【sep_29】大泉高校1987


24年ぶりの再会!
大泉高校1987年のメンバ-。

高校生の面影は
どこにもないけど、
気持ちはいつでも
24年前に戻れるから、
不思議なもんだ。

【Tom Waits】San Diego Serenade


Never saw the morning till stayed up all night
夜どおしおきてでもいなけりゃ朝なんてお目にかかったこともなかった
Never saw the sunshine till you turned out the light
お前が愛の灯をともすまで太陽さえ見たことがなかった
Never saw my hometown till I stayed away too long
ずっと離れて暮らしてみるまで故郷があることにも気づかなかった
And I never heard the melody, till I needed a song
唄が必要になるまでメロディさえ聞いたことがなかった

Never saw the white line, till I was leaving you behind
おまえを残して旅立つまで白い線なんか見たことがなかった
Never knew I needed you till I was caught up in a bind
退屈でしかたなくなるまでおまえを恋しいと思ったことさえなかった
And I never spoke ‘I love you’ till I cursed you in vain,
おまえの名を口にするまで“愛してる”とさえいったこともなかった
Never felt my heartstrings till I nearly went insane
気が狂いそうになるまで心の糸に触れてみたこともなかった

Never saw the east coast till I move to the west
西部に行ってみるまでイースト・コースとさえ見たことがなかった
Never saw the moonlight till it shone off your breast
おまえの胸が映しだされるまで月の光も見たことがなかった
And I never saw your heart till someone tried to steal it away
誰かが奪っていこうとするまでおまえの心さえ見えていなかった
Never saw your tears till they rolled down your face
おまえの頬が濡れるまで涙というものさえ知らなかった

And I never saw the morning till stayed up all night
夜どおしおきてでもいなけりゃ朝なんてお目にかかったこともなかった
Never saw the sunshine till you turned out the light
お前が愛の灯をともすまで太陽さえ見たことがなかった
Never saw my hometown till I stayed away too long
ずっと離れて暮らしてみるまで故郷があることにも気づかなかった
Never heard the melody, till I needed a song
唄が必要になるまでメロディさえ聞いたことがなかった

Tom Waits/San Diego Serenade

25年ぶりに高校時代の友人と再会。

25年経たないと語られないコトがある。
25年前を知らないと、言えないことがある。
25年前は、いつもこの歌声があった。
Tom Waitsが、今日は心に沁みる。

【ジョー山中】人間の証明


Joe Yamanaka/Proof of the Man

Mama, Do you remember
the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago,
flew to the foggy canyon
Mama, I wonder
what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side,
out of my reach like your heart

Suddenly the wind came up
Stealing my hat from me
Swirling whirling gusts of wind
Blowing it higher away

Mama, that old straw hat
was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back
like the life you gave me

【西條八十「帽子」より】

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ

母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね
紺の脚絆 に手甲をした
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね
けれど、とうとう駄目だった
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく

【bozzo】タッチャンと澤さん


20年ぶりの再会、タッチャン。
雨の日の国道バンドだぜ。

「ウヰスキーはもう歌わないの?」…と問うと、
「今歌うと、いぶし銀だろうなぁ」との回答。

20年間の時間の堆積が
琥珀色の鈍い光を放つ。

また聴かせてよ
惚れ惚れする「雨の日」の名曲たちを。

【bozzo】原点回帰


5月10日。連休明け最初の月曜日。
雨の気配をそこはかとなく感じさせる曇り空。
朝からベタつく湿気に同僚のおばちゃんも
 「朝から暑いわね、ホント」
と剥がれ落ちそうな厚化粧越しに笑顔。

こちらも、すかさず笑顔。ニッ。

ビル清掃にもゆるやかな人間関係がある。

       ●

一日中、悶々と企画の骨子にアタマを占有される。
  「自分にとっての原点回帰とは?」
月末までにまとめる企画書のガイドライン。

はて、今のコドモたちには反抗期ってあるんだろうか?
原点に立ち返って、ふとそんなことを考える。

反抗すること、それは自分の思考がひとつの思想を帯びる時。

自我のめざめのとき。

       ●

転校生だったボクは、周りに自分を合わせることで
社会との帳尻を合わせていたのだけれど、
中学2年生の冬、友だちから借りたレコードのおかげで、
ある種の恍惚と戦慄がカラダ中を巡り、自己にめざめる。

…というほど、完成された自己は持っていなかったのだけど。

Motley Crue
1981年デビューのLA出身のハードロックバンド。当時ボクは12歳。
世の中は横浜銀蝿となめネコが席巻していた時代。

一触即発のフラストレーションが社会を取り巻いていたのか、
なんとなく刺々しいモードが「時代の空気」だったのか、
片や松田聖子やたのきんトリオらアイドルがTVを賑わしていただけに、
すべてにおいてアンチな存在である…長髪男の彼らにボクは心底魅了されるのだった。

