満開の桜を目の当たりに。


4月3日、取材・撮影でふたたび東京へ。

肌寒い雨空の天気。
すでに満開を過ぎた桜が並ぶ代々木公園で、
沖縄出身の舞台俳優、川平慈英さんに話を伺う。

こちらのイメージ以上に沖縄に対する思いが強く、
幼少の腕白時代から、現在のポジションに至るまでの課程で、
常に沖縄人としての資質が影響してきたことを、熱っぽく語っていただいた。

「人生をエンジョイすること。その感覚は、沖縄で吸収した。」

毎日を楽しく生きる、自分自身がエンジョイする、
そのスタンスは昔から変わっていない…と川平さん。
自分が楽しく演じてなければ、相手を楽しくさせることなど、できっこない。

舞台上で精一杯演じ切るために、日頃の稽古は自身を追いつめる。
役柄になりきり、そのキャラクターが持つ生命力を漲らせたい。
良い役者は、ライブな生命力が一挙手一投足に溢れている…
そう語る「目ヂカラ」が鋭い。

取材を終え、撮影を行うべく代々木公園へ。

雨はいつの間にか止み、うっすらと光が差し込む。
散り散りとなった桜並木の下を、うれしそうに歩く川平さん。

「今後は自分の好きなことしかやらない…と決めてる」

笑いながらポーズを取る、そのしなやかな肢体に、
枝の先々まで花を咲かせたソメイヨシノは、とてもよく似合っていた。

川平慈英

いよいよ明日投票


都民でもないのに、明日の都知事選が気になる。
石原慎太郎氏が3選するのか、はたまた前宮城県知事の浅野史郎が初当選するのか。
国粋主義的な情勢が強くなってきている今日の日本の政治だが、
都知事の動向次第で、その動きに拍車がかかることにもなるだろう。

「You Tube」に政見放送が投稿され、
公職選挙法に抵触するとのことで都選管が削除を要請したらしいが、
未だにネットを活用できない日本の選挙システムの出遅れが、露わになった。

そんな旧態然とした構えでいるから、約半分の都民が投票を棄権するのだ。
5割の民意が反映されない都知事選挙。

そして、現職辛勝で安倍政権も安泰。
徐々に不気味なナショナリズムが台頭していく。
そのシナリオが、すでに予定調和である。

周りを海に囲まれた島国だからなのか、
不安要素を国境で遮断し、おらが天下を語りたがる。
杓子定規ですべてを規程し、コンプライアンスが正義だとする狭量な見解。
反映された5割の民意は、そのポジションに満足するだろう。

しかし、残りの5割が真実だ…と思う。

たしかに棄権は大問題だが、
おそらくその5割が抱えている思いが、
今の日本を大きく変える要素なのだと、ボクは感じている。
その民意を取り込めていないシステム自体が、すでに問題なのだと…。

ニートやフリーターが溢れる現代の社会構造の歪みが、国粋の暴走を引き起こしてはいないか…。

いずれにせよ明日、1250万人の総意が結果として顕れる。

東京都知事選

東京アート探訪 その9


「ノマディック美術館」から「ヴィーナスフォート」へ。
すでに日も暮れ、夜へ移行している時間なのに、館内はこの空だ。

中世ヨーロッパを模したデザインを館内に施し、
天空が2時間を周期に変化し、ロマンティックな気分にさせる。
女性のためのショッピングモールとして、1999年オープン。

すでに7年の歳月が経っている…とは思わなかった。

館内の中華料理店「青龍門」で食事をしながら、移り気の早い天井の空を眺める。
爽やかな朝の光から、真昼の青空、茜色の夕暮れ、そして夜の帳へ。
女性のためのショッピングモールは、「女心」をよく心得ているようだ。

parette town “VENUS FORT”

東京アート探訪 その8


その「ノマディック美術館」で展開されていた展覧会が、
これまたスケールの大きな写真で知られる
カナダ出身のアーティストGregory Colbertの「ashes and snow」。

とても不思議な写真だ。

ゾウやワシやチーターやクジラが、おとなしく写真に収まっている。
アジア系の子どもたちや、アフリカ系の女性たちと静かに向き合い、
カメラに臆することなく、どっしりとした存在感で焼き付けられているのだ。

巨大な出力が天井から釣り下げられた展示スタイルにも、圧倒された。
とにかくデカイ。大迫力で、ゾウやクジラが目に飛び込んでくる。

それらの写真が撮影されたであろう、同じシチュエーションの映像が
場内で繰り返し上映されていた。

15年間にわたり、Gregory Colbertは
インド・エジプト・ミャンマー・トンガ・
スリランカ・ナミビア・ケニア・南極大陸・ボルネオ諸島を旅し、
人間と自然の融合を目指した芸術をカタチにすべく、制作活動を行った。

その美しさには、息を呑む。
完成度の高さゆえに、誤解されてしまう向きもあるだろうが、
その映像から、現代の歪みを感ぜずにはいられない。

このような仮想世界を構築し、提示することで
メッセージを送らなければバランスが取れない状態にまで、
人間社会は完全に歪んでしまった。

人間至上主義がもたらした西洋人の「懺悔」が凝縮されたアート。
「癒し」のいう名の、「免罪符」的映像のユートピア。

これもまた「不都合な真実」なのだろうか。

Gregory Colbert 「ashes and snow」

東京アート探訪 その7


そして、移動美術館「ノマディック美術館」。

建築家の坂茂(ばん・しげる)によって設計され、
ニューヨークではじめて組み上げられた建築物で、
152個の貨物コンテナと坂茂オリジナルの建材・紙管で成り立っている。

