
24歳で亡くなられた遠藤未希さん他、
たくさんの方々の御霊を鎮める場所として。
【aug_18】防災対策庁舎

1年半経った今は、
南三陸で亡くなられた800人余りの
犠牲者のための慰霊塔のような役割を果たしている。
この建物も今、取り壊しの危機にある。
【aug_18】昭和三陸大震●災

「だいしんしょう」と読む。
昭和8年3月3日に三陸を襲った大震災である。
1933年。実に80年ほど前のこと。
南三陸はこの昭和三陸大震嘨災のあと、
1960年のチリ地震でも津波で甚大な被害をこうむった。
この80年あまりの間に3度も。
なんともむごい話である。
そして、これだけの頻度で体感していても
ひとはそのことを忘れてしまうのだ。
この大震嘨災碑も南三陸の至る所に置かれてあった。
頭上を見上げれば津波浸水予想線なる看板も目に付いた。
(ここまでは津波が襲ってくるであろう地点)
そのような前知識があっても
今回の東日本大震災に生かすことができなかった。
語り部の「伊藤さん」は語っていた。
「南三陸は、それでも津波対策に自信を持っていた」…と。
三陸の他地域よりは、避難訓練もたびたび行われていたし、
津波を想定した集合住宅の建設や、避難場所の分散など、
常に津波が生活と共にあった。
しかし、大きく間違っていることがあった…と、
今回の震災で伊藤さんは感じたという。
人間の力を過信しすぎた…と。
人間の力を過信しすぎて、津波に立ち向かおうとしていた…と。
津波と闘おう…だなんて、見当違いも甚だしい…と。
語り部の伊藤さんは、今年70歳。
震災で家も土台から根こそぎ失った。
家族の安否は多くを語らなかったが、知り合いを何人も持って行かれた…という。
津波の引いた南三陸の状況を見て、伊藤さんは悟った。
津波と闘ってはダメだ。
人間は高台に住まいを移し、
いざとなったらまずは逃げるべきだ…と。
防災庁舎で最期までアナウンスをして亡くなった遠藤未希さんを
「日本人の犠牲心の象徴」などと持ち上げるけど、
まずは逃げるべきだった…と。
町の建物の実に95%が流された南三陸町。
1年半経った今も、無言に広がるガレキの荒野を目の前にして、
人間の愚かさを思わずにはいられなかった。
【aug_18】南三陸へ

