友だちが本を出しました


突然だが、2005年02月11日の挙式の写真だ。

この衣装を作ってくれたのが、大学の友人「平岩夏野」さん。
この時も、いろいろ無理を言って、ふたりの服を仕立ててくれた。
おかげで、とても印象的な挙式となった。

その彼女が、本を出した。
平岩夏野web
「平岩夏野の自由な着方ができる服たち」

            ●

 絵を描いていると何度も描いてしまう形があります。
 それを布に大きく描いて切り抜き、自分に巻き付けてみる…。
 すると思わぬシルエットになる。
 向きを変えるとまた違う。

 そんな試作をしているうちに
 「いろんな着方ができるというのは理にかなったことでは」と
 感じるようになりました。
 人によって似合う着方が違ったり、
 着る日の気分や場によって違うのもいいはずです。
 「できるだけ着る人にとって自由度がある服を作りたい」
 これは服の仕事にかかわるようになるきっかけでもありました。
 デザイナーが作る「型」に体を押し込むような服に
 抵抗を感じていたからです。
 確かに服は見られるためのものでもありますが、
 同時にもっと個人的なものなのではないか、と。
 風を感じて気持ちいいと思ったり、
 なんだか歩く一歩一歩が楽しく感じられるとか。
 そうして感じたことがおのずと出てくるときの、
 その人らしさこそ大切にしたい…と。

 一着の服が人によって全く違う雰囲気になっているのを見るのは
 ワクワクすることです。
 こんなふうになるんだ、という可能性の幅を
 一緒に広げてもらうようでうれしくなるのです。

 あまり細かいことは気にせず、まずは「好き」と思う布で、
 自分だけの一着を作ってみてください。
 自分ならどうやって着よう、とイメージしつつ。
                  (巻頭メッセージ全文抜粋)

            ●

彼女の服は、この言葉の通り、一枚の布から突拍子もない立体感で、
着る人に驚きと悦びを与えてくれる。
自分自身もクリエイティブに関わることが出来た…と満足させてしまう余白がある。

彼女自身も、非常に余白をもった性格の持ち主で、
決して相手を圧迫せず、語り口もゆったりとしていて、
こちらまで余裕をもった心持ちにさせてくれる、希有な人物。

高校生の夜間校時代からマイペースな印象のある、不思議な感覚の女性ではあったけれど、
紆余曲折を経ながらも、こうやって1冊の本に自分の作品を集約する結果を出すのだから、
その陰の努力や集中力は、半端なものではなかったと思う。

だから、自分のことのように、うれしい。
ぜひとも手にとって欲しい一冊。
そして、ぜひとも身につけて欲しい一枚の布たち。
この機会にぜひ。

La Vie en Rose


Hold me close and hold me fast
The magic spell you cast
This is La vie en rose

When you kiss me heaven sighs
And tho I close my eyes
I see La vie en rose

When you press me to your heart
I’m in a world apart
A world where roses bloom

And when you speak, angels sing from above
Everyday words seem to turn into love songs

Give your heart and soul to me
And life will always be
La vie en rose

抱いておくれ しっかりと
君のかける呪文 バラ色の人生
君の口づけで天国が吐息をもらす
目を閉じると見える バラ色の人生

君の心臓に押されれば
そこは別天地バラの花咲き乱れ
君が口を開けば空から天使が歌唄う
日々の言葉一つ一つが恋の歌となる
おくれこの僕に 君の心と魂を
そうすれば人生はいつもバラ色の人生

「バラ色の人生」を挿入歌に持ってくるあたりが、すでに切ない。
男と女のつかの間の幸せを歌ったシャンソンの名曲が、
逆光のふたりのシルエットに重なるように流れる。

決してバラ色ではなかったアメデオ・モディリアーニとその妻ジャンヌ・エビュテルヌの
人生を描いた「モディリアーニ・真実の愛」は、アンディ・ガルシアがモディリアーニに心酔して
制作総指揮を司り、自ら主演した映画だ。

アメデオ・モディリアーニは、1884年7月12日にイタリアで生まれ、フランスはモンパルナスで活躍した作家である。
同時代の作家にパブロ・ピカソがいる。スペイン人とイタリア人という異国の作家同士だったこともあり、
お互いを激しく意識した間柄だった。ピカソが名声を欲しいままにしたのとは反対に、
モディリアーニは、天才ゆえの不遇の生涯を36歳で終える。

