【bozzo】性懲りもなく


08月26日。水曜日。
朝から過信をしたのがいけなかった。

まったく…。

わかっているのに調子をこくこの性格は、
関わらぬ人間にはネタを提供する「笑える存在」だろうが、
関わりを持つ人間には信用できない「笑えない存在」となる。

絵に描いたみたいに
今回もギックリ腰を再発しそうな勢いだ。

こんなblog更新自体
「笑えない」行為だとわかっては
いるのだけど、
何故か書かずには居られない。

やはり自嘲を込めて…というか
そんな状態も覚めてみてる…からなのか。

朝から派遣会社の面接を入れてしまったのが、
そもそも問題だったのかもしれない。

亀戸から表参道まで36分。
乗り換えは一度のみ。
荷物も大したことはない。

しかし昨日までは杖をつく生活。
久しぶりの電車。

面接という行為にも
カラダを硬直させる要素がある。

何しろ時間厳守が社会人の常識。
下手に出れば心象も崩れる。

しかし、やってしまった。

歩行が思うように捗らないことで
駅到着が約束の5分前となり
思わず背中に力が入った。

246をベルコモンズの方へ
早足で迎えばなんとか事なきを得る…。
そう打算したのだろう。

地上に出て迷わず歩を早めた。

しかし目標とするベルコモンズが
なかなか視界に顕れず、さらに背中を硬直させた…。と、その時。
視界には岡本太郎の彫像が…!

「しまった!逆方向だ」

なんということだ。
過信と焦りで澁谷方面に向かっていたのだ。

気づいたと同時に
背中に激痛が走る…!

なんということ。
ここまで劇的にネタを提供する
義務があることか…!

痛む背中を押さえ、
先方へ連絡を入れる自分が情けなかった…。

【bozzo】ガラスの背中


08月24日。月曜日。
木曜夜から丸々3日間、
床擦れをおこしそうなほど
床に貼り付いて腰の復活を願った。

金曜日はまったく動けず尿瓶生活。
土曜日の昼からなんとか
積み木を積み上げるように
立ち上がることができた。

それでも背骨のひとつが
欠けてしまったかのような違和感があり、
荷重を見失うと激痛とともにボロボロと積み木は崩れた。

そして月曜日。

大したプロテクトも施さぬまま
戦いに挑むエヴァンゲリオンのような
心細さが背中に漂う。

ガラスの四十代。

今から果敢にフライト3時間。
東京には無事に降り立てるのか…。

乞うご期待!

【bozzo】ギックリ腰


まさかこのタイミングで
地雷を踏むとは思わなかった。

終戦記念日に「硫黄島からの手紙」を観て
戦争による精神の歪みは
「飲まず食わず」の5日間という
物質的な状況と散在する死体の腐乱臭という
追い詰められた環境によるものだということが痛いほど伝わってきたのに

ウカツにも自らの爆弾を点火し、
腰砕けの玉砕で
今も寝たきりを強いられているなんて。

スイムではしゃぎすぎたのが火曜日の夜で
不動産とのやりとりが本稼働したのが木曜日。
東京滞在が来週だからと
NPOの事務方に精を出したのが
いけなかったのか。
そもそもヨガを2週もサボったのがいけなかったのか。

いやいや日頃のストレッチ不足が
満を持して臨界を超えたのが本音だろう。

とにかく自分は
ものすごい爆弾を抱えている。

3年前の6月、
前日の結婚式での撮影が響いたのか
突然起きられなくなり、
一週間の寝たきりを強いられ、
侮ったのか出勤後に救急車のお世話にまでなったというのに

その記憶は遠い過去で
自分は健康そのものと過信していたから
見事に奈落の底。

腰が砕けると
人間生活にここまで支障を来すのか…。

玄関前で夜中に蹴倒れ、
ホコリと土にまみれた床に鼻先つけても
身動きとれない…その情けなさ。
上半身がこれほど重いのか…と
涙まで流れてくる。

あぁ…

来週は東京なんだけど。

【Mark Rothko】大切なことはいつも抽象的


寂しくなるのは誰のせいかな?
ボクはここにいる 早く気づいてよ

赤いルビーのような夜 ビーナスのTATOOも揺れる
スパンコールが眩しいぜ 赤いスプモーニも溶ける

Please Me Please Me I Get Your Soul
1+1に収まらないマーメイド
Please Me Please Me I Get Your Soul
ジェイムスブラウンばりのSoulを

