【MUNICH】Sバーン車中


3月18日。火曜日。
弟の誕生日だった。

おめでとう。
36歳。
ほほ、年男だな。

平日の7時台。
ミュンヘン郊外へ向かう列車なので、
通勤客と思われるサラリーマンもまばら。

ほとんどはミュンヘン空港が目的地。

斜光の朝日が清々しい。
感慨深い気持ちになりながら、
シャッターを切る。

ドイツ。
豊かな国。

【MUNICH】いよいよ出発


3月18日。火曜日。
朝早く起床。

まだまだ肌寒いミュンヘンの朝。
手袋ナシには居られない。

朝食のパンを駅前のパン屋で購入。
まだ朝の6時30分。
パン屋さんは朝が早い。

ミュンヘン空港までおよそ1時間。

10時のフライトで一路ヘルシンキへ。
さらに極寒の土地へ。ああ、物好きな…(T_T)。

ヘルシンキは
いったいどんな景色で
迎えてくれるのだろう。

最後のオリンピック公園を
カメラに収める。

【MUNICH】最後の夜


3月17日。月曜日。

オリンピック公園の
集合団地。

2週間もお世話になった
ナムチ夫妻と最後の晩餐。

ビールやソーセージで
ミュンヘンの夜をしめくくる。

ホントにお世話になりました。
(T_T)

おかげさまで
唯一無二のステキなひとときを
このミュンヘンで過ごせたよ。

ありがとうね。

またいつか、この地に足を運びたい。
あまりにも色濃いモノがありすぎた。

そして、このヴァイツェンビールを
白ソーセージといっしょに味わいたい。

ビールは見事に旨いよ。
Herzlichen Dank für Ihre Hilfe.

明日は6時起きで
ミュンヘン空港へ。

ブラジル移民100年


ブラジル移民100年

昨日6月18日は、
1908年に神戸出航の「笠戸丸」が
ブラジル・サントスに到着した日。

沖縄からもユートピアを求め、
たくさんの人が移住した。

先月、アルゼンチンの日系3世、
大城クラウディアさんに会う機会があった。

Myspace「大城クラウディア」

アルゼンチンも同じように
日本からの移民先となったところ。

クラウディアさんも
沖縄人の両親を持つ純血の3世だ。

そのクラウディアさんが
日本を舞台に唄を歌うようになったきっかけが
The Boomの「島唄」。

アルゼンチンのアルフレド・カセーロさんが
The Boomの「島唄」を日本語でカヴァーしたのを、
宮沢和史さんがインターネットで見つけ、
アルゼンチンまで訪ねていったのが、事の発端なのだ。

アルゼンチンの日本庭園で
カセーロさんと宮沢さんのジョイントライブが
急遽企画され、そのコーラスとして白羽の矢が当たったとのこと。

宮沢さんが彼女の歌声に惚れて、
プロデュースまで行う運びとなった。

「唄」が取り持った人の「縁」。

なんともすばらしい。

言葉が通じなくとも、
唄ならソウルは伝わる。

来月はブラジル移民100年記念で
クラウディアさんもブラジルでライヴを行う。

アルゼンチンにも足を運ぶ…とのこと。

「唄」で人と人の心がつながる。
なんとも人間らしい技だと思った。

宮崎勤死刑執行


奇行の数々…真相は闇のまま宮崎勤事件(産経新聞)

死刑確定者には当日の朝に執行を告げられ、
午前中に執行される。

死刑執行の日、死刑確定者の居室には死刑確定者の抵抗に備え、
特別警備隊と呼ばれる、頑強な刑務官で構成された一隊が送られ、
首席矯正処遇官(処遇担当)より死刑確定者に
これから死刑を執行する旨が伝えられる。

時間は午前9時から11時の間が通常であると言われている。

淡々と従う者、抵抗を試みる者、恐怖で茫然自失となる者、
泣き叫びながら命乞をする者、反応は様々である。

ここでは遺書を書く時間や、
室や荷物を整理する時間は全く与えられず、
即座に特別警備隊により刑場へ送られる。

刑場は普通の部屋のような扉となっており
一見して「刑場」として見分けがつかないと言われている。

刑場には、手前の部屋に祭壇、奥の部屋に刑場が設置されている。

死刑には拘置所長、立会検事、検察事務官、首席矯正処遇官(処遇担当)、
首席矯正処遇官(教育担当)、医官2名、刑務官5名以上、宗教教誨師が立ち会う。

祭壇は回転式になっており、死刑確定者の信仰する宗教に応じて、
仏教、キリスト教、神道の祭壇を選ぶことができる。無宗教も選択できる。

拘置所長による死刑執行指揮書の読み上げが行われる。

宗教教誨師が最後の説教・説法を行う。

その後、死刑確定者は拘置所長や刑務官らと別れの挨拶を行うのが一般的である。
死刑確定者を落ち着かせるために拘置所長・首席矯正処遇官(教育担当)・宗教教誨師が講話を行う。

