
週末、散髪に行ったら
いつも切ってもらっている
古謝さんに、ひとこと言われた。
「あらあ、ますますキューピーになってきたね。」
…どうやら、頭髪だけが若返っているらしい。
本日、御殿場入り。
富士山のふもとに行く。
霊験あらたかなり。
効能あるか。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

週末、散髪に行ったら
いつも切ってもらっている
古謝さんに、ひとこと言われた。
「あらあ、ますますキューピーになってきたね。」
…どうやら、頭髪だけが若返っているらしい。
本日、御殿場入り。
富士山のふもとに行く。
霊験あらたかなり。
効能あるか。

まったくもって愚痴しか出てこない。
忙しくすればするほど、
遠心力がかかって
こぼれていくものも増える。
余計な出費もなぜだか重なる。
コミュニケーションの齟齬がちょっとした問題に発展する。
くだらない話にまで顔を突っ込み、二進も三進もいかなくなる。
活動範囲も影響力も増すのだけれど、
細かい部分まで気持ちが行き届かなくなり、
しょうもない大きなミスを連発している。
立ち止まれない。
負のスパイラルが、突然うずを巻いて迫ってきたりするのだ。
どんなまじないが利くのだろうか。

あと数分でSt.Valentine’s Dayだ。
このログが書き終わった頃には、
しっかり当日を迎えていることだろう。
バレンタインの2月14日は
結婚記念日でもある。
毎年のことだから忘れないよう、
婚姻届を2月14日に出したわけだ。
先日の11日は母の誕生日であり、
ボクたちの挙式の日。
いわば記念日の重点期間。
本来なら、
しっかりとスケジュールを立て、
プランを練りに練った素晴らしい時間を共有すべき日。
それだと言うのに、
今は自分の仕事も回らない状況。
こぼれた企画を周りに振りつつ、
なんとか主要なものを進めていこうと
首尾良く進行しているつもりなのだが…。
周りの人間のスケジュール管理までは
首尾良く…とはいかないもんで、
結果、こぼれてしまった案件も出てきた。
…どうフォローしていくのだ。
まずは妻をフォローすべきなのに。
広告接待を要領よく収めていかないと
火種がどんどん飛んでくる。
…困ったもんだ。

せっかくの写真日和。
愛機のRollieFLEXを
いつものように首から下げ、
桜もしっかり6×6に収めようと
勇んで出かけたのではあったが…。
いきなりカメラのレンズボードが動かない!
こんなアクシデント、初めてだ。
愛機となってちょうど1年。
大切に大切に、このオジイカメラを扱ってきたけれど、
どこかで馴れ合いになっていたのかしら。
見事にアウトオブフォーカス状態で
桜を収めることも出来ず。
気分も冴えず。
帰りも渋滞で。
なんとかdigiMINIで
写真欲求を満たすしかなく…。

3連休の中日。
土日月とお休み。
しかも春のような陽気。
折しも桜のシーズン。
さらにプロ野球は8球団のキャンプ中。
まあ、いろんな好条件が集まって
名護にクルマが集まるのは、ある程度覚悟してはいたが…。
まさか、5時間も渋滞につかまるとは…。
唯一の休日ともいえる日曜日に
朝早くから名護ハーフマラソンの応援に駆けつけたはいいが、
欲を出して、桜を観に行ったのが失敗だった。
八重岳の頂上までクルマを走らせ、
夕方には帰路についたのだが…。
名護を出るまで3時間。
そこから高速で那覇まで2時間。
すばらしい。
これが沖縄的渋滞のはまり方。
「It’s an Okinawan Style!」
どうしたら、こんな島でこんなにクルマが滞るのか、
その原因を突き詰めてみたい!…そんな一日。
…桜はキレイでした。

