La Vie en Rose


Hold me close and hold me fast
The magic spell you cast
This is La vie en rose

When you kiss me heaven sighs
And tho I close my eyes
I see La vie en rose

When you press me to your heart
I’m in a world apart
A world where roses bloom

And when you speak, angels sing from above
Everyday words seem to turn into love songs

Give your heart and soul to me
And life will always be
La vie en rose

抱いておくれ しっかりと
君のかける呪文 バラ色の人生
君の口づけで天国が吐息をもらす
目を閉じると見える バラ色の人生

君の心臓に押されれば
そこは別天地バラの花咲き乱れ
君が口を開けば空から天使が歌唄う
日々の言葉一つ一つが恋の歌となる
おくれこの僕に 君の心と魂を
そうすれば人生はいつもバラ色の人生

「バラ色の人生」を挿入歌に持ってくるあたりが、すでに切ない。
男と女のつかの間の幸せを歌ったシャンソンの名曲が、
逆光のふたりのシルエットに重なるように流れる。

決してバラ色ではなかったアメデオ・モディリアーニとその妻ジャンヌ・エビュテルヌの
人生を描いた「モディリアーニ・真実の愛」は、アンディ・ガルシアがモディリアーニに心酔して
制作総指揮を司り、自ら主演した映画だ。

アメデオ・モディリアーニは、1884年7月12日にイタリアで生まれ、フランスはモンパルナスで活躍した作家である。
同時代の作家にパブロ・ピカソがいる。スペイン人とイタリア人という異国の作家同士だったこともあり、
お互いを激しく意識した間柄だった。ピカソが名声を欲しいままにしたのとは反対に、
モディリアーニは、天才ゆえの不遇の生涯を36歳で終える。

生涯を貧窮と持病の肺結核で苦しみ、その不遇を紛らわすべく、
大量の飲酒、薬物使用などの不摂生を繰り返す。
妻のジャンヌ・エビュテルヌは、酒と薬で身を滅ぼすアメデオを献身的に見守り、
子どもを身ごもりながらも、1920年1月24日に彼が死んでしまうと、
その2日語に後追い自殺を図ってしまうのだ。21歳という若さで。

「バラ色」とはほど遠いが、愛で燃え尽きたふたりの人生。

切なくてやりきれないが、100年近くたった今でも、
人の心を揺るがす愛の強さを感ぜずにはいられない。

アメデオ・モディリアーニの遺作は妻を描いた「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」である。
映画の中でも、彼の作品はひときわ人の心を打つ。

Orion DRAFT New Design!


昨日マスコミ各社へ通達、
解禁になったので、やっと紹介できる。

オリオンビールのドラフト缶が6年ぶりにリニューアル!
2001年から使われていた現行のデザインは
50周年を迎える5月18日にすべて切り替わる。

デザインコンペから2年あまり。

瓶ビールのラベルが先行して、
缶デザインはいつから採用されるのか…と
ハラハラしていたが、今年にはいって急展開。

鳥栖や御殿場の製缶工場へも立ち会い、試刷りを重ねた結果、
上品な質感のパールホワイトをベースにあしらったステキなデザインに仕上がった。

街に溢れるオリオンドラフトの看板は
5月を境にすべて入れ替わる予定だ。

空港で観光客を迎える「ようこそ、ビールのうまい島へ」
とうたわれたドラフト看板も、このデザインに差し変わる。

これだけ大規模なパッケージデザインに関われたことを誇りに思う。
(デザイナーA氏に感謝!)

だからこそ、TVCM不採用は、愕然とした。
大事に愛でてきた我が子の晴れ姿を、他者に託すような心境だ。
しっかりと演出し、世に送り出したかった。

なんとか、9月以降の展開には、
自社のクリエイティビティを結集し、
TVCM採用にこぎつけたい。

逆光に立つドン


ステージ上で、スポットライトを浴びるドン。
アセロラダイエッツのドニーだ。

彼の存在がなかったら、
南国ドロップスライブもここまで盛り上がらなかった。

やさしい奴。

【大盛況!】南国ドロップスLIVE in 桜坂劇場


「真栄原社交街から桜坂社交街へ」
…とサブタイトルのついた南国ドロップスの
 桜坂劇場LIVEが、17日夜2100から行われた。

客の入りもまばらで、正直アウトじゃないか…と
開演前まで不安の時間を過ごしていたが、

始まってしまえば…もう止まることが出来ない。

パフォーマンスに飲み込まれないように、
観客の冷ややかな視線にやられないように…
ひたすら自分たちの音楽をプレゼンテーションしよう!

