
やちむん、奈須さん。
このライブのテーマとして
「恋とライブと弁当は、足りないぐらいが丁度いい」
…と歌っていました。
「足りないぐらいが丁度いい」
被災された方からの目線で言うと、
非常に酷な響きに映りますが、
このプロジェクトは
未来のニッポンを再生するために
自分たちが出来ること…を
ひと言ずつ書いてもらう主旨ですので、
誤解のないように。
「足るを知る」「身の丈を知る」ということです。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

やちむん、奈須さん。
このライブのテーマとして
「恋とライブと弁当は、足りないぐらいが丁度いい」
…と歌っていました。
「足りないぐらいが丁度いい」
被災された方からの目線で言うと、
非常に酷な響きに映りますが、
このプロジェクトは
未来のニッポンを再生するために
自分たちが出来ること…を
ひと言ずつ書いてもらう主旨ですので、
誤解のないように。
「足るを知る」「身の丈を知る」ということです。
これを見て思うのは、結局戦後はまだまだ続いているということ。
1954年当時、読売新聞社主だった正力松太郎は語る。
「日本は貧に窮している。このままだと共産化するかもしれない。
エネルギーを富みに増やし、共産化を避けるためにも原子力導入は急務だ」
そこにビキニ湾沖での第五福竜丸被爆事件。
「毒は毒を以て制す」の言葉通り、
「原爆アレルギー(!)のニッポンを啓蒙するには
原子力の平和利用を推進するしかない」
これはつまり、東西冷戦構造における共産化の政治情勢を
アメリカがなんとか阻止するための心理戦略だったのだ。
1956年6月21日、第五福竜丸事件から1年半後、「原子力協定」が結ばれる。
そこに至るまでに正力松太郎は、読売新聞+日本テレビの啓蒙キャンペーンと、
政治参入→原子力担当大臣となって、財界を牛耳り「共産化」の食い留めに奔走する。
彼の権力(propaganda)が、放射能にまみれたニッポンの土壌を培ったといっても過言ではない。
子どもたちが原発推進メンバーの学習を終えて、
「原子力は環境にイイから賛成です!」
と答えているのをみて、
ああ、この半世紀でこの国民は
そのような教育を受けてきたから
「唯一無二の被爆国で、
戦後あらたに30万人強の
被爆者を産むような政治」
を選択し続けてきたのだ…という
無力に呆然となる。
「経済発展」「地球温暖化」
この2つのワードが
原子力推進の印籠になっている現実。
たしかにそのような教育を
ボクたちは受けてきた。
「経済発展」は自身の生活が潤う夢を抱かせるし、
「地球温暖化」は未来を守るために解決すべき…とする
体の良い刷り込み。
しかし、そのために地球全体に539基もの原子力が稼働していて
半世紀を迎える今日、「放射化」した廃棄物の行く末すら未定のまま、
「経済発展」「地球温暖化」の大義名分で「前進」を強いられている。
…「前進」を強いられている。
まさにそうだ。
「後退」できない経済構造に填められているのだ。
それも一部の富豪組織の策略によって。
マネーゲームの犠牲となって、
今地球全体が「放射化」の一途をたどっている。
そう断言しても、いいと思う。

新婦のチアキさん。

週末の結婚式にて。
ダンサーの竹森徳芳さん。

シンガポールから来たAlan。
久々の再会。
JaimeとともにHappy Time!
最後に宣言してもらった。
明日の朝イチ、成田から戻る予定。

父です。
ホントにマイペースで
母もびっくりしていました。
震災後も余震が続く中、
父はしっかり寝入っていたようです。
肝っ玉なのか、
ずぶといのか。
その遺伝は
ボクには流れていない…か。

母です。
地震における備えの話、
ホントに勉強になりました。
いつなんどき、
大震災があってもいいように
つねに蓄えを用意していた…とか。
3月11日(金)当日も
水に非常食、反射型桐油ストーブを
災害用物置に入れておいたおかげで
4日間のライフライン断絶も
持ちこたえることが出来た…と。
とにかく、備えのひとです。

被災地仙台から、
昨日東京へ来た両親。
その惨状を詳しく聞きました。
明日は弟家族と久しぶりの温泉です。