去年から地道に活動していた
「美ら島フォトミュージアム」設立推進委員会の
はじめてのイベント「第0回フォトセッション」が
いよいよあと1ヵ月に迫った。
本日、チラシが納品される。
2万部のB5サイズ印刷物を眺めていると
事の偉大さが、こちらにビビビっと伝わってくる。
実際、スライドの予行を本日行ってみて
はじめて全写真群を眺めてみたが、
1950年の那覇市内や、やんばるのノグチゲラや、
海中をゆうゆうと泳ぐウミガメや、きび畑をバックに笑う琉球人の肖像や、
ボリビアのウチナーンチュの家族や、米軍基地内の演習風景や、久高島のイザイホーなど…
沖縄の過去50年間の記憶を秒単位で見せられると、
「写真力」の物凄さに、おののいてしまうのだ。
あさってはスライドショー参加写真家が一堂に介して
それぞれの作品をチェックすることになっている。
あらためて、沖縄の風土がもたらす魅力に圧倒されることだろう。
18組の参加写真家がそれぞれ50枚の写真を投影するとして、
合計1000枚あまりの写真群を2時間かけて見る計算になる。
ビックイベントじゃないか!
当日は椎名誠さんと東松照明さんの対談もある。
東京の雑誌社も多数、取材に来る予定だ。
地元のテレビ局も映像を押さえにやって来るはずだ。
なにがなんでも成功させなければいけない。
これからが正念場である。

毎日、毎日、仕事が遅々として、山積み状態である。
昨日はついに疲労困憊に陥り、頭痛が止まらず、睡眠を摂った。
しかし、さまざまな仕事を同時進行で進めていると、
いろんなことが見えてくる。
多様な人間との関わり合いで仕事は進行する。
当然、チームワークが求められる。
進行のうまい奴、身勝手な奴、段取りの悪い奴…。
身の処し方が器用な奴、不器用な奴、理不尽な奴、意味不明な奴…。
融通の利く奴、利かない奴。マイペースな奴、音頭取りな奴…。
大勢の人間と関わって、さまざまな性格がわかって、
それでも皆がひとつの方向を目指しているとき、それは大きなWAVEとなる。
これは、快感だ。
ペースや性格が違えど、グループとして団結している。
大きな仕事になればなるほど、そのような要素が求められる…と思う。
社会的な生き物として、生を授かった人間の本望である。
●
ところが、最近は違ってきているらしい。
学生が「オレ様化」してきた。
何も今に始まったことじゃない。
しかし、ボクが学生の頃は「オレ様」はいなかった。
ボクの時代は、まだ「ツッパリ」がいた。
「ツッパリ」には主張があった。
学校が良しとするルールに対してのアンチテーゼがあった。
「オレ様」には主張がない。ここが大きな違いだ。
学校のルールとは相容れない。「オレ様」だからである。
位相がずれている…と言ったらいいだろうか。
だから、教師の叱咤もピンとこない。…だからキレる。
「オレ様」の行動は、どんな時も正しい。
どんなに理屈で否定されても、ビクともしない。位相が違うからだ。
「オレ様」の行動様式に則って行動しているのだから、
教師の叱咤は、青天の霹靂、不名誉以外の何物でもない。
そんな「オレ様」が横行している。
共同作業や共同制作からは最も遠いキャラクターである。
「オレ様」は利己の本能で行動するから、
他者を理解できない。他者を理解できないから、他者と交わらない。
「オレ様」は消費社会の一員として生まれてきたから、
行動規範は常に損得勘定となる。自分にとって「得」か「損」か。…それがすべてだ。
相手との関わりは常に交渉事だから、一挙手一投足に対価を求めてくる。
「これだけのことやってるのに。」「あいつばっかりイイ思いして。」
チームワークを取ることができない輩たちである。
●
同じような人種の深化したカタチ、それがスピリチュアル化だ。
江原啓之や美輪明宏のおかげで、一大前世ブームである。
丹波哲郎も「死後の世界」を売りにしていたが、
細木数子といい、江原啓之といい、
もはやギャグの域を逸脱している。
受け手が、真剣なのだ。
「前世は母なし子だったから、愛情に飢えてるの」
そんなもっともらしいセリフを吐かれて、狼狽えながらも納得する人々。
だから、こんなに胸の奥が凍り付いているのね。
だから、いつまでたってもホントの愛に巡り会わないのね。
だから、目はいつも笑ってないのね…。
前世という確固とした筋書きにすがり、
他者を省みない。…これも「オレ様」の変容したカタチだ。
違っているのは、「オレ様」が「前世」に依拠しているところ。
利己の本能ではなく、過去の本能に依ることで自己を確立している。
だから、周りがみえない。
行動規範が常に予定調和だから、冒険もない。
後ろ盾を「前世」に求めるから、自身の変化も希望しない。
●
両者に共通しているのは、自己逃避だ。
「オレ様」は利己の本能が「おのれ」自身だと判断する。
だから「失敗」や「絶望」による学習を求めない。
むき出しになった「裸の自分」を見つめようとしないのだ。
「スピリチュアル」も同じ道を辿る。
自己の導きは「前世」の業に依るものだから、
「オレ様」と同じように「失敗」や「絶望」と向き合わない。
むき出しになった「裸の自分」が見えない。
政治や制度は自分たちで改革する!
と勇んでいた団塊の世代のつまづきがどんどん慢性化し、
人間の本望である「社会に寄与することの歓び」が失われてきている。
これもすべて情報化社会によるものだと、ボクは思う。
「情報」の鎧を着ることで「自分」を装う術をおぼえてしまった。
「欠如」から生まれる創造力が、どんどん減退してきている。
なるほど、そこで合点がいく。
大森克己の写真道は、その「欠如」にあったか…と。

