【bozzo】梅雨空、東京。


本日6月最終日、
午前中東京到着。

もわっとした夏日の那覇から
どんより梅雨冷えの東京へ。

いきなり人の動きが活発で
しかも人の距離が近く、
さらに何故か追い立てられるような
殺伐とした空気に、やられる。

「うわっ、リアルに都会」

ラッシュ時の人いきれに
タイトロープな生き様、目の当たり。
⇒詩的過ぎるか。

沖縄は、やはり空気が
友愛的なのだ。

何度も思うが
これが東京。

常に何かしら
突きつけられている
切迫感がある…。

東京人が癒しを求め、
週末だけでも…と
沖縄に足を伸ばす心情が
たやすく理解できた。

緊張を強いたげられる…のか。

…この空気に
 まずは慣れなきゃいけない。

いきなり
ボディブローが
効いているのだった。

【bozzo】虫の知らせ


昨日、ラジオ出演で「青島食堂」の話を出した手前、
「台湾」写真展の宣伝をしておかねば…と、
桜坂の台湾料理の店「青島食堂」に顔を出した。

ちょうど週末撮影した女性に
紙焼きを渡す必要もあったので、
彼女にも「青島食堂」へ来てもらった。

まったくの偶然だったのだが、
「青島食堂」のオーナーと撮影させてもらった彼女は
数年前「八重山舞踊」の教室で一緒になったことがあり、
それ以来、この「青島食堂」には先生と連れだってよく来ていたらしい。

そんなことは露とも知らず、
呼び出した偶然もすごい話だが、

さらにその「八重山舞踊」の先生が
先週末、脳溢血で倒れ、現在病院で一刻を争う状態だと言う。

「青島食堂」のオーナーも彼女の連絡先がわからず、
どうしたものか…と思っていた矢先だった、と言う。

彼女はすぐさま病院へ駆けつけ、
先生へのお見舞いをすることが出来たのだが、

そんな偶然の重なりに
一番驚いたのは、自分だった。

      ●

今週の火曜日、追加のDMを届けに桜坂「g」へ顔を出した。
その時、カウンターで飲んでいた同じ「モリさん」という男性に、
写真展開催の話をさせてもらった際、

「青島食堂には顔出しました?」

と聞かれたのである。

まだ台湾へ訪れる前から「青島食堂」の水餃子は虜になるほど好きだったし、
ska69というバンドのライブがあるときは、オーナーの比嘉さんも
店を早くたたんで足を運んでくれるような仲だったのだから、
ここは久しぶりに顔を出しておかんとな…と、
その時、漠と思っていたのだった。

そんなことがあったからラジオでも口から出たワケで、
それまで「青島食堂」がひょっこり出てくることはおくびにもなかったのである。

有言実行じゃないが、
何かに導かれるようにして、
ボクは「青島食堂」を訪れた。

その最終的な目的が、彼女を先生に会わせるためだったとしたら…。

先生の切なる思い…最期の生命を振り絞るような
壮絶な思い…みたいなものが、ボクに宿り、ボクを導いた…としたら…。

自分が媒介となって、人と人をつなぎとめた…としたら…。

なんだか胸が熱くなって
「人生まだまだ捨てたもんじゃないな」
…と、青島食堂に独り取り残されながらも、強く思った。

まだまだ、人の想いは、貫ける。

だからこそ、人生に賭けることも、
まんざらじゃない…んだ、と。

生きることの勇気をひとつもらった夜だった。

【演劇】エデンの園


bar土blog「エデンの園」こんなんでした。

先週の土曜日。
撮影終了後に二人芝居「エデンの園」を観る。

内田周作と鈴木美保。
演者のおふたりにはつながりがある。

周作くんは広告代理店時代、
auとオリオンのTVCMに出演いただいた。

美保さんは「ゆれる。」のモデルとして
海の中まで入ってもらった。

      ●

沖縄で観る演劇は、おそらく初めてじゃないか?

