【Dec_13】笠原小学校@象設計集団


宮代町立笠原小学校@象設計集団

1982年の建立。

 とにもかくにも、この笠原小学校のような学校はもう日本では建てることができないかもしれません。
小学校の校長と、町民と、設計者のコンセプトが一致してはじめてできる、
逆にいえば、そのようなコンセンサスをつくれる指導者がいなければ、このような小学校は生まれないでしょう。

この建築のコンセプトは一言でいえば「大自然」。
およそ「機能的」といわれる計画から逸脱しても、言葉にできない魅力を空間化し、
子供たちにとっても大人にとっても多様な身体感覚を体験できる場所になっています。

学校全体を見て回って気付くのは、
「建物の中」というのは教室ぐらいで、
あとは半屋外か緑の多い屋外(校庭)のどちらかしかないんですね。
かといって、子供たちは教室から出ない子に育つのではなく、
寒くても外で遊んだり、多くの建築的仕掛けを上手につかって、
鬼ごっこや高オニ、泥警(ドロケイ)などをしていたり、
校庭でも同様に起伏を利用して遊ぶ子供たちを見ることができます。

「笠原小学校の卒業生で、大学生になった時に
自分の小学校と他の人の小学校があまりにも違うことに気づき、
その自分を形作る多くは笠原小学校のおかげだ。
だから、笠原小学校の影響についての卒業論文を書きたい。」

以上『建築家の卵のブログ』より。

物化した思想が血肉となる好例。
いかに人間は空間に左右されるのか、
私たちを取り囲む建築がどのような思想を背景としているのか、
そこで培われた思考が何を生み出してきたのか…などを考えると、
心底怖くなる。思潮を甘く見てはいけないということです。

自分たちの考え方は、周りの環境にどれだけ依存しているか。
このような小学校が、建物が、もっともっと建てられなくてはいけないのです。

【bozzo】なんでもやろう会でヒカリエへ


昨日はボランティアでゆめ工房のみんなとヒカリエへ。

重度の障碍者を抱える「ネットワークゆめ工房」のみなさんと
“なんでもやろう会”のボランティアとして参加。

10台もの車いすで半蔵門線を使い渋谷ヒカリエでランチをする…という
「健常者の日常」にトライ。半蔵門線の乗り降りだけで90分。
とにかくエレベータが小さい。重度の車いすでは1台入るのがやっと。

10台だから10回くり返すわけで。

そんでもって、駅員さんのサポートの許、列車に乗り込むのだけど、
まあ大きいから完全貸切状態。
渋谷についてからも駅員&警備員の連携でB5階から地上へ、
さらにヒカリエ7階へと。移動がハンパないわ。

みなさんトイレに行きたくなる時間かかってるので、
フロアを分けて障碍者トイレへ。

これがまた健常者が使っていたりして待たされる〜。

ヒカリエのエレベータもフル稼働で、なかなか乗り込むできず。
結局、ランチしたあと11階の展望を見て帰路。
どこまでもアウェイな世界。

唯一半蔵門線の貸切状態はマイノリティがマジョリティになった感あって愉快。

どこまでもこの社会が健常者目線で組み立てられ、
地下鉄乗ることもイレギュラー対応を余儀なくされる。
10台もの車いす行列は奇異なコトとして見られ、
彼らにとってはどこまでも非日常な行為の連続。

国際化で英語を公用語にとか、LGBTで性的少数者に人権をとか、
キャッチーな意味での多様化が表層では進んでいるのかも知れんけど、

なんつうかな、身体とか知的とかでの線引きについても、
もっともっと寛容な社会が本当なんじゃないかしら?


成熟ってそういうことでしょ。

弱者はどこまでも弱者で、テリトリーが限定され、体の良い排除がまかり通ってるわ。

彼らの屈託のない笑顔に触れたら、そんな線引きは間違ってるとわかるはずやのに、
まずもって触れあうことすらNGやし。

【Jul_25】鳥越俊太郎個人演説会@亀戸アンフェリシオン


鳥越俊太郎個人演説会@亀戸アンフェリシオン

地元に鳥越さんが来たので応援に駆け付けました〜!
ジャーナリストらしく話題は多岐におよびましたが、
東京都政が想像以上に自公寄り…体制側の政策に終始してきたこと、
弱者冷遇で高齢者施設や障害者施設を都外に設け、
邪魔者扱いしてきたこと、
アベノミクスで一番恩恵を受けたのは自民党であること(経団連の献金が6割増の25億円に〜!)、
47都道府県中41道府県が「非核都市宣言」をしていること、
都知事となったらまず最初に「非核都市宣言」をし、
核武装を止めさせることと、250キロ圏内の原発を廃炉に追い込む…などの宣言をされました。

76歳。この歳となっても、
日本を変えるべく起ち上がった鳥越さん。

やはり間近にすると、その熱情がヒシヒシと伝わってきて、
俄然応援したくなりました!