宅配ピザ屋よりも 早く届けたい
トマトベースのLove 隠し味のスパイス
ボクのLovemateグラフィティが広がる

恋のサバイバルナイトフィーバー 恋の世界タイトルマッチ
キミ以外のすべてを犠牲にしてでも 手に入れたいのさ(ダイヤモンド)
奪いたいナイトフィーバー ベルト代わりのキミのKISS
あと ボクのリーチ 30センチ届かない

【YouTube】恋のサバイバルナイトフィーバー/サカノウエヨースケ

金曜日の夜は熱血社交場のイベントで日本語ロックの洗礼を受けうわさの
サカノウエヨースケを全身で体感したわけだけどなんとも愛らしい顔でき
まじめに表現と向き合っていて聞いていた以上に好感が持ててネットでい
ろいろ調べてみたらblogをみつけ「一曲だけの演奏会」というイベントが
これまた面白い試みで読んでみると「小説純度の高い人が好き」とあって
その心情がなんとなくだが共感を呼んで「なるほど西原さんが夢中になる
のもわかるような気がするなあ」と社交場のイベント主催者の心を覗いた
気分になってみたりしたんだよね。

だいたい世紀末ウィーンのエゴンシーレから始まって夭折の画家モディリ
アーニこないだ東京で見たゴーギャンそして第二次大戦を挟んでのマーク
ロスコとボクが興味を抱く画家はみな「自分大好き」な人たちばかりなの
だけど近代から現代へと自己と社会の隔たりが大きくなるにつれて絵画も
抽象へ進むのは一体どうしてなんだろうと思いながら昨日は「日曜美術館」
Mark Rothko「瞑想する絵画」展を食い入るように見ていたらその答え
の糸口みたいなのが見えてこれまた共感したわけなんだけどさ、結局はこ
の混沌する世の中で情報ばかりが大量生産されて消費が追いつかなくなっ
てそれでも情報を生成することが資本主義の信条みたいな現状で脳みその
処理能力をどんどん高めれば情報解析能力も高まるからその分生き易くな
るなんてオダテに乗せられて結局情報に固められた自分しか残ってない…
という事実を抱えていざカンバスに向き合ったら何が具象で何が現実かわ
からなくなっている己に気づいて愕然とする…みたいなさ。

「大切なことはいつも抽象的」ってものすごく言い得ていてガーンと来た
んだけどこれって保坂和志「この人の閾」の言語化されない部分は空白で
しかない…と現代を批判した部分と大きくリンクしていて自分は今どこに
興味を持って生きているのか…といったベクトルみたいなのが「フランダ
ースの犬」の最終回みたいに啓示されていてうれしくなったわけなのよ。

番組中に作家の高村薫がマーク・ロスコの黒い絵画を目の前にして「生き
ている手触り」を感じた…と感嘆するシーンがあって思わず心に涙したん
だけど「見る」行為ってそのまま「生きている=存在する」ことで視覚で
感じたものをただそのまま受け入れ言語化せず文字通り感じることから初
めて己の「生」を客体化できる…といった思惟には背負っていたモノがド
カーンと肩から落ちたような衝撃を受けて「嗚呼」まさにゴーギャンの我
はどこから来たのか…の絵画は一枚のカンバスでそのことを顕していたな
どと勝手に感動していたわけで…つまり何が言いたいかっていうと「写真」
行為って視覚行為そのままを定着させるわけで、ここにも啓示があったと
ひとりごちる。

【bozzo】車買いませんか?


