【Apr_04】日本には目標がない_by内田樹


内田樹氏「日本には目標がない
#BLOGOS

「ヴィジョン」とは、
自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。
かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。
でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。
そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。
そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。
「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。
その順逆を間違えてはいけません。

目的がなければ身体は動きません。
動かないから、そこに身体があるということさえ実感されない。
それは「身体がない」というのと同じことです。

それから後はずっと仄暗い絶望感が日本を覆い続けています。
「日本を取り戻す」という安倍政権の回顧的なスローガンは
「日本にはもう未来がない」ということの言い換えに他なりません。

それが国力衰退の徴候だということに気づきながらも、
風通しのよい、向日的な未来社会を描く想像力がもう作動しなくなった。

ロシアのプーチンや中国の習近平の「終身独裁者」システムの採用は、
それらの国々の政策決定者たちが「変化を恐れている」ことの徴候です。
未来に希望がないから変化を恐れるのです。

「金が欲しいのは金が欲しいからだ」というループに
はまり込んだのは実は経済活動をする目的が見えなくなったからです。
かつては復興と主権回復という明確な国民的目標がありました。
自分たちの日々の経済活動がそのまま国運の興隆とリンクしているという実感があった。
自分が額に汗して働けば、国が豊かになり、国民が幸福になり、
やがて国家主権が回復されて、晴れて独立国になれるという夢があった。それがなくなった。

その結果が今の日本の「ていたらく」です。
別に日本人そのものが倫理的に劣化したわけではありません。
「夢」を持てなくなってしまったことの、これは帰結です。
「自分ひとりがよければ他の人のことはどうでもいい。今さえよければ先のことはどうでもいい」
という考え方について国民的な黙契が成立したのです。
「日本にはヴィジョンがない」というのはそういうことです。

日本人はこれからどんな「夢」を見るべきなのでしょう。
そもそも果たして「次の夢」を見ることができるのでしょう。
この問いに軽々に答えることは自制しなければなりませんけれど、
それでも一言だけ言わせてください。

そのような国民を統合できる「夢」がもし存在し得るしたら、
それは「これまで誰も思いついたことのないようなまったく新しいもの」であると同時に
「あ、それね。その手があったか」と聞いた全員がたちまち笑顔で得心できるような
「懐かしいもの」でなければならないということです。

新しくて、そして懐かしいもの。
そういうものを見つけ出すのはたいてい若い人たちです。

写真は、台湾は花蓮の「松園別館」。
大東亜時代の日本統治下における「花蓮港陸軍兵事部」です。

【bozzo】RBCiradio出演


05月31日午前11時30分。
RBCiradio「台湾に吹くうちな~んちゅの風」出演。

流求茶館で行われている「臺灣」写真展を
告知してもらった。

ラジオから聞こえる自分の意見に失笑しながらも、
青島食堂での服部京子さんとの出会いに感謝。

その後、流求茶館にて
来場された方々のお話を聞く。

実にさまざまな感想、意見をいただき
これまた有り難く思う。

20時、場所を桜坂「g」に移して
ビールを飲みながら、写真家の意見、
デザイナーの感想に耳を傾ける。

      ●

昨日出会った人たちの感想を総合すると、

男性は「臺灣」、女性は「ゆれる。」に
多少なりの共感を抱くような感じだろうか?

