【Nov_27】佐藤快磨監督作品『歩けない僕らは』


佐藤快磨監督作品『歩けない僕らは』舞台挨拶。

駿谷くんマイク要らないわ笑。

短編とは思えない奥行で心の機微を切り取っていて秀逸。
併映『ガンバレ〜』にもその手腕光ってた。
意志を持って生きることの困難さを切実に描いていて響いた!これから楽しみ。

しかし若者たちはこんなにも生きづらい世の中で目的を失いもがいているのか…と、自分の二十代と比較して驚く。
やはりどこまでも続く閉塞感が、何をやっても同じな諦めを産んでいるのだろうか。
そこに希望を見出すべく前進するヒロインに共感。

#photobybozzo

【Jul_16】東京藝術大学中央棟にて


芸大にて『聞こえる人と聞こえない人の「音楽」をめぐるトーク』。
登壇者→
牧原依里/映画監督
雫境/舞踏家、アーティスト
和田夏実/インタープリター、アーティスト
小野龍一/音楽家、アーティスト
日比野克彦/アーティスト、東京藝術大学美術学部長
熊倉純子 /東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科長
荒木夏実/東京藝術大学美術学部准教授

トークや映画で見えてきたのは、日本の教育が【型を与える】ことに終始し、
己の内から湧き上がるものにいかに重きを置いてこなかったか…ということ。
聾者は聞こえない分、未言語な状態のカラダと向き合い、カラダから発せられる内なる言葉…
それは音楽でもあり、踊りでもあり…を表出させようとする。
そのごにょごにょとした何かをごにょごにょとしたまま発するので、
手話を超えた音楽や踊りに直結するのだ。

熊倉先生が【三次元で生きてる】と言ったのは名言で、
聴者が言葉に頼り、楽譜に頼り、型前提で表現している事が【二次元で薄っぺら】な感想を持つほど、
『LISTEN』の聾者は空間と共に環境と共に生きていて、おおらかだ。
今後の生き方の指針を示す素晴らしい会でした。

#photobybozzo

【Jul_16】聞こえる人と聞こえない人の「音楽」をめぐるトーク


芸大にて『聞こえる人と聞こえない人の「音楽」をめぐるトーク』。
登壇者→
牧原依里/映画監督
雫境/舞踏家、アーティスト
和田夏実/インタープリター、アーティスト
小野龍一/音楽家、アーティスト
日比野克彦/アーティスト、東京藝術大学美術学部長
熊倉純子 /東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科長
荒木夏実/東京藝術大学美術学部准教授

トークや映画で見えてきたのは、日本の教育が【型を与える】ことに終始し、
己の内から湧き上がるものにいかに重きを置いてこなかったか…ということ。
聾者は聞こえない分、未言語な状態のカラダと向き合い、カラダから発せられる内なる言葉…
それは音楽でもあり、踊りでもあり…を表出させようとする。
そのごにょごにょとした何かをごにょごにょとしたまま発するので、
手話を超えた音楽や踊りに直結するのだ。

熊倉先生が【三次元で生きてる】と言ったのは名言で、
聴者が言葉に頼り、楽譜に頼り、型前提で表現している事が【二次元で薄っぺら】な感想を持つほど、
『LISTEN』の聾者は空間と共に環境と共に生きていて、おおらかだ。
今後の生き方の指針を示す素晴らしい会でした。

#photobybozzo

【Feb_26】橋本治『巡礼』


橋本治『巡礼』…ゴミ屋敷の話を、
戦後の日本のありようから照射して、その男の悲しみを炙り出す。
しかし、これってまんま日本のありようであり悲しみなんだよね。

“現実というものは、歪なものだ。それが、自然なあり方というものだ。
その中に腰を落ち着けることに慣れてしまった矢嶋富子は、
無意味な糾弾に時を費やすことの無意味さもよく知っていた。
困ったことだが仕方がない_「仕方がない」ですませてしまえるのは、
自分の家の前に不快なゴミの山が積まれていないからだった。”

【無意味さ】が1つのキーワードになってるけど、
敗戦後の日本は「敗戦」をごまかし「責任」をごまかし「密約」をごまかし、
ひたすら国民を欺いて「カネ」だけが正義であるかの世の中を構築してきた。
本筋に向き合わないことが美徳のような倣いに、70年馴致されてきた結果が、
この【ゴミ屋敷】なんじゃないのか?

