
竹花英就ワンマンショー@渋谷7thFloor にて。
【Nov_12】二階堂和美
【Nov_12】CdM_gandhi
【Nov_12】CdM_daiho
【野狐禅】ぐるぐる
その四角い囲みからは
今にも「希望」が溢れんばかり
ああ 卒業アルバムの中の 自分の個人写真から
思わず目を逸らしてしまいます
あまりの切なさに「遺影!遺影!」などと奇声を発しつつ
スキップを踏めば 焼酎の空き瓶ふんづけて
仰向けにドサリッと ぶっ倒れました
くるぶしを蚊を射されたときのような
やるせなさを
ニコチンタールでコーティングされた
胸一杯に吸い込めば
ああ ボクとこの街との絆みたいな
生温かい夜風が カーテンを トントン叩きます
涙があふれて 涙がこぼれ落ちそうになって
ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする
涙は感情の 涙は感情の「墓場」だぜ
ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする
桜のアーチをくぐり抜けてから
一体どんくらいの 年月が流れたんだろ
ああ うまいこと 思い出せねぇな いや
思い出したところで ナンのメリットもありません
パンパンに 膨らんだ 東京23区推奨ごみ収集袋を
窓際に積み上げれば
ほら見たことか 未来まで 半透明に呆やけてしまいました
夜明けがキライ 夕暮れがキライと
ダダをこね
アホ丸出しのハムスターみたいに
空っぽの24時間を カラカラと回転させれば
その遠心力に堪えきれず
真夜中の 体育座りが 千切れ飛び
ああ 夜空は それを無表情に 吸い込んでゆくのです
言葉(うた)があふれて 言葉(うた)がこぼれ落ちそうになって
ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする
言葉(うた)は感情の 言葉(うた)は感情の「墓場」だぜ
ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする
涙があふれたら 涙がこぼれ落ちそうになったら
ガムテープで 顔面を ぐるぐるにしろ
涙は感情の 涙は感情の「墓場」だぜ
ガムテープで 顔面を ぐるぐるにしろ
●
オリュウノオバはそうやって二人の若い男らは、自分らが路地と路地のそれぞれに生まれた
同じ人間である事、路地のある紀州と環境のまるで違うそこに同じような路地(コタン)があり、
同じ宿命を持って生まれた事を確かめたのだと思ったが、いっそそれなら、ひ弱な女郎を相手にせず、
腕の血をすすり合うとか、血判を押して、望希楼にとぐろを巻く荒くれらをそそのかして暴動を起し、
道庁を乗っとり、新聞社を爆破し国をつくればよいと思ったが、二人は互いに体のどこかでひもが切れたように、
女郎が血を流し失心するまでいたぶりつづけた。二人は互いの手柄を確かめるようににんまり笑った。
二人が服を着替え階段を降りかかると女郎が眼ざめ、二人が宙に浮いて滑るように歩くのを見て声を呑んだ。
(カンナカムイの翼・中上健次著「千年の愉楽」より)
●
野狐禅と中上健次。
血脈や宿命といった自分ではどうしようもならない部分に
それでも抗い、傷つき、果てることを美しいとする感性。
ニッポン人に今、大きく欠けているのは、この感性だと、断言する。
誰もが人生から、宿命から、自由だ、自由だと、奇声を上げ、
ドタバタと周りを傷つけ、それでも我田引水に我欲を剥き出しにし、
好き放題に領地権争いの目くじらを立て、短い人生を我がモノ顔にすることが真っ当だと勘違いしている。
己の人生は、代々連綿と続く「人間」という生命体の一翼を担っているだけであり、
「人間」として何を引き継いでゆくのか…という一点に、曇り無い眼で応えてゆくことが本望だとする
彼らのメッセージをしかと受け止めて生きている人は、少ない。
【野狐禅】カモメ
ボクはもう疲れ切ってしまってね
部屋のカーテンを
全部締め切ったんだよ
ボクはもう疲れ切ってしまってね
段ボール箱の中に
閉じこもったんだよ
青を塗って
白を塗って
一息ついてから
最後にボクの気持ちを塗った
空の絵を描いていたつもりが
海みたいになってしまって
開き直って カモメを描いた
ボクはもう疲れ切ってしまってね
部屋のカーテンを
全部締め切ったんだよ
ボクはもう疲れ切ってしまって
段ボール箱の中に
閉じこもったんだよ
君との思い出を書いて
君への感謝の気持ちを書いて
一息ついてから
最後にボクの本当の気持ちを書いた
遺書を書いていたつもりが
ラブレターみたいになってしまって
丁寧に折りたたんで 君に渡した
青を塗って
白を塗って
一息ついてから
最後にボクの気持ちを塗った
空の絵を描いていたつもりが
海みたいになってしまって
開き直って カモメを描いた
●
…やこぜんと読む。
仏教用語では、偽りの禅の悟りのこと。生禅。
また、やこ「野狐」は、ひとに取り憑いて騙す生き物の象徴として、ある。
そんな言葉をユニット名にしたふたりを
今日はじめて知った。
この歌を聴いて、虜になった。
やはり、歌は作り手の生き様を露呈する。
生活の一場面を切り取ったような歌詞だけれども、
「生」に対峙する作り手の愚直さ、生きることへの実直さが、
どどどどどどどどどどどどどどっどどっと、心に雪崩れ込んできた。
うわうわうわうわうわ。
なんとストレートな生き様なんだろう。
なんと不器用で、ごろごろいびつで、
危なっかしくて、救いようがなくて、愛しいのだろう。
あああ、これに比べて、
ニッポンの主流は、どうしてこんなにも小賢しいのだ。
一億総消費者意識。
生きることのモノサシが、損か得かで一刀両断されている。
生きるコトの指針が、経営者的損得で善し悪しにつながっている。
どう考えたって、今原発をベトナムに「販売」することが仁義に反していることは明らかなのに、
対国際社会でのニッポンの立ち位置…とかいったもっともな前置きを持って、
ニッポン国民が、ニッポン国政府の行為を是認している。
ベトナムとニッポンの国際協力とは表向きの、完全な「商売」行為でしかないっていうのに。
世界を取り巻く様相が、すべてこの損得で測られてしまっている現状に、
野狐禅なら「かしこいですなぁ」と言葉を返すのだろうか。
「生きる」ことに愚直に向き合えば、人として為すべきコトは
まず寄り添うことだと、わかるはずだろ。
ボクももう疲れ切ってしまったよ。
それでも一息ついて
最後にボクの気持ちを塗って、死にたい。
…愚直に。実直に。
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