拘置所長が死刑確定者に最期に言い残したいことはないか尋ねる。
遺言があれば遺言を残すことができ、希望があれば遺書を書くこともできるが、時間は限られている。

一通り終わると死刑確定者は刑場へ連行される。

刑務官らにより目隠しと、腕の拘束、足の拘束が迅速に行われ、
頚にロープがかけられ、長さが調節される。

拘置所長の合図により、5人の刑務官により同時に5つのボタンが押される。
これは刑務官の精神的苦痛に配慮した仕組みで、どのボタンがダミーなのかは一切不明である。

床板が開き死刑確定者は地下へ落下する。

なおこの手順は死刑確定者が従順な場合であり、
激しく抵抗する者などは前記の儀式など行えるはずもなく、
刑務官らの力により刑場に引き立て処刑という事になる。

概ね日本の死刑確定者は、取り乱すことなく淡々と死に臨むと言われているが、その実際を知るすべはない。

死刑は絞首により行われると定められているが、
実際は縊首(いしゅ)である。

死刑確定者は、落下した後数分から十数分、長くて20分以内には死ぬとされている。

                    (wikipedia「日本における死刑」抜粋)

         ●

鳩山法務大臣は2007年12月からの7ヶ月で
4回にわたり13人の死刑を執行した。

【南国ドロップス】祈り -an anonymous song-


夢を成し遂げる 強さ求めたけれど
つつしみ学べと 弱さを得た

大いなること為す 身体望んだけれど
よりよく生きよと 病を授けられた

求めたもの得ずとも 願いはみな叶った
私こそが一番 恵まれし者

幸せになろうと 富を求めたけれど
賢くあれよと 貧しさ得た

誉められるほどの 力望んだけれど
天の助け知れと 不器用さを手にした

求めたもの得ずとも 願いはみな叶った
私こそが一番 恵まれし者
心の祈りはいま届いた 生まれてよかった

人生を楽しむ 術を求めたけれど
生きる理由知れと この道歩いてゆく

A creed for those who have suffered

【DEUTSCH】ドイツから得たもの


3月17日。くもり。
市街地でドイツ土産を物色。

トラムで移動して、
アンティークショップや
古着屋を見て回る。

60euroの古着のジャケットを発見。
おお、約1万円!

この時期euro高騰で1euro172円!
それでも何か手にしたい…そんな衝動で
一目惚れのジャケットを購入。

みんなへのお土産も
スーパーで購入。
大量買いはスーパーが一番。

   ●

3月5日から17日までのミュンヘン滞在。
約2週間弱のあいだに、
ルートヴィヒのお城を堪能し、
第三帝国の残した負の財産を目の当たりにし、
ミヒャエル・エンデの真摯なまなざしに心打たれた。

どれもドイツのエキセントリックな部分。
その中で、エンデの姿勢だけは
ドイツ人の本来持ってるきまじめな目線だと、感じた。

エキセントリックな部分があるからこそ、
エンデの思想も花開いた。
そんな気がする。

東ベルリンに10日間滞在したときは、
独自の道を歩む首都ベルリンの活気を強く感じたが、

今回は、成熟した街、充足した街、ミュンヘンの
予定調和な部分、慣性に任された部分、置き去りにされた部分…と、
過去を振り返させる要素が多々あり、
とても考えさせられた。

人間をみつめる上で
欠かせない要素が詰まったドイツ。

   ●

週末、沖縄県芸術大学で開かれていた
ウォルサー・モーリッツ個展
を見に行った。

ミュンヘン芸術大学から来た交換留学生で27歳。

ドイツ・ミュンヘンの土壌から沖縄はどのように映ったのか…。
作品のスタンスは極私的で、沖縄の繊細な部分への興味も
感覚的なところに留まっていたが、「沖縄」が彼の中で育まれ、
ミュンヘンで花開くこと…を期待したい。