生涯を貧窮と持病の肺結核で苦しみ、その不遇を紛らわすべく、
大量の飲酒、薬物使用などの不摂生を繰り返す。
妻のジャンヌ・エビュテルヌは、酒と薬で身を滅ぼすアメデオを献身的に見守り、
子どもを身ごもりながらも、1920年1月24日に彼が死んでしまうと、
その2日語に後追い自殺を図ってしまうのだ。21歳という若さで。

「バラ色」とはほど遠いが、愛で燃え尽きたふたりの人生。

切なくてやりきれないが、100年近くたった今でも、
人の心を揺るがす愛の強さを感ぜずにはいられない。

アメデオ・モディリアーニの遺作は妻を描いた「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」である。
映画の中でも、彼の作品はひときわ人の心を打つ。

日曜日の出来事 その1「花子」


土曜日にも増してぽかぽか陽気の那覇市内。
気持ちよい天気。…まさに散歩日和だ。

まずは桜坂劇場で「花子」を見る。
「花子」

1979年生まれの今村花子さんは知的障害者。
言葉を発することができない。
だからってワケではないだろうが、
夕食の残飯で畳の上に「アート」を施す。

残飯で彩られた様々なカタチ。

ものすごくデコラティブにこんもりと表現される日もあれば、
焼き魚の頭にごはんつぶがひとつ…といったシンプルな日もある。
それを毎日、写真に収める母。

実は今村花子さんの存在は、大森克己ワークショップで知ってはいた。
2000枚に及ぶ「残飯アート」をスライドにして、無音状態で見せられた。
その膨大な数と、圧倒的な残飯の迫力に、どうコメントして良いモノやら…と、
当時はかなり重たく感じたものだったので、

この2001年に作られたドキュメンタリーも
散歩日和の日曜日に映画館で観るべき映画なのだろうか…と
かなり引き気味だったのだが…。

冒頭いきなり入る忌野清志郎が、すべてを吹き飛ばした。

「一人の女性に」作詞+作曲:藤井裕+忌野清志郎

 さみしくて我慢できないなんて一言も言ってない
 君がいないと生きていけないなんて一言も言ってない
 この部屋から出ていけなんて
 僕は今まで一度も言ったことはない

 君がいれば最高だなんて一言も言ってない
 この人生が幸せだなんて一言も言ってない
 この部屋にいつもいてくれなんて
 僕は今までに一度も言ったことはない

 あー空は青い
 青い青い空の下

 僕は今までに君以上の女性を知らない
 君がいないと生きていけないて言ったことはないけど
 この部屋から出ていけなんて
 僕は今まで一度も言ったことはない

 あー夜は暗い
 暗い暗いどのくらい暗い

 つまり僕は僕の心を君には一度も
 言ったことも伝えようとしたこともない
 僕は今この部屋で一人つぶやくのさ
 僕は僕の気持ちをわかりやすく伝えればよかった
 たった一人の女性に伝えればよかった

映画の感想をひと言でいえば、
「散歩日和にふさわしい映画」だった。

今村花子さんを囲む今村家の様子は、
追い詰められた重さもなく、淡々としている。

定年を迎えた父とテニスサークルを楽しむ母と、
音楽大学に通う姉と、その妹である花子さん。

花子さんへの愛が深いからこそ、
花子さんが施す「残飯」処理も「アート」として
楽しんで受け入れているのだな…と、素直に感じられる。
その母の度量の深さ、振幅の広さが、とても清々しい。
気負いもなく、特別な感慨もなく、ふつうの子として
花子さんと接している。