あと5日。劣勢を跳ね返すだけの人間性ある人物だと思います。

【Jun_28】現代口語劇はいかに更新されたか?


平田オリザ × 佐々木敦
ニッポンの演劇#4
現代口語演劇はいかに更新されたか?

初ゲンロンカフェにて、
平田オリザさんの話を聞くこと3時間40分。
この人が同時代人であることが誇らしい気持ちになった。

「現代口語演劇」の発端は
言語学者鈴木孝夫さんとの出会いだったという
オリザさんらしい発言に膝を叩く。

日本語を相対化するために韓国語を習得し、
理屈として日本語による戯曲を組み上げてきた…とのこと。
演劇ならではの構造や仕組みを集大成的に盛り込んだ
「ニッポンサポートセンター」は自分でも出色の出来であると。
起承転結4場64プロットでまずは役者の出捌けを構成し、
その後1プロット90秒のセリフを1日何プロットと課して
ひたすら書いていく…という作業は、
ある程度パターン化されているので、いずれAIも書けるでしょう…との話。

演劇に「分かりやすさ」を求める風潮にある…という指摘には、
世の中のリテラシーが下がっているのか、すべての分野が分断状態にあり、
確証バイアスによって各派お互いが持論を支持する論証ばかり集めてしまい、
議論にならない膠着状態が際立っていると。

そのことと「分かりやすさ」を求める風潮は密接につながっているのだ…
要は想像力がどんどん欠落しているのだと、オリザさん。
芸術は本来、世の中の問題を提起して物議を醸し出すのが役割。
答えを提示するのではなく、見る者に示唆を与えることで、
思考に深みを持たせるのが、良い作品なのだと。
「分かりやすさ」への希求はその逆を目指している。
どんどん人間は思考停止に陥っている…との嘆き。
特に日本はその傾向が強い。

オリザさんの憂国論は、
ひとつひとつがグサッと突き刺さる本質の問題なので、
ぐうの音も出ない。

体系的な教育が成されていないまま、
ここまで来てしまった弊害が非常に大きい…と。

「人生は、実は自分の外にある。人生もなにもかも、すべて自分の内側にある、
と思っている人がじつに多い。したがって、うまくいかない人生が、じつに多い」

「人生が自分の内側にあると思うな」

とは、片岡義男のコトバだが、
つまり人生とは「関係のつくりかたとその維持のしかた」に他ならず、
自分を外から観察しようとする意志と行動によってのみ、新たな局面が訪れる…と。

オリザさんの指摘する日本国の負の面はすべて
この「外側」の目線を欠いた日本人社会の思考スタイルにある。
ほとんど多くの日本人は「おのれの人生は自分でどうにかなる」という
根性論に裏打ちされていないか。
どれだけそのために社会システムの欠陥をお座なりにしてきたのか。

敗戦を終戦に置き換えて、
国体という名の明治維新体制を固持してきた政府の70年の歩みが、
端的に物語っていないか。

実はおのれの外側にこそ、しかと目を瞠るべきなのだ。

【May_05】黒い螺髪の「原発事故由来強制廃棄個人財産」


富岡町沿岸部。ギョっとする光景。
「放射線汚染廃棄物」の集積場。
中間貯蔵施設もこの近辺に建設予定。

『しゃへい』と描かれたフレコンバッグが、海岸線一帯に堆く積まれている。

一様な黒い塊は、見た目は大仏の螺髪のようなれど、
中身は『原発事故由来強制廃棄個人財産』だったりする。

つまり、放射線に塗れてしまった個人の家財道具だったり、
衣服だったり、書物だったり、するのだ。

故郷に住むことはおろか、
故郷での記憶さえも暴力的に奪われていくフクシマ。

棄てられた光景、棄てられた土地…と言わずして、なんと形容できようか。

フクシマにおける除染完了までの費用総額は5兆円強。
このフレコンバッグの直射日光下での耐用年数は5年。
30年後には県外で最終処分という公約も交わされている。

何事も待ったなしの状況…なのだが、
人目を避けるように黙して鎮座する数万個の螺髪。

この棄景と、併存するのか、東京五輪は。
併存できるのか、人の心を持ってして。
これでアンダーコントロールと、言えるのか。
放射能をナメては、イケない。

【May_04】石巻市立大川小学校


児童74名、教師10名、スクールバス運転手1名の犠牲を出した石巻市立大川小学校

震災遺構としての保存が決まった。
ピースボートのボランティアで石巻に入ったとき、
作業場所がこの大川小学校の近くで、
その遠景を捉えることができた。

その後、ボク自身が負傷し、
救急に運ばれる惨事となったため、
訪れることが叶わなかったのだけど、

こうやって目の当たりにしてみると、
河口から5キロという距離の油断で、
子どもたちを呑み込んだ津波の威力に呆然とするばかり。

すぐ裏は山になっており、数名が辛うじて逃げ延びた。

ほんの数mの判断を、
津波到達までの50分間に決断出来なかったのが、
なんとも悔やまれる。