【on_Flickr】尾花藍子

アーティスト尾花藍子さんと
渋谷でphoto_sessionした写真をUP!

【on_Flickr】0530_aiko

彼女は来週ソロ公演がある。

【尾花藍子新作ソロ公演】
構成・演出・出演・美術: 尾花藍子

日時:2012年6月27日(水) 昼夜2回公演

マチネ
開場 14時
開演 14時30分
ソワレ
開場 19時30分
開演 20時

入場料:1000円(1drink(500yen)オーダー)
ご予約・お問い合わせ:apiece7@gmail.com

場所:-gallery&live space- AMP

【jun_09】やんばるくいな荘


今夜の宿泊先、やんばるくいな荘

かれこれ5回はここにお世話になっている。
6月の梅雨時は「オキナワスジボタル」が見られるからだ。

始めて来た時は、土建屋のおっちゃんたちの常宿で、
食事も量ばかり多くて辟易したものだけど、
回を重ねるにつれ、どんどん洗練されていき、
毎年お邪魔するのが楽しみになってきている。

今年はどんなサプライズがあるだろうか?

【jun_09】真栄田岬


翌日は朝から読谷の真栄田岬へ。
青の洞窟」をシュノーケリング。

久しぶりに堪能するオキナワの海。
眼下に広がる珊瑚礁と魚の群れ。
5m10mと見通せる透き通ったコバルトブルー。

タンクをしょったダイバーたちが、
気泡を湧き立たせながら熱帯魚を撮影している。

この時ほどダイビングしたい!と思ったことはなかった。

シュノーケルで触れ合えれば十分と思っていたオキナワ時代も、今から考えると贅沢至極。
東京から来てみると、このブルーにカラダごと染めたい!と発狂したくなるほどの海なのだ。

【jun_08】佐藤家の食卓


06/08は南国ドロップスで知り合った佐藤家のお宅訪問。

1歳10ヶ月の作太を中心に3年ぶりの再会を楽しむ。
佐藤家のふたりとは、2008年ミュンヘンでお世話になった。

今は沖縄南部にアトリエを構えて、創作活動に勤しむ毎日。
悠久の時間が、流れていた。 幸せなひとときだった。

【jun_08】MementoMoriについて(2)


UNITE!NIPPONにそのような疲弊感を抱いていたボクであったが、
猶予はない…このまま宙づりにしておくわけにはいかない…
ひとりひとりのアクションが社会を動かすのだ!という思いから、
Memento Mori」というワードに辿り着いた。

レヴィナスの「存在するとは別の仕方で」に感銘を受けたのも大きかったのだけど、
経済至上主義の何に違和感を覚えるか…って、前年度00%UP…という近視眼的な視野でもって、
経済活動の右肩上がりが絶対的な正義だと収斂されて、システムが一人歩きしてしまっている点だ。

その視点からは「脱原発」に伴う莫大な廃炉費用(およそ4兆4千億円)は、ありえない支出にしか見えない。
13,520トンにも及ぶ使用済み核燃料(2010年現在)の行く末など、1万年先は生きちゃいねえ…的他人事に終始する。

とにかく「今がサイコー!」だったら、それでいいじゃん。

ポーズとして、エコライフ気取って
適当に二酸化炭素の排出量も減らしておけば、
「輝く未来」に辿り着けるだろ…。

 「安定」は生きる本当の幸福ではなく、見ない・聞かない・考えない…の状態でしかない。 
                 (「魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない」保坂和志)

完全に思考停止なのだ。

何が欠けているって、そこには「己の死」が完全に抜け落ちている…と、思った。

己はいつか死ぬ、しかし、システムは、世界は、そのまま存続するだろう。
近視眼的にシステム存続に荷担するか。
己の終末を鑑みて、残り時間を有効に生きるか。

1年単位の繰り越しでは、5年10年はあっという間である。
しかし、「残り10年」と定めれば、1年1年を噛みしめて生きられるだろう。
いま必要なのは、ひとりひとりが、己の持ち時間を大切に思うこと。
その思いがあれば、未来はきっと開ける。

さらには人と人との交流の起源には、「祝福を贈るもの」という定義があるのだから。

 交換のもっとも原初的なカタチはキャッチボールだと思うんです。
 キャッチボールというのは、ボールのやりとりをしているだけで、何一つ価値を生み出さない。
 でも、僕たちは飽きずにこのやりとりを繰り返すことが出来る。
 いったい何がそうさせているのか。
 このゲームを成り立たせている本質は、ギリギリまで削ぎ落としてみると、
 「わたしはあなたがいないとゲームができない」というメッセージの贈り合いなんです。
 もっと強く言えば、「I can’t live without you(わたしはあなたがいないと生きられない)」
 という言葉を一球投げるごとに相手に贈っている。
 交換が目指している最終的な言葉というのもそれと同じだと思うんです。
 「わたしはあなたに存在してほしいと願っている」
 交換の場において、交換する人々はたがいに「あなたにはいつまでも生きていてほしい」
 (あなたがいないと、わたしは交換を続けることができないから)
 という言葉を贈り合っているわけです。経済活動の起源にあるのは、この祝福の言葉だとボクは思っています。
                               (「日本の文脈」内田樹氏談 )
 