コンテナは移動先で借り受け、組み立てるので
コストが大幅に抑えられる…という、坂茂らしい画期的な構造体だ。

坂さんとは、面識がある。

実は、建築写真事務所でアシスタントをしていた時の
メインクライアントが坂茂建築設計だった。

当時から坂さんの建築は斬新で驚きがあった。
壁だけで成立する構造体の集合住宅や、柱を設けず開放部を正面に据えた別荘、
カーテンで空間を仕切った私邸など、
朝から夕方まで彼の建築物と対峙し、竣工写真を撮影した。

今から15年ほど前の話だ。

あれから比べると、坂さんはとてつもない建築家に前進していた。
紙管を使った建築物で、いち早く被災地に仮設住宅を建てたり、
アフリカに難民用のシェルターを設けたり…と、
建築家ができる社会貢献に対しても、早くから目を向けていた。

都知事候補の黒川紀章氏とは、全く違った「共生」のアプローチだろう。

今、こうして彼の建築物を眺めていると、
「こころざし」がどれだけ大事なのか…実感できる。

坂さんの建築に対するこだわり、真摯なまなざしは、
撮影立ち会いの合間も、ビシバシ!とこちらに響いていた。
構造体の説明をしながら、欲しい絵のアングルを指示する言葉に
孤高の声を感じていた。

…すごい人と関わっていたものだ(>_<)。 SHIGERU BAN Architects
Voluntary Architects’ Network

東京アート探訪 その6


単身東京で頑張るイギリス人、Jaimeと合流。

彼との出会いは、沖縄。
ALTの教師としてイギリス北部からやって来たのは、確か5年前。
現代美術を大学で専攻していたせいか、何事にも好奇心も旺盛で、
日本語も素早く取得、書道もアートとして自分のモノにしてしまった。
また、カポエイラの造詣も深く、小柄ながらたくましい性格の持ち主だ。

まるで、レオナール・フジタのよう。

そんなJaimeが、東京へ行く決意をしたのが、10ヶ月前。
現代アートのメインストリームも体感できて、大好きなカポエイラも学べる…
住み慣れた沖縄から出るのは勇気の要る話だったが、それでも東京を選んだ。

「今でも東京は馴染めない。でも楽しいよ。」

Jaimeは、率直にそう話した。
異国の地で、異国の言葉を使い、異国の職で金を稼ぐ。
並大抵のことじゃない。

最近、イギリス人の女性英会話教師が殺害されたばかりだが、
安全な国NIPPONでも、万全じゃないだろう。

タフな精神力と、繊細な気配り。
レオナール・フジタじゃないが、
Jaimeにも、共通するものがあると思う。

ボクの大切な友だち。

東京アート探訪 その5


国立新美術館を夕方4時に出て、
その足で大江戸線「汐留」からゆりかもめに乗り換え、
「青海」駅に期間限定で設置された移動美術館「ノマディック美術館」へ。

ゆりかもめの大きな窓から差し込む夕日と、
窓外に広がる東京湾岸の風景が、美しかった。

東京アート探訪 その4


国立新美術館は、コレクションを持たず、
広大な展示スペースを貸し出し、多彩な企画展の開催をすることで、
広く美術に関する情報提供、教育・普及につなげる
新しいスタイルのアートセンターである。

佐藤可士和氏のロゴデザインにも
そのような意味合いが込められてあった。

企画展はあいにく「異邦人たちのパリ1900-2005」しかやってなかったが、
それだけでも相当な量の展示を堪能できたわけで、
この美術館がフル回転するときには、3日ほど通い詰めなきゃ収まらないんじゃないか…
とにかくバカでかい展示空間が出来たモノだと、感心してしまう。

       ●

そんな国立新美術館の企画展ではじめて、
レオナール・フジタ、モディリアーニなど
「エコール・ド・パリ」のボヘミアンたちが一堂に介した空間を体験。
また、実際に当時の空気を伝えるムービーも確認することができた。

渡欧する行為自体が珍しい1913年に単身パリへ渡り、
第一次大戦の最中、モンパルナスで貧窮の生活を強いられ、
それでも日本人としての誇りを捨てず、
「乳白色の肌」で一躍スターダムにのし上がったフジタ。

帰国後は第二次大戦の「戦争画」に力を注ぎ、
祖国への貢献を果たそうとしたが、
日本社会には最後まで受け入れてもらえず、
晩年はカトリックに入信し、教会の装飾画を描く孤独の生涯を閉じた。

人生の半分以上をフランスの地で暮らし、
最終的にはフランス国籍を取得、日本国籍を抹消までしている。

そんな身の細る思いを貫き、
82歳まで生きたレオナール・フジタの孤独を、
「乳白色」の下地に感じた。

その繊細なタッチ、細かすぎるほどのディテール、
なによりもモノを見つめるやさしい眼差しに、心が打たれた。

この繊細な心の襞を持った人間を、
表面的な奇抜さやスキャンダラスなゴシップだけで酷評した
当時の日本美術界の狭量さに、深い哀しみを覚える。

彼はある意味、日本史上はじめて世界に認められた日本人だった。
フランシスコ・ザビエルが日本に来たのが1549年だったことを考えると、
どれだけ日本人が国際化からほど遠いか、わかると思う。

野茂やイチローの先駆者が、レオナール・フジタなのである。

異邦人たちのパリ1900ー2005