
「だいしんしょう」と読む。
昭和8年3月3日に三陸を襲った大震災である。
1933年。実に80年ほど前のこと。
南三陸はこの昭和三陸大震嘨災のあと、
1960年のチリ地震でも津波で甚大な被害をこうむった。
この80年あまりの間に3度も。
なんともむごい話である。
そして、これだけの頻度で体感していても
ひとはそのことを忘れてしまうのだ。
この大震嘨災碑も南三陸の至る所に置かれてあった。
頭上を見上げれば津波浸水予想線なる看板も目に付いた。
(ここまでは津波が襲ってくるであろう地点)
そのような前知識があっても
今回の東日本大震災に生かすことができなかった。
語り部の「伊藤さん」は語っていた。
「南三陸は、それでも津波対策に自信を持っていた」…と。
三陸の他地域よりは、避難訓練もたびたび行われていたし、
津波を想定した集合住宅の建設や、避難場所の分散など、
常に津波が生活と共にあった。
しかし、大きく間違っていることがあった…と、
今回の震災で伊藤さんは感じたという。
人間の力を過信しすぎた…と。
人間の力を過信しすぎて、津波に立ち向かおうとしていた…と。
津波と闘おう…だなんて、見当違いも甚だしい…と。
語り部の伊藤さんは、今年70歳。
震災で家も土台から根こそぎ失った。
家族の安否は多くを語らなかったが、知り合いを何人も持って行かれた…という。
津波の引いた南三陸の状況を見て、伊藤さんは悟った。
津波と闘ってはダメだ。
人間は高台に住まいを移し、
いざとなったらまずは逃げるべきだ…と。
防災庁舎で最期までアナウンスをして亡くなった遠藤未希さんを
「日本人の犠牲心の象徴」などと持ち上げるけど、
まずは逃げるべきだった…と。
町の建物の実に95%が流された南三陸町。
1年半経った今も、無言に広がるガレキの荒野を目の前にして、
人間の愚かさを思わずにはいられなかった。