徒労にまみれて坐っている


表現者ってなんだろう。

表現力ってなんだろう。

アーティストは自分の世界を
他者に共感してもらえるよう、
その表現力を高める。

広告クリエイターは、クライアントの思いを
消費者に共感してもらうよう、
その表現力を高める。

似て否なり。

広告クリエイターは
翻訳業もしくは接客業。

翻訳業でしっかり思いが伝われば、
それは幸せ。評判にもなる。
接客業でしっかり思いを伝えれば、
それは徒労。非難ごうごうだ。

「伝われば」と「伝えれば」

この違いは大きい。
共感にワンウェイはありえない。
「伝えれば」にレスポンスはいらない。
つまりは…投げっぱ…だ。

クライアントの思いの丈を
そのまま押し込んだ広告は
完成度も落ちるし、表現力も落ちる。

吐露を受け止めれば、徒労に終わる。

そんなわけで、
こんな時間に徒労にまみれて坐り込んでいる。

ああ、表現力を高めたい。

花木豪との再会


花木豪。
芸名みたいな名前だが、本名だ。

沖縄のデザイン事務所で7年前、出会った。

実を言うと
沖縄に来て初めて制作したTVCMで
彼とは出会っていた。

それは、アルバイト情報誌のTVCMだった。

その会社の新人社員だった彼は、
社長推薦で出演を任された。

出演内容は…夜間工事のガードマン。

おそらく当時、彼は20歳を過ぎたばかり。
黄色いヘルメットに上下のつなぎを着て、
それなりにサマになっていた。
その時から「変わった奴だなあ」と思っていた。

そんな彼が、
取引していたデザイン事務所に、
ひょっこりやってきた。
…不思議な縁だと、笑ってしまった。

あれから7年。

彼は東京神宮前のデザイン事務所で
日々奮闘している。
体格も立派になったが、
人間としても立派になった。
出てくる話がおもしろかった。
考えていることが、まともだった。

山之口貘じゃないが、
こんな縁も、沖縄ならでは…と
こころが温かくなる。

今日も女性下着のカタログ制作で
夜もない生活を送っているのだろう。

がんばれ、花木豪。

告別式/山之口貘


金ばかりを借りて
歩き廻っているうちに
ボクはある日
死んでしまったのだ
奴もとうとう死んでしまったのかと
人々はそう言いながら
煙を立てに来て
次々に合掌してはボクの前を立ち去った
こうしてあの世に来てみると
そこにはボクの長男がいて
むくれた顔して待っているのだ
なにをそんなにむっとしているのだときくと
お盆になっても家からの
ごちそうがなかったとすねているのだ
ボクはボクのこの長男の
頭をなでてやったのだが
仏になったものまでも
金のかかることを欲しがるのかとおもうと
地球の上で生きるのと同じみたいで
あの世も
  この世もないみたいなのだ

     ●

この達観!
真実ってなんだろう…と訝しんでしまう。

生活の柄/山之口貘


歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのです
草に埋もれては寝たのです
ところ構わず寝たのです

歩き 疲れては
草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです

近ごろは眠れない
陸を敷いては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き 疲れては
草に埋もれて 寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです

そんなボクの生活の柄が
夏向きなのでしょうか?

寝たかとおもうと
またも冷気にからかわれて
秋は 秋は
浮浪者のままでは眠れない
秋は 秋からは
浮浪者のままでは眠れない

歩き疲れては
夜空と陸の隙間にもぐり込んで
草に埋もれて寝たのです
ところ構わず寝たのです

    ●

大工哲弘がろうろうと歌う
この「生活の柄」を聴いて

この歌を聴きながら…なら、ボクは死ねる…と思った。

まさにこの曲は、すべてをリリースしてくれる
鎮魂歌…だと、心底思った。

山之口貘。

こんな詩人が沖縄から出生していたことに
ボクは今、ものすごく感動している。

石/山之口貘


季節季節が素通りする
来るかもとおもって見ていると
来るかのようにみせかけながら

僕がいるかわりにというように
街角には誰もいない

徒労にまみれて坐っていると
これでも生きているのかとおもうんだが
季節季節が素通りする
まるで生き過ぎるんだというかのように

いつみてもここにいるのは僕なのか
着ている現実
見返れば
僕はあの頃から浮浪人

    ●

徒労にまみれて坐っている…
まさに今のボクはその状態。

いつみてもここにいるのはボクなのか…
見返ればボクはあの頃から浮浪人

いつまでたってもモラトリアム。