夕方から沖縄本島中部に位置する「美浜」へ。
この時間に美浜近辺に足を向けるのは久々だった。
夕暮れに点滅する観覧車が美しい。
人出もまばらで、以前の賑わいは見られないけど、
このあたりは、なかなか沖縄らしい「抜け」の良さがある。
観覧車前では、インディーズバンドが大音量で自作を押しつけていた。
若者たちがその前で、リズムに乗ろうとカラダを揺らすが、うまく掴めてない感じ。
徐々に暮れる夕焼けを眺めながら、
のんびりとした沖縄を感じた日曜日。

土曜日にも増してぽかぽか陽気の那覇市内。
気持ちよい天気。…まさに散歩日和だ。
まずは桜坂劇場で「花子」を見る。
「花子」
1979年生まれの今村花子さんは知的障害者。
言葉を発することができない。
だからってワケではないだろうが、
夕食の残飯で畳の上に「アート」を施す。
残飯で彩られた様々なカタチ。
ものすごくデコラティブにこんもりと表現される日もあれば、
焼き魚の頭にごはんつぶがひとつ…といったシンプルな日もある。
それを毎日、写真に収める母。
実は今村花子さんの存在は、大森克己ワークショップで知ってはいた。
2000枚に及ぶ「残飯アート」をスライドにして、無音状態で見せられた。
その膨大な数と、圧倒的な残飯の迫力に、どうコメントして良いモノやら…と、
当時はかなり重たく感じたものだったので、
この2001年に作られたドキュメンタリーも
散歩日和の日曜日に映画館で観るべき映画なのだろうか…と
かなり引き気味だったのだが…。
冒頭いきなり入る忌野清志郎が、すべてを吹き飛ばした。
「一人の女性に」作詞+作曲:藤井裕+忌野清志郎
さみしくて我慢できないなんて一言も言ってない
君がいないと生きていけないなんて一言も言ってない
この部屋から出ていけなんて
僕は今まで一度も言ったことはない
君がいれば最高だなんて一言も言ってない
この人生が幸せだなんて一言も言ってない
この部屋にいつもいてくれなんて
僕は今までに一度も言ったことはない
あー空は青い
青い青い空の下
僕は今までに君以上の女性を知らない
君がいないと生きていけないて言ったことはないけど
この部屋から出ていけなんて
僕は今まで一度も言ったことはない
あー夜は暗い
暗い暗いどのくらい暗い
つまり僕は僕の心を君には一度も
言ったことも伝えようとしたこともない
僕は今この部屋で一人つぶやくのさ
僕は僕の気持ちをわかりやすく伝えればよかった
たった一人の女性に伝えればよかった
映画の感想をひと言でいえば、
「散歩日和にふさわしい映画」だった。
今村花子さんを囲む今村家の様子は、
追い詰められた重さもなく、淡々としている。
定年を迎えた父とテニスサークルを楽しむ母と、
音楽大学に通う姉と、その妹である花子さん。
花子さんへの愛が深いからこそ、
花子さんが施す「残飯」処理も「アート」として
楽しんで受け入れているのだな…と、素直に感じられる。
その母の度量の深さ、振幅の広さが、とても清々しい。
気負いもなく、特別な感慨もなく、ふつうの子として
花子さんと接している。
考えてみれば当たり前のことだが、
その強さが母なのだろう。
父や姉も一定のスタンスを取りながらも
花子さんを見守っているのが、よくわかる。
だからこそ「散歩日和」な映画に感じたのだ。
ひたすら前を向いて歩いてる映画…だと思った。

翌日、マイナス1度の久留米から高速バスで福岡空港へ。
ぶるぶる震えながらのフライト。
しかし那覇空港についてみると、この陽気。
その気温差、20度?
沖縄の位置と、日本列島の南北の距離を実感した瞬間。
「日本って、広いねえ」