【Aug_19】昨日は一日ズッコロッカ〜!


昨日は一日ズッコロッカ
糟谷コーポラスの「村」の人々もみな個性的。
介護士、設計士、パティシエ、学習塾、八百屋、カフェ、版画アーティスト、マッサージ師…。
そんな住人さんとのコラボ撮影も行い、最後は『cafe星星狭』の住人交流会で集合写真。
多磨霊園駅「糟谷村」とても熱いわ。今後の展開が楽しみ!

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【Aug_16】日本国憲法の身体性


鈴木ユキオ『日本国憲法を上演する』@日暮里d倉庫

北里さんが書かれているように、
土地土地における『日本国憲法』という身体性がたしかにあって、
大月の営みから出てくる心と体の自在さは、
東京の「マスク自粛警察」的付和雷同なところからは生まれてこない。

「正気の沙汰」朗読後のある種の狂気は、
脅かされる自在さを死守する直向きな抵抗とも取れて、
北里さんの言葉が縁取った感慨をもった。

北里さんの言葉

写真UPしました。
【on_Flickr】0816_CONSTITUTION

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【Aug_16】『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』


鈴木ユキオ『日本国憲法を上演する』@日暮里d倉庫

「相手はピストルをもっている。
その前に裸のからだをさらそうと言う。
何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。
若しこんなことを人前で言ったら、
幣原は気が狂ったと言われるだろう。
正に狂気の沙汰である。
しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、
これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき僕を決心させたものは
僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、
何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。
今こそ平和のために起つ秋ではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。」

「僕は平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
非武装宣言ということは、
従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。
だが今では正気の沙汰とは何かということである。
武装宣言が正気の沙汰か。
それこそ狂気の沙汰だという結論は、
考えに考え抜いた結果もう出ている。
要するに世界は今一人の狂人を
必要としているということである。
何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、
世界は軍拡競争の蟻地獄から
抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を日本が果たすのだ。」

(昭和39年2月『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』平野三郎氏より)

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【on_Flickr】0816_CONSTITUTION


鈴木ユキオ『日本国憲法を上演する』@日暮里d倉庫

日本国憲法は日本製である…という事実が書かれた公式文書、
昭和39年2月『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』が作品半ばに朗読されるのだけど、
当時の首相である幣原喜重郎氏が「武装宣言が正気の沙汰か」の言葉を揶揄するようなユキオさんのジョーカーメイクは、
このコロナ禍における日本政府の動向も体現していて、狂気の沙汰加減ハンパなく。
9条を起点とした護憲改憲のつばぜり合いをも顕してるようで、
【民あっての国】が皇居を真ん中にしたドーナツな東京の如くイデオロギーごっこ。
もっと自分事として国なる組織をCONSTITUTE体系化していく必要があるんじゃなかと?
ユキオさんの5時間にも及ぶソロは、民ひとりひとりの実直かつ地道な営みの、その先に理想があることを物語っていた。

写真UPしました。
【on_Flickr】0816_CONSTITUTION

#photobybozzo

【Aug_15】イデオロギー噴出の先にあるもの。


0815@靖国_イデオロギー噴出の先にあるもの。

イデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。
イデオロギー的な見方をしている人は何らかの事実を歪曲して見ており、
その主張には虚偽や欺瞞を含んでいることがある。

イデオロギーは非合理的な信念を含んでいるが、巧妙にそれを隠蔽していることが多い。
また事実関係や社会状況の一部を偽り、自己に都合のいいように改変していることがある。

イデオロギーは闘争的な観念である。
イデオロギーは何らかの立場を社会において主張、拡大しようとする。
また実際ある政治理念が違う立場に立つ政治理念を批判する場合、
相手の政治理念が「イデオロギー的である」と指摘することがおこなわれる。

イデオロギーはその意味においても何らかの価値観対立を前提としている。

またあるひとがある種の政治理念を「イデオロギー」として定義している場合、
そのひとはその政治理念とは異なった立場に立っていることが多い。

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#サル化する世界

【Aug_08】自然と一体化した営みは、色んなことがダイレクトに自分たちに返ってくる。


「行く行く詐欺」で早7年、南伊豆で就農5年の欠掛家を訪問。
もっと早く行きゃあ良かった…と、
南伊豆の暮らしぶりを畑から湧き水から海遊びまで堪能。
長雨で今年は米も野菜もキビシイ状況だけど、
自然と一体化した営みは、色んなことがダイレクトに自分たちに返ってきて、
分断した都会生活で見失ってた感覚を揺るがすわ…と、深く深くガッテン。