考えてみれば当たり前のことだが、
その強さが母なのだろう。

父や姉も一定のスタンスを取りながらも
花子さんを見守っているのが、よくわかる。

だからこそ「散歩日和」な映画に感じたのだ。
ひたすら前を向いて歩いてる映画…だと思った。

歓びを歌にのせて


ひさしぶりに嗚咽を含んだ大泣きをした。
エンドロールがスクリーンに映し出される間、
ボクは泣きっぱなしだった。

こんなに感情を揺り動かされた映画は、
「ディアハンター」以来だ。

映画の内容はオフィシャルサイトに任せるとして
歓びを歌にのせてofficial site
この映画の主題である「ガブリエルの歌」のリリックに注目してほしい。

  【ガブリエルの歌】

   私の人生は今こそ 私のもの
   この世に生きるのはつかの間だけど
   希望にすがって ここまで歩んできた
   私に欠けていたもの、そして得たもの

   それが私の選んだ生きる道
   言葉を超えたものを信じつづけて
   天国は見つからなかったけど
   ほんの少しだけそれを垣間見た

   生きてる歓びを心から感じたい
   私に残されたこれからの日々…
   自分の思うままに生きていこう

   生きてる歓びを心から感じたい
   私はそれに価すると誇れる人間だから

   自分を見失ったことはない
   今までそれは胸の奥で眠ってた
   チャンスに恵まれない人生だったけど
   生きたいという意志が私を支えてくれた

   今の私が望むのは日々の幸せ
   本当の自分に立ち戻って
   何にも負けず強く、そして自由に
   夜の暗闇から 光が生まれるように

   ここまでたどり着いた私
   そう、私の人生は私のもの!
   探し求めていた まぼろしの天国
   それは近くにある、どこか近くに
 
   私はこう感じたい、「私は自分の人生を生きたい!」と

IT社長の藤田憲一さんを思い出した。
先日「ニュース23」の特集で、
彼の闘病生活のすざましさを目の当たりにした。
彼は自分の死をメディアに晒す(文字通り”晒し”ていた!)ことで
「生きる」ことのすばらしさ、「私の人生を生きる!」ことの幸せを伝えてくれた!

癌に冒され、目が見えなくなっても、
生きる歓びを心から感じたい…
そんな彼の「生きよう」は、まさに「ガブリエルの歌」!

年末に贈られたこれらのメッセージは、
2007年を全うする、強い支えになってくれるだろう。
是非ともこの「生」の声に耳を傾けて欲しい。

「虹の女神」に重ねた思い


岩井俊二初プロデュース作品「虹の女神」が明日から公開される。
シナリオは「イノセントワールド」の作家、桜井亜美と岩井俊二の共同作業らしい。

オフィシャルサイトで桜井亜美が語っている部分が、
この映画の「核」だと思う。

            ●

  代官山の裏道をふらついていたとき、岩井さんから
  携帯に電話がかかってきた。ずいぶん、色んなことを
  話したけど、その時、不思議なことに2人は
  ある同じ感情について思いを巡られていたのだ。
 
  それは「身近な人の死」について。

          (中略)

  それはただ悲しい、淋しい、という単純なものじゃない。
  その人が持っていた夢、憧れ、幸せ、エネルギー、熱さ、
  優しさ…すべてのものをいっしょに空の上に持って行って
  しまうということ。一緒に生きた人たちの心にも、
  そのエネルギーは確かな根を張っていて、もぎとることは
  自分の一部を殺すこと。

  隣にいるときは当たり前だったその手応えがなくなったとき、
  初めて自分がその人にどんなに支えられていたか気づいて
  愕然とする。

  そんなに簡単には泣けやしない…そんなに簡単に死を受け入れたりできない…。

           (後略)

            ●

まさに岩井俊二における篠田昇の死が、重なってくる。
hana&alice~篠田昇を偲ぶ~

実際、TVの取材で彼は、篠田さんの名前を語っていた。

そのコメントを聴いただけで、カラダが堅くなった。
岩井俊二にとって、篠田さんがどれだけの存在であったのか…。
孤独なランナーである映画監督を、かげひなたに援護するカメラマンは
こちらの想像以上に大きなものであった…と思う。

「リリィシュシュ」の市原隼人と蒼井優が共演している部分においても
この映画は、岩井俊二が篠田さんに捧げるオマージュなのかもしれない。

                            (敬称略)

虹の女神オフィシャルサイト

週末は「イイ意味で空っぽの状態」


バンドも集大成ともいえるライブを終え、
それなりの反響を受けることができた。

撮り溜めていた写真群も、
自分なりのフィルターで再構築し、
一冊の写真集として、応募も終えた。

ある意味、自分を追い込んで絞り込み、表出する作業を終えた訳だ。

何かしらカタチに出来たことは
ボクにとってプラスになった。

今は枯渇した自分にいっぱいの栄養を与え、新たな実りを創出したいと
…「イイ意味での空っぽの状態」になっている。

次なる目標へ向かって
新たな自分を表出していきたい。

     ●

そんな時に「イッセー尾形」の舞台を観に行った。

圧倒された。
過去3回、彼の舞台を観てきて、
毎回圧倒されてはいるのだが、
今回も圧倒されてしまった。

人物描写が、さらに細かくなっていた。
この人物なら、こんなところにこだわるだろう…
この人物なら、こんなところが嫌になるだろう…
この人物なら、ここが笑いのツボだろう…
そんな創造力に、磨きがかかり、
立体的にキャラクターが浮かび上がってきた。