「臺灣」は率直に「台湾に行きたくなる」32枚の写真群。
その切り取り方や目線が、台湾に感動している写真家の
気持ちそのままに定着していて、写真表現として面白い。

特に写真を生業とされている方々から
その切り取り方の妙に共感をもたれた。

「ゆれる。」は
モデルとなった女性たちのその表情の配列、
ブルーな色調とスクエアに
次元を超えた永遠性を感じた…との意見をもらった。

桜坂「g」の空間との一体感が、
写真表現を超えた空間演出になっている…との感想も。

やはり女性からの好意的な意見が多かった。

      ●

その写真家に興味を持ち、写真展に足を運ぶ…
これはなかなか労力の要る行為だ。

それだけでも有り難いコトなのだが、

さらに。受けた感想を率直に語ってもらえる…
写真展をやって良かったと思える瞬間だ。

あと2週間、さまざまな感想に、
大いに感化されたいと、思う。

【bozzo】折り返し地点


3月22日。
曇り時々晴れのち大雨、時々雷。
見事に様変わりする春の空。

東京からの友人とこの連休を過ごし、
美味いモノづくしで胃の休まる暇もなし。
1週間の東京滞在とこの連休とで、
体重が2キロも増えてしまった。

夕方、弛んだカラダを絞るべく2キロ泳ぐ。

実は20歳からこの20年間、
ほぼ毎週のように2キロ、泳いでいる。

健康のバロメータとして
疲れてる時でも最低1キロ、
体調の優れない時以外は泳ぐように心がけてきた。

基本的にしつこい性格である。

      ●

2キロ泳ぎながら、東京滞在を振り返っていた。

まあ云うてみれば、スタート地点に立ったようなもんだ。
1キロなんとか泳ぎ切って、これからあと1キロ、
どうやって泳ぎ切るか?…なんて状況なんだろう…と。

学生時代から写真には取り組んできたが、
ここまで意識的に写真と向き合っているのは、
ホント学生以来の状況じゃないか?

 泳ぎながら、頭の中は過去に遡る。

作家として写真を生業にするってのは、
つまり世の写真家と肩を並べるってこと。

文章で言ったら、夏目漱石や村上春樹をライバルにするようなもんだ。

この1週間、一丁前に写真を見てもらったが、
それって、春樹や龍に文章を見てもらったようなもんじゃないか。

 なまったカラダがトドのように水に浮いている。

 1キロの壁を破り、これから新たな1キロへ。

これまでの年月を振り返れば、
この10年間は、今のスタート地点に立つための準備期間。
やっと1キロを泳ぎ切り、次の1キロへ向かうところ。

 たしかに次の1キロは筋肉がより引き締まる感じだ。

ソリッドに自分を見つめ直し、
本来の「bozzo」へ自己を昇華する時。

オンリーワンなオリジナリティを
どう構築していくか。

 動悸が激しくなり、ふくらはぎが痙攣してきた。
 自分が今、どの距離を泳いでいるのか、わからなくなる。

写真を触媒に、今までの経験を活かして
新しい自分を再構築するってこと。

…どえらい選択肢を選んだもんだ。

 あと200m。
 ここらへんは気力だけでいつも乗り切っている。
 水を味方に、気持ちで水に乗っかかるように。

しつこく写真と向き合うことしか、
自分はできないんだ…という事実を
真っ正面から受け止める。

そこから新しいモノが見えてくる。

 2キロを泳ぎ切って、カラダがすっと弛緩する。
 一挙に酸素が取り込まれ、細胞ひとつひとつがピチピチと
 悦んでいる…そんな状態。

それが、成し遂げるってことだろう。

 一時の苦しさが、
 かえって新しい自分を目覚めさせる。
 この40歳でそれが経験できる。

なんて、幸せなことだろう。
追い求め続ける幸せ。

 2キロの達成感に浸りながら、
 そんな感慨を覚えて、うれしくなった。

【bozzo】野球に熱狂する理由


昨日、那覇に到着。

湿り気を帯びた空気が
ドカンと重たく乗っかってきて
「あぁあ。ヤバイな」
…現実に引き戻された。

見事に振り出しに
戻ってきた。

一週間の東京滞在で
あらゆる妄想がリアル冷却され、
ドカン!ドカン!ドカン!と
視界をがっつり塞いでいる感じ。

まぁまぁ。
シェイプUPすりゃいいゃん。

ソリッドに
フォトグラファ~
やりとげりゃいいやん。

      ●

「アラーキーは自分の写真を
より魅力的にするために
自分の精子を現像液に混ぜたんや」

「写真は数値では割り切れん。
如何に撮り手が欲望剥き出すかや。」

「それこそ、この女を手込めにすべく、
絞りとシャッタースピードに勝る
イチモツが入り込んでるかや」

…写真力。
「訴える写真」には
撮り手の強い思いが必要なんや。
どうも行儀良すぎてな。

フィジカルなパワーがな、
…写真から感じられへん。

      ●

WBCはキューバに快勝したらしい。
そんな愛国心の燃焼も
イチモツの為せる業か。

うだつ挙がらぬ今宵。

忘我に酔狂する
かつての野球少年たちの念力すら
持ち合わせていない自分を見詰める。