
アーティスト尾花藍子さんの新作公演。
高円寺ampにて。
リハから立ち会い、
マチネ、ソワレをそれぞれ撮影。
アーティストの創作現場に密着するカタチとなった。
本人の意図と観客の反応のギャップ、
空気感のズレ、音響の受け止め方の違い…など、
自然光のマチネ、人口光のソワレで作品が変化する。
それでもクリエイティブで
人は何かを伝えようともがく。
その姿がうつくしいと思った。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

アーティスト尾花藍子さんの新作公演。
高円寺ampにて。
リハから立ち会い、
マチネ、ソワレをそれぞれ撮影。
アーティストの創作現場に密着するカタチとなった。
本人の意図と観客の反応のギャップ、
空気感のズレ、音響の受け止め方の違い…など、
自然光のマチネ、人口光のソワレで作品が変化する。
それでもクリエイティブで
人は何かを伝えようともがく。
その姿がうつくしいと思った。

元DRAFTの植原亮輔さんと渡邉良重さんのユニット、キギ。
ギンザグラフィックギャラリーで行われているキギ展にて(30日まで)。
ふたりのスタートとなったflower vase。
詰め替え用シャンプーのパッケージを植原さんが考えていた時に、
何気なく渡邉さんが庭に咲いていた花を挿したことから生まれた…という。
DRAFTの宮田さんが、常日頃から語っていた
「庭はクリエイションの宝庫」が発端だと、渡邉さんは語る。
vaseのカタチを四角いままに残したのも、そのデザイン過程を伝えたかったのと、
シンプルなカタチから浮かび上がるvaseの驚きにこそ、デザインの本質はあると、
今後の自分たちの方向性を打ち出す意味合いもあった…という。
キギの作品群は、その方向性が示すようにどこまでも驚きの連続。
「え、これ全部手作業なの?」という根気を必要とするものばかり。
カタチになったものすべてに時間の堆積を感じる。
だから、いつまでも手に馴染むし、いつまでも手元に置きたくなる。
「デザインは手仕事」という当たり前のことを、ふたりは作品で提示している…そう思った。

ギンザグラフィックギャラリーにて、キギ展。
このロゴは田中一光さん。

寒空の下、竹橋の国立近代美術館へ。
作家の生誕100年を記念した大回顧展。
20歳の時に制作した頭部の塑像から
1950年、絶頂のドリッピング/ポーリング作品、
そして、事故で亡くなるまでの昏迷期の作品まで。
人生をかけて、これほどまでにわかりやすく
表現することの意義を突き付ける作家もいないのではないだろうか?
初期の混沌としながらもプリミティブに指向するポロックの作品群は、
幾分稚拙さ(未消化)はありながらも、己の反問を直截的に露わそうとしている。
何度も何度も塗りを重ね、最後に全面を強い色で塗りつぶしながら、
ネガポジ反転の発想でフォルムを塗り残してみたり、
オートマティックな描写(自動記述)でA4サイズのノートに
細かな線を執拗に繊細に、重ねてみたり…と、
イメージするポロックの力強さ(大胆さ)からは
およそかけ離れたナイーブな面がみえてくる。
(その力強さって実は「強いアメリカ」の転写に依るモノが大きいのだろうけど)
1950年の作家絶頂までの道程が、
混沌と昏迷を繰り返し悶絶しながらも
「絵画」としての表現に超克していくのだ…といった
ぶれない意志が伝わってきて、胸をうった。
そして、大輪の花を咲かせたような
ポロック充溢の1950年。
ポーリング/ドリッピングの見事なこと!
執拗な…ホントに執拗に細かくスナップされた白・黒・黄色のペンキが、
何層も何層も何層も塗り重ねられ、しかしそれが破綻せずに
ある一定の迸り(ピュシス)をキープしたまま、冷凍保存したかのように面前する。
なんという、感情の横溢!
顔射!顔射!顔射!顔射!
これほどまでに作家の躍動が
画面全体に定着した作品を知らない。
それも決して全肯定な生の謳歌を装った
100%ポジティブな様相ではないのだ!
暗澹とした心持ちのままのたうちまわり悶絶し、
憑き動かされるように射精を繰り返すかごとく、
木棒にペンキを滴らせ、ひたすらスナップする。
自己の存在が掌握しきれないのだ!…と絶叫する有り体。
その様子は、1912年に生を授けて、38年間いのちを消耗してきた
ジャクソンそのものの嗚咽が、キャンバスに憤怒したかのようだった。
そう、血潮なのだ!
侍が刀を振り下ろし、
肉体の切断面からスプラットされる
その血潮そのものなのだ!
しかも、である。
ポロックは1950年に己を絶頂まで導いた
ポーリング/ドリッピングな絵画のスタイルを
翌年封印する。
ジャクソンポロックそのものと言わしめる
そのオリジナル性に富んだひとつの技法を
翌年にはすべてかなぐり捨て、新たな表現を模索するのだ。
あれだけの大輪の花を咲かせた1950年からリセットし、
再度創造の泉にアタマを突っ込むポロック。
なんという強靱な指向性。
ブラックポーリングと呼ばれるそれらの作品は
頂までの超克を終えぬまま、1956年_44歳で幕を下ろす。
劇的な、あまりに劇的な生涯。
展示の最後に飾られたポートレイトは
寂しげにレンズをのぞき込む、禿げかかった男だ。
不器用にしか己の命と向き合えなかったジャクソンポロック。
そのいたたまれなさが、1950年の1年に作品として凝縮された生涯。
どこまでも自己と対話することでしか
表出には至れない…と、体現してくれたポロック。
クリエイターは必見。

5.5mの脚立にのぼって
接近して「感性ネジ」を撮る。
ジェイムスブラウンが、いた。

関口光太郎さんが
大賞を受賞した作品「感性ネジ」。
閉館後、照明を落とし、ストロボを当てて撮影。
新聞紙とガムテープの作品とは思えぬ
重厚な仕上がりに。
硬直した姿は、男根のよう。

志村信裕さんの作品。
路上に巨大な「赤い靴」。
この作家も若くて,キャッチーなメッセージ。
日常に差し込まれる異物が、
凝り固まった偏屈な意識をやわらかくしてくれる。
いわば現代社会の鍼灸師か。
でもそういう緩衝材的な役割が、アートだ。