忌野清志郎が「いけないルージュマジック」でショッキングなキスシーンを見せたのは1982年。
男がルージュをつけてブロンドの長い髪を振り乱し、sexやviolenceを歌っている絵は、
常識ある家庭には、タブーのすべてを詰め込んだような破廉恥極まりないものだったに違いないのだけれど、

だからこそ、いままで型にはまることを良しとしていた転校生のボクにとっては、
「生きる歓び」がそこには詰まっているように見えたのだろう、一瞬にして虜となり、
崖を転げ落ちるかのように、ハードロックやヘビィメタルにのめり込んでゆく。

でも、あのときの恍惚や戦慄がなかったら、
ボクは今のボクではありえないし、
感動で心振るわせるほどの感性を持ち合わせてもいなかっただろう。

今でもMotley Crueを聴くと、馬鹿みたいに感性剥き出しだった
あの時代の自分が顔を出す。

あの時期の多感な自分に、今のボクは何を提示できるのだろう…。

ワケもわからず中指をおっ立てた無垢な自分に。

【島尾敏雄】違和感と異和感(2)


柴田元幸氏サリンジャー追悼記事の一節に触れて以来、
頭の中が悶々としていた。言葉にならない「違和感」への〈異和〉感だ。

その間「朝のお務め」を繰り返し、
予約していた歯医者へ行って、思考(歯垢)のクリーニングも施しながら、
雲間の晴れるのを今か今かと待っていた。

ま、こんな時は本人の著作を読んでみるのが一番…と
地元の城東図書館へ行ってサリンジャーの文献でも漁ろうかと本棚を巡っていたら、

…吉本隆明氏の「島尾敏雄」論と鉢合わせた。

サリンジャーから島尾敏雄(吉本隆明)へ。
アメリカと日本の同時代の作家。

島尾敏雄   1917年04月18日生まれ。
サリンジャー 1919年01月01日生まれ。91歳。
吉本隆明   1924年11月25日生まれ。85歳。

島尾敏雄も生きていれば93歳だ。まさに同時代の作家たち。
この3人に横たわる史実といえば、「The World War 2」。

      ●

島尾は1944年に第一回魚雷艇学生となり、特攻要員として奄美諸島加計呂麻島へ送り出される。
そして、特攻出撃の瞬間に立ち会いながらも赴くことなく、1945年敗戦を迎えた。

同じくサリンジャーも1944年ドイツノルマンディー上陸作戦への一兵士として激戦地に送られ、
ドイツ降伏後は神経衰弱となり、ニュルンベルクの陸軍総合病院に入院する。

どちらも「わたし」の死を覚悟し、「世界」を正面から受け止め、
…そして裏切られた、極限の精神世界を体験している。

「わたし」と「世界」との関係が、相思相愛の均衡を保ったカタチではなく、
自分の意志とは無関係のところで抛擲され、なじられる。
いっそのこと「死」を成就させてくれればいいようなものの、
「世界」は「わたし」をそのまま放置して、行ってしまう。

…その時、「わたし」は悟る。

「わたし」が今居る「世界」は、「わたし」のあるなしに関わらず存続しつづけている…という事実。

  なにかが突然やってくるかも知れないという認識は、この「世界」に生きて遭遇する事件の契機が
  「わたし」の側に由来するものと、「世界」の側に由来するものとふたつあり、
  このふたつはそれぞれ別個の系列に属しているということに目覚めることを意味している。
  「わたし」が「わたし」という系列をこの「世界」から選べば、
  「世界」のほうも「わたし」とかかわりのない系列から「わたし」に出会うにちがいないのだ。
                                  〈「島尾敏雄」吉本隆明著〉

      ●

「わたし」が描く「世界」の幻想と、「世界」が描く「わたし」の幻想と。
柴田氏の一節は、この「生きる違和感」を指している…とボクは考えた。

      ●

ふたつの幻想(吉本氏は別個の系列…と表現しているが)を近づけるべく、
「わたし」たちは常日頃から意識的に「世界」につながることを怠らない。

TwitterをはじめとするSocial Networkは、その最たるものだろう。

しかし、その〈異和〉を薄めること(「世界」に寄り添うこと)は出来ても、
〈異和〉そのものを呑み込むことは決して出来ない。

…なぜなら「わたし」は「世界」とは別の次元で存在するからである。

村上春樹の傑作「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は、
その「わたし」と「世界」の位相をひとつにまとめた話だ。

「わたし」の頭の中に「世界」が横たわり、
「世界」の消滅を「わたし」が掌握する。

結局、「世界」ってなんだろう。
「わたし」が滅してしまえば、そこから先は〈異和〉もへったくれもありゃしない。

「世界」と張り合って「わたし」を深めようとアイデンティティへ固執したところで、
「わたし」は「世界」を呑み込むことはできないし、「世界」を終わらせることは出来ないのだ。

この〈異和〉とは、生涯付き合うしかないのだ。

「やれやれ。…またくだらない自家撞着に陥っている。」