【Jul_16】聞こえる人と聞こえない人の「音楽」をめぐるトーク


芸大にて『聞こえる人と聞こえない人の「音楽」をめぐるトーク』。
登壇者→
牧原依里/映画監督
雫境/舞踏家、アーティスト
和田夏実/インタープリター、アーティスト
小野龍一/音楽家、アーティスト
日比野克彦/アーティスト、東京藝術大学美術学部長
熊倉純子 /東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科長
荒木夏実/東京藝術大学美術学部准教授

トークや映画で見えてきたのは、日本の教育が【型を与える】ことに終始し、
己の内から湧き上がるものにいかに重きを置いてこなかったか…ということ。
聾者は聞こえない分、未言語な状態のカラダと向き合い、カラダから発せられる内なる言葉…
それは音楽でもあり、踊りでもあり…を表出させようとする。
そのごにょごにょとした何かをごにょごにょとしたまま発するので、
手話を超えた音楽や踊りに直結するのだ。

熊倉先生が【三次元で生きてる】と言ったのは名言で、
聴者が言葉に頼り、楽譜に頼り、型前提で表現している事が【二次元で薄っぺら】な感想を持つほど、
『LISTEN』の聾者は空間と共に環境と共に生きていて、おおらかだ。
今後の生き方の指針を示す素晴らしい会でした。

#photobybozzo

【Jul_14】北千倉_千倉神社祭礼_06


この週末は、南房総を堪能。

『北千倉 千倉神社祭礼』では二日間に渡って千倉全8区の神輿と山車が千倉漁港に集合し、
それぞれ自慢の輿と囃子を披露。
その威勢の良さと内輪な盛り上がりに、連綿と培われてきた文化の太さを感じた。
内向きの強さ…とでも言うのか、引き継いできた文化へのリスペクトが矜持となって肉体に宿っている。
それはどんなことがあっても此処千倉に戻ればやって行ける…と言う【ホーム】の強さ、コミュニティの強さ。
江戸までの日本には、そんな盲信があったように思う。それが黒船来航で外の目に晒され、一挙に崩れ落ちた。
盲信は他者を排斥するが、矜持の深さは度量の深さにつながる。円熟とは、そう言うものだ。
やはり、明治維新からの150年でこの国は徹底的に矜持を喪ってしまったのだろう。
この度量の浅さ浅薄さは、拠り所を失った民の動揺と共にあるわ。

#photobybozzo

【on_Flickr】0713_CHIKURA

【Jul_12】丸八湯『西湖富士』


丸八湯。丸山清人画「西湖富士」。
廃業後の曇天の光の中で経年劣化したペンキ絵。
象徴としての富士、象徴としての天皇、形骸化した様式、劣化した国体。
敗戦後74年の月日を憂い、この国の今をシンボライズする写真が撮れた。

#photobybozzo

【Jul_05】阿目虎南×二藤健人


阿目虎南ソロ『純血』@プロトシアター

振付・演出・美術・音楽・衣装・出演/阿目虎南
照明・舞台美術/二藤健人

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0705_ICHOR

果敢に表現と向き合って行くぞ!と、
その迷いない心をタイトルに込めた虎南さんのソロ。
前半の面が「装い」であったとすれば、
後半のむき出しは、総てに感応する「からだ」そのもの。

この世界へのVIVIDな表出を高らかに宣言していたように思う。
今後の虎南さん、乞うご期待。

#photobybozzo

【Jul_05】阿目虎南ソロ『純血』


阿目虎南ソロ『純血』@プロトシアター

振付・演出・美術・音楽・衣装・出演/阿目虎南
照明・舞台美術/二藤健人

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0705_ICHOR

果敢に表現と向き合って行くぞ!と、
その迷いない心をタイトルに込めた虎南さんのソロ。
前半の面が「装い」であったとすれば、
後半のむき出しは、総てに感応する「からだ」そのもの。

この世界へのVIVIDな表出を高らかに宣言していたように思う。
今後の虎南さん、乞うご期待。

#photobybozzo