“自分が積み集めた物が「ゴミ」であるのは、忠市にも分かっている。
「片付けろ」と言われれば片付けなければいけないことも、分かってはいる。
しかし、それを片付けてしまったら、どうなるのだろう?
自分にはもう何もすることがない。
片付けられて、全てがなくなって、元に戻った時、生きてきた時間もなくなってしまう。
生きてきた時間が「無意味」というものに変質して、消滅してしまう。
「無意味」は薄薄分かっている。しかし、そのことに直面したくはなかった。
「自分のしてきたことには、なにかの意味がある」_そう思う忠市は、
人から自分のすることの「無意味」を指摘されたくはなかった。
「それは分かっているから、言わないでくれ」_そればかりを思って、
忠市は一切を撥ねのけていた。”

無意味さの蓄積がこの有様な【ゴミ屋敷】で、
70年の時間を無為にしたくないから欺き続けているだけなんじゃないのか?

橋本治は、そのことを切実に国民に問うていると、ボクは思う。
辺野古の県民投票も綻びの顕れの1つであるのに、いまだに向き合うこともせず、
無視が許せる社会って、何事をも他人事にしてしまう無意味な時間の蓄積が【今】だからだ。

過去から現在まで全てはひとつながりで、だからこそその根幹から糺して行かねば、
【ゴミ屋敷】は増え続ける。
無意味に無意味を重ね、何のために祝祭的消費社会を存続しているのか、
そこに向き合わなければ「生きている無意味」に埋もれてしまうだろう。

忠市の最期がそのことを如実に物語っているわ。

#photobybozzo

【Feb_13】ファスビンダー『13回の新月のある年に』


ファスビンダー『13回の新月がある年に』(1978)。
In a Year with 13 Moons 1978 RW Fassbinder

37歳で燃え尽きた鬼才が、33歳の絶望の淵で作った作品。
主人公エルヴィラの孤独な心情が、映像と音で巧みに語られていて絶句。
切られた首が皮一枚でぶら下がり、足一本で連なる牛の屠殺場シーンや、
不動産王となったかつての恋人が、テニスウェアで部下たちとダンスに興じるシーンなど、
人間の深層が裏返ったような描写に、
世界と呼応した存在でありながらも孤絶したエルヴィラを浮き上がらせる。

さらに音響効果、特に夾雑音の使い方が驚き。
テレビからの音声や、針飛びするレコード、ゲーセンでパラシュート落下する人々の悲鳴など、
エルヴィラの心の声に世界が反応する。

そう、ファスビンダーは、ミクロマクロの連動を通して、
この世界が私たち個人の延長であるコトを伝えている。

世界は死してなお存続するのではなく、
エルヴィラが死ねば世界もそこでパチンと終焉するのだ。

絶望的な孤絶の只中でも、ふいごのように感応する世界が包んでいるコト、
『包み包まれ、包まれ包む』ごにょごにょした生命体の共生が、すなわちこの世界であると。

パートナーの自死という孤絶の中だからこそ、一条の救いを作品に込めたのだと思う。

#photobybozzo

【Feb_02】イ・チャンドン監督『버닝』(Burning)


イ・チャンドン監督『버닝』(Burning

「時々納屋を焼くんです」

「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がするんです」

「15分もあればキレイに燃え尽きちゃうんです。まるでそもそもの最初からそんなもの存在しなかったみたいにね。
誰も悲しみゃしません。ただ_消えちゃうんです。ぷつんってね」

「でもそれが不必要なものかどうか、君が判断するんだね」

「僕は判断なんかしません。観察しているだけです。雨と同じですよ。
雨が降る。川があふれる。何かが押し流される。雨が何かを判断していますか?」

                    (村上春樹著「納屋を焼く」より)

納屋を焼く…という行為にもつれる人間関係を、
「見る/見返す」の映像描写で巧みに演出する監督。

イノセントな存在がモラリティーに排斥される非業を、
秩序の外側から見守ることで、その居場所を真摯に問う。

「納屋を焼く」とは、どういう行為なのか?