客席と舞台の近さに圧倒されながらも、
楽しむことが出来た。

エキセントリックな演技に引き込まれ、
苦笑しながらも最後まで見入った。

突然挿入される沢田研二や安室奈美恵の歌に笑いをこらえる。

    「芸術は爆発だ!」

40分ばかりのショートストーリーだったが、
異空間を堪能した。

29日の金曜日にも再演されるので、
まだ未体験な方は、ぜひとも足を運んで欲しい。

芝居の面白さは周作くん曰く
「つくりものだからですよ」

すべて演じられている…そのことを楽しむ。

ついさっきまでとなりで話していた演者が
大声を上げ、泣いたり笑ったり、している。

手を伸ばせば掴める距離で、
恋沙汰が繰り広げられてる。

…その虚構をとことん楽しむ。

ちょっとした感覚のストレッチになる。
最近滞ってるなあ…と思った輩はぜひ。

【大浦信行】検閲問題その後


【琉球新報】県立美術館に抗議、天皇コラージュ非展示の作者

18日午後4時45分から50分間にわたって
大浦信行氏と牧野館長の話し合いが行われたようだ。

館長会見の顛末

抗議文を提出した小倉利丸氏のブログが真実であるとすれば、
この牧野館長は、相当偏った人物だ。

 ●「教育的配慮と総合的に判断して決めた」
 ●「美術館の裁量権によるものであり、表現の自由を侵していない」
 ●「公立美術館だからこそ、こうした判断をする必要がある」
 ●「農家が何を売るか決める自由があるように、美術館も何を展示するかを自由に決めていい」
 ●「かごの中の腐った果物は放っておけば、他の果物に移るから排除するのは当然」

さらに報道陣には…

 「(天皇制への賛否がある中)バランスを欠いたものを公的機関が支援できない。
  外した作品には裸体や入れ墨もあり、県教育委員会の下にある公的機関としてふさわしくないと判断した」

…「バランス?」…「裸体」や「入れ墨」が公的機関にふさわしくない?

おそらく牧野館長は、美術畑の方ではないようだ。
「芸術」「アート」の位置づけがわかってない。

岡本太郎が「芸術は爆発だ!」と言ってるだろう。
芸術を相対的に判断するその姿勢が、まずもっておかしい。

「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」

芸術の本質とは常に過去を否定し、乗り越えることであり、
その視点の置換に、鑑賞者は胸をつかれ、己の視界が開かれるものだ。

芸術家は、自分の信念に絶対的な存在なのだ。
その姿勢を擁護し、支持し、発信する場が、公的機関と云われるところの「美術館」の本質だ。

プリンシプルのない人間に美術館長は務まらない。

【大浦信行】遠近を抱えて


【大浦信行展】画廊沖縄:5月16日(土)~31日(日)

忌野清志郎が「君が代」をパンクにして
レコードが発売禁止になったこともあったが、

昭和天皇を素材に版画を作っても展示拒否になるらしい。
「アトミックサンシャインの中へin沖縄」における検閲をめぐって

まったく。
またか…という思いがアタマをもたげる。

 ●牧野浩隆館長…
 「作家の自由な活動を否定する立場にはないが、沖縄の教育施設であり、
  公正中立なものを扱うなどの観点から総合的に見て(展示は)適切でないと判断した」
 ●金武正八郎県教育長…
 「(主催者側には)教育的観点から配慮をお願いした」

「公正中立」や「教育的観点」。
もっともらしい言い種だ。
「県の税金を使っているから」などという
公務員発言には、ホント呆れてしまった。

何を以て「公正中立」と言えるのか?

      ●

2月には、こんなこともあった。
「石川文洋写真展 戦争と人間」
こちらの写真展では、石川氏の代表作「飛び散った体」が展示されなかった。
その理由がまた…
 「人間の尊厳や倫理にかかわる問題がある」からだという。

…?

では「人体の不思議展」は?

名もない中国人の死体だったら、
Plastinationかけてスライスして
見せ物にしても倫理にかかわらないのか?

「闇の子供たち」
生きた子どもの臓器を売買する問題を取り扱った作品だったが、

「人体の不思議展」は中国人の死体を売買して
「解剖学」の観点からパブリックな「見せ物小屋」を
構築している、まさに「闇の展覧会」である。

      ●

何を以て「公正中立」「教育的観点」「人間の尊厳や倫理」を語っているのだろう。
未だに「数の論理」から抜けきれない日本の政治に似てないか?

