HOLGA東京近景〈クリスマス〉


12月に入ると、どこもかしこもクリスマス一色。
年々、イルミネーションも盛んになる。

町内会のイベントとして
イルミネーションを競ったり、
電力会社がコンテストを催したり、

この季節だけは
エネルギー放出が美徳…のようだ。

8月には「ろうそくの夜」などと称して
街の灯りをすべて消そう…と呼びかける活動も
あったりするけど…。

新宿南口の高島屋13階にある
「つばめグリル」で“ハンブルグ”を食べる。

週末だから、午後の3時だというのに、列が出来ている。

家族連れや、カップルが、
長めの昼食もしくは早めの夕食を楽しんでいた。

赤ワインをボトルでオーダーし、
生カキを貝のまま、食す。
…そんな贅沢な食事をしている老夫婦。

となりでは、女性同士が買い物帰りに遅めの昼食。

…どこにも属さず、ひとりハンブルグを食べる。

いつもとは違う空間、いつもとは違う時間。
そんなポジションを楽しむ。

HOLGA東京近景〈パイロン〉


カラーコーンが光の中に散在していて、
ボクは思わず立ち止まって、シャッターを切る。

その出で立ちが、妙だし、
なにしろ目立つためのデザインだから、
とにかく目を引くのである。

まして、このように散在してあると、
インスタレーションのようで、空間が別物になるから、楽しい。

日常生活の風景や常識が、
パイロンの存在ひとつで覆されるのである。
決して溶け込まない。

どこまでも異物に徹している。
その潔さが、ここちよい。

HOLGA東京近景〈エンゼツ〉


渋谷の駅前では、なにやら重苦しい雰囲気。
日曜の昼間に「石破」と「町村」の政治家が、
〈エンゼツ〉を繰り広げるようだ。

取り巻きが面白い。

警察官も異様なほど多かったし、
報道陣も多数詰めかけていたが、
やはり政治家を支える人たちの異様さが目立つ。

特にSPと呼ばれる人たちの異彩の放ち方は、
どんな素人でもわかるものだ。

彼らが居ることで、返って現場が目立つ…ということはないのだろうか?

そのほうが世間の目が集中して、安全なのだろうか?

その周りを取り囲む支援者たちも異様。
老若男女、世代を超えて、支援する政治家にエールを送る。

なんのために?

よりよい日本を望んでいるから?

同じ地域の出身だから?

どうしてもボクには
政治家が私利私欲の塊に見えて仕方ない。

その取り巻きも。
システムすべてが。

胡散臭いのである。

HOLGA東京近景〈ガングロ〉


渋谷で久々に「ガングロ」を目撃。

山中で出くわした「山男」かと
見まがうがごとく興奮して、追いかける。

顔を真っ黒に塗りたくり、
目の回りを白くした逆パンダメイク。

ピンク色のエクステンションを
ショッピングママよろしく
大量に結びつけている。

どうみてもレゲエのおじさん。

ここまでの変貌が、人を大胆にさせるのだろう。
道行く人が振り返ることを快感にさえ、感じているご様子。

究極のコスプレとも言える。

HOLGA東京近景〈エロス〉


この週末は東京へ。

今年最後の東京詣で。
日曜日は見事に晴れ渡り、絶好のHOLGA日和。

光と影を追い求めて、
午前中の間、新宿と渋谷を闊歩する。

人が多いと、被写体も多い。

それでも日曜日だけあって
いつもの東京よりはゴミゴミとせず、
開放的な天気と相まって、気分よく写真が撮れた。

これは「大森克己」風、
「アイサツ」ショット。
エロスが基本。

大森さんは、元気だろうか?

NYから1年


ひとり寒々しく過ごしたあのNYから1年。
時間の経つのは、早いもの。
あれからどれだけ自分は成長したのだろう。

年明けの書き初めで記した「躍」。

2007年は公私ともに大活躍を!
…そんな思いを一文字に込めた。

振り返ってみれば、どうだろう。
自分が思い描いていたように、
        自身を発揮したのだろうか?

