
23日の日曜日、「ゆいレール」内での光景。
すでに顔つきが「夏休み」のふてぶてしさを醸し出している。
学校という枠組みが、夏休みで影を潜めると、
学生たちは「アナーキスト」に変貌する。
恐いものナシ…である。
実際、日常生活の締め付けであった
「学校」が遠い存在となるわけだから、
自己に忠実になって、当然だ。
そんな「蠢く欲望」を持て余している感じがした。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

23日の日曜日、「ゆいレール」内での光景。
すでに顔つきが「夏休み」のふてぶてしさを醸し出している。
学校という枠組みが、夏休みで影を潜めると、
学生たちは「アナーキスト」に変貌する。
恐いものナシ…である。
実際、日常生活の締め付けであった
「学校」が遠い存在となるわけだから、
自己に忠実になって、当然だ。
そんな「蠢く欲望」を持て余している感じがした。

この週末は、旧居の大掃除。
「一週間前までは、この部屋に住んでいたんだよな…?」
そんな疑問が浮かぶぐらい、すでに他人行儀な佇まいである。
畳はすり減り色褪せ、壁も全体的に傷んでいるし、水回りの汚れも致命的。
…なんて、ボロい我が家だったんだ。
人間の心理ってこんなもの。
離れてしまうと、あっという間にポジションをすり替えてしまうんだ。
…ちょっと哀しくなった。
とにかく次の借り手がボロ家と思われないように、
集中して大掃除を行う。
水回りのカビや油汚れは、強力な洗剤で根こそぎ取る。
…それでも9年間の汚れはかなり根深い。
雑巾がボロボロになった。
ベランダも校庭の砂が堆積していて、かなり汚かった。
すべてを廃棄し、何度も何度も水を流して元の状態に近づける。
窓ガラスや網戸、畳や壁も出来るだけクリーンに。
5時間かけても、まだ終わらない。
へとへとになって終了。
来週末に大家さん立ち会いのもと、チェック。
その時が、ホントの引っ越し終了…ってわけ。
ごくろうさまでした。

引っ越しをした土曜日、
合間を縫って「FEC定期公演」に出かけた。
FECとは「Free Enjoy Company」の略で、
沖縄のお笑い芸人をかかえる演芸集団のこと。
発端は大学のサークルで、今年で10年目を迎える。
沖縄のお笑いが、どの程度のものなのか、
ある意味、高をくくって会場へ足を運んでみたが…
…これがまた、思いのほか面白かった。
ウチナーンチュにしかわからない地元ネタ満載かと思ったら、大間違い。
しっかりネタを創作して、何度も何度も繰り返し、
リズムをしっかり掴んだ自然な笑いが、随所にちりばめられていた。
沖縄から「第2のガレッジセール」が生まれるのも、時間の問題かもしれない。
大注目はやはり【いさお名ゴ支部】。彼は本物だと思う。

同じ時間帯の夕方、新居のベランダから見えた風景。
ここは「那覇新都心」である。
そもそも、1987年までは米軍の住宅地だった「那覇新都心」。
実際、ボクが沖縄に移住した1998年でも、ただのだだっ広~い空き地で、
たった1本だけ横断していた道路を、自転車で走るのがとても気持ちよかった記憶がある。
…そんなわけで、
周りの建物はすべて5年程度の築年数しか経っていない。
あたらしいのである。
写真のメインストリートは、
来年には国際通り方面までつながる予定。

引っ越しを終えて、
仕事で国際通りに向かう道すがら、
撮影したショット。
斜光が手前にぐーんと伸びて
近所の酒屋も、印象的に見えた。
「栄町」のかつての中心地、ロータリー跡地の交差点だ。

森山大道の写真展に行った時、
芳名帳に住所を記入していて、ひとりほくそ笑んだ記憶がある。
「大道」
この響きには、胸騒ぎがする。
社会をProvokeする、Agitateする勢いがある。
「プロヴォーク」といえば、中平卓馬だが、
写真家とは、写真行為で現実を捉えながら、
現実を転覆させるアジテーターな存在なのだ。
ここ「大道」は占領下のアメリカ世の時代から、
特殊飲食街いわゆるアカセン「栄町(さかえまち)」として栄えた。
今も、「旅館」を掲げた特飲店が数多く点在する。
その光景は新宿ゴールデン街の森山大道そのものだ。
栄町市場といい、アカセン「栄町」といい、
「大道」の名にふさわしい混濁した欲望が浮遊している。
9年前のボクは、そんな雰囲気にノックアウトされ、住み着いたのだった。
●
ここ「栄町りうぼう」は「栄町」を背後に
24時間オープンしているスーパーマーケット。
タイムサービスやワゴンセールスに出くわすと
スーパーの照度では、ちょっと濃すぎる
往年の女性たちが列をなしていたりする。
黒づくめのゴージャスな衣装に、
ゴージャスなつくりの顔(眉、眼、唇…)。
強烈なパフュームを漂わせながらも、
足許は、素足にサンダルの出で立ち。
妖しげな赤い照明の下では、
年齢不詳な魅惑の女性たちも、
スーパーの中では、ただの厚化粧女だ。
アメリカ世の世界観を引きずった女版「浦島太郎」…。
「栄町」のいつまでも変わらない
そんな取り残された感が…ボクは好きだった。