コロナが気づかせたわ。感謝。

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【Aug_03】貴腐ワインの美味しさは、様々なワインに触れた先にある。


高杉健人@赤レンガ倉庫

貴腐ワインの美味しさは、様々なワインに触れた先にある。
音楽も演劇もダンスも同じで、表現者と観客が同空間にいて創り上げていくもの。
コロナ禍でその接点が遠ざかり、表現そのものの質がフリダシに戻ってしまわないか、懸念。

移動中の車の中で、自粛中の話から出てきた言葉。文化ってホント危うい均衡で生まれるものだわ。

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【Aug_06】東浩紀『生き延びる命とは』


東浩紀『生き延びる命とは

「統計や確率などの数字で権力が人々を管理する状況では、人間は誰もが一つのサンプルでしかない」
「ウイルス危機を口実にして権力の行使が強化されていることを警戒すべき」

…誰もがこの未曾有の事態に尻込みし、【個体の生】に固執するばかりで、
命が人と人とのつながりの中で成立していることを見失ってる。
目の前のリスク回避が、5年後10年後のリスクを呼び寄せていることを自覚すべき…と東さん。

『生き延びるだけが真実か?』の問いかけは、自分さえ良ければ…という自己責任と表裏。
「自分には分かっている」前提で互いの言動を攻撃しても、どこにも行き着かないのでは?

「人間はリスクを引き受けることで社会を成り立たせてきたのだという事実を思い出すべきです。
たとえば学校に行けばいじめられるかもしれないけれど、誰にも会わなければ友達もできない。
人間は、価値とリスクのバランスを考えるコトで社会を作ってきました。
不安に襲われるのは仕方がない状況ですが、そのために大事な価値を
あまりに簡単に手放してしまっていないか、もっと点検すべきです。」

奇しくも『アートにエール』に上がった映像作品『オーダーを待ちながら』には、
リスクを請け負ってでも繋がりを求める願いが込められていると思ったわ。

企画室磁場/オーダーを待ちながら

#photobybozzo

【Aug_06】企画室磁場/オーダーを待ちながら


やっとUPされました〜!
『アートにエール』先月頭に納めて1ヶ月。
無事「採択」されてから一週間。
企画室磁場の浪打賢吾さんと役者時田光洋さんとで、
自粛中からオンラインで話まとめて…ゴールデン街『ナベサン』店主ナオさんにお願いして、
ボク自身初の映像作品ですわ。

企画室磁場/オーダーを待ちながら

演劇+αを表現する団体、企画室磁場です。
今回は今回は脚本・監督に浪打賢吾、撮影・編集に舞台写真家のbozzo、役者に時田光洋の最少人数で、
コロナ禍の非日常にフォーカス。自粛要請で交流できない、人と店とのすれ違いを、不条理劇に仕立て映像化した新作です。

【企画内容】誰も居ない暗い店内の居酒屋に、ひとりの男がズカズカと入り、
暗闇の中いつもの酒とつまみをオーダー。暗い店内を見回し、その場の空気を身体で味わい、
楽しかったコロナ前のひとときを過ごす(妄想?)。そして、おもむろに呑み食いした勘定を置いて立ち去る。
そんな一連の動きを様々なアングルで収めたひとり芝居。

タイトル『オーダーを待ちながら』はオーダーを待つ店とオーダーした品を待つ客とのすれ違いを表現。

【企画室磁場】2015年浪打賢吾が立ち上げ。劇団という方式は取らず、代表と企画部とで構成される。
毎回テーマを決め、深く掘り下げるためテーマに関連するような物や思想等をシステムとして作品の中に組み込み創作していく。
企画部はスタートの企画段階から携わり様々な意見交換をしながら作品に広がりを持たせていく役割となっている。
2015年『手のひらを透かしてみれば』2017年『浪曲師玉川太福譚』2019年『Sound of Scenes』など。  http://jiba.tokyo/

#photobybozzo

ナオさん、ありがとうございました!