白洲次郎が「プリンシプルのない日本」と嘆いたが、
館長や県教育長の発言は、まさに「プリンシプルのない日本人」。

周囲の眼の色を伺っているだけ。
信念のかけらもない。

今こそ忌野清志郎を聴け!と言いたい。

【Reborn】本日終了日


12月19日。晴れ。
今週の沖縄は
とても過ごしやすい。

今もTシャツ一枚。
12月とは思えない陽気だ。

今日が出勤最終日。
タイムカードを押すのも最後になる。

Let it Be myself.
これからはすべてが自分自身。

なにをやるにも自身の責任。
引き締まるなあ。

10年間勤めた会社へ感謝。

決して短くはない。
いろんなことを学ばせてもらった。

新たな結果を出すことで
その恩返しをしたい。

まずはジャマイカ。
どれだけ自分を解放できるか…
それがカギ。

Be Myself!

巡り巡ってきた必然。
Reborn…。

これからがホントの自分なのかもしれない。

【壮行会?】Be Freeではじめよう!


12月14日。日曜日。くもり。
外にいると肌寒い。

コトの発端は
まあ、ボクが会社辞めるんで、
今までお世話になったフリーの方々、
集まって飲もうよ!

…と提案したのがキッカケなんだけども、

家庭もあるし、年末だし、
みんな遠方だし、まずは食事でも…。

…と日曜日のお昼にコザのRoguii(ロギー)に集まった次第。

アートディレクターコピーライター、デザイナー、カメラマン…と
同世代の頑張るみんなが仕事抜きに集まるって新鮮。

当然、確定申告とかの「リアル」な話も飛び出したけど、
目的意識を持って生きてるみんなのその「リアル」が、
とても共感できたし、元気づけられたよ。

別に具体的なアドバイスとか、そういうんじゃなくて。

「生活」ってことかな。
「夢」とか「志」ってとこかもね。

かたわらには5ヶ月になる「日向」くんも
まばたきひとつせず、聞き入ってる。

「うるおってるね、その瞳。」

ボクたちも、気持ちうるおわないとな。
枯れたら、おしまいだよ。

【Be Freeの会】…ステキな食事会だったよ。また、集まろう。

【転機】NAHAマラソン その9


午後1時48分。
東京から参加した友だちがゴールする。

4時間40分弱。ベストタイム更新。
40才にして新記録はすばらしい。

2005年の年を除いてここ9年間、
欠かさずエントリーし、すべて完走している。
ボクからしてみれば、化け物。

その不摂生からどんなパワーが生まれるのだろう。
青春期の基礎体力が備わっているから、強いのだろう。

やはり個々の体力は10代で育まれる。

帰宅部はどこまでいっても、軟弱なまま。
30歳過ぎてから頑張ってもポテンシャルがないので、先が続かないのだ。
…半月板損傷の憂き目に遭うのがオチ。

マラソンとは、これから先も縁がないだろう。
水と戯れている方が、ボクには向いてる。

      ●

BESELERの引伸機の続き。

      ●

ダメもとで宇賀神さんにメールで問い合わせる。
BESELERの引伸機は、アシスタント時代、師匠が使用していたので、愛着があった。

丸いネガキャリア。
2本の支柱で支える安定感。

そんな思いもあって、
ぜひともお譲りいただきたい!

プロのカメラマンが使っていた機材だ。
問題あるワケがない。

      ●

その思いが通じたのか、
宇賀神さんはBESELERを快く譲ってくれた。
ありがとうございます!

数々の素晴らしいカットを焼き付けた名機。
その写真魂と共に、このボクがお引き受けします!

      ●

名機は今週、届く。
徐々に視界は開けていく。

一歩一歩、新たな道を歩んでいる。
着実に導かれている。

Let It Be。
ポールの母メアリーが語る…あるがままに。

      

【転機】NAHAマラソン その8


沿道に連れてこられたミニチュアダックス。
マラソンになんか興味ないって感じで
そわそわと外ばかり眺めている。

目がうるうるしていた。
早く散歩の続きをしたいんだろう。

カワイイ奴だ。

      ●

今までカラーネガの現像に使っていた医学写真研究所
というラボ屋(あらためて見ると凄い会社名!)から
カメラマンの紹介で「システムカラー」というラボ屋に現像をお願いしてみる。

仕上がりの違い、歴然!