「転勤族」であった父の影響で、
学生時代に4回、社会人時代に4回、
引っ越しを経験しているボクだが、
今回の引っ越しには骨を折った。
過去の引っ越しで身の回りの取捨選択は
その都度されてきたか…と思っていたのだが、
今回、あらためて自分の荷物を確認してみると…
妙に小物や雑貨が多いことに気づく。
40年近い歳月で人生も上流から下流へ。
川の水も、淀み滞り沈殿するように、
知らぬ間にいろんなものをストックしてきてしまったようだ。
「そんなもの携えて、死ぬことなんかできないのよ」
物にあふれた新居で、苛立ちを隠さず妻が吐き捨てる。
言われてみれば、…その通り。
大切に大切に、「秘密基地」にガラクタを貯め込んで
時折、眺めてみたところで、過去は戻ってこないし、
アルジがいなくなれば、ガラクタはガラクタでしかなくなるのだ。
貯まりに貯まった書籍群を眺めながら、思う。
「こいつらを再読するほどの時間も、もはや持ち合わせてないんだ」
…それでも物に執着する自分。
薄皮が剥がれるように、記憶の襞もディテールが失われていく。
摩耗してすり減る自分自身を、引き止める手だてはない。
だから、写真を撮る。
収めることで…、
勝手に…、
なにを納得しているんだろう…。
積
み
上
が
っ
て
い
く
ば
か
結局、 り
な
撮り貯めた写真の の
だ
ネガフィルムが、 |。

15日から17日の3連休のあいだに、引っ越しをした。
●
荷物の段ボール詰め込み作業は、意外にスムーズだったのだが、
15日、アート引っ越しセンターを使っての荷物の大移動…
16日、17日の段ボールから荷物を出して整理する作業が、もう大変。
引っ越しがこんなに面倒で厄介なものだと、改めて思った次第。
●
新居ではできるだけ物が目につかないように、
押し入れを効果的に活用したい…との妻の意向で
今までストックしてきた本や雑誌などの資料関係は
すべて裏の方へ押しやられてしまった。
●
MAXplusという近くの家具屋さんへ収納家具を買いに。
できるだけ安価で空間効率の良い物をメジャー持参で検討をしに。
ふたりで現場討議し、その日は買わずに帰宅。
改めて荷物を収納してみて、後ほど妻が購入をすることに。
念には念を…の精神。…完全に仕切られている…。
●
この3日間で、ふたりが衝突すること、数えきれず。
腰を据えてじっくり行いたい妻と、
とにかく早くいつもの生活に戻したい夫との、せめぎ合い。
…全面的に、ボクに非があるのだけれど。
●
…KDDIにも呆れた。
うちは通信関係の支払いをすべてKDDIにまとめているが、
一週間前に転居の知らせをしていたにもかかわらず、
固定電話の移動は27日以降となってしまった。
これは結局NTTへ委託するカタチとなるため、
私⇒KDDI⇒NTTの流れで電話設置工事を指示することとなり、
日数がかかるらしい。
さらに、インターネットの接続となると、
そこから1ヶ月も先になってしまうと言うから驚き。
これもNTTの回線を介してのKDDI作業となるため、
両社間の事務手続きが「行って来い」で煩雑となり、
結果、コンシュマーにそのしわ寄せが来る…とのこと。
なんとも解せない話である。
8月後半まではblog更新も遅々として進まない状況かも…。
新居の周辺環境はおいおい報告します。

ボクの青春「高円寺」と
イメージがダブるもうひとつの場所…
それが「大道小学校」だ。
「高円寺」時代は、
眼と鼻の先に「馬橋小学校」があった。
弟は、その小学校を卒業している。
朝は早くから野球の練習が行われ、
校内アナウンスが高らかに響く。
運動会の季節になると、毎日毎日、
朝からブラスバンドの練習が大音量で聞こえてくる。
夕方には、帰宅を促す「ほたるの光」が、
西日独特の湿った空気とともに入り込んでくる。
夜には、どこから集まってくるのか
悪ガキどもが車座になってひそひそ話をしている。
そんな学校の風情が、
ボクには、タマラナイ。
なぜだろう?
なぜだか、わからない。
学校を取り巻く、
そのゆるやかな空気が
おそらく好きなんだ…と思う。

あさっての土曜日に、いよいよここ栄町に別れを告げる。
那覇市大道「栄町」に、まる9年間。
義務教育の9年間をここ栄町で過ごしたと考えると、大変感慨深い。
…沖縄に来て、もう10年が経とうとしている。
いつまでたっても「客人」としての自分がいる。
最終的には、やはり沖縄に「心酔」していない自分に気づく。
そもそも、ここ「栄町」に住まいを決めた理由は簡単だ。
この「栄町市場」に惚れ込んだからだ。
迷路のように入り組んだアーケード街が、
かつての住まい「高円寺」を思い起こさせた。
「高円寺」はまさしくボクの青春である。
中学2年から大学卒業、社会人3年までの
12年間を過ごした場所である。
そんな思い出の地「高円寺」とここ「栄町」を重ね合わせていた9年前。
ボクは沖縄の地に、血湧き肉躍るかつての青春を求めていたのか?
振り返ってみると、沖縄の9年間はまさに青春だった…と思う。
最果ての地、南国の地、スカイブルーの海、照り注ぐ太陽…。
うだる暑さ、潮風にべたつく肌、キチガイみたいな夕焼け…。
何をとっても新鮮だった。
毎日、毎日が嬉々とした驚きにあふれていた。
朝は早くから西海岸を北上し、
青い空と青い海をまぶしく思いながら、
今までの経験を生かした仕事をこなし、
夜はおそくまで酒を飲み、
時には異国情緒あふれるオキナワ女をくどき、
毎日ヘベレケになりながらも充足していた。
学生時代に戻ったような
自己発現の毎日だった。
東京、仙台の修業時代が色あせて見えた。
オキナワの地が、ボクを再生した…と言っても過言ではない。