お盆の帰省を兼ねて、被災地の南三陸へ。
ウミネコがお出迎え。
【aug_17】テマヒマ展

テマヒマ展、いよいよ08/26まで。
東北の生きる力、東北の生活の術、東北の立ち位置、
そういったものが、テマヒマかけて創られたひとつひとつの物に宿っている。
こういった、ニッポンが忘れてしまった
思慮深いニッポンの原風景をしっかりと見つめ直すことが、
20年、30年後のニッポンを描くヒントとなるのだ。
あらためて東北のすばらしさに
感動をおぼえた。
【ほぼ日】書きかけてやめた、フクシマのことをもう一度。
東日本大震災から1年と半年。
もう、被災の傷跡はだいぶ癒されただろう…などと、
思っているひとは、この福島の現状をお読みください。
どれだけ凄惨かつどん底な状況にあるかを。
この記事を書いた永田さんの次の言葉を読むだけでも、
その度し難さがわかるかと思います。
以下。
●
この記事をいままで書くことができなかったのは、
書いてどうなるのだ、と思ったからだ。
すごく悲しい話を、そのまま書いていいものだろうか。
読んだ人を悲しい気持ちにさせて、
どうしようというのだろうか。
悲しい気持ちになってほしくて書くのか。
現状を知ってもらいたいという使命感が
はたして自分のなかにはっきりとあるのだろうか。
あるいは、荒れ果てた風景を伝えることが、
復興へ向かう福島のマイナス面を
強調しすぎるのではないだろうか。
だいたい、どうして、いま書く必要があるのか。
なにか、震災関連のタイミングに合わせて掲載したほうが
コンテンツとして自然ではないだろうか。
そもそも、ほぼ日刊イトイ新聞という場に、
この主観的なテキストは不似合いではないか。
「書いたほうがいい理由」と
「書かないほうがいい理由」の数をくらべたら、
「書かないほうがいい理由」のほうが圧倒的に多かった。
しかし、あるとき、ふと思った。
「書かないほうがいい理由」が
山ほどあるからこそ、書いたほうがいい、と。
そうでないと、ぼくらはことばを失うばかりである。
口をつぐんだほうがいい場面がどんどん増えていく。
真剣に考えたすえにことばを飲みこむ沈黙ではなく、
「無難な沈黙」「先送りする沈黙」だらけになってしまう。
なにかをやろうとするとき。
「やったほうがいい理由」と
「やらないほうがいい理由」を比べていったら、
きっと「やらないほうがいい理由」のほうが多い。
自分の中で多数決をしていたら、
たぶん、ずっと、なにもできない。
そして、これはとても大事なことだけど思うのだけれど、
なにもできないことを、誰も責めはしないし、
事実、責められるようなことは、なにひとつないのだ。
だから、そんなふうにしているうちに、
月日はあっという間に過ぎてしまって、
「やったほうがいい」と思っていた自分は、
まるで、最初からなかったことになってしまう。
たぶん、ぼくは、そういったことがいやだったのだ。
それで、書かない理由がたくさんあるからこそ、
こうして、書くことにした。
すごく大げさにいえば、
ぼくはこのように生きていきたい。
悲しい話に、前向きで幸せな終わりの場面を
無理に書くのではなく、
けれども、悲しいなかにある微かな喜びを
まったくなかったことにするのではなく。
誰の心も傷つけたくはないが、
誰かが傷つくかもしれないということを言い訳に
ぜんぶの表現や、そのもととなる気持ちを、
最初からなかったことにしてしまいたくはない。
それで、ようやく、ここまで書くことができた。
書きかけて、何度も書きかけてはやめた話を、
ようやく最後まで書くことができた。
まだ迷いながらではあるけれども、
こういうふうにして進んでいくしかない。
とりわけ、誰にとってもわかりやすい一歩が刻める
見通しのいい道が見えづらくなってしまった
この時代においては。
おしまいに、新しく自覚しているのは、
どうやらぼくが福島という場所と
まだまだつながっていたいと
強く思っているということだ。
それがいったいどういう動機で、
なにをしていくべきなのかということは、
これから考えていきたいと思う。
( text by 永田泰大 )
●
そして、これはとても大事なことだけど思うのだけれど、
なにもできないことを、誰も責めはしないし、
事実、責められるようなことは、なにひとつないのだ。
だから、そんなふうにしているうちに、
月日はあっという間に過ぎてしまって、
「やったほうがいい」と思っていた自分は、
まるで、最初からなかったことになってしまう。