07月23日木曜日は昼間から県内のカメラマンが集まってのビーチパーティ
がコンベンションセンター前トロピカルビーチで繰り広げられたワケだけど
特異な経歴を持った武安弘毅くんや活版に魅せられて自らも活版を主宰する
東京の写真家大沼ショージさん、それに毎度おなじみとなったデザイナーの
サイトヲヒデユキさん、さらにはコザのカフェ「Roguii」のオーナーふたり
も加わって平日だというのに変な盛り上がりを見せてボクも後半は酔いつぶ
れていた。

何やらコンベンションセンター展示棟ではKAT-TUNのライヴが14時18時と
2回も行われていたらしくビーチには様々な格好のKAT-TUNギャルが沖縄
の海に膝まで足をつけて「キモチイイ!」と当たり前の言葉を交わしていた。
どうやら「KAT-TUN」以外には平均以上の興味は湧かないらしくおそらく
男という異性に対しても「KAT-TUN」がすべてでそれ以上でもそれ以下で
もないといった案配で、まるでゴールデンエッグスのリサ&レベッカそのま
んま地で行く感じじゃないか…と勝手に「不均衡ギャル」と命名してやった。

…というわけで写真の真っ赤なGOLFに興味のある方いらしたらコメントく
ださい…というのも9月末に沖縄を引き上げることが正式に決まったワケで
家財関係をできるだけ処分して身軽になってついでに引越費用も捻出できれ
ば…と目論んでいるのです。大量のCDや本もそのままBOOKBOXが適当なの
かどうか心さびしいところではあるがこの真っ赤なGOLFは「見てくれ」以外
になんの取り柄もない(いやいや6枚連奏CDチャージャーがついていた!)
ナンパな輩にはぴったりの車なんで我こそは!という希有な人物にはぜひ引
き受けて頂きたいと思っているので、なにとぞ。m(_ _)m

【bozzo】総括徒然


本音で語れば何かしらの突破口が開かれて言霊の威力で
自分の指針も明確になるかだなんて、どこまで行っても
他力本願な姿勢の自分に今更ながら呆れている。

最後のアポイントも終わり沖縄行きの搭乗までのあいだ
何をするでもなく湿った東京の人混みの中に埋没したり
してみて、気分を好転させようとしているのかしていな
いのかの彷徨ぶり。

いや実は高校時代の友人がケータイを忘れて思うような
連絡がとれず時間だけが無為に流れているのだけど、そ
んな無為な感覚が自分の今置かれている状況とリンクし
ていて居心地良かったりするのだ。

写真っていったいなんだろう。

人間っていったいなんだろう。

そんな疑問が今更アタマを支配していて絶望的な状況こ
の上ないのだが、それでもこんな思考を止められないの
だから仕様がないわけで、考えて考えて考えて考えてそ
こからナニモノかを導くしかない…とまた落としてみた
りする。

そんな愚行を受け入れてくれるのは沖縄よりも東京のよ
うな気分なのはなんでだろう…自分には東京はアウター
な感覚を拭うことが出来ないし…そしてまた沖縄も然り
な点が恐ろしいのだが、というのも沖縄の会社を退いて
からそのアウターな気分は顕著になっていてその居心地
の悪さを転換させようとするのもウソのような気がして
いるから厄介な話なのだ。

繰上和美が30歳になってから写真を本格的に始めただな
んて話を友人から聞かされ「だから74歳で初監督作品な
んだよ」というセリフに妙な説得力を感じこれまた勇気
をもらったのだけど、東京での生活を具体的にイメージ
するに従ってこれは「写真の呪縛」なのかなどと今後の
途方もないハードルの高さに怯んだりしてみるが、おそ
らくこれこそがボクの生きる道なのだと独りごちる。