25年目の集大成。
「お笑いスター誕生」で衝撃の登場を果たしてから、
沖縄でワークショップを開くまで25年間、
「イッセー尾形」は自分の道を切り開いてきた。

ものすごいパワーだ。

クリエイティブってそういうことだ。
「イイ意味での空っぽの状態」なボクには
特上の栄養剤を注がれた気がした。

MY ARCHITECT ~ルイス・I・カーンを探して~


Dry & Heavyのキーボーディスト外池満広が
「建築のためのサウンド・トラック」なるものを
リリースしていたのを今知って、とても興味を覚えているが、

ルイス・I・カーンの建築群を巡る
父親探しの映画「MY ARCHITECT」も必見だ。

1974年3月に、身元不明死体として
ペンシルバニアの駅で発見されたルイス・I・カーン。
彼の唯一の息子であるナサニエル・カーンが
自らのルーツを辿るべく、父親像を探す旅に出る。

ナサニエルは、ルイス2人目の愛人パティソンとの間に産まれた子。
だから、父親としてのルイスをあまり深く理解できていなかったのだろう。
まして、20世紀が誇る現代建築の巨匠である。
そんな人物を父親と持ってしまった息子の苦悩は、計り知れない。

ナサニエルは、そんな不遇を好奇心に変換し、
父親が設計したあらゆる建築物を時系列で辿ってみる。

     それは息をのむ瞬間の連続だった。

建築物が、こんなにも荘厳で、己の哲学を表出していて、
それでいて、こんなにも懐の深い、慈愛の空間を配している…だなんて…。

映像だけでも、その空間の張り詰めた空気が伝わってくる。
ナサニエルの鼓動が、ビシビシと画面からこぼれてくる。

クリエイティブの最たるものとして
父親がつくった三次元の構造物を体感する…というのは、
畏れ多いことだと、想像できる。

建築のスゴイところは、その振幅の大きさだ。
タテヨコの大きな構造と、ドアノブの小さなディテールまで
余すことなく建築家の目が行き届いている…それが建築なのだ。

クリエイティビティが遺憾なく発揮された
それらの建築物は、もはや父親そのものである。
父親の精神<スピリット>が充溢しているのだ。

その空間に入ることはすなわち、父に抱かれているに等しい。

「キンベル美術館」(1972)の間接的に天井を照らすやわらかい光に、父親の慈悲を感じる。

「バングラデシュ国会議事堂」(1974)の壮大な宇宙に、父親の精神力の強さを知る。

しかし、この映画を見て知ったのだが、
ルイス・I・カーンは、かなりの大器晩成型だということだ。
ルイスを世に知らしめることとなった「イエール大学アート・ギャラリー」(1951)は、50歳の時の作品。
ルイス真骨頂と言われる「ソーク生物学研究所」(1965)は、64歳の時の作品。
74年まで残り10年。

歴史背景とユダヤ人であったことが、
50歳までの不毛の時間を、ルイスに与えてしまった…とのことだったが、
それにしても、74歳にして絶好調のクリエイティビティだと感心してしまう。

    デザインに興味がある人、アーチストとして生きる人は見るべきだ。
    建築家がかくも切なく、人間的で理想主義者でいられることを
    ルイス・カーンの中に見て励まされかつ自信を持つだろう。
    素材との会話の下りはこの建築家の中に神様を感じる。
              黒崎 輝男(流石創造集団株式会社 C.E.O.)

Revueの一節。
しかし、創造者(アーティスト)として、
これほどまで人を圧倒させてくれる人物は、そういない。

MY ARCHITECT

「フィッシュマンズ」から「ゆらゆら帝国」へ

    偶然こぼれた 涙を見てしまった
    夕べ 見たくはなかった
    急に 言葉が 無力になってしまった
    流星ひとすじ 夜空に

    羽が生えた 人達は
    とうに飛び立ってしまった
    星になれた 綺麗な
    もう 触れはしないような
    だけど今も 側で 羽を磨いてるような
 
    急に心が 浮力を持ってしまった
    流星 ひとつ消えた

    羽があれば 彼女は
    とうに追いかけていただろう
    星になれた 綺麗な
    今日は見当たらないような
    だけど今も 側で 羽を磨いてるような

    「星になれた」 by 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国)