この内省の言葉は、昨日の野狐禅の歌詞に通じる。
すごく大げさに言えば、
ぼくはこのように生きていきたい。
悲しい話に、前向きで幸せな終わりの場面を無理に書くのではなく、
けれども、悲しいなかにある微かな喜びをまったくなかったことにするのではなく。
この愚直なまでの実直さが、物事を正確に読み取る。
ひとつひとつを丁寧に見つめ、自分なりに租借して、すとーんと腑に落とす。
青を塗って、白を塗って、一息ついて、最後に自分の気持ちを塗る。
その「ため」の時間が、ゴロンとした思いを吐き出す。
今のニッポンの情態は、まさに、このような気持ちで向き合わなければ、ダメだと、思う。
キレイ事は、たくさんだ。美辞麗句が聴きたいんじゃない。
ボクたちは、この実直で無骨な中にも、血の通ったゴロンとした言葉が必要なんだ。
【野狐禅】カモメ
ボクはもう疲れ切ってしまってね
部屋のカーテンを
全部締め切ったんだよ
ボクはもう疲れ切ってしまってね
段ボール箱の中に
閉じこもったんだよ
青を塗って
白を塗って
一息ついてから
最後にボクの気持ちを塗った
空の絵を描いていたつもりが
海みたいになってしまって
開き直って カモメを描いた
ボクはもう疲れ切ってしまってね
部屋のカーテンを
全部締め切ったんだよ
ボクはもう疲れ切ってしまって
段ボール箱の中に
閉じこもったんだよ
君との思い出を書いて
君への感謝の気持ちを書いて
一息ついてから
最後にボクの本当の気持ちを書いた
遺書を書いていたつもりが
ラブレターみたいになってしまって
丁寧に折りたたんで 君に渡した
青を塗って
白を塗って
一息ついてから
最後にボクの気持ちを塗った
空の絵を描いていたつもりが
海みたいになってしまって
開き直って カモメを描いた
●
…やこぜんと読む。
仏教用語では、偽りの禅の悟りのこと。生禅。
また、やこ「野狐」は、ひとに取り憑いて騙す生き物の象徴として、ある。
そんな言葉をユニット名にしたふたりを
今日はじめて知った。
この歌を聴いて、虜になった。
やはり、歌は作り手の生き様を露呈する。
生活の一場面を切り取ったような歌詞だけれども、
「生」に対峙する作り手の愚直さ、生きることへの実直さが、
どどどどどどどどどどどどどどっどどっと、心に雪崩れ込んできた。
うわうわうわうわうわ。
なんとストレートな生き様なんだろう。
なんと不器用で、ごろごろいびつで、
危なっかしくて、救いようがなくて、愛しいのだろう。
あああ、これに比べて、
ニッポンの主流は、どうしてこんなにも小賢しいのだ。
一億総消費者意識。
生きることのモノサシが、損か得かで一刀両断されている。
生きるコトの指針が、経営者的損得で善し悪しにつながっている。
どう考えたって、今原発をベトナムに「販売」することが仁義に反していることは明らかなのに、
対国際社会でのニッポンの立ち位置…とかいったもっともな前置きを持って、
ニッポン国民が、ニッポン国政府の行為を是認している。
ベトナムとニッポンの国際協力とは表向きの、完全な「商売」行為でしかないっていうのに。
世界を取り巻く様相が、すべてこの損得で測られてしまっている現状に、
野狐禅なら「かしこいですなぁ」と言葉を返すのだろうか。
「生きる」ことに愚直に向き合えば、人として為すべきコトは
まず寄り添うことだと、わかるはずだろ。
ボクももう疲れ切ってしまったよ。
それでも一息ついて
最後にボクの気持ちを塗って、死にたい。
…愚直に。実直に。
【aug_13】キリン

最後は愛くるしいキリンさんで、締めてみた。
動物園に来ると、その生物多様性に気づかされる。
人間だけがえらい生き物じゃないぞ…と、警告されるかのように。
大きいの、小さいの。
すばやいの、のろまなの。
肉食うの、草食うの。
陸で生きるの、水と戯れるの。
そのどれもが尊い生き物だと。
これらの生き物と私たちは生活しているのだぞ…と。
動物園という空間でなしに、
もっと生活圏にこれらの生き物たちが暮らしていて、
時には語らう時間があったら、もっと生きやすい世の中なのに。
ワタボウシタマリンの顔を見つめて、
上司の悪口言うと、だいぶスッキリするはず。
【aug_13】カバのジロー

どでかい。
そして、この愛嬌。
歯並びの悪さ、ピカ一。
【aug_13】メガネザル

とにかくすばやい。
スパイダーマンかと突っ込みたくなるぐらい、
その檻の中をひっきりなしに動き回る。
めまぐるしく。ホントに、めまぐるしく。
夜行性ってこんなにも敏捷なのね。

