
であれば、これはなんの予兆なのか?
写真は時間を切り取る作業なので、
フレーミングされたモノは常に予兆を孕んでいる。
であるから、この写真も予兆だらけではあるのだが、
いったいどんな予兆が読み取れるであろうか?
「老い」と言ってもいいのだろうか?
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

であれば、これはなんの予兆なのか?
写真は時間を切り取る作業なので、
フレーミングされたモノは常に予兆を孕んでいる。
であるから、この写真も予兆だらけではあるのだが、
いったいどんな予兆が読み取れるであろうか?
「老い」と言ってもいいのだろうか?

高速道路のパーキングエリア内の一コマ。
まさにこの写真も予兆。
生理的欲求のはけ口であるPAで
クルマを降り、トイレに駆け込み、空腹を満たす。
すべてがストレートに欲求を表出している。

男と女の関係も予兆が含まれている。
「出会い」が多分に予兆を含んでいるように、
「別れ」も予兆に満ちあふれている。
すれ違いざまや、振り向きざまに
その予兆を感じるか、感じないか。
…感じてしまったら、行動に移すか…移さないか。
…行動してしまったら、その後は…どう出るか。
常に予兆と予測をオーバーラップさせ、
勝手な解釈と妄想が行き交い、
ひとりで絶好調になったり、どん底に陥ったりしている。
…そんなコミュニケーションが、おもしろい。

何をしでかすかわからない…という意味で、
子どもたちは予兆のかたまりだ。
どこに行くかもわからない。
どうしたいかもわからない。
未知のかたまりだから、
子どもはおもしろい。

出雲大社の沖縄分社内の一コマ。

ファーストフード内の一コマ。

那覇新都心内のショッピングモールでの一コマ。

新都心公園でのTVCM撮影時の一コマ。

国際通りでの一コマ。

【予兆】をテーマに写真をまとめていこう…と、今日、移動中に思い立った。
写真を撮影する時は、できるだけ感覚を研ぎ澄まし、
あらゆる事象を見逃さないように、構えて撮影している。
撮影行為はそこで終了するが、写真行為は終わらない。
フレーミングと露出、被写界深度などが計算された一コマは、
1枚の写真として、表現されている。
そこで問題なのは、撮影者がどのような状況で、どのような気持ちで
どのようなアプローチから撮影した写真なのか…などではなく、
その1枚の写真から表出されるさまざまな情報が、
受け手の中でどう再構築されるか…にどれだけ肉薄できるか…なのだと思う。
写真行為とは、写真を再読し、再編集する行為だ。
そのフィルターを【予兆】という言葉で括ってみることにした。
ウンチクはそのくらいにして、まずは並べてみよう。