           ●

 「THE LONG SEASON REVUE」を観た。
  茂木欣一を中心にリユニオンしたフィッシュマンズのツアーを
  追ったドキュメントムービーである。

  …とは言っても、ライブ映像がふんだんに盛り込まれた
  疑似ライブみたいな構成だったのだが、
  そのパフォーマンスがとてつもなく、…神懸かっていた。

  茂木のドラミングが、柏原のベースラインが、
  山崎まさよしやハナレグミをはじめとしたヴォーカルが、
  見事に解き放たれたパフォーマンスだった。

  みんなが佐藤伸治のメロディを愛し、詩を愛し、
  その感謝の気持ちを素直に表現しているような
  そんなリスペクトのスタンスが基本にあった。

  茂木のドラムは、その最たるものだった。

  「LONG SEASON」の40分にも及ぶ熱演は、完全にトランス状態。
  …アルファ波、出まくりの心地よいドラミングで、
   スクリーンであることを忘れさせる演奏だった。

           ●  
     

  パフォーマンスの最後に、スペシャルゲストとして「こだま和文」が
  ステージに呼び込まれたとき、ボクは鳥肌がたった。

  「こだま和文」はもっとも敬愛するトランペッターだ。
  彼のバンド「MUTE BEAT」が引き金になって、ボクはトランペット始めている。
  そして、「フィッシュマンズ」は彼がプロデュースしたバンドである。

  ボクの音楽体験の源流は「こだま和文」だったのだ。

  「こだま和文」から「フィッシュマンズ」に至る系譜。
  そこから「Rocking Time」の今野英明や「リトルテンポ」のHAKASE-sunへつながる。
  ステージ上の「ハナレグミ」や「UA」ももちろん収斂されている。
  …そして「ゆらゆら帝国」の坂本慎太郎も。

  彼らは時代を読み取り、時代の空気を、音にし、言葉にし、カタチにした。

           ●

    純粋な目で見れるかい? お前が開けたドア
    夢中で好きになれるかい? 目の前のこの世界
    このうねりや このゆがみや
    このきしみが 好きだよ 熱くなる
    とにかく 君は開けた  
    目の前のドア

    (中略)
 
    未知なる海へ漕ぎ出そう
    流れに身を任せてみよう
    見た事ない国へ行こう
    居た事ない時を行こう
    空から街を見下ろそう
    斜めから空を見上げよう
    時には恋をしてみよう
    嫌な事も 含め全部

    (後略)

    「ドア」 by 坂本慎太郎

           ●

  同時代を生きる同時代のアーティストたち。
  佐藤伸治はすでに星になったが、
  だけど今でも 側で 羽を磨いている…。

           ●
  
    夕暮れ時を2人で走ってゆく
    風を呼んで 君を呼んで
    東京の街のスミからスミまで
    僕ら半分 夢の中 夢の中…

    「SEASON」 by 佐藤伸治
  
           ●

  音楽に生かされている…その事実を、
  映画から、ドカンと投げつけられた。
LONG SEASON REVUE

UNITED93


2001年9月11日から、5年…。

リアルタイムな映像が、
夜の11時過ぎに中継されているのを観て、
事の重大さに気づくことなく、
仕事を続けていた自分を思い出す。

5年という月日が流れても、
あの惨事は色褪せることなく
深く脳裏に刻まれている…とあらためて思った。

「UNITED93」である。

5年前の出来事を時間軸で再現した映画だ。
これを観ると、いかにコンピュータが発達しようとも
決断するのは人間なのだ…ということを思い知らされる。

とにかく情報が錯綜しているのだ。

ユナイテッド航空93便がニューアーク空港から飛び立った時間は朝8時42分。
そのわずか4分後に、アメリカン航空11便は国際貿易センター北棟に激突している。
そして、17分後にはユナイテッド航空175便が南棟に激突。
…これが日本時間の夜11時03分にリアルタイムで中継された。
その後、アメリカン航空77便が朝9時37分にペンタゴンに激突。

わずか1時間のあいだに、乗客計221名を乗せた旅客機が消滅してしまった。

ユナイテッド航空93便の乗客44名は、その状況を知ることなく空へ。
サンフランシスコで過ごすこれからの予定を思い描きながら、
朝食を楽しんでいるところだった。…4名の犯人を除いて。

管制センターでは、次々と起こる信じられぬ事態に困惑を極めながらも、
なんとか最良の手だてを打とうと、分刻みの決断を迫られていた。

その緊迫した状況を余すことなく、この映画は伝えている。

何より、93便内での時々刻々である。
突然立ち上がったイスラム人がひとりのCAに飛びかかり、
…一挙に機内は暗転する。

4名の犯人それぞれが計画通りの行動を遂行し、機長と副操縦士、CAを次々殺害、操縦室を乗っ取ってしまう。
機内後部へ追いやられた40名の乗客とCAは、突然の事態にパニックとなり、1名の乗客が殺害される。