こんなところからも【転機】は訪れる。
粒子が細かく、発色も色ノリもいい。
(この写真がそれ。ピントも幾分クリアだ)

またひとつ視界が開けた気がした。

      ●

さらに引伸機との出会いもすばらしかった。

ヤフオクでLPLLUCKYのカラー引伸機を落とそうとしていたのだが、
なかなか気乗りしない。どれも中古の転売で、愛情がこもってない。

質問しても実際に写真のことを知っているわけではなく、
アナログ衰退に便乗して金儲けをしているような感じなのだ。

それでも何とか年内にカラー引伸機を手に入れないと、
ペーパープロセッサーだけでは作業にならない。

そんな感じでGoogleでキーワード検索を掛けながら
引伸機との邂逅を待ちわびていたら、BESELERのカラー引伸機が
オークションに出ていた事実を知る。

オークションは終了していたが、成立はしていなかった。
日付は11月末日。まだアプローチできる時間だ。

さっそくヤフオクのプロフィールから
本人のサイトへアクセスする。
Yoshiyuki Ugajin Online Portfolio

  カメラマンだった。

それも素晴らしいポートレイトを撮影している
仕事のできるカメラマンという印象をもった。

ネガキャリアを削って黒フチを付けている点も、ボク好みだった。

      ●

【驚愕】第32軍司令部壕


12月13日(土)。
汗ばむ陽気。12月とは思えない。

午後1時。
琉球大学の生徒に混じって
首里城周辺の歴史を学ぶべく
講習会に参加。

西岡先生引率のもと
首里城の歴史を散策する。

驚愕の連続である。

「旧日本軍首里司令部壕跡」
などというものが、首里城地下に存在している…。
そのために首里は壊滅的な戦禍に襲われた…ということを。

沖縄戦はもともと本土決戦を迎えるまでの
時間稼ぎとして行われた争いで、
1945年4月1日、米軍が読谷に上陸した際も、
何も報復せずに力を温存し、軍勢を南部へ移動することしか考えていなかった。

首里の頂きをベースに「鉄血勤皇隊」と呼ばれる学徒隊を使って
米軍の戦車を自らの命で足止めさせたりした…という。

琉球人の尊厳を真っ向から否定し、
彼らの命を爆弾のひとつとしか認識せず、
ひたすら時間稼ぎのためだけに、むやみに沖縄戦を長引かせた。

指令を司った第32軍は、もともと中国の南京大虐殺実行部隊だった。
だから琉球人の命など、中国人と同等ぐらいにしか思っていなかった。

1945年5月28日、首里司令部壕が占拠され、摩文仁方面への退去を余儀なくされたときも
日本軍は降伏せず、ひたすら平民を巻き添えにしながら、戦禍をいたずらに長引かせた。

そして6月23日、日本軍最高責任者の牛島司令官と長参謀長が
摩文仁の丘で自決を謀り、米軍の勝利が決定的となったあとも、
平民はその後2ヵ月ものあまり、米軍の圧力に屈せずひたすら逃げまどっていた…という。

つまり、沖縄戦は日本軍から放っておかれた。

8月15日に終戦を迎え、玉音放送が流れたあとも、
指揮系統が崩壊していた沖縄は、戦闘継続が個々の判断で行われ、
結果、何も知らない沢山の平民が集団自決で死んでいったのだ。

結局、沖縄守備軍の降伏調印が9月7日に嘉手納で行われるまで
約1ヵ月間も無法状態だったという事実。
実際には6月23日の司令官自決より2ヵ月半、意味もなく戦闘が続けられていたのだ。

なんということか。

そのような事実が一言も語られることなく首里城の下に放っておかれている。
修学旅行で沖縄を訪れる学生たちは、朱や金で華やかに彩られた世界遺産に誤魔化され、
南国の楽園「オキナワ」として刷り込まれて帰って行く。

…それでいいのか。

そんなことで「鉄血勤皇隊」は報われるのか。
オキナワのアイデンティティはどこにいったのか?

4時間もの首里散策で、とんでもない事実を突きつけられた。
濃厚なオキナワ体験だった。