UNITE!NIPPONを始めてから、いろいろな人たちとカメラを介して向き合ったけれど、
向き合ったふたりの間には「わたしには、あなたがいないと写真が残せない」という究極のやりとり、
そう、「わたしはあなたに存在してほしいと願っている」というメッセージの贈り合いがあったのだ…と
今にしてみれば、思うことが出来る。

同時代を生きるからこそ、共鳴しあえるものがある。

長い説明になったけれど、そんな経緯があって、オキナワから「Memento Mori」を始めることとした。

 「あと何年生きられると思いますか?」「それまでにやり遂げておきたいことはなんですか?」

2つの質問に対してボードに答えを書いてもらう。
「己の死」を見つめることで、「今、此処」が掛け替えのないモノに思えてくる。
ボクのボードにある「未来に借りをつくらない」とは、
問題を先送りしない…というニュアンス。お金(利子)の問題しかり、原発(廃棄物)の問題しかり。
己の「残り時間」に意識的になれば、物事の締めくくりにも責任もって対処できる。

ゴミの問題もそう。今はいろんな材質が可燃ゴミで一緒くたになっているけど、
あらゆるゴミを燃焼させるのに、どれだけ無駄なエネルギーが投資されているか。
毎日ゴミ収集をしていて思うのだけど、生産する企業もちゃんと廃棄のことまで意識しているのだろうか…と勘ぐってしまう。

とにかく、今の世の中、尻ぬぐいを人に任せ過ぎなのだ。

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【jun_08】Memento Moriについて(1)


Memento Mori【沖縄篇】をYouTubeにUP。

震災後、UNITE!NIPPONというカタチで
「自分たちの未来を今、引き受けよう!」というキャッチフレーズのもと、
被災地や友人知人などふくめて600人以上の人々と対峙し、笑顔を撮影してきた。

今ニッポンを変えなくて、どうする?

そんな気概が震災直後は街に溢れていた。
しかし、1年という月日がながれ、人々の目線は自然と
今の自分を取り巻く状況へと向き出し、
ボードへのコメントもありふれた美辞麗句へと変貌しつつあった。

 民主主義が効果的に機能するのは、血を流してこのシステムを作った人が現にいるのだという切迫感、
 その人たちから贈与されたものであるという被贈与の感覚があってこそだと思うんです。
 アメリカの民主主義も、建国の父たちの血で購った独立国家民主制なわけで、
 身銭を切ってわれわれにこのシステムを寄贈してくれた先人がいるんだという被贈与の感覚があるときには、
 民主主義が健全に機能する。でもその「感謝の気持ち」が時間とともに希薄化していって、
 デモクラシーというシステムがまるで昔から自然物のようにずっとあったものだと思い出すと、うまく機能しなくなる。
 民主主義というシステムは、たえず誰かが身銭を切って下支えしないと保たないんです。
 支え手がいなくなってしまうと、プラスティックの構造体が宙に浮いているようなものになってしまう。
 生身の人間が分泌する情念とか名誉心とか理想とか、そういう生き生きとしたものが民主主義のシステムを下支えしている。
 そのような生命的なモノの備給が絶たれると、それはカタチだけは民主主義だけれど、劣化した民主主義になってしまう。
 みんなが民主主義というシステムから自分はどういう利益を引き出せるのか、
 どういう権利を行使できるのかだけを考えるようになって、民主主義を支えるためにどんな仕事があるのかを
 問わなくなってしまう。それはアメリカでもヨーロッパでもニッポンでも同じですね。
                          (「日本の文脈」220p 内田樹氏談)

やはり日常に埋没することで、いま現在の生活が、
恒常的に営まれるのだ…と錯覚してしまうのだろう。

67年前は国家に盲従して、自決すら余儀なくされていた…というのに。

内田氏が語るように現在は民主主義に馴れすぎて、
「自分はどういう利益を引き出せるのか、どういう権利を行使できるのか」
全国民が常に消費者マインドの立ち位置で、社会と対峙している…と思う。

経済至上主義の毒牙に思考がやられてしまっている。

この社会は決して強固なモノではなく、まして与えられたモノでもなく、
国民ひとりひとりの意識の総和として存在しているのだ…という
その当たり前な視点が欠如してしまったのだ。

UNITE!NIPPONは、「未来を引き受ける」つまり、
自分たちの手で未来を構築することを意識すべくアクションしたもの。

残念ながら、1年の月日は、
人々からその思いを摩耗させてしまった。

つづく。

【jun_08】Rolling Beans


オキナワから東京に越して3年。

珈琲豆だけはいまも首里にある
Rolling Beansから取り寄せている。

オーナーの上田さん。

音楽通でRollingStonesが大好き。
いまも有名無名のアーティストを
ナマで体感せんと、足繁くライブハウスに通う。

そんな上田さんだから、
珈琲豆も感性豊かに自家焙煎。
薫りをぎゅーっと封じ込めた
とびっきりの豆がいつも速達で届くのだ。

特にオススメはアイスコーヒー。
淹れ立てを氷で瞬時に冷やして飲むと、
鼻から抜けるコーヒーの薫りがすばらしい。

お試しあれ。