【Jun_08】乾いた風のムビラ by あがさ


全速力で走ってると いつも風を道連れにしていて
疲れた君が止まっても 彼らはまだ走っている

取り残されたモノの惨めさで
スピードを求めてる
スカートに長い髪

ゆっくり ゆっくりでいいと誰かが言ってくれるなら
歩いて 家へ帰る
ゆっくり ゆっくり近づいて行けるものならば
どんな夢をみるだろう

全速力で走ってると 靴音だけで耳が埋まるから
疲れた君が止まったら いろんな音に襲われる

後ろw振り返らなければ
奇跡に手が届くのかい?
そんなのは神話だよ

ゆっくり ゆっくりでいいと誰かが言ってくれるなら
星座に 足を止める
ゆっくり ゆっくりでも辿り着けるものならば
何度 空を仰ぐだろう

『乾いた風のムビラ』by あがさ on「ラーフラ」

【Jun_06】KyuRi@Tokyo Concerts Lab.


ALIVE inconcert 2018 @ Tokyo Concerts Lab.

5月に茶会記で共演したタブラ奏者KyuRiさんの師匠、チョーさん来日公演。
シタール奏者のダイキチさんとのトリオ編成だったのですが、それはもうものすごいGrooveで。
本場北インドの即興演奏を間近にして、ダイキチさんが「高解像度」と言っていた意味がわかりました。
とにかくリズムがハンパなく、右手左手の動きが文字通り目にも止まらぬ早さで。
そのタブラを煽るような、ダイキチさんのシタールも上下左右キレッキレの素早さ。
KyuRiさんもメガネを外して音に集中し、ふたりのGrooveを掴もうと必死で、
グルグルと回転しながら突き進むグラインドミュージックは、まったく新しい体験でした。
インドといえば輪廻転生ですけど、このグラインド感が輪廻なのかと、
あらためてその源泉に触れてみたい気持ちに駆られた一夜。
あと2回の来日公演、お見逃しなく。

#photobybozzo
#KyuRi

【Jun_05】「牡蠣工場」と「港町」


想田和弘監督の観察映画
第6弾『牡蠣工場』と第7弾『港町』を鑑賞。

同じ岡山は牛窓から生まれたドキュメンタリーなのだけど、セットで観ることで炙り出てくるモノがあった。
どちらも第一産業の現実を見せつけているのだが、
この国が敗戦後70年、人間の基礎となる「食」について疎かにしてきたツケが今顕れていると思った。

『牡蠣工場』では、震災の打撃を食らった南三陸の漁師ワタナベさんが、
牛窓に希望を見出し奮闘する話ではあるのだけど、
人手不足の現実を中国人を呼び寄せることで解決していく現実と、

『港町』では、過疎化の進んだ牛窓の町中で、細々と漁を営み、
競りを経て魚屋にさかなが並ぶ「流通」の担い手がすべて後期高齢者であるという現実。

人が人として生きていく上で根底となる「食」の現場が、
片や外国人労働者によって、片や後期高齢者によって支えられている。

経済発展だ、外貨獲得だ、と国力を保つためには
海外との競争社会に競り勝たなければならない…という、夜郎自大な虚勢でもって、

その大義のためなら、国民を欺こうが、税金をムダに注ごうが、
アメリカにおべっちゃらを使おうが、なりふり構わぬ体たらく。

その結果として、今この国に有るのは、
「食」というモノに意識を注がぬ、社会構造なのだ。

国に翻弄されて残った営みが、過疎化した『港町』のモノクロームな世界…というのは、
まさにシニカルだし、それをセンチメンタルだ郷愁だと切り離して考えていては、駄目なのだわ。

観察映画が炙り出したものは、まさに国として存亡の危機を迎えた、日本の現実だと思う。
だからって、この国を建て直せ…とは思わない。
むしろ、亡国のその先に、ホンモノの生き様があると、ボクは覚悟している。

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#想田和弘

【Jun_05】夜な夜な語らう言葉の堆積


ゴールデン街、初「ナベサン」。
1980年代から一度改装しただけで、
半世紀近くここ「新宿」の変遷を見守ってきた店。

夜な夜な語らう言葉の堆積がそこかしこに散り積もり、
この場の空気を吸いこむことで何かしら蘊蓄を得られたような、そんな気にさせる。

John Handyの「Rainbow Serenade」が流れる。
TablaとSarod、ViolinにAltoSaxというMixtureな楽曲。
まさにこの場に相応しい異種混合の世界。

ナオさんは言う。

「国力が落ちると、外貨を稼いだ方が良いのよ。だから、ドルを扱う店にしても良いと思うの」

ベトナム戦争時代の沖縄はコザのAサインBarのような。
でも、それがおそらく来たるべき未来の実情だろう。
国に寄りかかるのではなく、ひとりの人間として生きる。

ここ「ナベサン」には、その豊かさがそのまま在った。

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#ナベサン