不要なモノを排除する…雨が降って川があふれ、押し流されるように。
それは自然なことなのか?
排除し、存在を打ち消し、そもそも無かったかの如く振る舞うことが、正義なのか。

「見る」という一方通行の思考からは生まれ得ない答えを、
「見返す」という多義的な視点を提示することで【救い】を予感させる結末は、
イ・チャンドン監督の一貫したテーマだと思う。

それは村上春樹もまた、小説の中で提示し続けてきたものだ。
「見返される」ことで生まれる実在感。能動的であれ!と煽動する社会において、
受動態の貴さを鮮やかに見せた映画。必見。

#photobybozzo

【Dec_26】ガイアシンフォニー第3番


ガイアシンフォニー第3番』再見!@シネマチュプキ田端

視覚障害の方が映画を楽しめるよう、音声ガイダンスを付した映画を上映する映画館で、
星野道夫さんの妻直子さんのアフタートークがあるとのことで足を運ぶ。

「ガイアは一つの大きな生命体」をテーマに第8番まで続く龍村監督の作品だけど、
あらためて深く心揺さぶられる体験でした。

五千年一万年のスパンで流れる時を感じ、
有象無象の営みの一部として人間が存ることを、
誠実に紡いでゆくその姿勢。

同じ生き物として何をそんなに急いでるのか…と猛省するしかないほど、
この作品には豊かな時間が溢れていました。

特にハワイのナイノア・トンプソンが、
人間の感性だけで5000キロの航海をする章は、
地球と人間のつながりがいかに自然なことかを絵解きするようで、
激しい嗚咽を伴う感動がありました。

星野道夫の残した志が、20年の歳月を経て語られる素晴らしさ。
直子さんも映画の中で語ってるように、
悲劇的なものから本当の希望が生まれる…というテーゼは、
この悲惨極まりない現代社会に一条の光が射す救いだと、心底思った次第。

#photobybozzo

【Dec_26】1/10_Fukushimaをきいてみる

古波津陽監督『1/10 Fukushimaをきいてみる』初回上映体感。

2013から回を重ね、定点観測も6回目。
フクシマの声も多様になってきて、なるほど「モヤモヤ度」も上がったような。

聞き手のみゆきさんも出産を経験し、受け止め方も多様になっただろうし、
浪江や楢葉の近距離圏も、未来に向けての現実的な動きが本格化したこともあって、
【原発事故】から前に進もうとしているフクシマの今が伝わってきた。

何より印象的だったのが、みゆきさんのご両親。
「生業を取り戻す」訴訟の結審が下って【一部勝訴】となっても、
「決してナシにすることはできね」の一言が、突き刺さる。

まだまだ何度でも振り返って考えなければならない話なのだ。

#photobybozzo

【Dec_01】『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』


アストル・ピアソラ没後25周年記念ドキュメンタリー
ピアソラ』@ル・シネマ初日鑑賞。


息子ダニエルと娘ディアナの目線から語られる父アストルの素顔。
産まれながら足が捻れていて、一歳の時に手術を5回もした…という衝撃の事実に先ずは驚き!
そのためか、父ノニーノの息子への愛情がハンパなく、
ピアソラもその下支えがあったから生涯をバンドネオンに捧げられたのかと思うと、
「adios nonino」の楽曲の深さ、涙なしには聴けない。

1966年の離婚からパリに居を移しイタリアを経て1978年に帰国するまで、
自分の音楽を確立すべく闘う姿もすざまじいし、
帰国後の名声を得て亡くなるまでがなんと10年そこそこで、
報われるも死には抗えずで、後ろ髪引かれる思い。

彼の人生全てが彼の音楽そのものであり、
改めてピアソラタンゴの魅力に打ち震えるのでした。

#photobybozzo

【Sep_19】絶対矛盾的自己同一


人の精神というのは、地表の部分を高くしようとすればするほど、
地下の部分も同じだけ呼応して深くなるわけです。
つまり、人が善を目指そうとすればするほど、
悪というのは、補償作用として必ずその人の中で同じ分伸びてきます。
同じように人が健康になろうと思えば思うほど、
地下にあるその人の不健全な部分は深まっていくはずなんです。


           (村上春樹インタビューより)

【絶対矛盾的自己同一】互いに矛盾し、依存する行為と直観が自己否定を通して同一性を保つ状態。(西田幾多郎)