そんな気負いがあったかなかったか…
初めの2曲は、ちょっとカチコチとしていた。

そこに顕れた救世主、「アセロラダイエッツ」のドン。
彼を交えた楽曲「Fat Man Blues」で、観客も肩の力が抜け、
メンバーたちも心底、音楽を楽しむ雰囲気が出てきた。

桜坂社交街と真栄原社交街がうまくミックスされた、
バンドの色が良く出たライブパフォーマンスだった。

何しろ映画館である。
客席300名がすべてゆったりとした椅子を備えている…キビしい空間なのだ。
下手をすれば、寝入ることだって可能なセッティングで、
よくあそこまで盛り上げることができた…と我ながら感心してしまう。

アンコールも無事終了、
劇場入り口での挨拶もみなさん好意的で、
CDの販売とサイン会とで、しばらく賑わった。

いろんな意味で、
一皮向けたライブを行うことができ、
メンバーたちの自信にもつながったことだろう。

次のLIVEも、楽しみ。

【日曜日】蹴伸びリラックス


さまざまな重荷から解放された(一時的とはいえ)日曜日。
「蹴伸びリラックス」を求めて、いつものプールへ。

重力の緊張を水中で解き放ち、ひたすら弛緩体勢。
蹴った勢いで体を水の流れに任せ、ゆるやかに筋肉を解す。

20歳から欠かさず行っている「蹴伸びリラックス」だ。

「水中」があるからこそ「地上」の生活にも耐えられる。
人間も元を辿れば、シーラカンスまで行き着く。
「水中」生活の記憶も、きっとこの体に刻まれている。

    絶対に。

…そんな宛もない思考で、脳みそも弛緩させながら、
ひたすら手足をばたつかせる【水泳】という運動は、
ボクの存在には、欠かせないものとなった。

20歳の時点からの話だ。…実は。

      ●

田無市に住んでいた小学校1年生の時。
ボクは夏休みの水泳教室が、イヤでイヤでしょうがなかった。

毎日駄々をこねて、「行きたくない」と泣き叫んだ。
母親に蹴飛ばされて、無理矢理ウチを出る。
小学校まで40分もの道のりを、泣きっ面で歩いた。
途中、八百屋の店先で時間を潰す。