明日はビール会社のナレーション録音で、朝から東京入り。
佐藤B作さんにお願いしている。

長年の念願だったビール会社のTVCMをこの年末に手がけて
2008年初頭からオンエアの予定だ。

TVCMのBGMは、南国ドロップス。
CM用に書き下ろし、録音まで行った。

言ってみれば、これが今年の集大成。
公私ともに大活躍のカタチ…である。

しかし、何かが足りない。

片や、杓子定規にルール決めをする会社の動き。…Pマーク。
片や、なんでも前例を持ち出す指針のないクライアント。…コンプライアンス。

自分の中では、こちらの窮屈さが今年を象徴している。

NYで感じたラジカルでクリエイティブな活気。
常識に縛られず、新たなスタイルを築こうと闊歩する人たち。

創造こそが、人間本来の存在意義。
そんな全肯定が、心地よかった。

しかし、今のボクはアンバランスだ。
あいかわらず水面下でバタバタもがいて、全然前に進んじゃいない。

「躍」は確かにバタバタ派手に動くイメージだ。
 実際、今年は派手な動きをした。

 CDを出し、フォトミュージアムを企画実施し、
 半月板の手術をし、クルマを廃車にする事故を起こした。

あたりに何かを撒き散らしている…そんな印象である。
もう少し、地に足をつけて、まっすぐと目的地に向かわねば。

    2008年の一文字は「進」に。 
    派手な横振りを前の動きに変えたい。
    そして、しっかり現状を打破したい。
    ここから抜け出すことが、新たな自分をつくる…。
    そんな気がする。

殯の森


人は死んだらどこにいくのだろう?

ある時ふと…
後ろ姿や、
悪態や、
口癖や、
匂いや、
怒声や、
笑い声なんかが
そのまま甦ってきたりする。

生きてる時だって、
ずっとそばにいたワケじゃない。

でも
辛いとき、楽しいとき、哀しいとき、
いきなり目の前に顕れては、
そっと声をかけてくれたりするんだ。

目に見える世界だけが、現実。

そんな杓子定規な価値観に追われ、
どんどん感覚がにぶってきてるけど、

森に分け入り、ケモノの気配を感じ、
五感を研ぎ澄ます状況に身をさらしてみると、

生と死が1と0のデジタルな境界線で隔てられているのではなく、
連綿と続くアナログな交錯で成り立っていることを思い知らされる。

死。

ボクは死を畏れる。
それは得体の知れないものとして。
それは未知へと続くものとして。
それは自己を超越した世界として。

だからこそ、
死を常に感じていたい。
そう考える。

身近なひとがいなくなる。
それはほんとに尊いことではあるけれど、
生と死のあわいを結ぶ「つな」として、
みずからの立ち位置をふりかえる良い機会なのだ…と思う。

「もがり」…とは、
いなくなったひとを想う時間や場所のこと。

埋葬の時代は、
死者の魂が戻ってくる時間として
しばらく亡きがらを安置していた…という。

メメントモリ。
死を想え。

「もり」は、

生きる意味を気づかせてくれる。

必見。

「殯の森」公式ホームページ

一難去ってまた一難


2日間におよぶ壮大な撮影を終え、小休止の今日。
昼過ぎから予約しておいた歯医者へ向かう。

昨日の疲れがまだ目頭に残っている。

ずっと疾走してきたような
そんなイメージ。

いつまでも終着のみえないレースに参加していたような気分。
やっと昨日、その「よすが」を掴んだ…そんな充足を感じていた。

   …なのに。

   …また。

災難とは、一難去っては、また訪れる。

   …やれやれ。

廃車に歯医者か…と、くだらんオヤジギャグが巡る。

   来週にも親知らずを2本、抜くことに。

なんてこった。
またもや、痛い話。

今から上あごが、ヒリヒリと浮ついた音を立てる。
今年は、ホントに…当たり年なのだ。
迷惑な話だけど。