そして、ボクの中でも
ミュンヘンが開花することを。

【DACHAU】レクイエム


3月16日。
沈痛な面持ちで
クレマトリウムを後にする。

有刺鉄線には、
誰かがその思いを
花に託したのか、

白バラが手向けられていた。

      「白バラ」潔白の証。

独裁による極端な思想が
12年間もの間、ドイツを翻弄し、
民族浄化の名目で1100万人を死に至らしめた。

その渦中にあった市民は
どれだけの恐怖を味わったのだろうか。

ボクたちにできることは
この史実を、しっかり後世に伝えること。
そして、死者を想うこと。
メメント・モリ。

人類最大の過ちを二度と繰り返さぬよう、
この記憶に刻み、伝え歩くこと。

「無知」なる涙をもって
自らの存在を見つめること。

      そして、与えられた命を全うすること。

無念の意志を受け継ぎ、
その懊悩を解放してあげることだ。

そのためにも、固まることなく
前を進んでいく。…それが、大事。

【DACHAU】そして、クレマトリウム


3月16日。日曜日。
すでに3時。来館から4時間が過ぎた。

囚人棟が立ち並んでいたあたりの
糸杉並木をそのまま先まで歩く。

左手には、クレマトリウム。

crematorium…火葬場。

ナチス的にはガス室も含まれる
「死」処理施設。

これも当時のまま、残されている。

近づくと、浮遊する「魂」に押しつぶされそうな
…どーんっっと重い空気が、肩や背中にのしかかる。

        焼却炉。

虫の息となった極限状態の囚人を
手前の梁にぶら下げ、絞首し、
息の根を止めてから、焼却した…という。

生きたまま焼却することもあっただろう。

      「死」処理場。

シャワー室と偽って(なんと見え透いた!!)
ガス室に裸の囚人を放り込み、死に至らしめる連中だ。
大量殺人を処理したのは、先程の独居房の連中。
(ダッハウではガス室の使用はなかったとされる)

収容所は元々ドイツ復興(民族浄化)の
「前向き」な目的で作られた施設である。

“ARBEIT MACHT FREI”「労働は自由をもたらす」

ドイツのために労働できない人間は
「死」しか選択肢がなかった。

女や子どもはそのまま
ガス室に連行され、
服を脱がされ、「死」処理された。

       アウシュヴィッツでは
      600万人ものユダヤ人の「死」
         が処理された。

          600万だ。
          桁が違う!
     

        ホロコーストである。
         絶滅収容所である。
 

福岡県の人口以上の人間が
人為的に強制「死」処理されたのだ。
ユダヤ人だ…という理由で。

     やばい、心臓がバクバクしてきた。
     もはや、この場所には居られない。

【DACHAU】独居房


3月16日。日曜日。
すべてが灰色に包まれた午後。

当時の状況を物語る独居房の棟へ。

ダッハウ強制収容所には
最大時40000人ほどの囚人が送り込まれたが、
それだけの数の人間が集まると、
もはや統制を取るのは難しい。

区切られた村のようなものだ。

そこで第三帝国は
囚人にランクを付け、
上下関係を構築することで
囚人が囚人を管理するシステムを作った。

この独居房は
主に政治犯が収められた。

共産主義者など
政府の政策を糾弾し、
捕らえられた者たちだ。

他にカトリック教の牧師が
3000人ほど拘留された。

第三帝国にとって
神は不要だった。

そのように捉えられた
博識ある人間たちは
政府にうまく利用された。

巧妙な取引で
命を細々とつなぐ
…そんな状況下に追い詰められた。

巧妙なだけに
信頼を失うと
極悪な刑に処せられた。

cell-roomといって、
細胞のように細かく区切られた
立っているのがやっとのような細長い空間に、
水も食事も与えず放置され、餓死するのを待つ刑。

睡魔に襲われ
横になりたくても
膝を曲げることすらできない。

足の筋肉が衰え、
関節が炎症を起こし、
もはや立つことすらできなくなる。

そのような究極の状況で
人間はどのような対処をして
死を受け入れるのだろう。

朦朧とした意識との格闘。
死を待つしかない究極の懲罰。

コンクリートの壁に残された
数々のひっかき傷や凹みが
…その懊悩を…訴えていた。