【May_24】“現存している過去”…それは主観でも客観でもなく、ただ実在する。


“現存している過去”…震災から5年。岩手・宮城・福島のそれぞれ。

【on_Flickr】0311_Five_Years_After

写真は、南三陸町の旧防災庁舎。


“現存している過去”…それは主観でも客観でもなく、ただ実在する。
過去はいつでもそれ自体で現存しているのだ。

ボクらの生活行動が、現在と過去を便宜的に切り離して、
過去はなかった…ことのように振る舞っているのだけれども、
それは人間の都合でしかない。見ないように仕向けているだけなのだ。

起こったことは、それ自体でしっかり現存している。
そこかしこに。内に外に。まぎれもなく。ここの空気の中に…μSV/h。

【May_24】“現存する過去”…震災から5年。岩手・宮城・福島のそれぞれ。


“現存している過去”…震災から5年。岩手・宮城・福島のそれぞれ。

【on_Flickr】0311_Five_Years_After

写真は、浪江町駅前の酒屋。


“現存している過去”…それは主観でも客観でもなく、ただ実在する。
過去はいつでもそれ自体で現存しているのだ。

ボクらの生活行動が、現在と過去を便宜的に切り離して、
過去はなかった…ことのように振る舞っているのだけれども、
それは人間の都合でしかない。見ないように仕向けているだけなのだ。

起こったことは、それ自体でしっかり現存している。
そこかしこに。内に外に。まぎれもなく。ここの空気の中に…μSV/h。

【on_Flickr】0311_Five_Years_After


“現存している過去”…震災から5年。岩手・宮城・福島のそれぞれ。

【on_Flickr】0311_Five_Years_After

写真は、南三陸町のモアイ像。
チリより震災を機に贈呈された。


“現存している過去”…それは主観でも客観でもなく、ただ実在する。
過去はいつでもそれ自体で現存しているのだ。

ボクらの生活行動が、現在と過去を便宜的に切り離して、
過去はなかった…ことのように振る舞っているのだけれども、
それは人間の都合でしかない。見ないように仕向けているだけなのだ。

起こったことは、それ自体でしっかり現存している。
そこかしこに。内に外に。まぎれもなく。ここの空気の中に…μSV/h。

【May_07】釣り堀@A界隈


ANTIBODIES_Collective「A界隈」@ラピュタ阿佐ヶ谷

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0507_ANTIBODIES

振付/出演 東野祥子
演出/音楽 カジワラトシオ
美術/OLEO
映像/斉藤洋平 (Rokapenis)
特殊美術/古館健
特殊映像/関口大和
即興演奏/中原昌也
ドラマツルグ/石橋源士
出演/ケンジル・ビエン、吉川千恵、矢島みなみ、JON(犬)、もっしゅ、加藤律、FANACO、
   齋藤成美、みなみりょうへい、田路紅留美、威力、尾身美苗、松原東洋
美術スタッフ/ヤノタカオ、倉持佑二、西村立志
記録/アーカイブ/ naoeikka
助成/SAISON FOUNDATION
制作/ANTIBO HQ
主催/阿佐ヶ谷アートストリート実行委員会

【May_14】浪江町_請戸川の西日


男 君は誰?
女 誰でもないわ、まだ。
男 ここはどこ?
女 どこでもないわ、まだ。
男 では何をしているんだ、君はここで。
女 何もしていないわ、まだ。

  (中略)

女 あなたも初めてなのね、何もないって状態を目の前に見るのは。
  そのあわて方を見ればわかるわ。私もそうだった。
  始めてその扉の隙間から外をのぞいた時は、
  目の前のものが一体何なのか見当もつかなかったわ。
  扉の外には何もないのだということを理解するのに、
  随分時間がかかったわ。
  あんまり簡単すぎて、かえってむずかしいのね。

       (谷川俊太郎作・戯曲「部屋」冒頭抜粋)

浪江町駅前など町の東側は2016年4月1日からバリケードが外され、
誰でも出入りが出来るようになった。

2011年3月11日の震災、12日のF1爆発以後、時間が留まった状態で存った町は、
急速なピッチで、5年間のブランクを取り戻そうとしていた。

「解体家屋番号3-E-2」と記された傾いた家屋たち。

放射能に汚染され、住宅として住むこともできず、
もはや壊すしか手立てがない…というのは、理性では分かっているのだけど、
矢継ぎ早に重機で押しつぶされていく「かつての」住まいのなれの果てを見ていると、
壊すことで全てをリセットしようという、大きな圧力を感じてしまう。

「事物の世界の上にわれわれが存在していて、
われわれにとって重要なものに意味がある」

「観念の世界によってのみ事物が理解できるのだから、
われわれが事物に意味を与えている」

そんな人間至上主義の驕りを感じてしまう。

谷川俊太郎の戯曲「部屋」を、
浪江町に赴く前に読み返していた。

事物や観念は、人間がコトバで組み上げたフィクションである。
世界は、それよりも遙かに大きな存在として、ここに存る。

「観念の向こう側」にあるまったき世界。

人間がひとり残らず不在になったとしても、この世界はここに存るのだ。

「アンダーコントロール!」
制御できています。

すべてが人間の下位に存るかの如くな振る舞いは、慎めよ。
何もない=観念の向こう側が、本来の世界なのだから。