爆弾を身体に巻き付け、仁王立ちする犯人。
なすすべなく、泣き崩れる女性たち。
そんな最悪の状況下であっても、機転を利かせる男性。
機内電話を使った妻とのやりとりから、
すでに旅客機3機が国際貿易センターとペンタゴンに激突している事実を知る。

        「これは自爆テロだ。」

情報を整理し、事態を分析しながらも、その導かれた事実に身体がうち震えたことだろう。
   「このままでは、俺たちもビルに突っ込んで、おじゃんだ。」
…イスラム人の思い通りには、させない。…なんとしてでも、ひっくり返さねば…。
 
その強い意志がひとつになったときの破壊力たるは、すざまじいものだ。
一丸となった乗客が、一気呵成に犯人どもをたたきのめし、占拠された操縦室へとなだれ込む。
…ふたりのイスラム人は急降下で機首を直角に下げ、対抗する。

      「機首を持ち上げろ!機首を上に上げろ!!!!!!」

しかし、磁位が大きくのしかかった操縦桿は、完全に固定され、ビクとも動かない!!!!!!

       …壮絶な、そして究極の、結末だった。

スクリーンは真っ暗となり、ユナイテッド航空93便の事実を淡々と文字で伝えた。
40名の乗員乗客全員の死亡が確認されたことを伝え、哀悼の意を表した。

ペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落した93便が、それでも被害を最小限に抑えられたのは、
最悪の状況下でも冷静に判断し、果敢に戦った40名の勇姿があったからこそだ…と締めくくった。

あまりにリアルで言葉を失ってしまうのだが、
5年前の事実をさらに深く心に刻むためにも、
911を前に受け止めておくべき映画だと、思った。

ユナイテッド93

暑中お見舞い申し上げます。


相変わらず暑い日が続いている沖縄ですが、いかがお過ごしですか?
こちらは引っ越した15日からまともな雨が降っていません。
毎日毎日うだるような暑さです。

おかげさまで目覚めもよく、生活環境の変化もあって、
日々の営みをそれなりに楽しめるようになりました。

とはいえ、まだまだやることがいっぱいです。

引っ越しの整理も十分とはいえません。
インターネット環境も未解決のままです。
ソファを捨てて、すっきりした部屋にすべきか…なんてことも
ふたりのあいだで保留のままだったりします。

仕事の面でも8月はひとつの山を迎えそうな気配。
大きなコンペティションが2つ、すでに予定されてます。
下期の売り上げを大きく左右する「超えるべき壁」です。

リーダーシップを取りつつ、他の社員を巻き込んで、
Big Waveへと導いていく責任がある…と感じております。

   ●

その一方で、個を充実させたい欲求も日に日に高まってます。
英語学習のBreak Throughも願ってばかりで実現してません。
未だにEnglish Brainを目覚めさせることができません。

音楽活動も大きな山場です。
「CD発売」という節目を目の前に牛歩の状況が続いております。
11月発売が果たして可能なのか、ここひとつの団結が大事なのか…と。

LifeWorkである写真表現も、自らを省みる冷静さが求められております。
目の前のblog更新だけが己の課題となってしまっている現実は、改めなければいけません。
まずは、公募展への参加が急務です。

   ●

…そんな中で「かもめ食堂」を観て参りました。

小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ…個性派女優出演のAll Finland ロケの映画です。

とても力の抜けた印象的な映画でした。
Finlandに日本の食堂をオープンさせる…という無謀な設定を
小林聡美が淡々とした演技で進行させる、これといって山場のないストーリーなんですが、
こつこつと誠意を持って生きることの「日本人的健気さ」が描かれているなあと
純粋に思った次第で…。

「日本人的健気さ」なんて曖昧な言い回しですが、
謙虚な身のこなしの背後には、しっかりとした「信念」があるなあと…
これはまさしく「道(どう)」の精神だなあ…と思いました。

Finlandという異国の地でも、「道」を重んじ、律して生きる。
こんな潔さが、今の日本にも息づいているなあと、
ひと頃よりは不足しがちな現代ですが、
やはりこの心構えはしっかりと根付いている…と確信しました。

   ●

明日から8月。
2006年もあと5ヶ月となりました。
残りの年月も、誇り高く、志高く、行きましょう。
くれぐれもご自愛ください。