時計をチラ見しながら、もぞもぞとしている。

居心地が悪くなると、次の店の軒先へ。
そうやって、できるだけ時間を稼いだ。

小学校のプールに着く時には、すでに次のクラスが授業を受けていた。

「仕方ない」といった面持ちで、ボクは持ってきた水泳パンツを水に浸す。
タオルも適当に湿らして、水泳バッグにしまい込んだ。

復路は足取りも軽く、道草も気の向くまま。
それでも後ろめたいのか、母親の顔が脳裏にちらついた。

「ただいま!」と空元気に挨拶して玄関をくぐった…かどうかは、記憶にない。
そこまで演技派な小賢しい子どもだったら、もっと器用に生きていただろう。

今でも「蹴伸びリラックス」をしながら、時々思い出すボクの水泳エピソード。
それぐらい、【水泳】とボクは切っても切れない関係なのだ。

【フォトセッション】世代を超えて


今回の「琉球フォトセッション」に
参画して得た大きな体験のひとつに
「世代を超えた交流」があった。

発起人の東松照明氏は1950年代から第一線で活躍する
日本の写真界の重鎮である。現在77歳。

シベリア抑留を経験し、帰国後精力的に沖縄を記録してきた
山田實氏は、沖縄の写真界の重鎮である。現在89歳。

仙台のデザイン事務所時代の取材がきっかけで、今も懇意にしていただいている
垂見健吾氏は、世界中を飛び回る売れっ子写真家である。現在58歳。

時代を築いてきたこのような方々の存在を
身近に感じることが出来たのは、大きな収穫だった。

日常生活や仕事のやりとりでは、
なかなか接触する機会の少ない世代の方々である。

両祖父母もすでに他界しているので、
家族のつながりとしても、経験が途絶えて久しい。

だからこそ、このような「世代を超えた交流」は、とても新鮮だった。

近くに居るだけで、歴史を感じた。
その存在感が、何かを語っていた。
会話を交わすだけで、何かを授かった気がした。

今回のフォトセッションに参加した中核の写真家はみな、
東松照明氏の薫陶を受けた方々である。

國吉和夫氏、大城弘明氏、嘉納辰彦氏…
それぞれが東松照明氏の存在を大きく受け止め、
その期待に応えようとしていたのが、よくわかった。

時代は変われど、その関係は決して変わらない。

   師は一生、師であり続ける。

その連綿と続く「世代を超えた」継承を、
今回の経験で、ボクは強く意識した。

ピリオドがいつ来ても、
やり残しのないように生きている…と語った
東松照明氏のまなざしに、偽りはない。

だからこそ、ボクもここまでやり切れたのだと思う。

人と人とのつながりに、感謝。

【フォトセッション】満員御礼


朝の8時から夜の12時まで、一日桜坂劇場内にSTUCKされた昨日。
その根詰めた甲斐があってか、企画・出演した両イベントとも大盛況。

特に「第0回琉球フォトセッション」は、
企画の根幹に深く関わり、進行の組み立てから当日の運営まで行ったので、
その悦びは「ひとしお」だった。

300名という定員は事前に売り切れ、
興行的な心配はなかったのだが、
なにしろ素人がゼロから組み立てた企画である。
来場した観客が不服な仕上がりのイベントでは、後が続かない。

滞りなく、大きな事故もなく、飽きさせることなく、進行できるか?

その思いを結集して迎えた当日は、
朝の搬入に始まり、ミュージシャンを交えてのリハーサル、
音響・映像・照明のタイミングチェック、マスコミ各社への取材対応、
ゲストの受け入れ対応、開場の受付・誘導・案内、アンケートの配布・回収などなど
あらゆる事項が時系列で連動していく、めまぐるしいものとなった。

「椎名誠×東松照明」トーク対談まで、ハラハラドキドキの連続。

満足に食事を摂る時間もなく、進行表と時計のにらめっこを繰り返す。

終わってみれば、参加写真家はもとより、ゲストのおふたり、
観客の方々、スタッフのみなさんがみな満足の笑顔を浮かべていた。

イベントの醍醐味。充溢した瞬間。

ひとつの思いから立ち上がった「琉球フォトセッション」。
こころざしはカタチになり、参加した人々の中にメッセージを残せたように思う。

沖縄タイムス 3月18日朝刊「琉球フォトセッション」

【フォトセッション】最終テスト


15日、フォトセッションの最終テストが行われた。
通常営業が終わった深夜の桜坂劇場。
最後の上映が終わって静まりかえったホールに
最新鋭のキヤノン製プロジェクターを抱えて入る。

映写室にお邪魔すると、
巨大な映写機が2時間分のフィルムを巻き戻していた。

ものすごいスピードで35mmのフィルムが宙を切る。
年期の入った映写機と、そのフィルムの量に圧倒される。

夜中の映画館。

なかなか入れるもんじゃない。

3500ルーメンのパワープロジェクターを映写室に設置。
ルーメンとは光の束を測る国際単位。ルクス(光の明るさ)に平方メートルをかける。
カンデラ(光の強さ)とともに、聞き慣れない響きが魅力的。

映写室からタテ5mのスクリーンまでは約30m。
客席の頭上を光の束が放射され、5m×6.6mの光のスクエアが浮き上がった。

   圧巻だ。

暗闇に煌々と光る四角い画面。
これだけのスケールで、パソコンの画面が投影されると、それだけで気持ちいい。

早速、「フォトセッション」のスライドを映してみる…。

   美しい!!

30mの距離を感じさせない、見事なディテールと解像度、そしてグラデーションだ。
これだけの映像は、入場料を取る価値がある。大迫力で暗闇に浮き上がったモノクロームの世界。
生演奏とともに繰り広げられる光の紙芝居は、映画館という巨大な暗箱でなお一層魅力を増した。

ミッドナイトの映像ショーに、自身が感動してしまった。

   さあ、本番は明日。

キヤノン:パワープロジェクターSX6

【フォトセッション】本日、記者会見。


そんな写真のすばらしさを、永代に伝えていこうと
立ち上がった「美ら島フォトミュージアム」設立推進委員会。

本日、県庁5階の記者クラブにて、
記者会見が行われた。

東松照明さんをはじめ、
山田實さん、垂見健吾さんらが応答。

共同通信社、琉球新報社、OCNが取材にいらしてくれた。

記者会見で、自分たちの思いを全部出し切った感じだが、
果たして伝わったのだろうか。

微妙なところ。

89歳とは思えない、すばらしい姿勢で
記者会見に同席くださった山田實さんとは、
初顔合わせだったが、

ステキに年を重ねたであろう、その笑顔にボクは打ちのめされた。

あんな感じに年を重ねてみたい。

13日はJUNの誕生日 その2


蔵王のふもとでJUNと過ごした時間が、
こうやっていつまでも封印されているのは、
ぼくにとって、最高の宝物。

写真のすばらしさだと思う。

いつ見直してみても、
あのときのJUNの息づかいが聞こえる。

ハアハア言いながらも、
楽しそうに走り回るJUNが
今もそこに居る。

思わず、呼びかけてみる。

   「JUN!」

ほら、走ってきた!