはずの決心が鈍りました。それが鈍ったまま
自分と家庭を守るためにナイフを突き刺したために、ナイフは先端がジョニーの体に
ほんの少ししか刺さりませんでした。そのときジョニーはすべてを悟ったようです。
ママはボクが邪魔なんだねとジョニーは言いました。…そのときのジョニーのたとえ
ようもない哀しげな目つきを私は忘れることができません。…私は…、私は、…我が子
をこの手で刺してしまったのです。すべてを悟ったジョニーは、私が中途半端に手を
離してしまったナイフの柄に自らの手を当ててそのままグッと深く突き立てたのです。
そして私に早く逃げろと言いました。ママが安全圏に逃げ切るまで、ボクは絶対に死なない
から早く逃げろ…、と自分を殺しかけた母の身を瀕死の体で庇ってくれたのです。」
錯綜する母と子の心情、そして西條八十の詩…「mama,do you remember…」
ジョー山中はこの詩をどのような思いで歌ったのだろう。
「人間の証明」とはいったいどういうことなのだろう。
8月は鎮魂の月。
戦争の体験談を追想するたびに、
「良心の領界」とは、なんと脆く儚く美しいものなのだろう…と思う。
だからこそ、その清澄な領域をしかと守っていかなければ、ならないのだとも。
ジョーの歌唱は、その思いを揺り戻すのに余りあるものだ。
あらためて、彼の冥福を祈りたい。 合掌。

なにもかもが完璧なような気がしたので
僕たちは車を止め
そして外へ出た
風が優しくきみの髪をなぶっていく
こんなにも単純なことだったのだ
僕は向き直り
きみにいま話しはじめる