【bozzo】本日、東京最終日。


07月06日。月曜日。
またもや雨模様の東京。

昨日の爽やかな陽射しが
ウソのようなBlueなMonday。

この一週間、
実にさまざまな人たちの
意見を聴いた。

まだ総括するには早いが
現実の厳しさを目の当たりにし、
背筋が伸びる思いだ。

景気が下降を辿り、
雑誌の休刊が相次ぎ、
それだけホンモノの写真が
求められている…そう思った。

しかし
ここで挫けている場合じゃない。
自分自身が為す役割は
必ず控えている。

「光」をみてしまったのだ。

あの「光」の許へ
自分は歩み続けるしかない。

vagabondであってはならない。
seekerでなければ…。
しかし、その違いは…!

答えなど初めからないのかもしれない。
さ迷うことでしか、生きられないのか。

【bozzo】後半戦、東京。


07月03日、金曜日。
今日も梅雨空。
満員電車で触れ合う
となりの学生の背中が湿ってる、

東京滞在4日目ともなると、
ポートフォリオを見せるのが苦しくなってくる。

既に10人以上のコメントを
対面で聞いてきた。

聴診器を当て病状を指摘する名医のように、
または行列をつくる人気占い師のように、
出てくるコメントは正に的を射ていて、痛い。

その洞察力たるや、感服である。
こちらがカウンセリングを受けている心境だ。

「どのあたりが甘いですか?」
…下手にアプローチしたくなる。

既存の写真集を取り出し、
「こんな写真をボクは求めてるんだよね」
…と、具体的な例で指摘してくれるADもいた。

有り難い。

あと10件。
神妙な気持ちで臨みたい。

【bozzo】朝から雨、東京。


07月02日、木曜日。
朝からしっとり雨模様。
東京は、今日も梅雨空だ。

ゴーギャン展が明日から開かれるに合わせて
滞在中の読書は「月と六ペンス」にしたのだが、驚いた。

「どうしても描かなくちゃならないんだと言ってるじゃないか。
自分だってどうにもならないんだ。
水に落ちたらうまく泳ごうと下手に泳ごうと、
泳ぎ方なんか問題じゃない。
とにかく水から出なくちゃならないんだ。
さもなけりゃ溺れてしまうだけだ」

実業家だったチャールズ・ストリックランドは、
40歳を機に家庭も仕事も捨て、
画家になる決心をし、単身パリに乗り込む。

「しかしあなたは四十ですよ」
「だからこそ、やり始めるのに絶好の時と思ったのだ」

才能じゃない、描きたいから描くのだ…といった動機に
ボクは背中を押される思いだった。
それを指し示すかのように
面会する人たちから、東京移住を勧められる。

コレは…啓示か?
いや、自分自身が選んでいるのだろう。

その熱意が、行動を駆り立て<
さまざまな符牒を呼び込むのだ…と思う。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか…」
ゴーギャン展でその邂逅を楽しみたい。

【bozzo】東京2日目


07月01日。水曜日。
グレイッシュ東京、2日目。

亀戸のコーヒー屋で
スケジュールを確認する。

となりの席では
中国人女性の2人が
雇用について愚痴をこぼしてる。

⇒真意はわからない。
 詩的にアレンジしてみた。

昨日は久方ぶりに世田谷線に乗り、
豪徳寺の焼き鳥屋でカメラマンと呑む。
照明屋さん夫婦も同席。

写真について語り合う。
60代70代のカメラマンが
現役バリバリで元気だ…という結論に。

写真表現は終わっているか?…との質問に、
写真でしか残らないイメージもある…と。

これだけ世の中YouTube全盛で
写真は身近過ぎて希薄になってないか…と返すと、

表現の質は変わるだろうが
その本質は保ち続ける…と。

記憶に留める絶対的な力が写真にはある…と。

しかし、市場がビジュアル氾濫で
混沌としている事実もあり、
今は浅薄な着地点に落ち込んでる。

いつの時代でも「表現」は翻弄されるが、
ホンモノは見極められる…。

自分を見失うな…と言うことか。

本日4件アポ。